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淡路島道路元標蒐集サイク

今月一杯で廃止される泉佐野と津名を結ぶ「南海淡路ライン」を利用して淡路島の’道路元標’蒐集に行ってきました。 「南海淡路ライン」が廃止されると淡路島へ渡るフェリーは明石からの「たこフェリー」だけになってしまい、四国側からも鳴門橋は自転車は渡れないのでサイクリストにとって淡路島南部は非常にアクセスしずらい地域になってしまうのです。

もちろん航送料金\700を払えば自転車もそのまま載せられるのですが、折角のPacficですから輪行状態にして乗り込みます。 それにこの時期車と一緒に外で乗船まで並ばされるのもたまりませんしねぇ(^_^;) 終夜で10便(平日)が運行されていて、泉佐野0820発の下り3便に乗りましたが車なしでの乗船は私一人でした、船内でNHK朝の連ドラ「芋だこなんきん」も見たし1時間半の船旅ものんびりして良いものです。

津名から<469>上内膳津名線で山間部へ入り’道路元標’を辿りながらR28旧道で福良まで南下、海沿いの<25>南淡西淡線を走らず、山越えルートで西淡町へ入ったので折角ここまで来て鳴門橋も見ず仕舞です。
←旧西淡町(現南あわじ市)にて、冬晴れの暖かい日ですがさすがに海沿いは風が...

 

再び内陸部に入り<66>津名五色三原線へ向かいます、田園風景の中の場違いに立派なを道路をおはあちゃんの運転する白菜を満載した運搬車???が2サイクルのエンジン音を響かせながらが...のどかなもんです(^_^)

 

FI2612665_5E.jpg藤原勝永著「兵庫県の道路元標」によると淡路島の津名郡、三原郡には15基の’大正道路元標’の現存が確認されていましたが、賀集村道路元標が撤去されていて行方知れずになっていたものの今日は8基をGETできましたが、南岸の内灘村と離島の沼島村が残ってしまったのが...車に乗らない身にはいよいよ日帰りでは行けなくなります。

道路元標の資料

予定通りなら三重県で現存が確認されている12基の’道路元標’を網羅していたのに、残念な事をしてしまった(-_-)
←ピンク色のポイントが取りこぼした’亀山町’、近鉄沿線でないだけに少々行きづらい。
 同じDoBlogの「国道のある風景」のlone_chuck氏はきっちりと資料の整理しているんだなぁ... 見習わなくては。


とりあえ入れ物だけは(^_^;)


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BD-1系にメーターを付ける

借り物のPEUGEOT Pacificとは云えメーターが付いていないのは何か物足りない。 しかしフロントフォークがリンク構造のBD-1系は一筋縄には行かない。 ネットで検索してみると簡単な取り付け座を自作している人もいる様だが、CATEYEのスモールパーツを組み合わせてトライしてみた。
 まずハンドルバーからセンサーを取り付けられそうな位置が離れていてコードの長さが足らないので、コードの長い ‘リアホイール用 ブラケットセンサーキット’を使用、いっそそれならリアに付けてしまう手もあるが、以前クロスのリアにセンサーを付けえリアホイールを外す時に引っ掛けて壊してしまった事がある、フロントでもブレーキワイヤーに添ってケーブルを始末する事ができるので見た目は悪くない。


問題はフォーク部へのセンサーの取り付けである、幸い#169-9780扁平フォーク用アタッチメントなるものが出ていて、両面テープとタイで固定する様になっている。 ただマグネットが2本のスポーク間に付けるノーマルなタイプの場合、位置の自由度が低くこのアタッチメントを無理無理変形させて位置をだした。 なおこの’扁平フォーク用アタッチメント’はセンサー側がネジ止めになっていて入手した’ブラケットセンサーキット’にはそのまま使えず手持ちの余剰パーツを介して取り付けた。
 少々無理があるがメーター取り付け完了、さて周長合せなくては。


先日、リクセンカールのフロントバックアダプターを取り付けてみたが、折り畳み時に干渉してしまうので取り付け高さが低くならざる得ない。 折角のフロントバッグが見づらいので、現物を使用しているのは今まで一度も見た事がなかったのだが、リクセンカールのマップホルダー’ミニマップ II'(W12XH25cm)なるものを取り付けてみた。


マウントアダプターは取り付け時に90度角度を変えられろのでステムへの取り付けやマップホルダーを横向きにする事もできますが、ホルダーそのものが角度可変のマップホルダーも出ているみたいで、地形図は横長方向に折り畳んで整理しているので、そっちの方が」良かったかな(^_^;) なおハンドルバーに取り付けたヘッドランプと排他使用になってしまいました。
と云う訳で人の自転車を触らい倒しております。


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(^_^)

帰宅するとタイミング良くヤマト運輸のトラックが、サイクルベースあさひで頼んでおいた小物パーツが配達された。 リクセンのマップホルダー、さて使い勝手は...


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「新玉亭」再びのつもりが...

天気も良さそうなので部屋に籠っていると昼になって後悔しそうなので、三重県で現存が確認されている残りの’道路元標’5基をまとめてGETしてから、W氏他が参加している’鰻の新玉亭’へ向かうalialiさん主催の「激盛、満腹ツーリング」へ追撃しようと急遽思い立ち朝一の近鉄で鈴鹿市まで輪行で向かったのだが...
 よりによって神戸町(現鈴鹿市)と亀山町の道路元標の資料を持っていくのを忘れてしまった、お陰で鈴鹿市街を1時間近くウロウロする事に、幸い石薬師村はすぐに判ったが、所在地がはっきりせず距離もある水沢(すいざわ)村は諦め小山田村に向かうつもりが道を誤って行きすぎてしまう、いっそ水沢村もと思って走った結果幸い見つける事ができ帰りに小山田村をGETして亀山市街に入るがそれなりに大きな町だけに’道路元標’を見つける事ができずに、すっかり遅くなってしまった。


←本日の収穫
上左 : 神戸(かんべ)町道路元標(三重県河芸郡)
上中 : 石薬師村道路元標(三重県鈴鹿郡)
上右 : 水沢(すいざわ)村道路元標(三重県三重郡)
下左 : 小山田村道路元標(三重県三重郡)
 かえすがえす亀山町を取りこぼしたの悔しいよ?



予定では旧河芸町まで南下し、S氏の情報によると’里程標’か’道路元標’かは判らないが保存されているという図書館をまわってから津の「新玉亭」へ追撃してから近鉄電車で帰途に就くつもりだったのが、関宿で迎撃する事になってしまった。
←津から県道10号津関線(伊勢別街道)を戻ってきたW氏一行


一行は関宿も爆走、これから加太越でデポ地の余野公園他を目指しています、とても付いては行けないので’西の追分’で停まって貰い、私はここで引き返してJR関駅から帰途に就きます(^_^;)


内5名は天五さん繋がりの初めてお目にかかる方で顔と名前が一致しません、スミマセン。 なお内2名が「新玉亭」の大盛りをたいらげたそうです(@_@)

大きな画像(1024×768)

JR関駅に着くと下り加茂行きが発車寸前、いくらPacificでもとても間に合いません、次の下りは1時間後、接続時刻を調べると上りで亀山へ戻って津へ向かい近鉄に乗る方が早く帰る事ができるので、少し運賃は高くなりますがそちらへまわる事にします。
 しかし往復輪行でPacificに跨ってのポタリングペースですが、寒さもあってか少し堪えました、まだまだ回復には時間がかかりそうですわ(;_;)


道路元標の空白地帯

昨年秋からフトした事でマイブームになっている’道路元標蒐集’、自転車で紀伊半島の道を走り潰すのも残り僅か、奈良/和歌山/三重県中南部の県道ヘキサ蒐集も先が見えてきたので、サイクリングのツマとしてはなかなか面白いテーマなのである。 奈良県と兵庫県に関しては出版物として資料もあるし、インターネットのお陰で好事家による情報も入手可能で個人的に800基とか600基を訪ね歩いた(歩いた訳ではないだろうけど)御仁もおられる。 道路マニアにはお馴染みの’国道メーリングリスト’では1000件以上の所在リストが更新されているが、道路元標設置の根拠となった’道路法施行令’の大正8年からして、手元の資料によると大正11年には全国には12315もの市町村があったのだから1割にも満たない、まだまだ未知の’道路元標’を発掘する余地は充分にある、と云っても元標の建つ地元ではさして映えない標石は忘れられた存在で、朝な夕なに散歩の犬の絶好のターゲットになっていたりするのですが...

左図は入手できた情報を元に中部から中国四国にかけて現存する’道路元標’の位置をプロットしたものである。 まもなく設置から90年を迎え根拠となる法令が無くなってしまった’道路元標’が時とともに失われてしまっているのは致し方ないが、不可解なのはバラつきが大きすぎるのである、石川、京都、奈良、兵庫の様に相当数が平均的に残っているのに対し、富山、静岡、福井、徳島は皆無、岐阜、滋賀、大阪や和歌山、西日本には異常に少ないのである。
 理由として考えられるのは、まず’道路元標’を探そうなんて好事家が少ないので情報にバラつきがある。 現在では根拠法の無い道端の邪魔物を府県毎に道路管理者が積極的に撤去してしまった。 そもそも大正8年の’道路法施行令’により実際に設置するのは各々の地方自治体なのだが本当に全国に12000もの’道路元標’が省令に従った様式で津々浦々に至るまで設置されたのだろうか。
 とこのマップを眺めるとつくづく考えてしまうのである。 今ではあるかないかも判らない’道路元標’探しはヘキサ蒐集や丸ポスト蒐集より奥が深いと云うかハマると泥沼なのである、サイクリングの目的に自然や風景に名所旧跡も悪くはないが、昭和と平成の市町村合併に埋もれ忘れられていく近代日本の地方自治と道路網の標石である’道路元標’探索にコースを練る愉しみは当分続きそうである。


※ 図はいわゆる’大正道路元標’を対象としている、明治の里程標や大阪市や和歌山市にある今風のモニュメントとしての道路元標は含んでいない。
※ 緑色は履修済、黒色は最近まで現存していた記録があるが逸失してしまったもの。

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