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齋藤電鉄氏迎撃サイク(2日目)

山之辺の道を行く齋藤電鉄さん

 昨日に続いて齋藤電鉄さんをご案内する訳ですが、ご希望は「山之辺の道」、ただハイカーが多いので休日だとあまりお勧めはできないのですが、2月の平日ですので顰蹙を買う事もないだろうとご案内する事に。横大路と上ッ道の交差する桜井町道路元標の建つ札の辻で待ちあわせる事に。
 上ッ道を北上して、まずは大神神社へ。
 山之辺の道のオフィシャル?なルート、大神神社から狭井神社、玄賓庵を経て檜原神社へは、階段やシングルトラックのある山道で多少担ぎが必要です。一昨年の「第15回 あすか鍋サイク」の際も麓の箸墓古墳近くへ迂回したのですが、齋藤氏は昨日までのキャンプ装備を宅急便にして身軽になったので、こちらのコースを進む事に。
 二上山をバッグに檜原神社の参道を、今回はこちら側から走ってきたのではないのですが、せっかくですので走って貰いました。
 桜井市穴師(写真左)、三輪山を望むポイント、天理市渋谷町(写真右)、大和三山を望むポイントと記されているのですが、天香久山はちょっと判りにくいかな。
 山之辺の道から寄り道して上ッ道沿いの大和神社へ、1キロ程西へ下らなくてはならないのですが自転車ならではの機動力です。お天気も良い事ですし、お昼はR169沿いのコンビニで弁当を調達して、山之辺の道沿いの休憩所で済ませる事にしました。
 萱生町の休憩所を後にして再び北へ。
 夜都伎神社。
 内山永久寺跡を経て石上神社へ、ちょっと推しの入る坂もありますが、気持ちの良いシングルトラックを下る事もできます。
 石上神社を後に、山之辺の道として天理以北も紹介されたりしているのですが、見るべきものもないので、天理市街からは上ッ道を北上する事にします。
 レトロな雰囲気にリニューアル中の桜井線京終(きょうばて)駅へ。
 京終駅から知る人ぞ知るディープな一角を経てならまちへ。奈良駅から輪行で帰途に就かれる齋藤氏とは再会をお約束してここでお別れ。私再び上ッ道を引き返し帰途に就きました。本日の走行87.2キロ。

齋藤電鉄氏迎撃サイク(1日目)

 今日は遠路はるばる東京から齋藤電鉄さんが奈良にお越しになるので迎撃に向かう事に。昨日松阪まで輪行で来られ多気町のキャンプ場でくまっぷさんと野営の後、伊勢本街道を走って来られます。榛原への到着予定が15時頃との事ですが、せっかくですので朝から少し大和高原の辺りを走りながら補足する時間を合わせる事にします。
 長谷寺門前から今年初めて初瀬ダムへいつもの県道38号を、最初は登りとあって暑い位だったのですが、名阪国道をくぐると霙混じりの雪が舞っています、一旦はR369に入ったのですが、上都賀橋の三叉路から東へ逃げる事に。
 県道246号馬場針ヶ別所小倉線経由でR25旧道へ戻ります。県道127号北野吐山線は奈良県道路情報に拠ると通行止になっているので県道244号毛原切幡線を回って笠間へ下ろうと考えたのですが、R25からの分岐には「大型車通行困難」としかありません、こちら側からは殆ど片峠なので踏み込んで見ると峠の直前でゲートが、休日ですし何となく通れそうな雰囲気なので突っ込む事に。
 工事は法面の復旧工事なのですがほぼ完了していて問題なく通過、宇陀市側(旧室生村域)へ下りました、大和高原側より心持ち陽射しが暖かい様です、なお工期は5月末までとなっています。県道781号の旧道に突き当たるのですが、三叉路には白看が残っています、既に白看データベースにも載っているのですが、腐食がかなり進んできています。
 下り基調の県道781号をかっ飛ばして上笠間へ、私の好きな風景の一つです(写真左)。ここにも白看が残っているのですが、左方向が中峯山(ちゅうぶせん)となっているのが時代の流れを感じさせます。
 次の三叉路は右へ、昨年はUG兄さんと雪の中を左、笠間峠の方へ向かったのですが、今日は県道242号上笠間三本松停車場線へ。そのまま242号を辿るつもりだったのですが、うっかり「やまなみロード」の方へ、お陰で余計な坂を登らされるハメに。
 再び242号に戻って地蔵峠を越えます、三本松側からだとかなりの激坂です(写真右)。R165までは下らずに旧道の阿保越伊勢街道を西へ、

 古い道標や三本松村道路元標の残る宿場町の中を辿り、海老坂峠で先の「やまなみロード」の下をくぐり室生口大野駅へ下ります。時刻は1340、そろそろR368~369と伊勢本街道を走ってくる一行の時間が気になる処ですが、Facebookへの書き込みを見ていますと。
飯南粥見ローソン→仁柿峠→伊勢奥津駅→三重奈良県境→を
0900→1030→1242→1315→と走ってきている様です。
 昨年9月に私とvivvaさんと宮川からの帰りに走った時は食事休憩はなしだったのですが
0855→1014→1057→1120→の後、栂坂(とがさか)トンネル東口1325、榛原墨坂神社1411ですから、栂坂峠と大内峠を避けて栂坂バイパスの栂坂~石楠花~弁財天(開路)の3つのトンネルを通ったとしても15時過ぎはかなり厳しい計算になります。

 時間的に室生寺経由で栂坂バイパスと旧道とが交差する石楠花トンネルと弁財天トンネルの間まで上ろうかとも考えたのですが、合流しても寒い中をR368を榛原へ下るのも鬱陶しいので、室生ダム経由で榛原へ向かう事に。
  さて室生ダム湖畔をのんびり走っていると後ろから声が、山王ことS氏が、月ヶ瀬経由で笠置まで走り布目ダム経由(ダム湖右岸も通れる様になった由)で戻ってきたとか、やはり大和高原の寒さには参ったそうです。榛原までご一緒してお別れしますが、肝心の一行は1452でまだ御杖村土屋原、1時間半は掛かる計算ですので「おごぽご」まで往復する事にして、宇陀川沿いのサイクリングロードを行きます。
 「おごぽご」は野依の交差点近く、しょっちゅう行く訳でもありません、って先月も来てましたが、20何年寄せて貰ってます。ランチも良いですが、夏は氷、冬はぜんざいが私の定番。ちょうどぜんざいを食べ終わった頃にS電鉄さんから着信が、これから栂坂トンネルだとか、時間も押しているのでトンネルを抜ける様です、墨坂神社前で落ち合う事にして、宇陀川沿いを引き返します。
 1640 くまっぷさんに先導されて無事到着です。
 下市まで帰るくまっぷさんはここから関戸峠経由で帰途に就かれますので、S電鉄さんの伴走(護送)役をここでバトンタッチです。2月も半ばずいぶんと陽も長くなりましたが、暗くなる前に大和八木までお送りしたいので、R165西峠経由の道を急ぐ事にします。

 それでも可能な限り旧道を選んで行きます。
 榛原で伊勢本街道は阿保越伊勢街道と合流、近鉄大阪線と並行しながら、初瀬街道~横大路~竹内街道と真っ直ぐ西へ。

 暗くなる前には無事に下ッ道と交差する八木札の辻近くの宿までお送りする事ができました、本日の走行87.2キロ。明日は山之辺の道をご案内しながら奈良市方面へ向かいます。

国中ポタ~大和盆地縦断~

奈良県生駒市高山町 北倭村道路元標

 今日はお天気も良い事ですので、最近になって現存が確認された北倭(きたやまと)村道路元標を履修に生駒市へ向かう事にします。相変わらず歩くと左脚の調子は良くないのですが、現金なもので自転車は大丈夫なんですよね。
 さて飛鳥川沿いの「大和中央自転車道」(大和郡山田原本橿原自転車道線)を北上します。「大和中央自転車道」は浄化センター公園が起点、実質的には行き止まりになっているので、生駒市や王寺町方面に抜けるには保田橋西詰から県道36号天理王寺線を少し西へ走って曽我川沿いに北上してきた「飛鳥葛城自転車道」(明日香大和高田広陵自転車道線)に入る事になりますが、この辺り案内等は全くなくて大阪方面から走りに来た人にとっては日非常に判り難い事になっています。→「奈良県の自転車道に物申す」

 曽我川を渡った処でその「飛鳥葛城自転車道」に入るのですが、昨年からなにやら工事をしているなと思っていたら、どうやら県道36号天理王寺線の付け替えで新しい橋が架かるので、左岸を走っていた自転車道はアンダークロスする様です。これはこれで良いのですが、奈良の自転車道を走っていて気になるのは交通量の多い道路の交差点で信号や横断歩道の類、車道側に自転車道との交差である事を示す標識が非常に少ない事です、「ならくる」や「京奈和自転車道」も結構ですが、こう云った基本的な安全面に気配りと予算を使って貰いたいものです。
 大和川に出て御幸大橋で右岸に、竜田川べりに入って北上しR168へ。桜井に暮らしているとわざわざ車の多いこちら方面に走りに来る事は滅多にないので、せっかくですのでヘキサコレクションで空白になっている幾つかの県道を巡る事に。因みに新宮市が起点のR168は昭和57年までは大和高田が終点で、昭和57年に2つの県道の昇格で枚方市までとなりました。
 お天気に恵まれた土曜日とあってすれ違うロードバイクが結構います、淀川べりから奈良へ走りに来る人は、今日走るR168や県道7号がルートになるのでしょうね。

 時間を取られましたが未収だった5件をGET、ただ県道250号平群信貴山線は見つける事はできませんでした、どうやらフラワーロードまで登るとある様なのですが、標高差200mを登る余裕はありません。
 近鉄の生駒駅に立ち寄った後再びR168に戻って北へ、奈良盆地の南東端から北東端へ、北倭村は結構遠いです、もうポタとは云えないですね。出店交差点(写真右)を少し西へ入り橋を渡ると大阪府四条畷市、ここは淀川の支流天野川の上流になるのです。
 ここまでヘキサコレクションのためにR168を北上してきたのですが、白庭台ニュータウンの中を越えて富雄川の沿って北上してきた県道7号枚方大和郡山線へ入り、くろんど池への登りに。くろんど池と云えば大阪府のイメージが強いのですが、くろんど池そのものは奈良県生駒市、れっきとした富雄川源流域なのです。
 さて北倭村道路元標の建つだろうポイントまでやってきたのですが、なんと道路元標と思しき石柱は頑丈なゲートに阻まれた橋の向こう、南向きに建っていて正面を確認する事はできませんが、形状から奈良県の様式の道路元標に間違いありません、万事休すかと思いきや、地図を見ると向こうに見える北倭土地改良区の建物までは高山溜池を大きく迂回すれば「金鵄の杜倭苑」と云うコミニュニティセンター経由で行けそうです。
 十数m向こうの道路元標まで2キロ近く迂回する事になりましたが、さしたる?障害もなく無事に北倭村道路元標の正面に辿り着く事ができました、都合1,079基目となります。
 北倭村は明治22年町村制の施行に拠り、添下郡5ヶ村により北倭村として成立、明治30年に平群郡とともに生駒郡となり、昭和32年に当時の生駒町に編入されています。上田倖弘著「道路元標」を尋ねてによると、現在の出店橋西詰にあったとされ、戦前には失われていたかとありますが、土地改良区ができた折にでも保管されていたものがここに再建されたのでしょうね、北倭村の村域は概ね生駒市高山町となったため、北倭の名を残しているのは保育園位になってしまいましたが、北倭村成立以前の旧村名(鹿畑)が鹿ノ台ニュータウンに引き継がれている様です。
 13時半、今日の目的は達成、京都府側へ越える県道65号か72号で木津川側へ越える事も考えたのですが、最富雄川沿いに最短コースの県道7号を南下する事に。


 近鉄富雄駅手前までは信号や車が多くて閉口していたのですが、三松橋からは富雄川左岸の道が自転車道みたいなもの、大和郡山市の外川橋からは「奈良自転車道」と「飛鳥葛城自転車道」を継いで大和川に架かる御幸橋まで戻ってきました。
 大和川べりでは御幸橋から馬場尻橋まで右岸、中街道(下ッ道)の天神橋までは左岸を行きます。R24を跨ぐために県道36号を少し走らされますが大中橋から再び大和川左岸へ、桜井まで快適なルートを走る事ができます。交通量は少ないですが、生活道路になっているので時間帯によっては地元の車が広くもない堤防上の道を行き交います、断続的にある対岸(右岸)の道を自転車道として整備してくれないものですかね。
 さてくろんど池への登りを除けばインナー要らずの川沿いのコースでしたが、走行89.9キロはもうポタやないですね。

 なお2019/2/3の時点で道路元標のコンテンツに埋め込まれているGoogleMapは正常に表示する事ができません。

 

9ヶ月ぶりの芋ヶ峠

 一昨年秋から続いていた芋ヶ峠(奈良県道15号桜井明日香吉野線)の通行止、夏から工事が始まっていて自転車も通行は無理と判断して、先週東吉野へ向かうのも車阪まで迂回していたのですが、某O氏から通れるよとの嬉しいメッセージが、早速壺坂峠で戻ってくる定番コースでも走ろうと向かう事に、ただ先週から左足に違和感があるので無理をせずにのんびり行く事に。
 峠を越えるのは昨年4月28日の「月うさぎキャンプ」への往路以来9ヶ月ぶりです、車が通わなくなると、倒木も手付かずにほったらかし木っ端が散乱している状況だったのですが、取り除かれてずいぶんと綺麗になっています、但し明日香村側の苔むした路面や流れる湧水とかは相変わらずですので要注意。
 通行止になっていた崩落箇所は峠を吉野側に越えて1.5キロ位下った処ですが、ご覧の様に修復されています。しかし今回も通行止になっていた期間は1年以上、新鹿路トンネルができて以来国中(くんなか)と吉野を結ぶ道路しての重要性は少ないのですが、自転車が車に煩わされる事なく安全快適に走れるコースとして維持して貰いたいものです。
 千股のせせらぎ公園で一息入れた後吉野川河畔へ、先週も立ち寄った上市橋を渡ります。吉野川左岸を下って椿橋~壺坂峠で帰途に就くのが定番コースなのですが、せっかくですので吉野山方面へ。

 暗くて判りにくいですが右側が1234に折り返す観光特急「青の交響曲」。
 吉野駅前から県道37号桜井吉野線で吉野山へ向かいます。桜井から新鹿路トンネルを抜けて桜橋で吉野川を渡ってくるのがこの県道なのですが、如意輪寺近く駐車場付近から芋ヶ峠~吉野大橋を経由してきた県道15号桜井明日香吉野線とぶつかります。あと2ヶ月もすると桜のシーズン、如何せん人も車も一杯なのが。今の季節はすれ違う車も10台にも満たない様な、ただ平日にもかかわらずロードが3台上ってきました。
 参陵トンネルを抜けます、右へ行くと中千本方面、左へ上ると上千本口に向かいます。昨年1月は雪の中を上千本口から奥千本の手前の金峯神社へ向かいましたが「雪の吉野山へ」今年のカレンダー1月の写真はその時のものですが、今日の様に静かな吉野も良いものです。
 勢い上千本口まで上ってきたのですが、雪も桜も紅葉もなければこのまま行っても仕方がないので中千本まで下り馴染みの「静亭」でお昼にします。初めて寄せて貰ったのは2001年8月26日、当時は先代の女将さんでした、洞川からの帰り乾さんやUG兄さんの姿が見えます、なんと懐かしい。
 馴染みと云ってもそうしょっちゅう寄せて貰う訳でもないのですが、それに桜の季節の吉野山は車は入って来ないものの自転車でも押し歩くの精一杯、お店も一杯でなかなか入れません、したがってお店のなかから桜を見た事がない次第。
 以前は裏メニューだったと思うのですがネェ… 特盛り+αで満腹に。

 「静亭」を後にして吉野山内を蔵王堂から吉野神宮へ下ります、桜のシーズンは勝手神社から県道257号才谷吉野山線に入って途中から脳天さんに下る(路面悪し)か、才谷から下市に抜けるのがお勧めです。こちらの方の県道15号はいまだ通行止ですので、椿橋へ向かうには少々回り道ですが県道167号線を下ります、なお復旧工事は始まっています。 
 吉野川左岸の県道39号五條吉野線を走り椿橋を渡ります。
 壺阪峠への道を行きます、大淀古道と呼ばれる歴史のある道です、安産の滝からの木立の中の道が夏は心地良いですが、猪に遭遇した事もあります。
 1507 壺坂峠を越えます、無理せず半日走る位のつもりで出掛けてきたのです、結構良い時間になってしまいました、明日香村経由で暗くなる前に無事帰投、本日の走行60.2キロ(明日香村スタートなら50キロ位かな)、距離の割にはくたびれました。

久しぶりの東吉野サイク

吉野川橋梁を渡る観光特急「青の交響曲」上市橋から

 今日は暮れから手を付けているホームページのリニューアルも目処かついた事ですし、久しぶりに東吉野方面に向かう事に、しかし今日走らんで何時走るねんと云う位の良いお天気です。
 ただ東吉野への定番コースである芋ヶ峠が通行止のため、迂回して吉野口駅前から阿太を越えて車坂峠から吉野川河畔に下ります。壺坂峠と云う手もあるのですが、どうも北側から登るのが好きになれません。

 和歌山方面への定番コース県道120号線、奉膳(ぶんぜ)の踏み切りに捕まると、やってきたのはリバイバル塗装の6020系。
 車坂峠へはR309が最短なのですが、薬水拱橋(土木学会選奨土木遺産)をくぐって弘法大師所縁の「薬水の井戸」の横を通って登って行く古い道を行きますが、谷を挟んだ南側はニュータウンの中にできた南奈良総合医療センターの建物やらで風景が一変してしまいました。R309を走るより余計に登らなくてはならないのですが、車のやってこない道をのんびりと往く事ができます。
 下市のオークワでお昼の弁当を買っていたら時間は10時半、そろそろ吉野線の観光特急「青の交響曲」がやってくる時間、上市橋から狙ってみる事にしたのですが、半逆光で普通車と変わらないシルエットなので、今一つだったかな。
 宮滝の柴橋までは吉野川左岸の県道39号五條吉野線を。

 

 窪垣内までは右岸のR370を、私が距離の誤表記を指摘した「なるくる」の標識、訂正シールは消えつつあります、まぁ「なるくる」も既に消えたも同然ですが。

 

 1237「ニホンオオカミ像」に到着。
 お馴染みのパン屋さん「麦笑」に到着、持ち帰りのパンを2つばかり。それとカレンダーをお渡しします、実は今日の東吉野サイクは昨年12月に配りに回れなかったカレンダー配達のミッションでもあるのです。
 冬季休業中のお蕎麦屋さん「よしの庵」はポストにカレンダーを届けてさらに北上、1354高見山の見えるポイントまでやってきました。ところでR166旧道の通行止ですが3月28日までとなっています、谷尻(たんじり)方面へは相変わらず東へ1キロばかり迂回しなくてはなりません。
 1445、標高600m超の一谷峠に到着、しかし今年は雪が少ない様で、この辺りでも降っても積もるまでには至ってない様です。
 一谷峠を下り、昨年東吉野村谷尻から宇陀市菟田野岩端(いわはし)に移転した「月うさぎ」へ、場所の関係でキャンプはできなくなりましたが、立派な古民家カフェになりました。
 16時過ぎには野依の「おごぽご」まで下ってきました。陽射しがあると結構暖かい一日でしたが、この時間になって下り基調の帰途になると結構寒くなってきました、濃厚ぜんざいで暖まって女寄峠を下ります。迂回したので桜井へ戻ってきた時点で100キロ超かなと思っていたのですが、明日は雨模様との予報ですので「麦笑」のカンパーニュのお裾分けに「4’Season」まで往復して、本日の走行距離100.7キロ也。

国中ポタ~旧街道とお粗末自転車道~

 寒い日が続きましたが、今日は1日晴マークで暖かいと云う事ですので、郡山まで献血にポタリングも兼ねてのんびりと走る事に。八木から中街道(下ツ道)を北へ、橿原市から田原本町にかけて少々車が多い処もありますが、旧街道とあって概ねのんびりと走る事ができます。
 中街道は近鉄橿原線と国道24号線の間、古くからの集落を継ぐ様に北へ、ほぼ東西に流れる大和川を渡ります。

 

 天理市二階堂、この三っ辻を右(東)へとると丹波市から石上神社へと辿る事ができます。この辺りから県道192号線筒井二階堂線となっています。
 近鉄天理線を跨ぎます、正面に見えているのは京奈和自動車道の高架、ただ下ッ道ジャンクションの進入路が邪魔していて、少し迂回しなければなりません。
 中街道(下ッ道)はさらに北上するのですが、この先環濠集落のある稗田あたりからルートが曖昧になってしまいます。県道も左折して菅田神社の鳥居をくぐって郡山へ向かうので、この先では近世以降国中(くんなか)を南北に結ぶルートとしての機能は失われていたのかも知れません、佐保川の流路の変化が影響しているのかも。少し寄り道して菅田神社の境内へ(写真右)。
 菅田神社の北側を巻いて三郷橋で佐保川を渡りますが、一昨年(2017年)10月に京奈和自転車道の一部として県道280号大和青垣自転車道が4.4キロ供用されここ三郷橋西詰が現時点での南端なのですが、その後の進展はない様で、まるで佐保川河岸の造りやすい処だけ造った様な按配です。ブルーラインには「京奈和自転車道 和歌山港まで118キロ」と記されていますが、確か2020年完成とかただ奈良県下の他の区間は手付かず、和歌山県に入ってJR和歌山線隅田駅近くまで直線距離でも30キロ以上、ブルーラインはおろか案内の類は見られません。今日はその自転車道には入らずに県道筒井二階堂線を辿ります。なお京奈和自転車道を辿った時の記事はこちら→「走り納め ~京奈和自転車道~」
 県道から少し離れて、筒井の集落の中にある五輪塔覆堂(重文)、「洞ヶ峠」で日和見の代名詞の様になった筒井順慶の墓所です。
 西名阪の高架をくぐって少し北へ、三つ辻の南角になる道標、大正13年と古いものではありませんが「右 長安寺 平端村役場所在地 電車停留所近道 左 二階堂田原本八木」とあります、左は正に今私が辿ってきた道なのですが右の停車場とは、初めて見た時に天理軽便鉄道の事かと思ったのですが「大正13年」と「電車」の文言から大正11年に平端まで延伸した大阪電気軌道畝傍線(現在の近鉄橿原線)の平端駅の事なんでしょうね。
 再び北上して国道25号線との交差点が県道筒井二階堂線の起点となっていますが、筒井村道路元標が歩道の真ん中に建っています、このまはま北へ行くと「城之口餅」の「菊屋」の前まで行くのですが。
 今日の目的地は筒井駅西側のこちら、意外に混んでいて成分献血は待ち時間が、現役時代はなかなか献血なんて余裕はなかったのですが。粗品とか豪華にすると「売血」の悪いイメージがついてくるのですが、あの何の役にも立たない記念の「盃」どうにかしてくれないかな。
 郡山まで来た事ですからお昼は「とんまさ」「菊屋」と回りたい処なのですが、結構時間をくったのと、予報に反してお天気は曇り模様に、陽射しがないとテンションも上がりません、今日はここから帰途に就く事に、国道25号線を少し東に走って筒井橋西詰で京奈和自転車道に入ります、国道25号と西名阪にはご覧の様に立派なアンダーパスが整備されています、こんな事に金をかけずに佐保川の河川敷に下りて既存の橋の下をくぐれば良い様なものです、自転車道故に増水時に利用する状況もないでしょうに。ほんと金の使い方間違ってますよ。
 現状来しなに通った三郷橋西詰までしか供用されていないのですが、せめて近鉄天理線と橿原線をくぐって大和川の対岸の大和中央自転車道(奈良県道273号大和郡山田原本橿原自転車道線)に繋がる処位まではなんとか整備して貰いたいものです。
「全長75キロ、奈良県縦断サイクリングロード整備へ」
 はっきり云って奈良県の自転車道施策のお粗末さには辟易しているのですが。→「奈良県の自転車道に物申す」
 おっと新三郷橋から三郷橋まで護岸工事で通行止、自転車道整備の時に一緒にできなかったのでしょうかね、まさにお役所仕事の典型。

 三郷橋東詰から南へほぼ真っ直ぐ大和川に突き当たるまで(写真左)、後は桜井までほぼ大和川左岸を走って行く事ができます、ただ中街道から国道24号を跨いで大中橋まで大和川左岸を整備してくれれば申し分のないコースになるのですがねぇ。本日の走行34.1キロ。

初詣 安全祈願サイクリング

 高神社にて

 今日は木津川サイクリングクラブと大和川サイクリングクラブ(以下CC)、奈良県サイクリング協会の行事で京都府綴喜郡井手町の高神社まで、題して「初詣 安全祈願サイクリング」、ご自身もサイクリストである山本宮司によるお祓い受けさせて貰えます。一昨年も参加させて貰ったのですが、この季節なかなか走りに出掛けるのが億劫になり、やりかけのホームページのリニューアル作業もある事ですし、ぬくぬくと部屋の中でパソコンを触っている方が楽な訳でして、参加表明を躊躇っていたのですが、今年はまだNちゃんにカレンダーをお渡しできていないので、流れ橋で待ち合わせのメッセージを入れた処、幸い来て貰える事になり、ようやく重い腰を上げる事ができた次第。
 流れ橋までは2時間半程の行程、今風のロードバイク主体の両サイクリンググラブの行事にはロードで出掛ける事が多いのですが、erbaは整備中と云うかバラしてほったらかしの状態、やむなくasukaで出動する事に、ヘルメット着用がお約束ですのでどうもしっくりきません。なお今回は先日UG兄氏から格安で譲って貰った、キャラダイスのネルソンロングフラップを装着して行く事に、15~18リッターとシリーズ最大容量だけにデカい。ロングフラップは三脚を横置きにして巻き込む事ができるので重宝すると期待しているのですが。
 2015年には桜井から40往復もした流れ橋、上街道から奈良阪を越え木津川の自転車道と勝手知ったるルートなのですが、のんびり正月気分で上街道を流していたら、奈良市街を通過したのは10時過ぎ、お約束の11時にはとても間に合いません、とにかく20分位遅れる旨のメッセージを入れたのですが、井関川沿いの道が関西線の踏切前後で通行止、その上自転車道に入ったら思いっきり向かい風に、これでは20分どころか30分すら危うい事に。
 結局、流れ橋まで後1キロ程の処で、痺れを切らしたNちゃんが心配してお迎えにやってきてくれました。一昨年8月の「北の海へ Part.Ⅱ」以降、昨年となかなかご一緒する機会がなかったのですが、色々とツーリングプランを相談しておきました。
 さて「初詣 安全祈願サイクリング」の方の集合時刻は1330、追い風に乗ってあっと云う間に集合場所の木津川グラウンド駐車場へ戻ってきました。木津川CCのイベントには年に1度参加させて貰うか貰わない程度ですので見知った顔を少ないのですが、NLCのOさんと「第11回月うさぎキャンプ」以来のK氏を発見。ただ先日の名古屋の「新春ラン」とは正反対でマッドガード装着車は2台のみとは些か寂しい次第。一昨年はペンギンのお二人がおられたのですが。
 井手町の高神社まで直線距離では10キロにも満たないのですが、車の少ない道を縫って行きますが、途中時折霙の降るお天気に。標高70~80mとは云え山の上にある神社ですので、最後は登りが待っています。
 柏原市役所集合で走ってきた大和川CCの面々も既に到着。お祓いの後、お札やお菓子を頂いたりして記念撮影。
 木津川CCと大和川CCを合わせると100名の大所帯です(写真左)。大和川CCのみの集合写真は私が(写真右)、昨年不慮の死を遂げた大塚親分の姿がないのが悲しい限りです、2017年の写真
 お神酒を振舞う臨時の巫女さん。
 今年も奈良の「一丁焼こたろう」さんが出店されているのですが、なかなか「たい焼き」が焼き上がらないのでなかなかあり付く事ができませんので、ぜんざいをば。
 「初詣 安全祈願サイクリング」はここで流れ解散と云う事になりますので、1520高神社を後にし帰途に就き18時過ぎに無事桜井に帰投しました。本日の走行118.0キロ、新年早々100キロ超、でも昨年も出だしだけは良かったのですがね。

第24回新春サイクルミーティング

(Photo   おつねさん)

 今年で24回目を迎える名古屋の新春サイクルミーティング、「サイクリストクラブはづき」さんとカトーサイクルさんの共催で毎年正月3日に愛知県豊田市の「昭和の森」に集合し行なわれています。 参加資格はマッドガード付きである事、ロードにプラスチックのガードを付けたなんちゃってガード付きもいますが、大半はランドナーやスポルティーフが中心です。2008年から毎年お邪魔させて貰っていますが、「はづき」の皆さんやなかなかご一緒する機会のない中京地区の皆さんともお逢い出来るのが愉しみです。
 ほぼ毎年「昭和の森」へはUG兄さんの車に迎えに来て頂いているのですが、今年は2日に大阪の実家へ自走で帰ったので、3日の早朝に大阪市内から八尾まで自走し合流、いぬいさんを含め3人で「昭和の森」へ向かう事になりました。寄り道なしで藤井寺ICから西名阪~名阪~東名阪~伊勢湾岸~東海環状と継いで豊田藤岡ICまで、休憩込みで2時間余りで着いてしまいました、お約束の時には2時間近く早かったのですが、それでも見知った顔が既に到着しています。
 そうこうしているうちにあちこちから愛車を積んだ参加者が次々と到着します。 
 お約束の10時になりましたので主催者のご挨拶、今回の参加者は70~80名程とか、新春の挨拶だけにわざわざ来られて帰られた御仁もおられます。
 お愉しみの抽選会と記念撮影。
 抽選会と記念撮影の後、サイクリングのスタートまでの間にそれぞれのグループで食事を囲むのが恒例になっています。今回もUG兄さんが具沢山のカレーチーズ鍋を用意してくれました。
 さて12時が近づいてきましたらさみだれ式にスタートです。サイクリングのコースは「昭和の森」をスタートして北東へ、矢作川河畔へ越えて三河広瀬駅跡から矢作川左岸を加茂橋まで遡り、東海自然歩道をたどる通称「けいぞう峠」を越えて戻ってくる25キロ程のコースです。年によっては南コースと云うのもあったのですが、ここ何年かはこのコースが定着しています。
 今回寂しかったのは女性の参加者が2名だけだった事、初参加の彼女はベレーにブーツスタイルがお洒落です。

 


 25キロ程のコースですが自転車談義のための休憩タイムがたっぷり3回はあります、まずは廃線になった名鉄三河線の三河広瀬駅跡にて。

 参加車の全てではないのですが、私ならこの手の写真は撮っているうちに訳が判らん様になってしまいますので、乾さんのブログから拝借してきました、詳しい画像はどうぞそちらの方で。
 矢作川左岸の県道を遡ります。昨夏は飯田から三州街道を経てこの道を浄水駅まで走ったのが懐かしいです。

 加茂橋で再び矢作川を渡り「川澄屋」前へ。(Photo : 乾さん)
 さすがに「川澄屋」には全員が入る事はできませんので、お店の周りが異様な事に。
 「けいぞう峠」への登りでは、今年も木の上に陣取ります。
 「けいぞう峠」からぼ激下り。

 最後の休憩ポイント。
 14時半過ぎには全員無事に「昭和の森」に戻ってきました。(Photo : 乾さん)
 ご挨拶があって一応の解散の後、恒例のカフェのオープンです。来年は25周年とか、参加できる事を愉しみに2019年スタートです。

 なお集合写真を含む写真を順次アップしております「ツーリングの記録」→「2019」からご覧下さい、参加の方は再利用して頂いて結構です。なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧頂けません。ログイン名は’2019’、パスワードは2019年CanCan謹製卓上カレンダーの裏側右下の4桁の数字です、なお2018年のログイン名、パスワードの組み合わせも2019年3月末まで利用可能です。(2017年以前は不可)

年末恒例「第17回 石川ポタ」(後半)

 通称「OHCHOの森」で各自思い思いに店を拡げます。
 今回私は大黒屋さんとのコラボ、と云いますか私は火器の準備と蒸篭とか荷物を運んだだけですが、豚饅に焼売に挑戦。寒い屋外でなかなか湯気が上がらずに心配したのですが、どうにか蒸しあげる事ができました。551ならぬ531の焼売だとか。
 ショコラさんは粕汁(写真左)、つっちーさんはレモン風味の牡蠣鍋(写真右)
 UG兄さんのもやし鍋(左上)、タモさんのベイクドポテト(右上)、Vivvaさんは焚き火台を準備してビーフスガトロノフに添えるパンを焼いています(左下)、山内さんはホットケーキ(右下)。
 満足そうな皆さん。
 食事の後は各自持ち寄りの景品でビンゴ・ゲーム。
 昔からくじ運の悪い私ですが、今回は保冷ボトルにランチョンマット、リフレクタをゲット!

 今回は古いトーエイフレームが集合、以下UG兄さんの解説を引用させて貰いました。【左上】Wi-hujiさんの現存最古のトーエイフレームの56年ワンゲルです、かなりパーツは変ってますが、これで普通にツーリングに使われているのがすごい、【右上】charaさんのワンゲルツーリングモデル。FD,RD、ボトルなどが直付けで、明らかにこれもフルオーダー。オリジナリティも極めて高くほんとにびっくりしました(写真:いぬいさん)、【左下】UG兄さんのトーエイブルーバード(写真:いぬいさん)、【右下】BLKさんのピンクの27″ワンゲル。こんな派手な桃色自転車を乗り回していた関西の貴公子は誰?。クロードバトラーのようなスペシャルカットラグです(写真:いぬいさん)。
 その他、全てではないですが参加者ならぬ参加車の面々、マッドガード装着率90%以上。
 ようやく帰途に、今風のロードバイクが行き交うサイクリングロードを異様な集団が。
 しかしながら帰りのきっちり休憩タイムが30分余り、誰かが尻を叩かないと一向に出発する気配がありません。







 15時をまわる頃にようやく柏原市役所の見える処まで戻ってきました。




 帰りは大和川に沿って王寺経由のルートをとりますので距離は30数キロ、この季節ゆっくりもしてられませんので、自転車談義の続く皆さんとお別れして15時半には柏原市役所を後に、R25亀瀬を経て奈良県へ、御幸橋からは信号も車も少ない川沿いの道をひた走り、17時過ぎ日没後真っ暗になるまでには無事に桜井へ帰投しました、本日の走行78.7キロ。
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  いぬいさんのレポート「大柿枡之助の乱」

年末恒例「第17回 石川ポタ」(前半)


 年末の恒例行事、RRCB主催の「石川ポタ」に今年も参加してきました。2013年のみ参加できなかったのですが2002年の「ラン補年忘れポタ」以降今回で16回目の参加になります。
 桜井から横大路(初瀬街道)を西へ、大和高田から信号と交通量の多いのが辛いですがR165で田尻峠を越えます。数年前まで県界標の建つ旧道が通れたのですが、橋が落ちて今は歩いても通れなくなってしまった様です。

 お約束の10時には1時間近く早く着いてしまったのですが、集合場所の柏原市役所駐車場には既に京都組の4名が到着済み、こちらはなかなか良いお天気なのですが、京都は時雨ていたとか。その後、大阪府下はもとより兵庫県、滋賀県、私同様奈良県からの参加者も次々と到着。(写真右:UG兄さん)
 
 1015 メンバーも揃った様ですし、そろそろ出発です。(写真左;いぬいさん、写真右:UG兄さん)

 大和川を渡り支流の石川左岸の南河内サイクルライン(八尾河内長野自転車道線)を南下します。(写真右:いぬいさん)

 柏原市役所から通称「OHCHOの森」まで、片道10キロにも満たない行程ですが、途中休憩が入ります。休息と云うより自転車談義のための休憩なのですがね。(写真:UG兄さん)
 「石川ポタ」特にレギュレーションやドレスコードがある訳でもないのですが、炊き出し部隊のキャンピング車からミニベロまで、個性豊かなあらゆる車種が集まります。マッドガード付きが多いですが、今風のロードバイクもあれば、過去にはリカンベントやMTBも、でも今の処ファットバイクは参加した事がないですね。
 距離も知れていますし坂も殆どありませんので、昔から家族での参加も多いのですが、今回は明日香村のチネリ怪人VivvaさんのJrが先日の「笠置キャンプ」に続いて「石川ポタ」初参加です。(写真右:いぬいさん)
 久しぶりにレオナルホド・ダ・ッサイ氏も往年のBICKERTONを駆って参加、大黒屋さんのサンノーベルノーと並んで(写真左)、奈良の誇る重鎮お二人(写真右)。
 せっかく仕込んだ食材を家に忘れて引き返したと云うショコラ・シェフが追っかけ到着です。
 11時を回ってさて再び出発です、ここ何年かは4サイドのエルス・キャンピングで参加のUG兄さん、今回はトーエー・ブルーバードで登場、パニア台に鍋を積んで(写真左)。
 1125 ようやく「OHOHOの森」に到着です、ここまで走っている時間より休憩時間の方が長いのです。





 さてここで各自思い思いに店を拡げてアウトドア・クッキングが始まります。(写真:UG兄さん)。

(後半へつづく)

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