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奈良と和歌山 今年のスタンプラリー

 自転車でポイントを巡る奈良県と和歌山県のスタンプラリー、昨年に続き今年も今日5月15日から開始される奈良県サイクリング協会主催の「グランフォンド in 奈良・吉野」のモバイルスタンプラリーと、既に4月28日からスタートしている今年で5回目となる和歌山県主催の「WAKAYAMA800 モバイルスタンプラリー」の概要をまとめました。
 「グランフォンド in 奈良・吉野」NCAのオフィシャルのページで今年度のポイントは53ヶ所と発表されていますが、昨年の24ヶ所から「02:道の駅針テラス」と「14:芋ヶ峠」が無くなり、それ25番から55番まで追加され28と31が空番となっていますので29増2減の計51ヶ所となるはずなのですが。
 現在奈良県には現在12市15町12村の計39の自治体があり、前回終了時のアンケートで全市町村に…と答えておいたのですが、反映されたのかされていないのか、大和高田市、香芝市、生駒郡三郷町、磯城郡川西町、高市郡高取町、北葛城郡上牧町、吉野郡下市町の7市町村を除く33市町村から53ヶ所のチェックポイントが選ばれ、前回から倍以上の数になっています。昨年橿原市生まれのasuka号で全ポイントを回ったので今年はもういいかと思っていたのですが、さてどうしましょ。
追記 : その後記載の修正と香芝市への追加が行われチェックポイントは52ヶ所となりました。
  個人が利便性を求めて私的に作成したものですから、内容の正確さ保証するものではありません。
 和歌山県は5ヶ所の山岳ポントは別にして昨年度の55ヶ所から4増1減で58ヶ所となっています。新しく加わったのは「02:和歌山城」「10.粉河寺」「25.ほたるの湯」「52.平見台園地」の4ヶ所ですが、風光明媚な「キララときめきロード」沿いの「テスティモーネ アリダ」「白崎海洋公園」「日の岬」が外れたままなのは残念ですね。今回から「紀北」「紀中」「紀南」と云うエリアがなくなって12のルートが設定され、賞品の設定とかが変わっています。
  カシミールでデータを作成し「轍ONLINE」にプロットしたものです、マーカーをクリックする事で標高などのキャプションを表示でき、GPXデータを出力する事も可能ですのでGPSなどに取り込む事が可能です。なおあくまでも個人が利便性を求めて私的に作成したものですから、内容の正確さ保証するものではありません。

「WAKAYAMA800」昨年は全く回れなかったのですが「太平洋岸自転車道」沿いのポイント位は回っても良いかなと考えています。「コロナ禍」の影響もあるのでしょうか、多人数が集まるイベントの開催が憚られるなかスタンプラリーへの参加者も増えているのでしょうかね。2014年に行われた奈良・和歌山・三重3県30箇所のポイントを巡るスタンプラリー「Tour de 紀伊 2014」の時の完走は6~7名だったと思うのですが、三重県でもやってくれないかなぁ。

 

琵琶湖キャンプツーリング(3日目)

 滋賀県草津市 湖岸緑地志那1

 朝5時過ぎには目が覚めます、昨夜の風も治まってくれて爽やかな晴れの朝です。今日は撤収して帰途に就きますが、1泊2日だった前回前々回に比べるとゆっくりする事ができました。

 ショコラさんが倉庫がわりに設営したテントだけを残して撤収、自転車もサイドバッグを付けて出発準備OKです。不可解なのはテーブルの下に置いてあったmont-bellのコッフェルと結構重くて頑丈な五徳が行方不明、コッフェルは空だったので昨夜の強風に飛ばされたのかも知れませんが、五徳はとても飛ばされる様な代物ではありません。最近キャンプ場での盗難が多いと聞きますが、それにしてはバーナーとボンベは残っているのですよね。
 0912 「志那1」を後にし湖岸道路を南下します。

 草津川河口で齋藤電鉄さんとniwa-chanさんとお別れです。

 近江大橋を渡ります(写真左)、ショコラさん自身が建設に関わった橋を後年渡る事ができるなんて羨ましいですね、私みたいに商業印刷物やソフトウェアなんかは消えちゃいますもんね。近江大橋西詰で大阪へ帰るタックさんとお別れします(写真右)。

 破損したサイド枠の代用品があるかもと大津市内のショコラさん宅へ向かいます、琵琶湖大橋西詰から瀬田にかけての西岸は自転車で走った事がないので、色々とガイドして貰います、写真右は江若鉄道の廃線跡だそうです。
 残念ながらサイド枠はネジ位置が合わなかったのですが、破断したパイプの内側に内径の合うネジをカットした丸材(いわゆる寸切り)を押し込んでカシメて、針金でサイド枠全体を縛って貰いました、これで桜井までの長丁場も安心です。
 教えて貰った湖岸の道を走り、お陰で石山寺を過ぎるまで車や信号に煩わされる事なく抜ける事ができました、残念ながら河川敷を走っていたので「茶丈藤村」の前は通りすぎる事になってしまいましたが。

 瀬田川沿いの府県道3号大津南郷宇治線を走り 1221 一旦京都府に入った辺りでタックさんに追いついてしまいました。コンビニへ寄ったり写真を撮ったりしながらのんびり走っていたそうです。


 緩やかなアップダウンを繰り返しながら川べりの快走ルートです。天ヶ瀬ダムに立ち寄り、それぞれ手持ちの食料でお昼にします。(写真 : タックさん)

 平等院まで下ってからいつも難儀するのですが、遠回りになる事は判っているのですがタックさんに淀の「さくらであい館」まで案内して貰う事に、大阪方面から来るサイクリストには当たり前の宇治川沿いのルートですが、奈良県民の私は殆ど走った事がないのです。(写真 : タックさん)

 R1をくぐる処で難渋しましたが「さくらであい館」が見える処までやってきました。(写真右 : タックさん)

 1435 「さくらであい館」に到着、休日とあっていつも以上にサイクリストが多いですね、結構ソロの人がたむろしていて何やら変な雰囲気、その中にキャンピングが2台乱入、この人たちにはどう映るんでしょうね。(写真 : タックさん)

 1444 トイレ休憩の後、淀川沿いに下るタックさんとはここでお別れ、御幸橋を渡り木津川べりの木津八幡嵐山自転車道(京奈和自転車道)へ入ります、走りなれたルートとは云えまだ桜井まで60キロ近くあります。(写真 : タックさん)
 15時丁度に「流れ橋」に、以前近くにクライアントがあって2015年には40回も来た事があるのですが、もしかして一昨年の正月以来? ここもサイクリストの溜まり場なんですが、今日行われている木津川CCの「嵐山往復サイク」の一行が休憩中。16時丁度には木津八幡嵐山自転車道の終点近く京奈和自転車道が別れる樋門公園へ、京奈和自転車道をたどると桜井へは遠回りになってしまいますので、井関川沿いに遡って 1628 には京奈県境を越えて奈良阪へ。

 県庁前から上ッ道を、夕陽に映える山並みを見ながら18時過ぎには無事桜井に帰宅しました、本日の走行119.5キロ、お天気に恵まれた3日間の走行距離は294.6キロ、何より色々と段取りして下さったショコラさんに感謝です。

1日目(5月6日)  2日目(5月7日) 3日目(5月8日)

 集合写真を含む大きなサイズの画像を順次うちのHP「サイクリングの記録」にUPしています、一部タックさん他の写真を拝借しています。なお私の写真に関して参加された方は再利用して頂いて結構です、なお認証が必要です、ログインは’2022’、パスワードは2022年版「CanCan謹製卓上カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の4桁の数字です。なおスマホのSNSアプリ等からリンクをたどると401エラーが出る事がありますが、Crome等ブラウザで開いて下さい。

伊那路ツーリング 2日目

県道1号飯田富山佐久間線 泰阜村明島にて

 今日は長野、愛知、静岡3県に跨がる県道1号飯田富山佐久間線を走ります。長野県飯田市下久堅知久平(R256交点)を起点とし、下伊那郡泰阜村、阿南町、天龍村、愛知県北設楽郡豊根村(旧富山村)を経て静岡県浜松市天竜区佐久間町川上(静岡県道9号天竜東栄線交点)へ至る地方主要道で、飯田富山佐久間線としては1971年に長野県が、1972年に愛知県と静岡県で県道として認定され、1973年に3県での路線番号が「1号」として統一されました。3県に跨がる都府県道は決して珍しくないのですが(4県すら存在)、それが天竜川の険しい谷あいを縫って走る正に「険道」と云う路線が「1号」だと云う点がユニークで、道路マニアなら一度は訪れてみたい路線です。なぜ「1号」になったのかが良く判らないのですが、3県で統一しようとした時に「1」が共通の空番だった、そもそも国道1号が通る都県では混同を避ける為に県道1号を空番にしていたと云う説がある様な無い様な。そのあたりは3県の県告示を遡ってみると判るかも、道路元標と違って戦後の話ですからね。
 さて実際の道路状況ですが、天竜川沿いと云っても天竜峡から温田(阿南町)にかけては川べりの道路はなく東側の泰阜村へ迂回する形で標高で300m程登らなくてはなりません、それもアップダウンが多くて獲得標高だとその倍以上に。愛知県へ入り旧富山村の中心部を過ぎると佐久間ダムまで幅員も小さくなる様で、崩落などにより復旧にまで何年もかかる通行止が度々起きていて、全線を通して走る事のできる機会もそう多くはないかも知れません、なお3県を跨いでの路線延長は約92キロ(重複区間を含む)。

 6時半には飯田市街の宿を出発、この先県道1号沿い処か浜松市までコンビニの類いは皆無ですので、お昼の分程度までは市街で調達しておきます。R256を走り水神橋で天竜川を渡り少し登って県道1号への分岐へ。
 県道1号に入るなり川近くまで下りと、無駄なアップダウンに先が思いやられます。昨日同様朝一の登りはどうも堪える様になりました、やはり歳ですね。しかし奈良を出発した一昨日の予報に反して天気は思わしくありません、長野県南部から静岡県にかけて夕方まで持ってくれるのか、微妙な按配です。

 泰阜大橋、飯田市と泰阜(やすおか)村との境界(写真左)。県道64号天竜公園阿智線への分岐(写真右)。

 泰阜村明島、ここが今日のピークかと思ったら、もう一度登り返しが、諏訪神社のあるここ(写真右 718m)が少し高い様で。

 県道63号下条米川飯田線への分岐、県道1号より泰阜村役場を通る県道63号の方が幅員があります。「お山の停留所」で小休止、でも時刻表とかがありません。
 
 泰阜村明島からの展望(写真左)。一度登り返しがあって泰阜村田本、飯田線の秘境駅田本への道、文字が消えかかった案内板がありますが、たまたま停まらなかったら気が付きません、wikiによると徒歩で20分掛かるとか(写真右)。

 ようやく天竜川近くまで下ってきました、南宮大橋で右岸に渡ると阿南町、再び左岸に渡り天龍村となります。

 平岡ダムでは咲き始めた桜が… 1121 平岡駅へ、天龍村の中心地で遠山郷への玄関口となるなので結構賑わっています、駅そのものは民間委託駅ですが、駅舎が温泉や宿泊施設になっていて食堂が開いていたので、ここでお昼にします。
 1239 愛知県に、北設楽郡豊根村に入りますが、2005年11月まで「離島以外の市町村の中で最も人口が少ない村」として知られた富山(とみやま)村でした。

 県道426号津具大嵐停車場線への分岐へ、橋で天竜川(佐久間ダム湖)を渡ると静岡県浜松市天竜区です。

 1259 JR飯田線大嵐(おおぞれ)駅へ、立派な駅舎は1997年に東京駅をモデルに改築された豊根村の施設、旧富山村の最寄り駅で列車の時刻に合わせてバスがやってきます、ただ駅のまわりには何もありません。
 さて県道1号を完走するどころか中部天竜駅まで行くにも微妙な時間になってきました。飯田線はここから佐久間ダム建設で付け替えられた区間で天竜川や県道1号と離れトンネルで水窪側に抜けてしまいますので、中部天竜駅までの30キロ近くを否が応でも走らなくてはなりません、桜井まで帰る事のできる最終(18きっぷと近鉄利用)は 1626発、 結構アップダウンのあるコースで輪行支度を考えると微妙と云えば微妙な時間です。休みがもう1日あるので後1泊して伊良湖まで走り伊勢湾フェリーと近鉄で帰るプランを考えてみたのですが、思った以上に距離があるのとお天気と豊橋前後の市街地走行がね。

 佐久間ダムに近づくにつれてトンネルが増えてきます、富山を過ぎてからダムまで12本、最長は600m近くありますし、砕石場を過ぎるとダンプも頻繁にやってきます。写真は滝原トンネル(123m)。

 1447 ようやく佐久間ダムに到着、天端道路を渡ると静岡県です。中部天竜駅までなら数キロ下るだけ、せっかくですので少し見学していても良かったのですが、ここまでハイペースできたので気が急いてしまってさっさと下ってしまいました。
 1502 R473との三叉路へ、桜並木が満開です。この先県道1号はR473と静岡県道294号との重複区間を経て、飯田線で6駅先の東栄駅近くまで12キロ程あるのですが、何やら雲行きが怪しくなってきました、厳密には完走ではありませんが県道1号走破の目的はほぼ果たせたので残りの重複区間は宿題にして中部天竜駅に向かう事にします。


 1507 中部天竜駅に到着、1626発の豊橋行きまで待ち時間1時間20分もあるではないですか、ロードなら1本前の1526発に乗れそうですが、マッドガード付きのヘッド抜き輪行ではそうも行きません。こんな事なら佐久間ダムでゆっくりしておくのだったと思いながら、輪行支度を始めたら案の定ぱらぱら雨が降り出してきました、まぁ時間を気にしながら輪行支度をするより結果良しと云う事で。本日の走行87.8キロ。
 ところで以前中部天竜にあった「佐久間レールパーク」(関連記事)は「リニア鉄道館」への展示車両の移転を機に2009年11月に閉館してしまいました。 
 中部天竜1626→1824豊橋1831→1928名古屋とJRを2,640円分乗車、京都回りすると安く帰れなくもないのですが、日付が変わってしまうので名古屋から近鉄に、近鉄名古屋1949→2108伊勢中川2115→桜井2225、無事に桜井に帰投しました。

 1日目 2日目


「let’s ポタリング宇陀」2日目

  「let’s ポタリング宇陀」2日目は室生口大野の「宇陀市室生振興センター」に集合し「室生龍穴神社」を経て下田口の「ふるさと元気村」まで県道28号吉野室生寺針線を往復する約20キロのコースです。
 2日続けて交通量の多い西峠を登って行くのもなんですので、少し早めに出て初瀬ダムから旧都祁村を経て「都祁山の道」を東へ走り大野へ下るコースをとる事にします。R165を走って行くのと比べて12キロ程遠回りな上に標高480mまで登らなくてはなりませんが、車の少ない快適なコースです。
 都祁村は2005年に奈良市と合併していますが、桜井から室生に行くのに奈良市域経由とは、まぁ十津川から新宮に行くのに田辺市を経由する様なもので。ずいぶん暖かくなったとは朝の大和高原はさすがに寒いです。

 「都祁山の道」と呼ばれる県道781号都祁名張線は東大寺二月堂修二会のいわゆる「お水取り」の松明を赤目から運ぶ由緒ある古道で、現在は広域農道が並行しているので車が少なく自転車には快適なコースです。
 宇陀市域に入り室生多田の満寿寺薬師堂に立ち寄ります。夏の盛りには百日紅が出迎えてくれますが、毎年付ける花が少なくなっている様に思えるので、ちょうどお堂の掃除に来られたおばさんに尋ねると、ちゃんと剪定をしていないからとの事でした。向渕から標高差200m快走ダウンヒルで大野へ、約束の時間直前に「宇陀市室生振興センター」に到着。

 さて前置きが長くなりましたがここからが今日の本題、2日目の参加者は私を含めて5名、昨日に続いてのIさんと高齢(私より)の男性とご夫婦、ミニベロでの参加です。出発後すぐに大野寺の前で昨日の座学で教えて貰った水港(みずみなと)があったとされる河原と磨崖仏を見学、後1ヶ月もすると大野寺の桜が満開なんですが。すみません、この前後の写真がありません。

 県道28号線を南へ、緩やかな登りが続きます。予定には入ってませんが、せっかくですので室生寺門前で記念撮影を。個人的には室生寺って見学の間安心して駐輪しておける場所を知らないので、この機会にゆっくり見学したかったのですが。

 最近はパワースポットと知られる様になった「龍穴神社」へ、昨日同様にボランティアガイドの方の解説付き「流血神社ではない」と云うのがここのガイドの掴みの様でして。今日は私たちの為にいつもは閉ざされている神殿の扉を開けてくれていて、ガイドさんもびっくりのVIP待遇とか。40分近く案内をして頂いて「龍穴神社」を後に、再び県道を南下します。
  下田口の「宇陀市文化芸術活動体験交流施設」ふるさと元気村へ、元の田口小学校の跡を利用した施設で、絵画 木工 陶芸 きりえ 藍・草木染 七宝焼 サンドブラスト
着物リフォーム 手紡ぎ 手織り フェルト雑貨と云った体験教室が随時開かれ、作品の販売も行われています。「モバイルグランフォンドin奈良・吉野」のチェックポイントにもなっていたので昨年7月15日にも訪れていて、その日は休館日でしたので校門が閉ざされていて見学はできませんでしたが、今日は案内付きで各機教室を拝見させて頂きます。
 「龍穴神社」と「室生ふるさと村」の見学時間が長くなってしまったので「振興センター」へ戻る時間が押してしまってしまいました。

 室生寺門前にて、時間が押してますがここの「よもぎ入り回転焼」を外す訳にはいきませんよね、案の定おばさんの声が掛かります。
 遅刻しましたが無事「振興センター」へ。当初大野から県道を往復するだけのコースが少々気に入らなかったのですが、立ち寄るポイントも充実していて、復路を緩やかなダウンヒルで快走できるのも良いかなと思った次第。

 お昼を近くの「うだ夢創の里」で準備して頂いてますので移動しますが、ここが本日最大の激坂でした。写真は初瀬街道(阿保越伊勢街道)にて。

 室生大野「うだ夢創の里」にて。
 午後は「振興センター」で講話があるのですが、夕方に所用と勤務と予定が詰まっているので、申し訳ないのですが13時半には「夢創の里」で参加の皆さんとスタッフの方々とお別れし、室生ダムから榛原、笠間辻経由で帰途に就きました。
 2日間、宇陀市の「おためし研修支援事業」の「let’s ポタリング宇陀」に声を掛けて頂き、日頃通り過ぎる事があってもなかなか立ち寄るきっかけのない処を満喫する事ができました。今回は定員に対して参加者がかなり少なかったのですが、市の「研修支援事業」と云う事から具体的なイメージが思い浮かばず、加えて「コロナ禍」のな渦中とあって、私も声を掛ける範囲が限られてしまって、あまりお力になれなかったのが残念です。
 本日の走行78.3キロ、内「振興センター」~「ふるさと元気村」の往復は約20キロ。

「let’s ポタリング宇陀」1日目 2日目

※ 一部の写真を主催側の方から頂きました。


遠回り通勤ポタ「結崎面塚」

磯城郡川西町結崎 寺川河畔「面塚」にて

 今朝の奈良の最低気温は-2.2℃とかなり寒かったのですが、9時前から国中の川べりの道を大和川御幸橋まで巡る事にします。飛鳥川沿いに出ておふさ観音近くから下ッ道(中街道)へ、横大路と交差する八木札の辻にて。
 近鉄橿原線を跨いで飛鳥川沿いの大和中央自転車道へ、向い風が強いですが、徐々に陽射しが暖かくなってくるのが救いです。

 河合町で曽我川沿いの飛鳥葛城自転車道へ移って大和川に架かる御幸橋で右岸へ渡ります。淀にある御幸橋は「ごかうばし」ですが此処のは「みゆきばし」、休日とあって結構ローディが行き交ってます。
 大和川右岸の堤防上の道を遡ります。対岸で大和川に曽我川が合流しています。青い橋は太子橋、大和川の蛇行が改修される前はなかった橋で、渡った辺りだけは今も安堵町域です。
 その太子橋は今月末まで補修工事で日中通行止だそうなのですが、祝日のせいか工事とかやっていませんでした。
 この付近で筋違(太子)道が大和川を渡っていたのが橋名の由来なんでしょうね。
 大和川左岸を行きますが、この先で寺川が合流してきていますので自然と寺川左岸に。桜井へはほぼ大和川左岸を走って行けるのですが、近鉄橿原線を跨ぐ踏切の前後imageで3月10日まで舗装工事で通行止になっている様で、適当な迂回路がないので、今日は寺川沿いから天理市庵治(おうじ)町へ抜けるルートを辿ってみる事にします。

 寺川左岸の道が県道197号結崎田原本線と交差する宮前橋の先に「面塚」と云う史跡があるのですが、観世能楽発祥の地だと事で「結崎面塚公園」と云うのが整備されていて、何度か来ているのですが、桜の季節に来なくては。
 川べりの快適な道が続きますが、残念ながら寺川べりの道は近鉄橿原線と京奈和自動車道で行く手を遮られてしまいます。先の宮前橋から数えて3つ目の橋で右岸に渡ります。

 寺川右岸の堤防上はダートですので住宅街の川よりの道を辿ると近鉄橿原線をどうにかくぐる事ができます。

 真っ直ぐと云う訳には行きませんが京奈和自動車道をくぐる事もでき、そのまま東へ。

 天理市庵冶町で下ッ道(中街道)に唐突に出てしまいます、角には大神宮の常夜灯があり、八王子社もあった様です。道標には年号と●●村木之本と読め、確かに山辺郡二階堂村以前の庵治村には木の本と云う字があった様です。下ッ道はともかくこの東西の道も歴史のある道の様です。庵治町でいつものルートに戻りますが、距離は殆どと云って変わらないのですが(図青線)車が少ないので重宝しそうです。R24を跨ぎ再び大和川べりに、そのまま桜井に戻っても良いのですが、海上橋を渡り東へ上ッ道(上街道)まで出る事にします。

 JR桜井線を跨いだ処でレトロな柳本駅へ。いつのまにか駅中食堂が「ビクトン」と云う妙な名前なのですが、三角縁神獣鏡の出土で知られた黒塚古墳の最寄り駅で、休日をあって結構賑わってます。店頭で売られていたロースとんかつがあまりに美味そうなんで(450円也)が1つ買う事に。
 上ッ道に戻って巻向から三輪とお昼過ぎには桜井へ、買い物を済ませて帰宅、本日の走行36.2キロ。今日まで出今月は358.9キロ、後1週間で幾ら走る事ができるでしょうかね。
 そうそうロースとんかつはお昼にカツカレーとなりました、盛り付けが雑なのはご容赦を…

 


雪の天辻峠を越えて(後半)


 道の駅「吉野路大塔」で本日のミッションは果たしたものの既に13時、新天辻トンネルを抜けるにしても来た道を戻るのは面白くありません、12時まででしたら阪本へ下り天川経由も考えていたのですが、新川合~新笠木の2つの長大トンネルは通りたくないので、笠木峠旧道の積雪具合を考慮すると些か時間的に厳しそう、このままR168を阪本側に2/3程下って県道732号阪本五條線で出屋敷峠(660m)へ登り返すのが一番賢いかな。

 県道732号に入り再び調子よく登り出したのですが、暫く行くと脚が攣り始めます、幸い今日は「芍薬甘草湯」を持っていたので助かりました。今まで持っていない時に限って攣ったんですよね、効果覿面無事に 1333 出屋敷峠へ。
 以前シクロツーリスト 旅と自転車 特集「日本の峠200選」imageで奈良の峠として芋ヶ峠と染谷峠を紹介させて貰っているのですが、私自身は此処とで奈良の三名峠だと思っていたのですが、処分場かのフェンスができて興ざめなのは残念です、あとは小南峠か石切峠でしょうか。
 県道732号は起点と終点が奈良県域なのですが出屋敷峠から高野町富貴を過ぎるまでが和歌山県域です、出屋敷峠の北側は緩やかな1.5車線が道が続き出屋敷辻で県道733号川津高野線と合流します。
 富貴集落を抜け再び奈良県域へ、東の川(うのかわ)の深い谷の東斜面を豪快に下って行きます、日当たりが良い事もあって路面は乾いていて安心して下る事ができます。1458 火打口で県道55号橋本五條線へ。五條市街を避けて辯天宗宗祖御廟の横を通って県道137号平原五條線で栄山寺橋へ。栄山寺トンネルimageの供用はまだの様ですが、供用されると京奈和自転車道のルートになっている県道137号の交通量が増えるでしょうね。
 栄山寺橋を渡り一旦県道39号五條吉野線へ入りますが吉野川左岸に渡る手前でそのまま右岸を走る市道へ、水溜りとかもある悪路ですが、ランドナーにはぴったりのコースです。途中にカルディア第2キャンプ場がありますが殆ど車が入ってきません。阿太橋西詰で県道259号吉野川公園線に入り西阿太でR370を跨いで阿太高原へ、東寄りに京奈和自転車道のコースが設定されているのですが、こちらの方が楽だと思うのですがね。この後福神駅前から今朝立ち寄った吉野口駅前へは1642には戻ってきたのですが、所用でVIVVAさんちと勤務先に寄って20時過ぎに無事帰投しました。本日の走行121.5キロ、今年初めての100キロ超となりました。

 


リベンジ上北山(つづき) R425へ

国道425号 上北山村白川 不動滝

 とりあえずの今日のミッションを済ませ道の駅「吉野路上北山」を後にします、時間的も適当に食事の摂れる処があれば良かったのですが国道沿いに営業している処が見当たりません、対岸の上北山温泉「薬師湯」に行けば良かったかなと思いつつ、充分な携行食もありますし先へと進む事に。
 暫く行くと北山川の流れは池原貯水地の湖面となります。交通量も十津川筋のR168に比べると少ないですし路面も綺麗、緩やかなアップダウン、でも単調なのかここまで数十キロ走って来ていると結構だるいんですよね。
 1237 下北山村に入り前鬼橋を渡った処に日本の滝100選「七重不動滝」への分岐があり、「前鬼口」バス停と自販機、古びた休憩所とトイレがあります、夏場は涼しくて良いのですがこの季節は日陰は寒いかな、とりあえず温かい缶コーヒーで一息。
 1317 音枝(おとし)峠のトンネルへ、峠と云っても上北山村側が池原ダムで道路が付け替えられた為に今ではほぼ片峠に、現在はバス停の名前からも「峠」が外れたみたいですね。トンネルを抜けるといわゆる三大酷道の1つR425尾鷲方面への分岐に出ます。当初このままR169~R309~R42と熊野市まで走り、1泊して新宮方面へ走るつもりでもいたのですが、R425が通れる事が判り久しぶりに走ってみようかと、過去に何度か走ろうと思いたってもその時に限って通行止になってるんですよね。ここ音枝峠からだと熊野市駅まで35キロ、登りも佐田坂のこちら側で少しあるだけ。R425で尾鷲だと坂本ダムから標高で570m程の八幡トンネルで峠を越えてクチスボダム経由で44キロ。先日の大台ヶ原のついでだと時間的に厳しかったのですが、今日なら久しぶりに走る絶好のチャンス、三重県側も問題なさそうですし、このままR169を走るよりずっと愉しそうで有意義なコース、尾鷲で泊まれるなら明日は紀伊長島からR260を賢島方面に走り抜けても好し。ただR425に入ると延々40キロ近く無住地帯が続き携帯電話はdocomoすら圏外ですので、ここで明日の天気と尾鷲での安宿を当たってみますが、いずれも思わしくありません。今日のうちに輪行で帰るとしても尾鷲駅1910ですから、仮に多少のトラブルを食らっても大丈夫でしょう。
 池原ダムはアーチダムとしては国内最大の貯水量と湛水面積、変わっているのはダム堤体に洪水吐はなく、対岸に洪水吐と発電の取水設備がり(写真左)、天端道路をR425が通じています。ダム堤体の下流側はキャンプ場もある「下北山スポーツ公園」になっています。(写真右)
 池原ダムから8キロ少しで備後川林道への分岐へ、大又林道を経てR42へと繋がっています、1990年代に紀伊半島の多くの林道を走りましたが、この備後川林道は走らず仕舞いでした。現在では全線かどうかはともかく舗装がされている様です。11キロ程で再び上北山村域へ、道の駅を出てからずっと池原貯水地を廻っている訳ですから、アップダウンはあっても標高は稼いでいません、標高300m台を登ったり下りたり。路肩には100m毎に道路番号と数字の書かれた標識がありカウントダウンして行くのですが、R425の起点の尾鷲市までの距離とは計算が合いません。
 一段上がると云う感じで標高を上げ、約17キロで 1500 坂本ダム到着、2011年6月にT御大とUG 兄さんと走ったサンギリ林道以来、ダムと云っても無人でトイレだけが新しくなっていました。これより先の尾鷲側はクチスボダムまでなんと1992年8月以来29年ぶりです。上北山村に入ってから写真右の「ならくる」の標識が時折ありますが、所謂「ならくる」のコースにも掲載されていませんし、公式の案内も見聞きした事がありません。なんなんでしょお得意の無駄な標識
 1519 約19キロで出口橋を渡り三叉路に突き当たります。県道228号東川河合線が左へ分岐していますが、村役場のある河合へは繋がる事もなく東川は廃村となっています、かつて宮の平には東川簡易郵便局があり電話が通じていなかった為に全国唯一のオフライン局としてマニアの間で知られていました、つまり郵便貯金の出し入れをしようとするには近隣の局でオフライン手続きを行う必要があったのです。wiki によると2005年まで営業していたとの事ですが、私が宮の平を訪れた1991年8月16日には人影すらなかったのです、念のために調べてみてもその日は金曜日だったので、謎です。なお宮の平へは後年(2014年)物好きな盟友SORA氏が行っています。
 余談ですが川上村の東川は「うのかわ」ですが上北山村のは東川は「ひがしのかわ」、ついでに五條市にあるのは東川(うのかわ)酒店、御所市にあるのは東川(ひがしがわ)酒店です。
 寄り道する余裕はありまんので、三叉路を右へR425を行きます。ところで紀伊半島は多くの滝がありますが、道路から見える滝も幾つか、その中でも屈指の名瀑はこの「不動滝」ですね。坂本ダムの湖面と別れ、支流の古川に沿って高度を上げて行きます。途中に字ナゴセと云う土地があり林業関連の施設があって、以前通った際に犬の鳴き声がすると思ったら数匹が道路に出てきて追いかけてきます、キャンプ装備の自転車で必死で坂を登った苦い思い出が。ところでカウントダウンして行く標識はいよいよ1桁に、距離の起点が尾鷲でなく県境ではと想像がついていたのですが、八幡トンネルのある標高を考えると10%勾配が続く計算に、30年前の曖昧な記憶でもそんな坂はなかった様はず。
 1552 池原ダムから24キロ走った処で唐突に奈良三重県境が、しかし登り坂は続きます。
 県境から更に2キロ走り 1605 八幡トンネル(469m)に到着。トンネルを抜けるとクチスボダムまで標高差400m超のダウンヒル、今の季節16時を回ると陽射しの入らない谷あいを下るのは寒いだけです。
 クチスボダムの手前まで来ると公園が整備されていて自動販売機もあります、確か以前はなかったかと但しまだ圏外。1653 記憶のあるダム下の三叉路へ(写真左)、2004年5月に大台町経由でここまで来ています。R425はここから坂下トンネルまで登り返して尾鷲市街へ下りますが、左折し川沿いに三重県道760号南浦海山線で紀北町へ下る事にします。途中魚跳渓(2004年5月)を通りますが、清流銚子川の支流だけあって渓流の見事さは一見の価値がありますよ。延々と紀伊半島の奥深い無住地帯を走り、陽が暮れた頃に三重県北牟婁郡紀北町便ノ山(びんのやま)木津地区へ、道の駅のある上北山村河合をでてから5時間ぶりに生活感のある集落にでてきました、何しろ池原ダムを出てからここまで出遭った車は路肩を清掃しているブルドーザーとブルドーザーを積んだトラックだけ。道路が途端に広くなり紀勢道の高架をくぐりR42を跨いで 1737 には一旦相賀駅に着きますが、次の上り1743発には輪行準備がとても間に合いませんし、何か食べないと桜井までの3時間半の長丁場が持ちません。次は1920発の多気行き最終、R42をもう少し走ればスーパーもコンビニもありますので、次の船津駅まで進む事にします、運賃も180円安くなりますし。
 ファミマで小さめのお弁当と菓子、飲料を調達しておきますが、船津駅までの途中の国道沿いに食事の出来そうな店が何軒か、手っ取り早くて温まりそうな「中華そば」のお店へ。船津駅には50分前に到着、ランドナーのヘッド抜き輪行には慌てず作業のできる良い時間です。駅舎がえらくモダンになっていますがちょっと狭い、まぁ乗車する1925発まで下り列車もありません。
 船津駅には50分前に到着、ランドナーのヘッド抜き輪行には慌てず作業のできる良い時間です。駅舎がえらくモダンになっていますがちょっと狭い、まぁ乗車する1925発まで下り列車もありませんしね、本日の走行136.7キロ。
 無事に輪行支度を済ませ 1925 発の多気行きに乗車、JR東海のキハ25系、キハ58系が走っていた時代を知っているものには輪行袋を担いで乗り降りし易くなりましたが、電車と変わらない車体ととロングシートはね。→2054多気2104→2114松阪2141→2150伊勢中川2156→2238名張2339→2306桜井と所要3時間41分、乗換4回内3回階段は辛いものがありますがこの時間の松阪経由は「密」にならないです。日付が変わらないうちに帰宅、明日一日休みなので気楽なのですが、136キロ走って3時間半輪行して帰ってくるのもくたびれますし、せっかく尾鷲まで行ったので1泊して明日も走らないのは勿体なかったな。



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中2日で天川村へ

旧国道309号 旧川合トンネル

 「モバイルグランフォンドin奈良・吉野」のスタンプラリー15日の「道の駅吉野路上北山」に続いて一昨々日は「五番関」を取りこぼしたのは痛い、まぁこの季節に高野山に登ってから「五番関」まで走ろうなんて身の程知らずなんですがね。しかし勤務シフトの休みとお天気がシンクロして、今日の休みも走らないと後悔するお天気になりそう、雪が積もりだすと踏み込めなくなる高原洞川林道の「五番関」(標高1,162m)に向かうには貴重なチャンス。しかしR309の長大トンネルはくぐりたくない、頼みの吉野大峯林道は平日は通れない可能性大、標高差で600m以上激坂の続く小南峠も高原洞川林道も登りたくない。そこで考えついたのは下市から樺ノ木峠を越えて旧西吉野村へ入り、少しだけR168を走り県道49号勢井宗川野線で天川へ抜ける大回り案、最近走っていなかった道を選んだ気もしないでもないが、遠回りと云っても暗いうちに出ればお昼に天川にはたどり着けるだろうと…
 4時過ぎに起きたもの外の寒さに挫けそうになりながらどうにか 0540 に桜井を出発。まだ11月と云いながら尋常な寒さでは、明日香村に入り一昨日も走った飛鳥駅前から吉野口駅前を経由する定番コース、今日は薬水から福神駅前を通ってほぼ京奈和自転車道のルートで吉野川を渡ります。梁瀬橋を渡った処で左折し下市町役場前から県道20号下市宗桧線に入り樺ノ木峠を目指します、もちろん梁瀬橋から農免道路に入れば距離的には近い事は判ってはいるのですが。
 0850 樺ノ木峠へ、旧道側に残る標柱、左側は樺ノ木と読めますが、右側は判然としません。暖かい朝の陽射しに当たりながら暫し自販機休憩を。
 0942 宗川野で県道49号に入ります(写真左)。立川渡(写真右)ここを右折すると旧R168、西吉野大滝を経て西吉野トンネルの南側に出る事ができます。県道は川沿いに緩やかに登って行きます、至ってマイナーな道だったのですが、距離的に五條から天川への最短ルートになるかして、最近は他所の車も入ってくる様に、カーナビの功罪かな。
 平雄には河瀨直美監督の「萌の朱雀」のロケ地の一つで作中の田原家があり記念碑が建っているそうなのですが今だに行けていません、何しろ県道から標高で200m以上登らなくてはなりません。西日裏(写真右)の簡易郵便局の前の自動販売機がなくなっていました、この先天川村か黒滝村へ越えない限り何もないのですよね。
 11時丁度にR309の新笠木トンネル(1,693m)と新川合トンネル(2,751m/奈良県下最長)の間に出ますが、結構車が飛ばして走るので、あと標高で300m程頑張って旧道の川合トンネルまで登る事にします。
 30分程で旧道の笠木トンネル口へ、ここまでで標高で6割方登った事に、この先一昨々日に下ったR309旧道を登ります。ところでご存知でしょうか、黒滝村と天川村を繋いでいるR309、新旧ともに2つのトンネルの間は実は五條市(旧西吉野村域)だって事を。
 消えかけていますが元は国道だった名残りのセンターラインが、笠木トンネルから川合トンネルまで登るのは日当たりが良くて夏は暑くて辛かった事を思い出します、今日は初冬の陽射しが暖かいです。30年以上前テントを積んでこの峠を往復した事が懐かしいです。
 12時前には川合トンネルに到着、中2日で天川村に足を踏み入れることに。15分程で天川川合の信号へ(写真左)。一昨々日諦めた洞川方面へと左折「モーソン」の名前はなくなりましたが「森田商店」は健在(写真右)。
 天川川合の信号から標高差約160m、虻トンネルに。左コーナーのイン側が激坂でほんと嫌な登りです。旧峠は更に100m程上にあるのですが、虻トンネル(275m)を抜けても旧峠とさして変わらない高さまで暫く登りが続きます。
 1250 「もりそい」へ、新しい店も色々出来ている様ですが、やはり昔からの「もりそい」か「きらく」ですね、ソロサイクリングでは久しぶりの外食です。
 洞川の旅館街の中を行きます、「みたらい渓谷」の紅葉も見頃を過ぎたのか観光客の姿もまばら、母公堂(写真右)を過ぎると五番関まで1台の車にも出合いませんでした。
 五番関へはこの三叉路を左へ、吉野大峯林道の規制に関して何も出ていませんでしたが。
 標高で1,000mを超えた辺りから路肩に雪が(写真左)。毛又谷を詰めて五番関へ向かう橋はご覧の通り、午前中なら下りて推しますが、乗ったまま無事通過。
 1411 五番関トンネルに到着、21ヶ所目のチェックポイント、ところが圏外でネットに繋がらない、2台のスマホは両方ともキャリアはdocomo、チェックポイントの中には切通しの芋ヶ峠の様に微妙に繋がらない処があるのでウロウロしてみたのですがここは全くダメ、試しに一旦川上村側に出てみたのですがやはり繋がりません、既にコンプリートした人達はどうしたのかな、尋ねようにも当然電話すら掛けられない。2次元コードは読んだので圏内に入ったら接続してみるしかないのですが座標はチェックされないのだろうか。
 再び川上村側へ出て下り始めたのは 1432 午後は日陰になるこちら側はご覧の通り。
 大天井滝の下の橋もかなりやばい状態、そこは32Cを頼りに、正直云って靴を濡らしたくないのですよね。結果的に高原へ下るにはこんな状態の橋を後2つ渡る事に。
 1445 吉野大峯林道との分岐に、実は21日の日曜に明日香のチネリ怪人V氏が通過しているのと天川村側の案内板になにも無かったので期待していたのですが、吉野側にはチェーンが掛けられていて、先の方で伐採作業の音が聞こえていて、来年1月末まで法面工事の看板も。遠回りになるのは確実でもこれ以上時間をロスしたくないので、素直に高原(たかはら)側に下る事にします。なお以降の写真は全くなし、やはりコンデジがないと余裕がなくなるとマメに写真が撮れないですね。
 さて三叉路から高原へ下るのは2004年8月7日以来、崩れて通れなかった時期が長かったですからね、相変わらず高原集落までは下へ行く程路面が悪くなります、集落の手前まできてようやく圏内と入り、無事にチェックインを完了。
 1528 道の駅「杉の湯川上」へ、15日にも走ったR169に入りますが、今日は五社トンネル(1,360m)を避けて県道262号国栖大滝線の対岸路へ入ったのですが、東川(うのかわ)で些か道を間違って激坂を登らされて1620 国栖へ、なんと入野(しおの)峠を登って 1710 関戸峠を越える事に。後は女寄峠を下って18時過ぎに桜井へ無事帰投、本日の走行124.3キロ。さて残り3ヶ所「吉野山 下千本駐車場東屋」はどうにでもなるとして「道の駅吉野路大塔」と「道の駅吉野路上北山」の2ヶ所はどうしたものか、実は「道の駅吉野路大塔」には今年スタンプラリーの始まる前の2月27日に川湯温泉へのキャンプツーリングの途中に立ち寄っているのですがね、さてことしも行きますか。



高野山から鈴懸ライン

高野森脇林道を往く 和歌山県伊都郡高野町

 今日はスタンプラリー絡みで高野山経由で天川村を目指す事に。和歌山県高野町から奈良県野迫川村、旧大塔村経由で天川村洞川に至る県道53号高野天川線(約47.7キロ)は高野大峯街道と呼ばれた2つの霊場を結ぶ由緒のある道で、最近は「鈴懸(すずかけ)ライン」と呼ぶ事も。「鈴懸」とは行者の羽織る法衣の事ですが、現在の県道はほぼ川べりを走っていて古来の修験道の道は違う、野迫川村同様旧大塔村篠原の稜線沿いにも高野辻と云う地名があります。2001年から2005年頃にかけて奈良交通と南海りんかんバスがジョイントして高野山と洞川間に夏の週末だけ「鈴懸ライン」と云うバス路線を運行していた事があったのですが、旧大塔村が五條市に編入され補助金がなくなり運行が打ち切られたとか、実際旧大塔村を走る距離は僅かですからね。残念ながらその「鈴懸ライン」には路線バスの車内吊り広告を見ただけで乗る機会はなかったのですがね。野迫川村村史でしたか高野山と洞川を結ぶ鉄道計画があったとか、その名も「霊山鉄道」ほんまかいな。
 ところで県道53号は全区間走った事はありますが、通して走った事は…
 0444 真っ暗な桜井を出発、明日香村~吉野口駅前~重阪(へいざか)峠と越える県道120号五條高取線経由の定番コースを、五條のオークワ(24時間営業)で食料を調達し、阪合部橋で紀の川(吉野川)を渡り県道55号橋本五條線へ、ほぼ京奈和自転車道(写真左)を走り 0825 には九度山からR370へ入ります。(写真右)
 普通の人はそのまま花坂経由で大門へ上がるのですが、九度山の交差点から6キロ余り、紀伊細川への分岐(写真左)から極楽橋経由が私のここ最近の定番コース、分岐はまでは我慢しなくてはなりませんが、分岐からは長閑な「エエ道」。大銀杏の黄葉は既に葉を落としていますが「細川の祇園さん」と呼ばれる八坂神社にお参りとトイレを拝借。(写真左)
 南海高野線が近くを走っているので旧カーブをきしませながら走る音が谷にこだまします、写真は紀伊神谷へ分岐、極楽橋方面は右へ。
 1009 新極楽橋を渡ります、南海極楽橋駅はこの谷を更に少し行きます。ケーブルカーとの乗換え駅で構内は賑わいますが改札を出入りする人は殆どいません。南海高野線をオーバークロスして神谷方面に折り返し気味にゆっくりと標高を稼ぎます。橋に上に無粋なフェンスが出来てしまいましたね。
 由緒ありそうな切り通しを抜けて再び折り返し気味に高野森脇林道へ、名残の紅葉が。

 1105 845m程のピークを高野町役場の前に出ます、大門を経由しませんし、最後は道も広くなって学校や住宅地なんで、高野山に登ったと云う風情はないのが、このルートの欠点、寄り道せず奥の院前へ。
 奥の院から桜峠へ登り返し、お昼時に「とんかつ定」の前を無念の通過、実は県道53号は平日工事通行止、日中通れるのは1200から1300の一時間だけなんです。これを外すと高野龍神スカイラインから野迫川役場経由しなくてはなりません。
 12時まで少し時間がありますので摩尼トンネルを往復します。
 通行止が解除された12時丁度に県道53号へ、1224 標高1,000m超の天狗木峠に到着、先の「鈴懸ライン」は奈良交通と南海りんかんバスの乗り継ぎがここで行われました。県道53号はここを右折して高野辻経由で野川谷に下るのですが、工事中ですので左側の林道上・高野線を下ります、道そのものは悪くないのですが激坂、20~30年ぶりに通ります。
 野迫川村上で県道53号に戻り 1239 スタンプラリーのチェックポイント「野迫川村公民館」に到着。
 県道53号は旧大塔村に向かって熊野川の支流中原川に沿ってはいるのですが、今井集落(写真)から嫌な登り返しがあるんですよね。
 1312 中原橋を渡ると小代下でR168に入り、阪本まで少し走る事に。
 阪本から再び県道53号となり、暫くで天川村域になるのですが、ここからが長いのですよね、2018年7月以来になります。
 天ノ川とも呼ばれますが熊野川本流です。県道は何度か橋を渡り右岸左岸と入れ替わります。阪本から緩やかな斜度で続くのですが、九尾(つづらお)ダム辺りから少し急な部分が出てきます、距離も100キロ超えましたし。
 1444 今日2つ目のチェックポイント「天川村役場」。24ヶ所あるチェックポイントの内これが19ヶ所目、残すは「道の駅吉野路大塔」「吉野山 下千本駐車場東屋」「道の駅吉野路黒滝」「五番関」「道の駅吉野路上北山」の5ヶ所、残り期間と季節を考えると「五番関」はこの後行っておきたい処なんですが…
 15時前に県道53号の終点ん天川川合交差点へ、やはりこの時間から虻峠を越え標高1,162mの「五番関」へ向かうのは、たとえ辿りつけても真っ暗な林道を下るのは自殺行為。元より効率を考えるなら「野迫川村公民館」と「道の駅吉野路大塔」、「道の駅吉野路黒滝」「天川村役場」「五番関」を2回で走るべきなんですが、スタンプラリーだけではなく車の少ない長閑な道や、暫く走っていない道を走りたいですからね。R309に入り奈良県下最長の新川合トンネル(2,751m)を避けて旧道の切抜トンネルを目指します。
 1529 旧川合トンネルを抜け旧国道の雰囲気を残す道を下り 1536 笠木トンネルへ。
 新笠木トンネル(1,693m)の北側へ下り、16時過ぎに「道の駅吉野路黒滝」へ、今日3ヶ所目都合20ヶ所、チェックポイントが判りにくくて些か迷いましたが、トイレと自販機の並ぶ奥なんですね。
 R309を避けて県道138号赤滝五條線と県道48号線洞川下市線経由で地蔵トンネル(1252.5m)へ、才谷から吉野山経由で先日の「大台ヶ原」の帰りの様に芋ヶ峠を考えていたのですが、月夜でもないし職場へ立ち寄りたい用件を思い出して、下市へ出て千石橋を渡り下市口駅裏から車坂峠に取り付く事に、そうなら黒滝から旧道の広橋峠を越えるべきだったと。
 1845 橿原市の職場に1時間ばかり立ち寄り 2015 無事に桜井に帰投。本日の走行164.9キロ、2019年6月のリベンジ’あらぎ(蘭)島’以来のセンチュリーランとなりました。先日の事もあって「芍薬甘草湯」を忘れず入れておいたのですが、持っているとつらないんですよね。
 ところで今朝五條のオークワで買ったお弁当、結局パンとかお菓子を食い繋いで走っていたので食べずに持ち帰ってしまいました、冬でもなければとんでもない話ですが、汁物だけ用意して今夜の晩御飯になったのが、本日のオチ。



17年ぶりの大台ヶ原②

 10時過ぎに県道40号大台ヶ原公園川上線へ、終点の大台ヶ原駐車場まで約16キロの道のり、大台ヶ原を起点に概ね100mおきに起点までの距離が100m単位即ちデシメートルで書かれた標識がある、国道や府県道によくある標識ですが、ここでは丁度大台ヶ原までのカウントダウンになっています。R169から別れて約3.6キロ、標高差280m程曲がりくねった1.5車線路が大台口トンネルまで続きます。1964年に新伯母峰トンネルができるまでこれが国道であった訳で、今は吉野側は県道となっていますが、熊野側は元国道とは想像できない思1車線の村道に。私が始めて伯母峰を越えたのは1980年前後ですから既に新伯母峰トンネルは開通していたので記憶にはないのですが、伯母峰峠前後は毎年何処かで車が谷に落ちたニュースがある様な道でした。
 1052 大台口トンネル(85m)に到着、稜線直下を貫いている大台口トンネルですが、これは旧道の伯母峰トンネルではないのです、旧トンネルは少し手前にあったそうで現在は存在しません。トンネルを抜けると左へも道が伸びていて村道和佐又伯母峯線として新伯母峰トンネルの熊野側へ下る事ができますが、ホイールベース2.5m以上の車両通行困難と記された険路です。ここまで17年前に走った時の記憶も曖昧ながらあるのですがその時より長く感じました。
 大台口トンネルを抜けると晩秋の陽射しが暖かい稜線の南側斜面を登って行く片側1車線路となります。最初は「大台ヶ原ドライブウェイ」と云う有料道路として開設されました。
 ただ標高が1,000mを超えるだけに紅葉には些か遅かった様です、やはり10月のうちに来るべきだったなぁ。それとここまで調子よく走ってきたのですが、些か脚がつりだしてきました、昔は殆どつる事なぞなかったのですがねぇやはり歳かな。そんな時に限って「芍薬甘草湯」を忘れてきたのですよね。
 12時前には県道226号大台河合線への分岐に出ます。先月工事が行われていたのは知っていたのですが、まだ時間制限が続いていたとは、それも通行可能時間は日中は1100~1130と1330~1400の間だけ、ここから大台ヶ原は往復20キロ弱で標高差300m強、ただ西大台からのアップダウンが無ければ30分足らずで戻ってこれるのですが、つり出した脚で登ってチェックインを済ませて戻ってくるのはかなり厳しいです。
 標高で1,200m近くまで登ると稜線に取り付き北側の視界が開けます(写真右)。
 結局大台ヶ原駐車場に辿り着いたのは13時半、大台河合線を使えないと熊野へ下るにはトンネルまで戻らなくてはなりません。下り基調とへ云えざっと10キロ近く遠回り、村道経由でも新伯母峰トンネルをくぐらなくて良いだけで距離的に殆ど変わらない様です。熊野市駅から輪行で帰るには松阪経由で最終1827、最悪1駅手前で跨線橋を渡らなくて良い大泊駅でも1830、明日が休みなら1泊して尾鷲か新宮へでも海沿いを走ってみるのも良いのですが、後ろは分割式マッドガードにしているとは云え輪行支度で間に合わないリスクを考えると、熊野へ下るのは諦めた方が賢そうです、実際桜井へ帰る方が僅かに距離が長いですし、最後に吉野から何れかの峠を越えなくてはならないのですがね。諦めてしまうとお腹がすいてきたので食堂へ、あまり美味しくなさそうなメニューの写真からなんとかチキンカレーを選ぶ事に、ルーはまぁまぁなんですがごはんがねぇ… 850円は山岳料金、まぁ自販機の飲料が170円ですからね。

 サドルバッグにはG3も入っているのですがTZ85がないと不自由ですね、帰りは全くと云って良い程写真はなし、交互通行で停まらされた以外はノンストップで五社トンネルもを突っ切って吉野まで下ってきました。1658 ようやく吉野町千股の水辺公園でトイレ休憩、虫養いの補給食。月明かりの裏芋を登り 1740 真っ暗な芋ヶ峠を越えて19時前には桜井の自宅に無事帰投する事ができました。本日の走行149.2キロ、またまたセンチュリーランには届きませんでしたが久しぶりの100キロ超えとなりました。