2023年4月のまとめ

   走行711.1キロ、内訳はasuka 220.6キロ、erba 246.5キロ、Silk 244.0キロ。

 赤線が4月の走行区間、青線は3月以前。自宅/職場周辺は割愛しています。

~4月1日 2023年春 18きっぷ輪行旅「高山~富山」
4月19日 2023年春 18きっぷ輪行旅「和田山~播磨新宮」
4月9~11日 2023年春 18きっぷ輪行旅「四国へ」
4月22日 齋藤電鉄氏迎撃サイク前乗り「西の海へ」
4月23日 齋藤電鉄氏迎撃サイク

道路元標

【1143】 2023/4/4 兵庫県 宍粟郡 河東村(現 宍粟市)
【1144】 2023/4/4 兵庫県 揖保郡 香島村(現 たつの市)
【1145】 2023/4/10 高知県 香美郡 西川村(現 香南市)
【1146】 2023/4/10 高知県 香美郡 在所村(現 香美市)
【1147】 2023/4/11 香川県 小豆郡 福田村(現 小豆島町)

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久しぶりの遠回り通勤サイク

 高田川河畔 北葛城郡広陵町弁財天

 ここ暫く輪行での遠征が続いていましたので、久しぶりの「遠回り通勤」です。筒井の奈良県赤十字血液センターまで献血に行こうと、まずは腹ごしらえに「松のや」へ、橿原神宮の中を抜けて行きます。

 「松のや」でお腹一杯になった後は大和高田から高田川沿いに北上し、御幸橋で大和川を渡りへ富雄川沿いの自転車道へ、南から行くと国道25号の手前の砂利道、いつの間にか舗装したんですね。

 血液センターまで来たのですが、成分献血は予約が一杯で受けられず、いつも勤務明けに来るのですが日によって仮眠ができるかできないか判らないので予約もできないのですよね。全血なら出来るのですが日にちが足りません。ところで献血ができるのは今年の誕生日の前日までですから、全血なら後2回かな。
 筒井まで走ってきた目的を果たせなかったと云っても、今日は40キロ以上走る事が目的だったので、別に構いません。佐保川沿いの京奈和自転車道に出て、浄化センターの中を抜けて大和川沿いに帰ってきました。本日の走行46.3キロ、これで今月は700キロ超となりました。

齋藤電鉄氏迎撃サイク(後半)

県道24号御坊由良線 日高郡由良町神谷


 1022 御坊駅着、輪行支度を解いていると齋藤電鉄氏が到着、無事合流、向かい風の中ご苦労様でした。ここから由良洞隧道~白崎海岸経由で湯浅までご一緒します、鉄道ではたった3駅なのですが。

 紀伊内原まで戻りコンビニで補給後、県道23号御坊湯浅線に入ります。

 煉瓦ポータルの由良洞隧道を愉しみにしていたのですが、昨年行われた改修工事でご覧の様に、味気ないものになってしまいました。なお由良洞隧道は現在の国道42号線の由良トンネルの上を越えているので、旧国道に思えますがこのルートが国道に指定された事はなく国道42号の旧道は東寄りの津木回りルートと考えられています。

 由良洞隧道の北側は以前からコンクリートで補修されていたのですが、今となってはこちらの方が趣があったりして。
 由良洞隧道は残念でしたが1台の車に出合う事なく峠を越え国道の里トンネルの上にでますが、由良の街中へ入らずに由良港へ下ります。海上自衛隊前で御坊から海沿いを走ってきた県道24号御坊由良線に合流します。そろそろお腹がすいてきたのでどこかでお昼と行きたいのですが、休日とあってか「平佐館」は入れない人が並んでいる状態、仕方なく道の駅のある白崎海岸までもうひと頑張り。
 1238 白崎海岸を望む処までやってきました。

 「日本のエーゲ海」とか云われている?白崎海岸を行きます、和歌山県は「日本の…」とかがお好きな様で、お恥ずかしい。
 13時には白崎海洋公園に着いたのですが、紀伊水道に突き出た岬状の処なので、強烈な風がまさに「爆風」、それでも休日とあって結構なお客さんで賑わっています。とても外ではのんびりはできないので道の駅の食堂へ。
 白崎海洋公園を出るなり結構な坂があるのですが、そこが工事で交互通行になっていて、信号が変わらないうちに登り切れたものではありません、待っていた車が降りてくるのでたまったものではありません。小引、戸津井とかつては陸の孤島の様だった小さな漁港も今では新しいトンネルと橋で繋がっています。衣奈からは県道を辿ると衣奈トンネル近くまで登らされるのですが旧道をたどれば比較的楽に湯浅側に越えられます。すみませんこの区間の写真が全くありません。
 最後の峠?の切通を越えると有田郡広川町です。

 広川ビーチ駅で小休止の後 15時過ぎには醤油の町湯浅に到着、何度も来ていますがなかなかゆっくりと見て回る事がなかったので、良い機会ですのであちこちで見て回る事にします。

 湯浅町には道路元標が残っていますが、その湯浅町道路元標は熊野街道の道標の側に半分以上埋まってしまっていて、知る人ぞ知る存在ですが。

 私はここ湯浅から輪行で帰途に就きます。大阪鶴橋経由ですと最終は20時台ですが十分に見物もできましたし、1722 発で帰途に就く事にして駅へ、湯浅駅も橋上化され以前の駅舎の少し北側に「湯浅えき蔵」と云う洒落た建物ができています、中には観光案内所だったり図書館だったり、以前の湯浅駅駅舎(2004年5月当時)は改装されて食事とかのできる施設として5月にオープンするそうです。
 齋藤電鉄氏に見送って頂き 1722 発和歌山行きに乗車、彼は明日有田鉄道公園を見学して岩出まで走るそうです、まだご一緒できる機会を愉しみにしています。

 通勤時間と重なると鶴橋経由の混雑が嫌で時間はかかるものの和歌山から和歌山線経由で帰るつもりでいたのですが、この時間だと天王寺で直通の和歌山線五条行きに乗り継げる事が判り、それならと天王寺経由で帰る事に、よくよく考えると休日ですしね。天王寺で乗換王寺駅に着く直前になって前4両が奈良行、後4両が五条行だと云う事に気が付き、王寺駅での4分間の切り離し時間に慌てて移動する事に、よりによって1号車の先頭に乗っているのですよね。無事 2029 には桜井駅まで帰投しました、本日の走行77.1キロ。

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齋藤電鉄氏迎撃サイク(前半)

  南海電鉄和歌山軌道線跡「鵬雲洞」

 今日は紀伊半島分割一周中の齋藤電鉄氏が紀伊田辺から湯浅へと北上してきます、そこで途中の御坊駅前で落ち合う事にしたのですが、田辺から御坊まで約36キロ、こちらは国道42号線経由で御坊まで約56キロ、御坊まで走るのは後の予定を考えると時間的に厳しいので湯浅から御坊までは輪行するつもりで6時前から走り出します。
 国体道路から紀三井寺縁道と和歌山市街を南下します。紀三井寺縁道とは元の南海電鉄和歌山軌道線の廃線跡を整備したもので歩行者自転車専用道となっています。途中「鵬雲洞」とよばれる明治時代のトンネルがあります。和歌山市と海南市の間に船尾山と云う山があるのですが、4つのトンネルが貫いていて、昭和平成に造られた現在の国道42号線上り下りの新毛見トンネル、大正時代に造られた旧道(当時は県道)の毛見隧道。そしてこの鉄道用として造られた「鵬雲洞」が自転車歩行者専用道となり2017年に「毛見隧道」とともに土木遺産となっています。なおJR紀勢本線と熊野古道は黒江から海南と船尾山の東側を越えています。
 海南から加茂郷の間の国道42号線は交通量も多く自転車にとって難所だったのですが、整備が進んで走りやすくなっています。
  海側の旧道と思われる道を辿って行けますが、冷水第一トンネルと観音崎トンネルの間は国道を走らなければならず、南行きの場合は二度国道を跨ぐ事になります。対岸に昨日走った雑賀崎を望むことができます。
 有田市に入り 0812 安諦(あで)橋で有田川を渡ります。

 有田川左岸の国道42号を走り、2002年に廃止された有田鉄道の廃線跡を整備した自転車歩行者専用道「ポッポみち」へ、休憩所もありますが駅跡ではない様です。
 「ポッポみち」を走り藤並駅の東側へ、綺麗な橋上駅になって昔の面影はありません、湯浅駅まで後1駅なのですが国道を走るのもなんなのでここ藤並駅から輪行する事に。
 お陰でのんびり輪行支度を済ませる事ができて 1000 発の御坊行きを待ちます。(後半につづく)

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齋藤電鉄氏迎撃サイク前乗り「西の海へ」

紀の川河口大橋にて

 今日は紀伊半島分割一周中の齋藤電鉄氏を明日御坊で迎撃するために「西の海へ」を兼ねて和歌山市まで走る事にしました。時間的に明日は湯浅駅~御坊駅間は輪行になりそうで、やや距離はありますが延陽伯号での出動に。

 勤務明け9時過ぎに橿原の職場を出発、飛鳥駅前を経て県道120号五條高取線に入る定番コース、近鉄吉野線からJR和歌山線と線路に沿って行きます。
 大和街道の古い街並みが残る五條新町と未成線の五新線遺構。

 五條のオークワで補給して、紀の川沿いの公園でお昼にします。

 概ね紀の川沿いの京奈和自転車道を走れば良いのですが、三谷橋から麻生津橋の間で右岸に入らず、岩出橋まで左岸を走り続けたのですが、やはり井阪橋で右岸に渡るのが正解な様ですね。前半は追い風に乗って快調に走っていたのですが、後半は強い横風に煽られて走り難い事に。
 和歌山市域に入っても河口まで10数キロあり、信号のない自転車道が続くとは云え、この区間が結構だるいのです。今日はニッカスタイルでインナーパンツなしだったのですが延陽伯号では100キロ近くなるとちょっと辛いかな、革サドルではなくフレームに色を合わせたデニム調の安サドルって事もあるかも知れませんが。1445 自転車専用道の終点に到着、紀の川河口大橋を望む。紀の川河口大橋と青岸橋を渡りとりあえず「西の海へ」と云う事に。

 さて南海の和歌山市駅近くに宿を取ってあるのですが、まだまだ時間があるので以前から行きたかった雑賀崎の「スハネフ14-1」へ向かう事にしました、鉄な人には興味津々なカフェです。雑賀崎の高台の上にあるので結構上らないといけないのですが、追い風に押されて思いの外楽に上れたのは良いのですが、なんとお店は臨時休業。

 和歌浦へ下り和歌山市街へ戻ります。和歌山市道路元標は国道42号線の県庁前交差点南東角にあって最近では2011年5月に徒歩で来ているのですが、大阪市道路元標と同様にモニュメント様のもので大正道路法の様式に沿ったものではないのでカウントしていません。まだ時間はあるのですが市内で早めの夕食を頂いてから明るい内に今夜の宿へ、雑賀崎から和歌浦と遠回りしたので走行105.3キロ。

サーバー遷宮


 2〜3年に一度「遷宮」と称してサーバーの入れ替えを行っています、20年近く変わらない2台のATXケースを使いまわし、今ではiTunes以外は単なるファイルサーバーに、OSも2003R2を最後にWindows10になっていますが。
 今回はデータ用のディスクとビデオカードを新調、そろそろ電源も交換したいのですがね。ファイルの移動だけで数時間掛かりますので、休みだった昨日に実行、クライアント側からの切り替えも終わり無事終了、残るのはiTunesの引っ越し、今となってはこれが一番厄介ですが。古い方のサーバーは次の遷宮までバックアップ用、最近クラウドサービスもありますし、アクティブなデータはOneDriveに置いている事も多いのですがね。

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2023年春 18きっぷ輪行旅「四国へ」3日目


小豆島町吉野にて

 今日は高松港から小豆島土庄港に渡り海岸沿いに南回りで福田港まで走りフェリーで姫路港へ、最寄り駅の山陽電鉄飾磨駅まで走って輪行で奈良桜井へと帰途に就きます。
 小豆島へは高松港から土庄港と池田港(草壁港は休止中)、高松東港から坂手港、兵庫県の姫路港から福田港、神戸港から坂手港(神戸発の夜行便は高松経由)、岡山県の日生港から大部港、岡山新港と宇野港から土庄港と豊富にあるのですが、最寄駅から輪行袋を担いで行けるのは日生、高松、頑張っても宇野港位と限られていて、他は連絡バスに無理無理乗せない限りは港まで走って行かなくてはなりません。今回は土庄港まで輪行袋を担いで、下船後組み立てて走り、そのまま福田港から姫路港へ乗船して最寄りの山陽電鉄飾磨駅まで走る事にましたが、JRだと更に英賀保駅か姫路駅まで走らなくてはなりません。
 その福田~姫路航路ですが、コロナ禍が落ち着いたと思ったら船員不足で4月14日から7往復が3.5往復に減便になるのだとか(GW期間は従来通り)、福田港1930発の最終便では奈良まで帰れないので1715発に乗船する事になるのですが、その便が減便対象になっています。

 高松港0720発の土庄行に乗船、池田港行(料金は同じ)と合わせて日中26便も出ていますので、高松からは格段時間を気にせずとも小豆島に渡る事ができます、約1時間の船旅です。

 土庄港から福田港へは北周りでも南回りでも最短ルートだと30キロ弱しかありません。今日は海岸沿いを南回りに走る予定でざっと50キロ、その前に土庄から南西側に伸びた半島を巡る香川県道254号本町小瀬土庄港線へ、結局土庄の街中へ戻ってくるのですが。小豆島のあちこちにある大阪城石垣石切場跡(写真左)。
 この県道を含め小豆島を最も海岸よりのコースを選んで一周するとほぼ100キロ、獲得標高は2,000m近くになる様な。
 土庄へ一旦戻って少し買い物を、本土と橋で繋がっていない離島としては最大の人口と云うだけあって、小豆島にはホームセンターも百均もあります。ところで小豆島すなわち香川県小豆(しょうず)郡には2基の道路元標の現存が確認されていて土庄町道路元標は2007年10月に履修済、今回は福田村道路元標を拾って帰ります。
 暫く国道436号を走り、池田港を過ぎてから三都半島へ、香川県道250号三都港平木線へ入ります、半島の西側は「日本の夕陽百選」に選ばれているだけあってなる程の展望です、自転車では夕日の時刻にはちょっと来れないと思いますが、このロケーションで「自撮り」を…

 三都半島西海岸、吉野崎漁港から三都漁港へ、後で知ったのですが富士峠(117m)を云う名がついていました。
 三都漁港にて、この後三都半島の先端の釈迦ヶ鼻と地蔵崎燈台まで回るつもりでいたのですが、間違えて東海岸へショートカットする県道を越えてしまいました。結局三都半島の東海岸を北上し再び国道へ、内海町のスーパーで弁当を買い坂手港近くのベンチでお昼にします。なお「二十四の瞳」で知られる岬の分教場へは内海湾に突き出た半島を往復しなくてはなりませんのでパス。

 次は小豆島で南に突き出たもう一つの半島を巡る事に。海水浴場のある瀬戸の浜と県道248号橘大角坂手港線から見下ろします。

 今度は間違えずに灯台のある大角鼻まで南下します、ただ足元が悪いので灯台まではパス(写真右)。
 大角鼻を回り小豆島東岸を北上するのですが、この先福田港までアップダウンが続きます、標高150m位まで上り国道436号の橘トンネルの上を越えて旧道橘峠の東側に下ります。小豆島の海岸線を巡る県道の中ではここが一番鄙びた風景かと、車も全くと云って良い程やってきません、後から考えるとここで「自撮り」をしておくべきだったと、午前中の方が良いとなと躊躇ったのですが、時間もあったのにね。

 三度、国道436号に入りますが、アップダウンにそろそろ嫌気が…

 福田村道路元標、とりあえず現時点で香川県下で現存が確認されている(た)道路元標32基は回りました。

 福田港に到着、「八日目の蝉」のロケ地ですね、永作博美主演の映画版、壇れい主演のテレビドラマ版(NHK)、何れも岡山との航路と云う設定になっていたと記憶していますが。

 1650 姫路からのフェリーが、あちこちから車がやってきて途端に賑やかになります。平日とあって自転車とあって自転車は私一人でしたが、甲板員の方から靴について尋ねられます、クリート付きのシューズは駄目だと。同様の事は春の「ゆめしま」の折に岩城~今治航路でもあったのですが、ここでは履き替える様にサンダルを貸してもらえます。鉄製の甲板で転倒の危険があるからなのか塗装が痛むからなのか、「さんふらわ」とかではその様な話はないのですが、さすがに長時間の船旅の場合は上履きを持って行きます。
 1時間40分の船旅で1855姫路港着、暗い中ちょっと道を間違ったりしながら飾磨駅着、駅の南側の自転車預かり所の前の狭い処で輪行支度をしたのですが、飾磨駅は北側の方が広くて作業がし易かった様な、下調べ不足。さて時間は掛かりますが山陽飾磨から近鉄桜井は阪神なんば線経由で改札を出る事なく、上手くすれば階段を上り下りする事もなく2度の乗り換えで帰る事ができ、時間こそ掛かりますが最安で移動できます。2011 発阪神梅田行特急に乗車、尼崎と鶴橋で乗換て23時前には無事帰投。本日の走行70キロ。

1日目 2日目 3日目

2023年春 18きっぷ輪行旅「四国へ」2日目

「土佐塩の道」文代(ぶんしろ)峠にて

 今日は高知県香美郡の2つの道路元標を巡ります。高知での宿はビジネス街の中の小さなビジホですが、大浴場があって「旅行支援」で3,200円也、それに2,000円のクーポンが付いてくるのですから「旅行支援」様々です。朝、パンに玉子と野菜と飲み物と質素ですが無料の朝食を頂きます、走り出す前にはあまり食べないのでそれ位が丁度良いです、種類豊富なバイキングだとついつい貧乏性な性格が災いしますので。さて輪行支度を解いて宿を後にします、

 幹線道路を避け、予めあたりをつけておいた舟入川べりの道を東へ、通勤通学と思しき自転車と何度かすれ違いましたので、高知市中心部から郊外へ出るコースとしては正解だったかと。見た風景だなぁと思ったら2018年春に南海フェリーで渡った徳島から室戸回りで走ってきたコース、大津村道路元標の傍でした。ところでこの舟入川と云うのは江戸時代に開削された灌漑用水なのです。
 さすが南国土佐、もう田植えが始まっています、中には既に終わっている処も。

 香南市香我美町口西川 「土居の谷」バス停脇に建つ香美郡は西川村道路元標、昭和の大合併で1955年4月に無くなった村ですが、村域は現在の香美市、香南市、安芸市に跨っていました。「塩の道」とはその名の通り江戸時代、製塩が盛んな現在の香南市沿岸部と内陸部との塩を始めとして交易ルートが発達した様で、現在は「土佐塩の道」として整備されています。車道は県道30号線香北赤岡線として古道と交差する跨ぐ様に整備されていますが、西川の集落を過ぎると途端に道が狭くなります、峠の標高は知れていて斜度はあっても6〜7%止まりで、とにかくクネクネと長い「エエ道」が続きます、「文代峠」は盟友峠おやじナワールド氏の足跡もあるのですが、氏の云う急坂とは?随分と印象が違うものです。木々の間からかすかに海岸線が… そう云えば高知に来てここまで海を見てなかったゾ。


 切り通しになっている峠に到着、香美市となりますが字名は西川、西川村が峠を挟んだ地域であった事に納得、今では道の通じていない安芸市轟地区まで西川村だった事から、この山中に「塩の道」と関わった一つの経済圏があったのでしょうね。
 峠を越えると直ぐに民家があり、物部川の支流西ノ川沿いの先とはうって変わった明るい谷が続き国道195号(土佐中街道)まで下ります。
 次の在所村道路元標まで結構交通量のある道を数キロ遡らなければなりません。この195号は四ッ足峠を越えて徳島県阿南市へ続くので、徳島市経由で帰る案も検討してみたのですが100キロ以上の道のり、トンネルがあるにしても目の前の山容を見上げると引いてしまいます。

 在所村道路元標は香美市立吉井勇記念館の敷地内にあります、月曜は休館日と云う事で心配していたのですが、記念館の裏手の国登録有形文化財「渓鬼荘」近くにあり、道路元標の処まで行く事に問題はありませんでした。寡聞にして吉井勇なる人の事は何も知らないのですが、ググってみると近代の歌人で3ヶ月ばかりここ猪野々の地で隠遁生活を送ったのだとか、3ヶ月引き籠っただけで立派なハコモノが建つのでしょうか、ちなみに漫画家のやなせたかしの父方の実家もここ在所村。そんな事より「道路元標」ですが○○村がなくて「道路元標」としかなく、形状も省令に準じたものが破損してこうなったとも思えません、場所的に本来の位置から移設されたものでしょうが、とにかく「道路元標」と主張しているので「在所村道路元標」だと云う事に。在所村は1961年に合併に拠り廃止されています。
 在所村道路元標を後に国道は避けて物部川右岸の県道他を次いで土佐山田駅へと向かいます。先日の神通川程ではありませんが河岸段丘が発達している事と流れ込む支流の為に下り基調とは云え細かなアップダウンが続きます、左岸側には美良布村道路元標がありますが2008年4月に履修済、「アンパンマンミュージアム」とかもありますけど、あのキャラクタが好きでないんで。
 物部川は杉田ダムのダム湖となり、県道はサイクリングコースになっている様でブルーラインが引かれています。
 ところで「旅行支援」のクーポンですが使う機会もなく走ってきたので、土佐山田の街中に入った処でローソンで消費する事に、お陰で高松までの車中は豪勢に。コンビニで使えるのも便利ですがそれもなんだかなぁ…
 1510 土佐山田駅着、セブイレに母屋を取られた土佐山田駅。次の上り普通列車は 1630 と云っても1日5本ですが、のんびりしっかり輪行支度を。
 土佐山田駅2,3番ホーム、左がこれから乗車する 1630発琴平行、右は窪川行き。

 車中よりスイッチバッグの新改駅、左側が駅ホーム、右側が阿波池田方面への本線です。豊永駅を出ると乗客は2人に坪尻駅は通過して 1922 琴平着、15分待ちで高松行きに乗り継ぎます。
 高松 2033着、乗車4時間3分2,790円也。明日は高松港から小豆島に渡りますので、駅から比較的近い宿をとってあって輪行状態のまま移動します。
 本日の走行77.4キロ、高知まで行ってなんだかなぁと云うコース設定でしたが、道路元標2基に歴史ある街道の峠を越える事ができたので良かったかな、高知市街まで戻ると100キロ前後になるでしょうが、高知に住んでいたらなかなか良いコースかと。

1日目 2日目 3日目

2023年春 18きっぷ輪行旅「四国へ」1日目

極め付きの秘境駅 土讃線 坪尻駅

 「青春18きっぷ」の有効期限が迫ってきているのに、一昨日の雨で予定が狂ってしまった訳ですが… そこで往路だけ利用して泊りで高知へ向かう案が浮上、高知県は貧乏人には厄介な処でして2018年3月に「四国の右下ツーリング」で自走して以来暫く行けていません。
 未収の道路元標がまだ7基(左図赤色)残っていて四万十川とか足摺方面は無理としても高知市周辺の2 基はやっつけておきたい処。その高知市すら「18きっぷ」で行くには土讃線の琴平~土佐山田間がボトルネックになっていて、その日の内に辿り着けるのは桜井0759→高知1904(所要11時間5分)と桜井1013→高知2027(所要10時間14分)しかなく、移動だけで一日終わってしまうのです、そして勤務明けからのスタートでは桜井1013発と云う事になります。
 桜井1013→1041奈良1045→1137大阪11:45→1248姫路13:05→124相生13:32→1438岡山1442→1520坂出15:30→1543多度津15:59→1706阿波池田1748→2027高知
 ところがこのスケジュールにはリスクがあります、岡山での乗換時間が4分、2番ホームから8番ホーム、この時間帯ならそうは混んでいないのですが輪行袋を抱えての移動です、万が一東海道山陽本線が遅れると先がないのですが、岡山から1本後のマリンライナーに乗れば、坂出、多度津と乗継、琴平から阿波池田まで特急「南風17号」に1,200円(乗車券と50キロ未満の特定特急料金)払って乗れば、阿波池田で1748発の高知行きに追いつく事ができるのです、と云う事で9日夜の高知の宿を確保する事に、もちろん「旅行支援」の対象になる様に。機材はerbaロード、コース的に延陽伯号やデモン太では辛いしロードは輪行楽ですからね。
 さて1日目は先日の高山同様、自転車担いでの移動だけで終わってしまいます、本日の走行は通勤の6.5キロのみ。桜井1013発奈良行きに乗車、順調に駒を進めて岡山1442発「快速マリンライナー39号」に乗車、津山線のホームに停まっていた国鉄色のキハ40の写真を撮る余裕も、臨時の「夜桜号」とか、1両はラッピング車両で1両は国鉄色とはJRも抜け目がない様で。
 瀬戸大橋を渡り、昨年9月以来の四国、坂出、多度津と乗り換えます。
 土讃線に入りスイッチバックの秘境駅「坪尻」、飯田線の田本駅同様徒歩で山道を行かないと外へは出られません、それでも下車する鉄な人が何人か、10分後に来る上りで折り返すのですよね。
 普通列車の車両はJR四国になってから作られた1000系に置き換わっている様です、ホーム高さの関係もあるので西の方に行くとまだステップのあるキハ32とかキハ54が頑張っているのかな。JR四国ってホームが低いので輪行袋を担いで乗り降りする時には要注意です、気を付けないと降りるときにエンドやリアディレーラーをぶつけたりします。トイレなしロングシートのキハ32に何時間も乗せられていた頃を思えば、1000系なら輪行袋を置く場所も今はトイレもあるので助かりますが。
 予定通り来たので阿波池田で42分待ち、未明に職場で早い朝食を摂ってからまともに食べていませんので、数分歩いてスーパーマーケットまで往復、駅横にセブイレがあるのですが、品数が知れていますし(それにセブイレ嫌い)、阿波池田ってスーパーも2軒あってコーナンもダイソーもあるのです。
 大歩危、小歩危と停まりながらもう一つのスイッチバック駅「新改」を過ぎる頃にはすっかり陽が落ちてしまいました。2027 高知着、輪行支度を解くのは明朝にして輪行袋を担いで宿まで、遅々に車内で食べた弁当が効いているので外食するのは止めて、早々に休む事に、10時間14分 7,410円分乗車、王寺~佐賀の17時間59分には及びませんが充分くたびれました、明日は走るぞ。

1日目 2日目 3日目

4月7日の日記

 3月30日~4月1日の「高山~富山」、4月4日の「和田山~播磨新宮」に続いて今日の休みも「18きっぷの旅」の予定だったのですが、生憎のどうしようもない雨、erbaロードと延陽伯号が輪行袋に入って待機していたのですが…
 結構疲れがたまってきているので休足日としますが「18きっぷ」の有効期間は4日10日までと後4日なんですよね。

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