道路元標探索サイク

今回は未知の道路元標を求めてR166を高見越で松阪方面まで走ろうと企て、色々と下調べをして出掛けてきました... もちろん不発に終わる可能性もあるので若干ヘキサ蒐集や旧街道や峠漁りもプランに盛り込んでいますが(^_^;)
 朝東の空が明るくなりかける頃に桜井を出発、と云っても夏至の頃と比べると1時間以上は遅くなり、最初の難関西峠も車が多くなってくるのが憂鬱です、従って伊勢方面へ足を伸ばすのはどうしても5月6月に偏ってしまうのですネ。

FI2612535_1E.jpg 西峠を5時半、菟田野松井橋のローソンを7時、宇賀志村高見村の道路元標をゲットしてから、今日は気分を変えて旧木津(こつ)トンネルまで余分に登り、高見登山口のバス停前で大休憩して高見トンネルを目指し、トンネルを抜けたのは丁度9時、「平成の大合併」と云う愚行で高見トンネルを抜けると今や三重県松阪市、高見越えを下った最初の旧行政村は「波瀬(はぜ)村」です、新しいR166が村を貫いていて今では郵便局やJA等の施設も新道沿いにあり、旧い集落も少し判りにくい位置関係になっています。

FI2612535_2E.jpgさて「道路元標」ですがネット上で公開されている「大正9年4月1日三重県告示第151号」の写しによると「波瀬村 大字波瀬字町182 小学校前」となっていて尋ねてみると、国道166号沿いにある現在の波瀬町小学校は元の中学校で、元は集落の奥まった処に小学校があったとの事、 小学校跡はすぐ見つかりましたが肝心の元標は見当たりません、ただ小学校から少し下り旧街道が直角に折れる十字路に写真の「里程標」とおぼしき立派な石柱が建っています。 この「里程標」は石製の大きなもので各面に「距津市元標七拾五粁四九壹」「距松阪元標五拾六粁八〇〇」「奈良県界六粁壹〇九」「距川俣村大字七日市拾三粁〇九〇」「昭和三年三月 三重県」とあり「波瀬村」とはありません。 もちろん大正道路法による「道路元標」とは異なる様式ですが、明治時代の「里程標」にしては「昭和三年三月 三重県」は腑に落ちません。

FI2612535_3E.jpg波瀬村の旧い街並み、現在の国道からはちょっと想像できない街並みです、他所者や車も入ってくる事もなく、丸ポストも残っていてタバコの自販機と宅急便の幟が無ければタイムスリップしてしまった様な感覚です。
 国道166号線を東にとり、森村元標の所在を示す「大字森字不殿1-6 辻堂橋東詰」を郵便局で尋ねるとその橋は今では蓮ダムの底に沈んてしまったそうです(現在の辻堂橋)。 川俣村元標の「大字栗野字池ノ添田156-2 役場前」は現在の松阪市役所出張所の向かいとの事で出張所でも尋ねてみますが見つける事はできず、出張所の西隣の食堂のご主人が戦後川俣村役場に勤められていたとの事で訊ねて貰いますが元標には記憶がない様でした。

FI2612535_4E.jpg川俣村域を後にして赤桶(あこう)から未踏の和歌山街道珍布(めずらし)峠へのコースをとります、櫛田川は南側へ蛇行し険しい渓谷となっているためにショートカットでもないのですが旧街道は山越えとなっている様です。 写真の様な雰囲気の良い道が続き、幾つか旧跡の案内板もあり、一応は舗装路なので自転車にはお勧めのルートです。

↑ガードレールも電柱もありません、こんな素晴らしい道がまだ残っているのは感激ものです、欲を云えば櫛田川の流れが少し見えにくいのが残念です。

FI2612535_5E.jpg珍布(めずらし)峠、深い切り通しが印象的です。
 なお峠を東に越えると花岡神社の裏に出て国道166号沿いの道の駅「飯高」のやや東側に出てしまいますので注意。





FI2612536_1E.jpg旧飯高町を構成した4村、最後は宮前村で「大字宮前字宮東655 花岡神社前」とあり、珍布峠を下った処がその花岡神社です。 旧街道らしき道筋の北側に花岡神社(写真左)、真向かいの民家の庭先に案内板が立っています。 (写真右)




FI2612536_2E.jpg「宮前村元標跡」と記され、内容はここに30cm角4m程の角柱が建っていて、正面に「宮前村元標」、側面には松阪、津、山田(伊勢)、吉野、高野への距離が記されていたとあります。 寸法的には波瀬村のそれと同じ様なのですが、「宮前村元標」と記されていたとは...些か不可解にになってくる。 花岡神社で丁度12時、しかし現行の道路を走っていれば見つかる県道ヘキサと違い、尋ね歩かなければならない元標探しは時間が掛かるし、見つからないとすっかり意気消沈してしまいます。 計画では宮川左岸(北岸)まで南下してから伊勢街道を中川辺りまで北上するつもりでしたが、とてもそんな時間の余裕はないので一路東へと向かう事にします。

FI2612536_3E.jpg旧飯高町を後にし櫛田川の写真を撮ったりしながら旧飯南町域へ、柿野村は情報不足ですが旧街道をゆっくりと流します、「大字小片野字欠ノ山2390 石境橋東詰」とある大石村は交番で尋ね親切に色々と調べて貰ったが場所すら特定できなかった。 続く茅広江(ちひろえ)村は伊勢本街道の津留の渡しがあった場所で「大字茅原字小川44-1 郡道 楠木橋北詰」とある、楠木橋はすぐに見つかったがそんなに古いものではなく、それも掛け替え工事中かして隣に仮設橋が架かっている、北詰の民家で尋ねてみると、らしきものが集会所にあるとやらで案内して貰う、確かに昔の楠木橋の欄干や古い道標が並べて保存されていたが、「道路元標」や「里程標」とおぼしきものはなかった。

FI2612536_4E.jpg三重県下で大正道路法での様式に従った「道路元標」は少なくとも都合5基存在しているらしい事をネット上で確認していますが、その一つががこの津田村道路元標です。 伊勢本街道沿いに建っていますが「里程標」が立つ様な位置ではありません。




FI2612536_5E.jpg相可町ではこの様な「道標広場」なるものがありましたがいずれも明治期までのものでした。
 その後射和村、斎宮村、明星村と日没まで探索しましたが見つけられず、暗くなった伊勢街道をすごすごと松阪まで北上し輪行で帰途に就きました。
 本日の収穫、元標(奈良県×2、三重県×1)、丸ポスト×1、県道ヘキサ×7、峠×1、走行141.5キロでした。