「丹生ヤマセミの郷」キャンプツーリング (2日目)

 例によって4時頃には目を覚ましますが、寒さに寝袋を引っ張り出す事もなく、十津川で買っておいたパンをかじったら、他に何もする事が無いので、少し明るくなってきた頃にバス待合所を出発する事に、沢を流れる水音で気がつかなかったのですが、シトシト雨が、携帯も繋がらないので今日の予報の変化も掴めません、小型ラジオも持ってくるべきだったと反省。 とにかく明るくなるにつけて止むだろうと踏んで雨支度をして出発。

 少し走ると、昨日から気になっていた「公衆便所」まで後何キロの案内板、昔はなかったこんなものができていました、反対側に舗装された駐車スペースも。 昨夜「駅寝」でなかったら、ここでゲリキャンだったでしょうが、こちら側には民家があるのが難点、しかし「駅寝」のお陰でテントを濡らさずに済んで大正解でした。

 雨は強くなったり弱くなったり, 時々青空が少し見えたりもするのすが、一向に止む気配はありません。 時々雨宿りしたりしながら引牛越への最後の集落、上垣内の手前の「垣内地待合所」に到着、今さっき回送で登っていった始発のバスが下ってきます、って1日2往復ですが。

 ここまで来ると引牛越が見えます、まだ標高差が250m程ありますが、クネクネ度は最高、登り返しがあったりと、それなりの距離があるので斜度はここまでの方がキツい様な気がします。

 早く行っても仕方がないので、のんびりと走りながらも9時過ぎに引牛越に到着、晴れていたらのんびりしたいところですが、峠の切り通しは雨風が強くて長居はできませんので、さっさと下るしかありません。
 ところで引牛越の県道735号龍神十津川線ですが、十津川側の最後の自販機は以前は小原口の民宿「かわうそ」の前でしたが、現在は上湯温泉つるつる乃湯が最後です。 以前は大檜曾に商店がありましたが、今回は早朝で確認できませんでした。 ちなみに湧水の類には事欠きませんが。

 引牛越の西側はかなりの激坂、慎重に下って県境に到着、十津川村大字上湯川字河俣(こうまた)、越えると現在は田辺市丹生の川字菅野、民家が建っていますが、今では無住の様です。
 実は「丹生ヤマセミの郷」まで後少しの処で、ポンチョを直そうとして、ハンドルを掴み損ねて転倒していましました。 殆ど横倒し状態で膝を少しすりむいていた程度、
デジカメが身体と地面との間に挟まれてしまいましたが、たっぷりの脇腹のお肉のお陰か無事でした。 しかし久しぶりの転倒でした。

 引牛越「丹生ヤマセミの郷」に到着、なんぼなんでも早いので幹事役のLibertyさんの姿は見えませんので、温泉に浸かってのんびり待つ事にします。 しかし雨は止んで、地面もすっかり乾いてしまいました。 ところで「丹生ヤマセミの郷」田辺市になってから他の施設とともに指定管理者制度が導入された様ですが、お盆休みこそキャンプ客で賑わっていますが、温泉は700円に値上がりして、食堂も休業しています。 やはり国道筋から離れている事もあって集客はなかなか大変なんでしょう。

 温泉での休憩室であまり見たくもない高校野球を見ながら畳の上でウトウトゴロゴロ、この上もなく快適は快適ですが15時も回っても誰も現れませんし、携帯も使えません(なぜかAUは使える様な)ので、テントサイトだけ教えて貰って設営する事に、お盆休みだけに周りは家族連ればかりで賑やかな事。
 暫くしてLibertyさんが到着、もう一つのキャンプ候補地の「加庄口」と此処の間をウロウロしていたとか、ですが私の自転車に気がつかなかったとの事。

 Libertyさんと2人でタープと格闘、そうこうしているとデポ地の本宮から走ってきたakutaさんと、大阪から一泊で走ってきた山内さんが到着、お二人は引牛越に入ったあたりで合流した様ですが、akutaさんが転倒、デジカメを壊してしまった様です、4サイドでの走行実績はもちろんベテランのakutaさんが転倒とは、コンパクトとは云えデジカメが壊れたのがかなりショックのご様子です。

 ここでUG兄さんが登場、世間並みのお盆休みのない仕事なのですが、キャンプの夜の愉しさには勝てず、奥さんの新車を駆ってやってきてくれました、飲めない(飲まない)ので山内さんと形だけの乾杯。
 akutaさんが運んできてくれた鈴鹿市はセナ御用達の「みさき屋」の焼肉を囲んで。 小型焼き肉グリルまでご持参です。 大阪から自走の山内さんは抗全町ワインを担いで、車とは云えLibertyさんの荷物からはドラエもんの四次元ポケットの様に色々なもが出てきます、もやし、しいたけ、豆腐… さすがにキャンプで湯豆腐食ったのは始めてです。 とどめはUG兄さんの持ってきてくれたスイカとフルーツケーキ、もちろんコレールの食器でのコーヒー付き。 ちなみに私はこれらを見越して食器とソロの時の食料しか持ってきていませんので、ありがたくご馳走になります(^_^;)
 
本日の走行20.7キロ、昨日の分を補って余りあるカロリーオーバーです。

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「丹生ヤマセミの郷」キャンプツーリング (1日目)

 ここ数年、キャンプツーリングと云っても五条市阿太の「カルディア」とか「笠置キャンプ場」とか近場での1泊2日で、そこそこの距離を走る2泊以上は久しぶり、和歌山県旧龍神村の「丹生ヤマセミの郷」までは十津川経由で150キロ近い行程になり、桜井からだと少なくとも3つの峠を越えなければいけません。 野迫川村や高野山から高野龍神スカイラインとか、粉河からR424経由とかR42とかも考えられなくもないのですが、交通量や、日陰、気温、信号(4サイドにとってスタートストップの繰り返しは大変)と総合的に考えるやはり押してでも天辻を越えるのがどう考えても一番良い様です。 大阪からの山内さんは出発が遅くなるので、今日は五条火打口から富貴を経て出屋敷峠を越え十津川村谷瀬まで走る計画、私は明日の天気も考えて、とにかく走るだけ走って適当な処でゲリキャンを決めこむ事に。 出発前日の11日はフリーだったのですが、仕事の電話やらホームセンターまで買物に出掛けたりとグズグズしていたら、すっかり準備が遅くなってしまい、寝たのか寝てないのか判らない様な感じのまま起き出して、朝4時前には出発する事に。
 標高差を考えると芦原トンネルや重阪峠より不利ですが、最近走りつけている芋峠を越える事に、まずは月夜のナイトラン、栢森ではまだ真っ暗、「役の行者」あたりで空は少し明るくなりますが、場所が場所だけに真っ暗な事には、芋を越えて見えた吉野側は雲の下。

 鉄人児玉さんがいつも水汲みに来ていた下市千石荘近くの名水にて、吉野川は川霧の中。



 丁度7時に樺の木峠を越えます、五条を経由する事を考えると余計な峠ですが。 峠にあった民家は立ち退きここも拡幅まじかですね。 城戸から宗川野までR168を走りますが、案の定交通量はいつもより多いようです。
 宗川野から立川渡を経て旧道へ、さすがにここでは押しが入ります、久しぶりの西吉野大滝で休憩と思っていたのですが、先日からの雨で尋常ではない水量、水しぶきで周りはビショビショ、座る場所がありません。 しかしマイナスイオンたっぷり涼しい思いをさせて貰いました。 西野トンネルの出口でR168現道と合流、永谷の「茶屋」がもう開いていたので、うどんを戴く事に。  

 大滝で写真を撮っていたり、うどん食ったりしたりしていたので、新天辻トンネルに辿り着いたのは10時20分、予定より遅くなりましたが、ここまで来れば後は十津川温泉までは下り基調、安堵感が違います。 ただ新と云えない新天辻トンネル、路面は濡れていて鉄板がひかれていたり、交通量も多いので、1キロ余りのトンネルを押して抜ける事に。 旧大塔村での大規模な崩落で不通になった区間は谷側に高架橋を架ける様な形で復旧していました。 
 ところで猿谷ダムの休憩所からは自販機が無くなっていました。


 11時半頃に十津川村域に入り、一昨年から供用されている宇宮原バイパスと谷瀬をパスし上野地トンネルを抜け一路南へ向かいますが、炎天下を日陰の少ない時間帯無理して走るのは避けて、風屋ダムで15時過ぎまでのんびりと昼寝をする事に、ダム湖とは云え湖面を渡る風が心地よいです。

 最悪は温泉地温泉近くのキャンプ場も考えていたのですが、道の駅の足湯で休憩しながら、さて明日の事を考えると、少しでも先へ進んでいた方が懸命です、しかしこの先は西川出合のキャンプ場が今は無いので、そうなると今夜はゲリキャン必須です。

 17時過ぎに西川出合、トンネルをくぐると「昴の郷」でR425で牛廻越で龍神温泉、左に行くと県道735号線引牛越です。 いずれも工事で規制がある様ですが、問題は無さそうです。
 引牛越も久しぶりですが、曖昧な記憶ながら適当なゲリキャンポイントはピーク近くまで思い当たりません、全線舗装で強力なライト装備でも、真っ暗になってからも走り続けるのもやはり不安が…


 さて十津川村営バスのバス停は北国の様に待合所があって扉が付いている処が多く、いわゆる「駅寝」にピッタリ、見つけたのはまだ木の香りのする新築、うまく自転車ごともぐりこむ事ができました。 唯一の欠点は待合所そのものが沢に迫り出すように建てられていて、沢を流れる水の音の凄まじかった事。 しかし昼間のつかれが効いて良く寝ていましたが、夜が更けてからは一台の車も通らなかった様な。
 本日の走行124.2キロ、しかしこれから厳しくなるとは云え引牛越のピークまであと10キロ余りの処までやってきました。

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仕様変更

予定通り明朝から出かけますが、13日に降られる公算が大なので、荷物を検討していると、モンベルのリアサイドバッグだけでの2サイドでは、どうも容量不足を否めないので、方針変更していつもの4サイドで出掛ける事にしました、オーストリッチのサイドバッグのバックルには問題があって、今日もカリカリしながら格闘していました、また帰ってからボヤく事にします。
写真は一昨年のものですが、4サイドになるとさすがに余裕があるのですが、私のasukaはシミー現象が起こりやすいので極力前を軽くする様にパッキングしようと考えています。

そうそうモンベルのフロントバッグが帰ってきました。 結論としてマップケースの劣化の原因は不明、修理もやっかいそうで、無償で新品と交換して頂きました、感謝。

牛廻越と引牛越

 牛廻越と引牛越は奈良県十津川村を和歌山件旧龍神村を結ぶ峠越えの道で、牛廻越は現在国道425号線、引牛越は県道<735>龍神十津川線となっています。 最近では結構観光化された十津川村と龍神村だが、狭窄路が延々と続くので車も少なく紀伊半島でもお勧めのツーリングコースです。 最近もサイスポの原稿依頼に推薦だけしておいたら、7月号で記事になっていたのご覧の方もいるはず。 と偉そうな事を云っても、奈良県人でもアプローチの大変な処なので、それぞれ通しでは東行き西行き一度ずつしか走っていないのです。 お盆の「丹生ヤマセミ郷」キャンプツーリングでは一応、十津川経由の引牛越で「丹生ヤマセミ郷」入りする予定にしているのですが、なにやらホンマもんの「雲行き」が怪しくなってきた。

よくどちらが楽かとか走り易いとか聞かれますが、いつもキャンピングとかで条件がマチマチなのでよく判りません。 図は十津川村西川出合を起点に半時計廻りの周回ですが、この方向が楽だった様な気もしますが、引牛越西行きは田辺スタートで十津川温泉までロードで走っているので、その時に楽だった印象が残っているのかも知れません。
2001年8月、引牛越。 奈良和歌山県境はおかしな事に引牛越を越えて龍神側に数キロ下った処にあります。 実は十津川村はここで日高川水系に、少し南で日置川水系に食い込んでいて、龍神本宮林道も途中で一旦十津川村に入ります。
2002年8月、牛廻越。 この時はヤマタンさんと十津川村「昴の郷」をスタートし、遠回りして「丹生ヤマセミ郷」に入りました。 この時牛廻越に向かう途中で後ろのヤマタンさんから「cancanさん、後ろのテントにムカデが、だんだん前に行ってるよ」との事。 急停車するもののムカデは荷物の隙間に、丁度民家の近くだったので殺虫剤を借りる騒ぎに、しかしデカいムカデでした。
牛廻越を龍神側に下るヤマタンさん、この時おニューのソローニュのサイドバッグ、翌日の雨ですっかり色が変わってしまいました。 色々と思い出一杯のコースですが、さてこの夏は走れるでしょうか。

 

キャンプツーリングのいでたち

 昨日の写真で気がつかれた方はまずいないとは思いますが、サイドバックがモンベルのリアサイドバッグです。 実はマップケースの破れたツーリングフロントバッグとロックの破損したリアサイドバッグはそれぞれ別々の処で買っていたので、カスタマーセンターに電話した処、両方とも送って頂ければと快く引き受けて貰い修理に出してしまいました。 その後「ヤマセミキャンプ」の話が持ち上がり、2~3泊になりそうです が、従来のオースリッチでの4サイドも気が進みませんので、極力荷物をしぼってリア2サイドで行こうかと企んでみました。 モンベルの修理もお盆までは戻ってこないだろうと、思いついたようにリアサイドバッグを買ってしまいました、ペアで税込16,800円ですから決して安くもないのですが。

サイドバッグとしては今は主流の縦長で、ペダリング時のシューズへの干渉を避ける様に斜めにカットされたデザインです。 キャリアへの固定方法が考えられていて、上部のロック方法は単なるフックではなくレバーを回してロックし、振動で踊って外れない様になっていいて、下部はスライドパーツと呼ぶレバー状のもので固定する様になっていて、取り外しの時に裏(内)側に手を入れて手を汚す事もなく、簡単に着脱ができます。 ただこの様な構造のために取り付けのできるキャリアがどうしても制限されてしまいます。

キャリア上端部に付けた場合、ロックの位置からどうしても荷台の両側にバッグが持ち上がった形となり荷台の使い方が限られていまいます。 私のasuka700cにはニットーのキャンピー3を付けていますが、従来型と云うか伝統的なランドナー用のキャリアなので、基本的に前後左右のフレームにバッグを付けるのが本来の形で、重心も低くする事ができます。 雨天走行時のハネを考えると、バッグの位置を低くする事はマイナス面もありますが、かって主流だった背が低く横長のバッグを前後の車軸付近にレイアウトするのが一番理想的ではないかと思います。 そうでない場合、サイドバッグを付けてあまりグリップ力のないタイヤでは、異様な横すべり感を感じる事があります。 極端な例ですが小径車のKHSにリアに小さいとは云えサイドバッグを付けると、この場合バッグの重心が後ろに寄っているせいか、あきらかに後輪の挙動に不安があります。 現在主流のこの手のデザインのバッグと、26吋で幅広のグリップ力のあるタイヤを履いているMTB用としてデザインされているキャリアを、クロスバイク等で利用する事は決して好ましい事ではないと思っています。

結論から云いますと、キャンピー3に関してはモンベルのサイドバッグをこのフレームに取り付ける事は不可能です。 左はフロント用フレームにリア用バッグ、ロックが調整できる範囲に引っかけられるスペースがありません。 右はリア用フレームにリア用バッグではフレーム下端にスライドパーツが重なってしまいます。

フロントサイドバッグの場合は、フロントへはやはりロックが調整できる範囲に引っかけられるスペースがありませんし、リアではスライドパーツがフレーム下端より下になるので用をなしません。 極端な例ですが私の場合はすべての組み合わせが不可と云う事です。
 これらは私の700c用キャンピー3の場合で、現行の前後別売りの製品ではフロント用のフレームの形状が明らかに違っている様ですし、リア用フレームにモンベルのリヤ用を実際に取り付けられている例もあるようです。 またスライドパーツに関してはバッグと芯になっているパネルに穴をあけるつもりなら解決方法はあります、ただ余った穴へ浸水対策は必要になると思いますが。 なおモンベルの製品にはHPにはちゃんと各取り付けアッタチメントの位置寸法が記載さtれていますが、些か不可解な値です。 参考までにフロント用はフックの間隔が82~155mm、フックとスライダーの間が250mmとありますが、実測では芯々74~146mmに27mm幅のフックが付き、フック芯からスライダー下端まで約25.5cmとなり、
リア用はフックの間隔が82~155mm、フックとスライダーの間が235mmとありますが、実測ではフロント用と異なり芯々84~156mmに27mm幅のフックが付き、フック芯からスライダー下端まで約23cmとなっています。 構造的にこの値が何の役に立つかは疑問もありますし、すべてのキャリアに取り付け可能ではないとの但し書きもありますが、モンベルでなくともバッグとキャリアのうまく適合するかが検証できる店や売り場がどれ程あるのでしょうか。 既存の流通経路にあぐらをかき、ニットーやミノウラあたりと連携する事なく、気のきかないバッグたちを供給してきたA産業なんかはほっといて、モンベルあたりに頑張って貰いたい処なんですがねぇ。

 ランドナーや特にキャンピング車が絶滅危惧種とまで云われる状況で、自転車そのもの以上にキャリアやバッグを取り巻く環境は恵まれているとは云えません、アメリカスタイルと云うか、MTBでキャンピングと云うスタイルはある程度定着していますし、大学の自転車部でも結構見られます。 私もずいぶん経験がありますが、重いバッグ背負って走るそのスタイルはどう見ても快適なものには思えません、憂うべきは選択肢が他に少ない、メーカーもショップもメディアもこの辺は真剣に考えていないと云う事なんでしょう。 ユーザーとしてはベストチョイスとまでは行かなくても、そこそこ使える組み合わせが知りたいだけなんですが。 キャンプツーリングは無事走りだせら半分済んだ様なものといつも思います、なにも万人が世界一周や日本一周をする訳でもなく、もっと気軽にキャンプツーリングに出掛けられる環境が、キャリアやバッグにもほしいと思います。

 さて先月の北陸行き2泊3日ではキャンプではなかったので、リアキャリアにフロント用バッグ(8リッタx2)の軽いいでたちでしたが、今度はリア用バッグ(15リッタx2)を付けて無事に走りだせるかが課題です。

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40年前のネガから (1969/8/9)

鹿児島駅だと思ったものの、最初この車両(ディーゼルカー)が何者なのか判りませんでした。 どうやら鹿児島交通が伊集院から鹿児島本線に乗り入れていたのですね。
当時、小樽とここにしか残っていなかったB20、戦時型Bタンク、マスコット的な存在でした。
D51とC61、同じボイラの兄妹分ですネ。
D51重連に牽く客車列車、回送なのでしょうか、今となっては判らない事ばかりです。

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「ソーメンポタ」の準備

今日は恒例のRさん主催の「ソーメンポタ」の準備で県内某所へ。 下界は猛暑日ですが標高500m程のここは快適です。










 

無事に試運転も、心配は明日の天気です。
ところで今日はお盆に予定しているキャンプツーリングの為にタイヤとホーイルを交換したので、試運転も兼ねてR氏宅まで走りました。 タイヤはMichelin WORLD TOUR 700x32C、リムは同じアラヤのTX-310Fですが36Hです。

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40年前のネガから (1969/8/8)

 この日は再び久大本線沿線に戻って、豊後森区の8620、当時の時刻表がほしくなってきました。
湯布岳をバックに久大本線のD60
大分運転所でしょうか、「富士」のヘッドマークを付けた DF50 553  この頃は幸崎まで電化されていました。
大分交通キハ602が写っているのですが、どこの駅かは、僚機のキハ603と604は後年、紀州鉄道に。

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芋練?

走行30.3キロ、今年始めて’みんみんぜみ’の声に気が付きました、帰ってきてからシャワーを浴びて客先へ、いよいよ朝練ぽくなってきました。 GPSはバッテリがあがって検証できず、しかしいつも問題が発生している区間でスイッチオンしても、その時点でほぼ正しい位置が表示されると云う事は、移動を予測や類推するロジックがあって、それが悪さをしていると云う事なんでしょうかね。

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