道路元標蒐集サイク

2dayチケットを使って阪神三宮駅2400着、0055出航のジャンボフェリーで高松へ渡り、香川県と岡山県の道路元標を回ります。 香川と岡山は今月2日にも行ったばかりなのですが、その折は駅から徒歩圏内で輪行するとかえって足手まといになる様な処を回り、徒歩では回りにくい処を残してしまっていて、宇高航路廃止のニュースで急遽今回のプランを考えた訳なのですが、 土曜の夜だがらでしょうか、トレーラーの積み下ろしは少ないのですが。それでも自転車やバイクの乗船は最後で出航10分位前です。気候も良くなり単車も多くなってきましたが、ロードも2台ばかり。 明るくなるまで24時間営業のマグドナルドで朝食休憩し、香川郡の香西町道路元標まで往復、高松港に戻り国道フェリーで宇野へ、たった2時間40分の四国滞在でした。関西から宇高ルートは使う機会は少ないでしょうが、今月26日で航路を廃止すると届けを出した宇野~高松間を結ぶ国道フェリーと四国フェリーの両社、それぞれ廃止届を取り下げ、廃止はひとまず先送りになったものの、先行きはまだまだ不透明で存続しても減便は免れないかも。ちなみにそれぞれ22便づつ運行、自転車は乗員込みで片道720円です、なお両社の便が一緒に書かれた時刻表もありますが、それぞれ乗り場が違いますからご注意を。 しかしあちこちで起こる高速道路1,000円のフェリーへの影響、海運業界ってそんなに政治力がないのでしょうか、このままだと海上交通は衰退するばかり、阪神大震災級の災害が起こってから、海運が使えればなんて云っても遅いのよ、と云うより瀬戸大橋線は橋上風速25mで運行停止、車も速度制限、二輪は通行止。 それ以上吹けばフェリーも休航するだろうけど、現実に一昨年はフェリーは頑張って代替輸送を行っていたのですよ。 近代的になった高松市街をバックに。フェリー利用はどうしても夜行便が多いですが、日中1時間の船旅もなかなか良いものです。宇野港では「宇高航路を惜しむ」のでしょうか「四国うどん巡り」でしょうか、入れ替わりにモールトンやBD-1の小径車のグループが乗り込んで行きました。 宇野からは岡山県児島郡の日比村道路元標まで往復、宇野駅近くから三井造船玉野造船所近くまで廃線跡の歩行者自転車道が続いています。 宇野駅へ戻り今度は胸上村道路元標を目差します。 かつての宇高連絡船への乗り換え駅だけに今でも規模だけは立派です、かつて頻繁に急行「鷲羽」が発着し、ブルートレインの「瀬戸」から貨物列車に至るまで賑わった構内も、今では昼間は1時間に1往復の普通列車がやってくるだけです。  宇野から海岸沿いに出て、少し向かい風ですが快適なコースです。 この近辺、結構小さな峠が幾つかあります、ここは鳥打峠、標高30m程ですが。 胸上村道路元標の後、宇野線で赤穂へ向かう予定ですが、元来た道を戻るのも何なので戸立峠を越えて八浜駅を目指します。 標高は110m、内陸の八浜側の方がエグそうでした。 先の鳥打峠とともに峠おやじ履修済み、どうやらここいらは絨毯爆撃して荒稼ぎして行った様です。 姫路周辺にしようかと思ったりもしたのですが、カウントにはならないものの、宿題のある播州赤穂で途中下車。 赤穂市民俗資料館中庭に保存されている赤穂町道路元標を再訪します、前回は2007年10月に訪れたのですが、その時は運悪く休館日で、元標は遠目にどうにか撮影できたので、既にカウント済み。 赤穂市民俗資料館はさすが赤穂だけあって、元の塩務局と云う役所の建物だと云う事で、中にはT御大が興味を示す様な秤などの展示品もありました。 赤穂浪士所縁で有名な「花岳寺」前には「加里屋道路元標跡」碑が、赤穂町道路元標は元はここにあったとの事ですが、「加里屋」とは行政区分としての町村名ではなく、この付近の地名です。 私は跡碑はカウントしていないので、前回はパスしていました。 問題は「塩屋町道路元標」、昨年穴蔵さんのHPに紹介されたのですが、歴史的に「赤穂郡塩屋町」としては存在した事はなく、「赤穂郡塩屋村」が町制をしく事なく昭和12年に「赤穂郡赤穂町」に編入されています。 最初は地元自治会か何かの手により、最近になって復元されたものかと思っていたのですが、裏面には「兵庫縣」とあり状態も近年復元された様には見えません、私の想像では明らかに「赤穂郡塩屋村」だった頃に建てられたものではではなく、赤穂町となった昭和12年から戦後にかけた辺りで再建されたものではないかと思うのです、いかがでしょう、でこれをカウントするかしないか思案中です。 播州赤穂駅1709発で帰途に、本日の走行62.2キロ。

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「道路元標蒐集サイク」への4件のフィードバック

  1. おじゃまします
    ブログ道路元標超初心者の浅学です
    ひとのブログにコメントするのも初めてです
    冷や汗脂汗タラタラです
    CANCANさんの記事を読ませてもらい
    感心するばかりです
    たびたびおじゃまします
    よろしくお願いします

  2. 岡山県の道路元標の位置特定をしております。
    胸上村は『東児町誌』に写真が掲載されており、先月実物を確認してきました。
    日比町は初見です。
    岡山の場合、現存率も少なく、大正時代の県報にも告示がなく、困難を極めます。
    今後ともよろしくお願いいたします。

  3. テクテクおじさんさん、いらっしゃいませ(^_^)
     奈良県の道路元標は上田倖弘さんが20年前に調査されて、もう出尽くしてしまっていると云っても良い位なのですが。
    本のお陰で新たな発見もあったものの、残念な事に馬見村や磐園村の様に失われてしまったものもあります。
    たとえネット上でも話題になる事で、多少なりとも社会的な認知度が上がれば、保存につながるのではないかと思っています。
     お近くですので、これからもよろしくお願いいます。

  4. bariMAXさん始めまして
     別に私が発掘した訳でもないのですが、本当に皆さん何処で見つけてくるのでしょうね(^_^;) 私が道路元標に興味を持った頃、幸いにも奈良県と兵庫県にはバイブルとも云える出版物があったものの、ネット上では大御所三方がいずれも東日本の方と云う事もあってか、西日本は惨憺たるものでした、あちこちに分散している情報をかき集めてサイクリングのツマにと回り始めたのです、最近は本末転倒と云う声もありますがネ。
     3年前岡山へ訪れた頃は県下で現存が確認されていたのはたった4基で、岡山県立記録資料館の方も岡山県下には道路元標はもうないか、はたして実際に全ての町村に建てられたのだろうかと云う見解でした。
    現時点で私が知る限りで17基、当時350以上の市町村があった訳ですし、岡山県は県北部のものを除けば非常に意匠性の高い形です、もっと出てきて良いのではと思います。
    手がかりとなる県報での告示がないのは大変ですが、たとえあっても徳島県や福井県の様にひとつも見つかっていない処もあり、かえって告示の一覧を元に引っこ抜いたのではと思ってしまったりもします。
    やはり最後は地元の方の地道な探索に頼るばかりです、こちらこそ今後ともよろしくえお願いします。

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