飛鳥村道路元標 (奈良県高市郡)

飛鳥村は昭和31年に高市村、阪合村と合併して現在の明日香村となった。 飛鳥寺近くの三叉路に立つ。 写真正面突き当たりは飛鳥坐神社。


「飛鳥村道」より下はアスファルトに埋ってしまっている。


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高市村道路元標 (奈良県高市郡)

上田倖弘氏著「道路元標を尋ねて」では高市村道路元標は行方不明と云う事になっていたのですが、過日著者に電話を差し上げた処、出版後に著者の活動を聞いて何処からか出てきた事を教えて頂いた。 本来は岡の鳥居前に建っていたそうであるが、現在は少し東の観光会館と交番の間に鎮座している。


元の場所ではないが、恐らく奈良県の道路元標の中で最も未来永劫に安住の地を得られたのではないだろうか。


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阪合村道路元標 (奈良県高市郡)

阪合村、現在の明日香村を構成する旧村の中で馴染みのない名前だろうが、近鉄飛鳥駅や高松塚古墳、キトラ古墳は阪合村域に属している。 阪合村の中心は大字平田で、稲渕の棚田で知られる朝風峠はかつては上平田峠と呼ばれた。 また飛鳥駅はかつて橘寺駅と云う名称であった。


ところで阪合村道路元標は現在国道169号線沿いの「榎龍神」の向かって右側の門柱になっていて、阪合村の名や裏側の奈良県の文字もモルタルで埋められてしまっている。


畝傍町道路元標 (奈良県高市郡)

FI2612474_1E.jpg畝傍町は昭和3年に白橿村が町制をひいて名称が変更されたものである。 従って大正の「道路法」が生きていた頃だから「畝傍町道路元標」が建てられたのだろうが、「白橿村道路元標」は現存しないのは当然なのかも知れない。 「道路元標を尋ねて」の著者上田倖弘氏の活動で現在の橿原神宮駅前に「畝傍町道路元標」が再び建つ事になったのだが...

FI2612474_2E.jpg現在は植え込みにすっぽりと覆い隠されてしまっている、元標は北側を向いているとの事であるが、西側から存在を確認できるだけで他の面は全く読めない。






FI2612474_3E.jpg戦前の橿原神宮造営で畝傍町周辺は大きく変化している、鉄道マニアには知られた話だが大規模に駅の移転や線路の付け替えも行われ、集落の集団移転などもあった。 地元のT御大には今では神域と思われている畝傍山周辺はここでは書けない様な話を聞かして貰った。



FI2612474_4E.jpg橿原神宮前の植え込みの中に放置されている謎の「橿原道路元標」、「橿原市」ではなくただの「橿原」である。 なお橿原市は昭和31年に2町4村が合併して成立している(その後2村が編入)

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これは単に分母が小さくなったと云う事では...

 しかしwithのBlogRanking/自転車でベスト10に女性が4人と云うな処で7?9位をキープしている天五さんはエラい。
 ところでブログランキングの自転車の分野でタイトルに「チャリ」およびそれに類する言葉が含まれている割合が、従来のHPやBBSに比べて圧倒的に多いのはネ... うちもナワさん処のBBSみたいに『「…「チャリ」「チャリンコ」「チャリダー」などの言葉は、語源的に子供のスリを表すとか私の職場ではチャリ銭(小銭)などのように「自転車を侮蔑する言葉」ととらえておりますので掲示板などで使ってほしくありません。 お願い・警告・あるいは管理者権限で即刻削除させてもらう場合がありますのでよろしくお願い致します。 』って但し書きしようかな。


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