下ッ道と中ッ道

20161016m.jpg えぇ~世の中悪い事はできんもんでして、天理界隈を走ってまして交差点で立ち停まった処、反対側にランドナーを見掛けましたんでペコりと会釈しますと「cancanさんですね?」と、ブログの読者でグランボアのユーザーで奈良市の方とか、大和川河畔の公園までご一緒しまして暫し歓談のあとお別れしましたが、何処で誰が見ていないとも限らない訳で、おかしな事はでけんもんですわ
 
 さて金曜日に続いて大和郡山へ向かう事に、実は郡山の市街を南北に走る柳町の通りと下ッ道を結ぶラインを辿ってみるのが今日の目的です。 下ッ道とは7世紀には出来ていたとされる、奈良盆地を南北に結ぶ古代の道路で、同様に上ッ道、中ッ道などが存在しました。 近世には上ッ道は上街道と、下ッ道は中街道としてほぼ近いルートで継承され、古い街並みや集落を結ぶ旧街道として残っていますが、中ッ道はほぼ失われてしまっています。
 
20161016h.jpg 飛鳥川沿いの道から下ッ道へ入ります。 JR桜井線畝傍駅の東側の踏切(写真左上)から、八木町道路元標、横大路と交差する札の辻(写真右上)と北上し、田原本町道路元標(写真左下)から二階堂の古い街並み(写真右下)へ。
 
20161016i.jpg 二階堂で近鉄天理線を跨いで左へ、佐保川に架かる三郷橋を渡ります。 西詰には「右 郡山京 左 法隆寺龍田高田高野」の道標が(写真右上)、ただ左と示される佐保川右岸の土手の道は、残念ながら近鉄の線路で分断されてしまっています。 「洞ヶ峠」で日和見の代名詞みたいにされてしまった筒井順慶の墓所に立ち寄ります(写真左下)。 暫く行くと南に向って「右 長安寺平端村役場所在地 電車停留所近道 左 二階堂田原本八木」と記された大正13年の道標が(写真右下)。 佐保川の東側を真っ直ぐに北上する下ッ道より、郡山の町が成立した戦国時代以降は、こちらルートの方が利用されていたのではないでしょうか、従って二階堂以北では下ッ道=中街道とはならないのでは、上ッ道同様にルートの変遷を踏まえ、一括りに捉える事には気をつける必要があるかと。
 
20161016j.jpg 国道25号線と交差する現在は西筒井と称されている交差点のの南西角に筒井村道路元標があります。 現在、大和郡山市となっている範囲には8基の道路元標があったと考えられますが、現在ではこの筒井村の他に片桐村、治道村、富雄村の計4基が現存しています。
 
20161016k.jpg
 筒井の街並みを過ぎると、左に近鉄橿原線を見ながら暫く田園風景の中を、やがて郡山の街並みへ入り、一昨日も立ち寄った「金魚ボックス」を横目に、休日とあって人だかりが、結構な観光スポットになっているのですね。 柳町の通りは市役所の南側の三叉路、「菊屋」の前で終わります。 一昨日食べ損ねたので今日こそ「城之口餅」を頂く事に。 ちなみに郡山町道路元標はこの「菊屋」の角にあったと云われています。
 
20161016l.jpg 郡山市街を後にし、県道<144>大和郡山上三橋線を東へ、<745>木津横田線と交差するロータリーを南へ折れ<51>天理環状線に入ります。 天理環状線のうち西側の南北に走る奈良市今市町から天理市九条町までの区間が中ッ道と符合すると云われています。 集落を縫って走る上ッ道、下ッ道と比べると中ッ道は田園地帯の中を走っており、却ってそれが廃れてしまった原因かとも思えます。 ただ幾つかの道標が残っており、その中には「吉野」や「大峯山上」と云った表記もありますので、近世まで南北を結ぶルートとして利用されていたと思われます。 大和川を渡り桜井市に入ったあたりからは現在の車道で辿る事は難しくなりますが、中ッ道は香久山を正面に見ながらこの先も続いていたのでしょう。
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です