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平福宿から「片鉄ロマン街道」へ

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杉坂峠にて
 「18きっぷ」消化サイクの最後は「片鉄ロマン街道」に行く事にしました、云わずと知れた片上鉄道廃線跡を利用した自転車道なのですが、いままで訪れる機会に恵まれなかったのです。山陽本線の和気からスタートすると片道30キロ程の行程で、それだけでは面白くないので、姫新線の播磨徳久まで行って、未収の佐用郡中安村道路元標と因幡(智頭)街道の平福宿に寄ってから「ロマン街道」は片道だけ走って帰って来ようと考えてみました。

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自撮りポタが廃線跡巡りに

天理市丹波市(たんばいち)にて
 
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 今日は結構なお天気なのですが、月曜までにやっておかなければならない用かあるので、早起きして昨日分のブログの更新とお仕事を。 お昼前には片付いたものの、今更何処へも行けないので、連日の「延陽伯」号を駆ってご近所ポタへ。
 例によって上街道を北にとりますが、巻向でR169がJR桜井線と上街道を跨ぐ陸橋に登ってみました、箸墓古墳をバックに上街道を往くのを「自撮り」できないかと思ったのですが、邪魔ものを避け様とすると長玉が要るのと、逆光なので今日は諦めて出直す事に。 真ん中のガレージは1年前までなかったのですがネェ。
 
20160228c.jpg 続いて昨日の「下見ポタ」で天理市役所の方に教えて頂いた防空壕跡へ、上街道を北上し柳本で少し西へ。 私の小さい頃にはあちこちに防空壕跡なんちゅうもんが残っていて、爆撃の標的にはならなかった明日香村にもあって、芋の貯蔵庫代わりに使われていたりしました。 ここの防空壕は非常にしっかりしたもので、どうやら海軍柳本飛行場の遺物のようです。 ググってみると建設には’朝鮮人強制労働’なんて根拠の怪しい記述が見られますが、いずれにせよ忌まわしい文化遺産の一つです。
  しかしここには案内の一つたりとありません、道路元標しかり、歴史と云えば古代の夢物語ばかりを追って、どうも明治~大正~昭和の遺産には目もくれない様で、勉強不足の日本人はだから何処やらの国に突っ込まれると弱腰なんですよね、閑話休題。
 
20160228d.jpg 竜王山をバックに狙ってみたかったので柳本界隈をウロウロ、大和神社の南西で良さげなポイントを発見、ガードレールを隠す為、これが唯一無二のフレーミングです。
 
 
 
20160228e.jpg 大和神社の境内を抜けていつものルートへ戻ります。 昨日、大和神社で頂いた「天理市観光ガイド」を下敷きに、毎週通っているのに、ここに’芭蕉句碑’があるとは知らなんだ「草臥れて 宿かる此や 藤の花」、ツーリストの歌ですね。
 
20160228f.jpg 丹波市(たんばいち)で「自撮り」をしていたら、なんと3月のサイクの下見で下ッ道~上ッ道を走って来た、大阪のスミだんなと和歌山のにもさんに捕まってしまいます。 この後は天理軽便鉄道の遺構巡りをすると云う事なんで連れてって貰う事に。
 
20160228g.jpg まずは近くの市座神社に丹波市町道路元標と上街道に架かっていたと云う石板がありますので立ち寄ります。 巨大な石板の解説はありますが、道路元標については何も記されていません。
 
 
 
20160228h.jpg 天理軽便鉄道と云っても天理市域にはその遺構は全く残っていないそうで、昨日走ったばかりの道をひたすら西へ、下ッ道の二階堂へ出て、少し北上して再び西へ。
(左上)川西町の県道沿いにある道標。
(右上)西名阪をくぐった処でスミだんなが女性ローディを愛でています、
(左下)安堵町の古い街並みを行きます。
(右下)一同「すてんしょ」と記された道標に萌え~
 
20160228i.jpg ようやく天理軽便鉄道の遺構へ、溜池を分断している築堤が素晴らしいです。 この先で富雄川を渡ってJR法隆寺駅南側まで断続的に遺構が残されています。
 
20160228j.jpg 法隆寺駅でお二人と別れ帰途に就きます。 太子道(筋違道)で帰ろうかとも思ったのですが、結局は大和川沿いで帰る事に、飛鳥葛城自転車道に一旦入り大和中央自転車道を北へ、ここから起点のファミリー公園前までは盲腸みたいな区間で草ぼうぼうだったのですが最近整備された様です。 相変わらず「大和郡山田原本橿原自転車道」と「大和中央自転車道」おまけに「ならくるC-8物部ルート」の案内標識まで並んでいます、まぁ予算の出てる処が違うからなんでしょうね、縦割り行政は自転車道まで、無駄な上に紛らわしい極みですね。
 本日の走行48.0キロ、後4.9キロで今月ようやく700キロ。
 
 
 

天川~富貴サイク

20150613a.jpg天川村広瀬にて(Microsoft Image Composite Editorを使用)

20150613o.jpgサイクリングの愉しみの一つにプランを練ること、地図を見ながらまだ見ぬ土地へ思いをはせたり、自分の技量に応じて愉しめるコースファインディングを練ったりと、時としてそれは走る事以上に愉しかったりして。
 先週の「吉野~洞川サイク」で行けなかった阪本へ下り、出屋敷峠を越えて高野町富貴から五條へ下るコース、問題は天川村までどうして行くかなのですが、2本合わせて4キロに及ぶ新笠木と新川合の長大トンネル、まして休日とあって馬鹿な車が飛ばしてくるので、決して気持の良いものではありません。 昔良く通った旧道ですが、いつも通行止情報が断続的にあって、自転車なら通れるのか通れないのか良く判らない状況、ofはやまさんに頂いた情報では3年前2012年7月には川合隧道(切抜峠)は天川村側で全く通れず、旧の笠木トンネルは問題なく通れたとの由。 とにかく最悪は新トンネルを通る事を覚悟して「光もの」を充分に準備した上で出発する事にしました。 写真は既に今月3回目の芋峠への道です。 一昨日の雨で路面はかなりウェット、苔や落ち葉で滑りやすくなっています、それに今日は蒸せる事、かなり湿度が高い様です。
 
20150613b.jpg上市橋を渡り<39>五條吉野線を走り千石橋南詰からR309を経て、下市温泉の近くから旧道に入ります。 旧道と云っても北側は集落を縫って行くので今も奈良交通の路線バスは今もこちらを走っています。 登って行くに従い北西側に展望が開けるのですが、今日は霞んで二上山までは見えません(写真左上)、梅の頃は梅林で賑わうのですが、今は静かなものです。 広橋峠には昔小学校がありましたが廃校となり、今では下市町全体ですら小学校は1校に集約されてしまったそうです。
 
20150613c.jpg丹生川上神社下社を過ぎて暫く行くと黒滝村、道の駅「吉野路黒滝」で旧道峠に備えてボトル1本補給、この先には黒滝茶屋と云うのが昔からあって、洞川に行く観光バスは出入りのしやすいそちらへ行くので、道の駅のできた後も賑わっています。 いよいよ新笠木トンネルの入り口に、旧道は右へ登って行きますが、案の定災害復旧工事で平成28年3月25日まで、即ち来年春まで通行止の看板としっかりとゲートが、どうやら旧笠木トンネルの手前で工事が行われている様です。 しかしゲートの様子から工事車両が頻繁に出入りして様子はありません。 車谷建設と洞川の業者が請け負っている処からみて天川村側からアクセスしている様子、ならば3年前に通れなかった川合隧道(切抜峠)より先も通行できる公算が大です、トンネルまでは標高差200m程、行かない理由がありません。
 ところで新笠木トンネルが開通した後も、その先の新川合トンネルができるまでの何年間は路線バスは相変わらずこの道を走っていて、大峯参詣や登山の乗客で満員のバスに抜かされながら、キャンプ装備の自転車でこの道を天川へ越えた事が思い出されます。 昔に比べると木々が成長したのか、ずいぶんと木陰が続く道となって涼しく走れる様なった気がします。 そうこうしている内に上の方から聞こえてきたのは、ショベルの音と削岩機の音、これは駄目かなと思いつつ工事現場へ、トンネルはもうその先に見えています。 ショベルを動かしている工事の人がこっちを見て削岩機のついた方のショベルに乗り換えてこっちを見ています、どうやら通してくれそうな雰囲気です。 自転車を担いで入って行くと「下に通行止て書いたあるやろが」と、「すんません大きいトンネル通るん怖いもんで」と答えるとしゃあないなあと云った顔付きで、削岩機のついたアームをどけて通れる様にしてくれました、感謝。 なお工事の状況次第ではいつでも通れるとは限りませんよ。
 
20150613d.jpg無事に笠木トンネルを抜けると懐かしい三叉路に突き当たります、右に下ると県道<49>勢井宗川野線、新しい2つのトンネルの間に出て元の西吉野村へ下る事ができます。 問題は左側、ピークの川合隧道まではさらに100m程登って行かなくてはなりませんが、通行止の案内もなにもありません、予想通り工事車両は天川村から川合隧道経由でアクセスしているに違いありません。 写真右上は旧旧笠木峠への入り口です黒滝村側も笠木トンネル横にしっかり道がついていましたから通れるのでしょうかね、昔一度アプローチしましたが、工事で道路が全くなくなっていて、数少ない撤退経験の一つです。 天川村の標識が現れて無事に川合隧道に到着、漏水が溜まっていて中から不気味に鳥か何かの声が響いてきますが、問題ないでしょう。 ここまでくれば安心、持参のおにぎりと大福餅で軽く補給します。
 ちなみに新旧ともに2つのトンネルの間は旧西吉野村域、すなわち現在の五條市です。
 
20150613e.jpgトンネルを抜け天川村側へ下ります、道端の展望の開けた処に祠がありますが、確かこの辺が映画「天河伝説殺人事件」のロケで使われたと記憶しているのですが。
 ofはやまさんのブログで紹介されていた3年前の崩落現場だと思いますが、きれいに復旧されていました(写真左はofはやまさんのブログからお借りしました)。
 
20150613f.jpg 旧道を暫く下り現R309に合流しようとすると目の前を女性ローディが走り抜けて行きます、FB友達のS女史が今日こちらを走られる事は判っていたのですが、こちらは旧道巡りなので、まさかここで出逢うとは。 早速追いかけて天川川合の信号の手前の観光案内所横の休憩スペースへ。 朝5時に奈良を出てわざわざ田尻峠まで行って山麓線経由でR309を走ってきたそうです。 これから洞川を経て五番関から吉野大峯林道を走られる予定、暫し歓談してお別れ、彼女は川合の信号を颯爽と左折、虻峠へ向かって行きました。 ちなみに彼女はら~さんと同じ職場。
 その後、スマホをいじりながら休憩しているとバスの切符売りのおばあちゃんにしっかり捕まってしまいました、話だしたら放してくれません、まぁ地元情報も色々仕入れはしましたが。
 
20150613g.jpgちょっと寄り道ですが、天川村と云えばモーソン森田商店、今ではモーソンの表記はなくなっていますが、あれだけ話題になれば今なおモーソンで通じます。
 ここにはバイクスタンドがあってアイス買ってかじっていると、先客のローディから「桜井の方ですか?」と声を掛けられます、フォロワーではないのですがFBの方で自転車と後ろに積んでいる「自撮り」用の三脚で判ったそうです。 榛原からお見えで、伯母峰から行者還を走って来られたそうで、これから富貴から五條を目指されるとか、GF吉野のスーパーロングのコースですね。 実はこの頃いぬいさんも小南峠を越えて洞川から行者還へ向かっていた事が後になって判りました、ニアミスしてた様な。
 
20150613h.jpgモーソンを後にし<53>高野天川線へ、久しぶりに来たらずいぶん拡幅改良工事が進んでいますね、「自撮り」ポイントが探しながら行きます、十津(新宮)川の上流天ノ川の清流を左右に見ながらの下り基調の快適コース、不動滝も先日の雨で水量が豊富で見事な眺めです。 ただ休日とあって路上駐車の釣り客の車と騒がしい単車の多いのがねぇ。
 
20150613i.jpg広瀬まで下ってきてやっと適当な場所を見付けましたが、大失敗を、最初の右に向かって走っている写真、キャラダイスのサドルバッグからコンビニ袋か何か白いものがぶら下がっているでしょ(*_*)
 

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1330五條市阪本まで下ってきました。 ところで今日はsyokoraさんがお仲間と高野山まで輪行で来ていて富貴方面へ来られる様子、その後所在が判らなかったのですが、ここにきてこれから今井峠に向かいますとの事、紀和隧道前後は圏外ですから野川あたりで発信しているはず、だとすればこちらが先に富貴へ着けるのでは、早速出屋敷峠への道を急ぎます。 ところで阪本と云えば五新線、阪本の三叉路からR168を天辻峠方面へ向かうとトンネルの坑口がぽっかり口をあけていて、中は阪大の核物理研究センターの大塔コスモ観測所として利用されているとの事なんですが。
 
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出屋敷峠に到着、私の好きな峠の一つですが、ずいぶんと久しぶりです。 以前シクロツーリスト誌の「日本の峠200選」の原稿依頼の折に「芋峠」、「染谷峠」とともに推したかったのですが、当時は自転車趣味が低迷していてここまで現状取材に来る元気がなくて外してしまいました。 出屋敷峠は北側も筒香からの道との合流点である出屋敷辻(正式な地名ではありませんがかつてその名のバス停がありました)まで100m程の標高差こそあるのですが、下り一辺倒ではなく結構アップダウンがあります、そして出屋敷辻から先は富貴に向かって緩やかに向かって行く、なんとなく変な峠道です。
 
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出屋敷辻に出た処で十中八九こちらが先だろうと踏んで暫く待ってみますがなかなか現れません、その内にここは圏外なのに気がつき念のため富貴へ進む事にします。 写真は途中にある「成金」バス停、ここで写真を撮ると「成金」になるそうです。 そこにsyokoraさんから連絡が、既に富貴集落に着いている様です、筒香からのダラダラ登りでプーたれてると思いきや、早い。
 
20150613m.jpg一行は橋本へ下り輪行で帰途に就くそうですので、火打口までご一緒する事にします。 富貴のレトロな街並みと、眼下に谷奥深の村を見下ろすポイントにて。
 
20150613n.jpg火打口でお別れし、私も桜井への帰途に就くのですが、五條の吉野ストアに立ち寄った後五條新町へ、雲行きが少し悪くなってきた事もあって写真は今一つ、餅商一ツ橋も今日はお休みですから、また出直す事にし大和街道を走り今井の交差点から吉野川沿いの道へ入り、阿太経由のいつものルートで帰途に就きました。 本日の走行145.8キロ、今回は阪本への下りや、富貴からの下りと快走コースがあったのでそれなりのアベレージで帰ってきました。
 

 
相変わらずGARMIN eTrex LEGEND HCxのログはあちこちで暴れまくっていますが、笠木峠、出屋敷峠付近でカシミールを用いて加筆修正しています、まぁ全体的にはこんな感じやと云う事で。
 

賀名生(あのう)梅林へ

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賀名生皇居跡
 
この週末は奈良県下のあちこちの梅林がピークを迎える様で、皆さん月ヶ瀬、広橋、賀名生とそれぞれ走りに行かれる計画を練っておられる様ですが、土曜は予定があり、日曜はお天気が下り坂との予報がでているので、今日走って行く事にしました。
 
20150320n.jpg皇居跡に立ち寄った後、賀名生梅林へ、梅の写真はこちらで見ていただくとして、例によって「自撮り」メイキング写真を。 お天気はもっと良い予報だったのですが曇ったまま、梅林の上の方からは五條方面が望めるのですが、どうもそちらは陽射しがあって晴れている様です。
 
20150320o.jpgなかなか感じの良い梅林の中の小径を見つけたので、早速セットして走って行ったのですが、小径へ入るところにも害獣除けのフェンスが、万事休す。
 
20150320p.jpg気を取り直して別のポイントでリベンジ。
 
20150320q.jpg平日だったのですが3台程自転車を見かけました、どこのどちらさんか知りませんお尻拝借。 幟がなければこのポイントで「自撮り」するのになぁと思って諦めましたが、撮っても良かったかも。 
 
20150320r.jpg梅林の中のあちこちで見物客相手のお店を開いていますので「おでん」をやっているお店で休憩、看板猫もいます。


 
20150320s.jpg五新線跡まで下りてきて賀名生停留所跡でコーヒータイム、お馴染み「萌の朱雀」のロケ地です。
 
 
 
20150320t.jpg今日のベストショットはこれかな、真横からの撮影ですから17日と同様に、タイマーはトリガーにだけ使って、カメラ側の連写機能を使ってます。 

20150320u.jpg とても暖かいのですが、空模様の方は何かすっきりしません、春のこう云ったお天気は昔から好きではありません、いつもなら城戸まで行って樺ノ木峠か黒滝をまわって帰るのですが、なんとなく体が重いので賀名生で引き返す事にして五條から吉野川沿いの道で帰途に就きました。 写真は<39>五條吉野線の対岸路、お気に入りの道です。 本日の走行85.5キロ。

五新線跡に沿って西吉野サイク(2)

20150129a.jpg 映画「萌の朱雀」でロケ地として使われた「賀名生(あのう)」バス停です、映画では「恋尾」バス停となっています。

20150129u.jpg 結局、橋が落ちていては丹生川を渡る事ができませんのでR168にワープする事に、写真は南朝の行宮であったとされる「堀家住宅 賀名生皇居跡」と五新線第6丹生川橋梁。 鉄道が走っていたら格好の撮影ポイントだったんでしょうね。

20150129s.jpg せっかくですから「賀名生」バス停へ寄ってみます、賀名生は梅林で有名な沿線随一の観光地です。 丁度お昼時ですので五條の吉野ストアで買ったパンと持参のポットの温かいコーヒーでお昼にします。ちなみに五條市街を出るとR168にはコンビニの類はありません。

20150129t.jpg 国鉄バスと書かれた観光案内板があります、もうこのバス停に降り立つ人はいないのですが。

 

20150129v.jpg 賀名生の街並みから丹生川をはさんで五新線跡が望めます。

 

20150129w.jpgR168の走る丹生川左岸から向賀名生バス停のある対岸へ渡ってみます。

 

20150129x.jpg向賀名生の集落、丹生川をはさんで山腹にへばりつく様に大日川の家々が点在している。吉野には良く見られる風景です。

 

20150129y.jpg 再び左岸に戻ってR168へ、第7丹生川橋梁で一旦R168と交差します。

 
 

20150129z.jpgR168旧道から何度か五新線を見下ろせるポイントがありますが、この付近の衣笠トンネルに崩落の危険性があるとの事が、専用道のバス廃止の直接の原因となった様です。

20150129za.jpg 専用道の終点である城戸(じょうと)が見えてきました。

 

20150129zb.jpg終点の城戸バス停跡です、かつて専用道を走ってきたバスはこのスロープを下ってきて一般道に入り西吉野温泉まで行っていました。スロープを上がると鉄道駅舎の様な建物があって反対側はタクシー会社の車庫になっている様です、「市有地につき一般通行を禁止します。この先、通り抜けはできません。五條市」とあります。  五新線に沿ったサイクリングはここまでです。 バス専用道の存在を知っているサイクリストはバス運行の廃止を聞いて口を揃えて自転車道にしてほしいなと云います、実際私もそうだったのですが今は否定的です。鉄道廃線跡を自転車道にしている例は日本全国に多くの実例があります、それは平行した道路が既に整備されていて、幅員がなく一般道への拡張が難しい廃線跡の再利用は自治体の苦肉の策で、まして維持コストのかかるトンネルや橋梁の多いこの路線、大分交通廃線跡のメイブル耶馬サイクリングロードが似通った事例かも知れませんが、賀名生梅林と西吉野温泉くらいしか集客ポイントがない西吉野、サイクリング利用者は限られている事でしょう、廃道寸前の自転車道は各地に少なくないのです、現在の所有者の五條市も頭を抱えている事でしょうね。ぶっちゃけた話この道はバス運行廃止以前から部分的に地元の生活道路になっているのです、それは詳細な地図を見れば歴然としています。現実に崩落の危険性のあるトンネルで分断されてしまっているのですから、地元利用の機会がない橋梁やトンネルは閉鎖し、必要な箇所だけは生活道路として活用すると云うのが現実的だと思います、その折は部分的にでも有効に利用したいと思います。「市有地につき一般通行を禁止…」と云う市の責任回避だけしている現状が一番問題なんだと思いますが、どうでしょう。

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