40年前のネガから (1969/8/7)

最近、SORAさんもブログに書いていますが、フィルムのスキャンは手間のかかる作業で、エエ加減そろそろ嫌気がさしてきました。 第一デジカメでは全く必要のない工程ですもんね。 ネガの劣化とか埃とか触りだすと全く持って捗りませんので、どんどんやって、必要があれば後からやり直す位のつもりで。
この時は久大本線の夜明駅付近で撮影してから、日田彦山線で筑豊へ出ている様です。
きっと夜明駅前後、D60

キハ17系と混成のキハ55系の一次型、国鉄型DCファンならきっと判る光景ですね。

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来週のキャンプは

来週に計画しているキャンプツーリング、色々と準備にない頭を悩ませています。 今回はできるだけ身軽にと考えているのですが。 ここ数年テントはモスのアウトランドで、これが最後のテントと決心して買ったモスですが、決して軽くはありませんし、あの美しいテントを美しく張るのもなかなか大変です。 実は一昨年にヨーレイカのスピットファイアーと云うソロテントを買ったのですが、いまだに使う機会がありません、自立せずペグダウンが必須なので、そんな事ならビビィザックを買った方が良かったかもと後悔しています。 まぁ安かったですけど。 やはり長年辛苦をともにしたヨーレイカのライジングサンが一番良かった様な気がします。
 サイドバックもあのオーストリッチを引っ提げて行くのも気が進みません、もちろんモンベルのフロント用だけでは、なんぼなんでも容量が足りません、フロントキャリアへのバッグの取り付けも色々と問題があります、ニットーキャンビー3の構造上、がっしりとキャリアでフロントフォークを固定してしまう為に、腕への振動がフォークで緩和されないのが結構辛いのです。 ヘッドランプがなければ、バッグの固定方法も多少工夫できるのですが。

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40年前のネガから (1969/8/6)

この時の九州行、さすがに夜行ばかりと云う訳にも行かず、ユースホステルも利用していました、しかし何処に泊まったとか、全くと云って記憶がなかったのですが、こんなものが出てきました(^_^;) 日田とか霧島高原とかに泊まった様です。

ちなみにY.H.会員だったのは1979年度が最後で、写真はその年のものです、念のため。
C57 36 ネガ袋にある記録ではこの日は都城駅、志布志区、宮崎区となっていますが。 当時の所属区と運用線区から類推してみるのですが、いずれも撮影場所ははっきりとしません。

C56 92 5年後の1974年の鹿児島国体とその翌年の宮崎植樹祭でお召列車を牽引したC56です。
C58 427 C58のラストナンバー、4次型と云うのでしょうか、船底型テンダー、門鉄デフが正式採用されるはずだった幻のC63を彷彿とさせます。

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HTPCマシン

先日、一応組み上げたHTPCマシンですが、仕上げを。
Core2Duo E6550 (2.33GHz)
MSI P35Neo-F (MS-7360)
2GByte (1GBytex2)
MSI NX-8500GT
Seagate ST380815AS (SATA 80G) 
Seagate ST3500320AS (STATA 500G)

以前から使っていたキャプチャカードを乗せ換えました、IOデータのGV-MVP/RX3って古い製品です、もちろん地デジなんかじゃありません。 以前はG450と組み合わせていましたが、8500GTとの組み合わせは??? 無事動きました。 しかしそろそろ地デジにしなくてはネ。

オークションで落としたケースでしたが、気が付くとPOWER LEDが点灯しません。 奮発して白色LEDを付けて見ようと、組み上げてから前面パネルを外すのは結構厄介で、3.5吋ベイを外した上に7本のネジをケース内側から外す必要があります。 昨日買ったHDD増設ステイで3.5吋ベイの下の空間にディスクを押し込もうとしたのですが、どうにもうまくは行きませんでした、やはり寸法的に色々と無理があります。
青色と白色LEDの組み合わせは、なかなかお洒落ですが、ファンレスのNX-8500GTの発熱が大きいのが気になるところですが。

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40年前のネガから (1969/8/5)

門司港発の肥薩線経由鹿児島行の夜行で熊本に向かいます。 熊本着は真夜中で、待合室で豊肥本線の始発を待ったのですが。 熊本に着いてから目が覚め慌てて下車していたので、方向感覚を失っていて、乗るべき列車を目の前で見送ってしまいました。 熊本駅ってのは駅の西側に山があるのですが、大阪からやってきた少年達は熊本は東側に山があるって感覚でいたのでしょうね、ホームの端から出て行く豊肥本線の列車を見送り、本州からの夜行が思わぬ方向からホームに入ってくるのを見て、始めて方角を間違っていた事に気がついたのでした。

丁度、電化が熊本まで進んでいた頃ですね。 写真のキハ55は大分行き、真夏に窓を置けているのは、冷房なんか付いていない時代だからです。

立野駅、雄大なスイッチバックは今も健在ですが、風景は…

高森線、現在の南阿蘇鉄道、C12の牽く混合列車です。

終点の高森駅。

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今日のお買い物

大阪へ出たついでに日本橋へ回ろうと思っていたのですが、この暑いのにネェ、ヨドバシで済ませました、ジャンキーなパーツはないけど、大概のものは揃うんですよね。
グラボのGF8400GS-LE256H/HSは気に入らないRD7000の代替です、8400でなくとも6200とか7300で十分なんですけど、これが一番安い 3.980円

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今年のキャンプは

 数年前まで毎年夏休みは自転車にキャンプ道具を括り付けて、紀伊半島の山中をさすらうのが恒例行事だったのですが、最近はトンとその馬力と云うか気力がなくなってしまって、akutaさんが企画してくれるキャンプ企画が唯一の機会の様になってしまいました。 と云っても比較的近場で一泊、キャンピング装備で走ると云うより、キャンプそのものが目的にはなってしまってはいるのですが。 まぁそれはそれで愉しいのですが、やはり何処か物足りなさは残ります。 ところで今年の恒例akuta企画は、関東勢をも交えて富士山麓の精進湖で行う事になった様で、日程やアプローチの関係で参加は難しくなってしまいました。 これで今年はキャンピング装備でのツーリングは無しかと思っていた処、昨年の笠置キャンプでご一緒したlibertyさんが色々とプランを考えて下さっているので、それに乗っかろうかと考えています。 8/13~15を中心にした和歌山県旧龍神村での計画ですが、興味のある方はこちらををどうぞ。
1991年8月、下瀞キャンプ村にて、この時は高見峠~湯谷峠~水呑峠、尾鷲からR311で田辺市朝来まで紀伊半島を横断しました。

2001年8月、今回計画している旧龍神村の「丹生ヤマセミの郷」にて、この時は5泊6日でしたが、単独行とテントでの2泊以上はこの時が最後になっています。
2002年8月、十津川村の二津野ダムで車中泊し、「昴の郷」に車を置き2人で牛廻越で竜神入りして、買い出しをして「ヤマセミの郷」に入り、大阪を朝出た後続の2人が十津川から引牛越を越えてきて合流しました。 翌日は4人でダートの坂泰林道を越えて旧逢坂トンネルと小広峠と旧311を走り「昴の郷」に戻りました。 1日目70.2キロ、2日目68.8キロの行程でした。 2日目の朝から雨に祟られましたが、今も印象に残るキャンプツーリングでした。写真は逢坂峠を下り近露の里を見下ろす辺り。
2003年8月、野迫川村宮の向にて、過去最悪最低のキャンプでした。 結局自転車には乗らなかった様な…(^_^;)
2004年7月、和歌山県旧美山村猪谷にて、輪童さん、九さん、UG兄さん、それにnana魔女と云う豪華メンバーで護摩壇山と龍神温泉に車を置いて、林道白馬線から美山村に下り、猪谷温泉の傍のキャンプ場へ、他の利用者が皆無だったので、炊事場横を占領、翌日は寒川から川合峠を越え龍神温泉へ戻りました。 この時は寝不足で体調が悪いわ、荷物は多すぎるわ、タイヤの選択を間違えるわ、2日とも雨に降られるわと散々な目に遭いましたが、今となっては愉しい思い出です。
2005年5月、五條市阿太のカルディアにて、この時私は病み上がり?だったのですが、頑張って4サイドで走って行きました。  この時は翌日の1day組も含めると14名の大所帯になりました。

 しかしここ10~20年のアウトドアブームでファミリーキャンパーやオートキャンプが増えて、従来の自転車や単車でのキャンプ場の使用は肩身が狭いというかしづらくなりましたね、設備が良くなる事は結構なのですが、オートキャンプや大型テントやターフでのファミリーキャンプを対象にした料金体系で、ソロでは話にならない様な割高な使用料になってしまいます。 オートキャンプ場とはっきり掲げている処は別として、昔からのキャンプ場は多少は考慮はして貰える様ですが。 それになかなか予定通りに進めない自転車ツーリングでは、予約と云うのもなかなか難しいものがあります。 結局ひっそりと目立たない処でゲリキャンするのが一番良いのかも知れませんが。

40年前のネガから (1969/8/4)

元ネガによると1969/8/4 行橋区となっているのですが、それにしてもコマ数が少なすぎます、もしかすると8/3分の直方駅周辺の光線状態から見て8/4かも、今となっては…
9600の門デフってなんか可笑しい、個人的な感想ですが。 同時代の8620なんて結構似合っているのに。
行橋区にはC11 9600 と九州には少ないC50 が配置されていました。

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40年前のネガから (1969/8/3)

筑豊本線のどこかの駅だと思いますが、SL撮影旅行でSLの牽く列車で移動するなんて、なんて贅沢な、あたりまえの時代だったのですが。
直方駅近辺ではないかと思うのですが、D60 33、D50ではなくD60なら関西でも紀勢線にいたのですが、集煙装置がついていました。
同じく直方駅では、当時の筑豊は網の目の様に国鉄線があったのですが、今ではその多くが廃線となってしましました。 昨年日田彦山線に乗りましたが、福岡県は道路元標の現存情報が皆無と云って良い位なので通過してばっかりです。

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40年前のネガから (1969/8/2)

ネガフィルムのホルダー以外には何の記録も残っていないのだが、この日は夜行で佐世保へ行き、松浦線、現在の松浦鉄道の佐々へ行っている、当時の松浦線には臼ノ浦線、柚木線、せ知原線と云った短い支線があって、元祖レールバスと云えるキハ02が活躍していで佐々区に配置されていた、それが目的だったのだが、この年には既になくなっていた。
佐々駅構内(だと思う)、当時の松浦線ではC11と8620が活躍していた。
早岐機関区、左にDD11、右に「あかつき」のヘッドマークを付けたDD51が見える。
右端に国鉄バスへののりかえ案内が写っていて、どうやら有田駅ではないかと、そう云えば昨年、早岐駅と有田駅は乗り換えで降り立ったが、雰囲気的にも有田駅に違いない様です。 この様に昔写した写真を頼りに訪れる旅も面白いかも。 
鳥栖機関区にて 39641
同じく 68649、九州には原型に近い美しい機関車が多かった。

左から D51 924 68649 39641
暢気な時代と云えば暢気だが、北九州には多くの機関区があって、中学生のグループでも簡単に写真撮影の為の見学が許して貰えた。 ただこの頃構内で突放入換中の貨車に轢かれて死亡する事故が発生し、見学が厳しくなったとか聞いた。

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