No tags for this post.
今日は有田市周辺の「WAKAYAM800モバイルスタンプラリー」のポイントを巡ります。
和歌山県道135号和歌山海南線を南下、紀三井寺村道路元標も健在です。いつもはそのまま黒江経由で海南へ向かうのですが、今は紀三井寺駅の南側で踏み切りを渡って紀三井寺緑道なる自転車歩行者専用道へ。
ここは昭和42年に廃止された南海電鉄和歌山軌道線の廃線跡で、海南市との市界になるトンネルは鵬雲洞と呼ばれ土木遺産にもなっています。自転車道となっている廃線跡のトンネルとしては断面が広いのですが、軌道線が複線だった所以ですね。
加茂郷にかけては難所なのですが、海南IC付近で工事が行われていて自転車にとっては難儀な状況になっています。冷水浦駅南側、昔から紀勢本線の撮影ポイントになのですが、散乱している空き缶とかは「バカ鉄」の仕業? せっかくですので狙ってみます。
少し旧道少し残っていますのでR42を避けて辿る事に。海南港を見下ろす風景はお勧めです。結局有田市街に入ってのは11時前、買い物とお昼を済ませる事に。
和歌山県道171号宮崎古江見線からポイントのある有田みかん海道へ、友が島を望む事ができ、稜線を南側に回ると白崎海岸が遠望できます。結構登らされましたが、湯浅側からの方が斜度はキツいかな。
湯浅の古い街並みへ、かなり埋もれていますが、湯浅町道路元標が道標の脇に残っています。
「テスティモーネ アリダ」「湯浅うまいもん蔵」「稲むらの火の館」と回り今日4つ目のポイント「有田川町鉄道交流館」へ、到着したのは15時を回っているのですが、そこは根が鉄ちゃんなので、ここでも時間を食ってしまう事に。
結局「千葉山」(468m)も「山の家 おいし」(787m)も時間的に狙う事ができずにR424で帰途に就く事に。標高407mの峠に着いたのが1718、県道10号を継いで貴志川の自転車道の入口に辿り着いたのはすっかり暗くなった1820、真っ暗な自転車道は結構危険なのですが、ライト3灯を駆使して走る事に、ところが工事が行われていて、一般道に下りざる得ない状況に。
紀ノ川べりに出て井阪橋で自転車道に戻りますが、竜門橋南詰で辿りついたのは1920、自走も考えたのですが既に100キロ超、最終の時間を考えて、JR和歌山線の粉河駅から輪行する事に。やってきたのは乗り心地最悪の105系、しかしその105系も117系とともに3月16日のダイヤ改正から淘汰されるとか。
とにかく2日間でWAKAYAMA800のポイントを6ヶ所回って都合32ヶ所、生石山と千葉山両方を含めた残り12ヶ所はかなり厳しいです。本日の走行109.7キロ。
昨年8月から挑戦している「WAKAYAMA800モバイルスタンプラリー」、昨年11月7日に護摩壇山で26基目をGETして以来、その後は一ヶ所も回れず仕舞い、実施期間も残り1ヶ月を切って残り19基(台風禍で閉鎖中の「白崎海岸」はポイントから除外されました)を回るのはかなり厳しい状況に、南紀は18きっぷのシーズンが始まる3月を待つとして、北部で未収の何ヶ所かを回ろうと1泊2日で走りに出掛ける事に。(地図の灰色マークは履修済)
6時過ぎに桜井を出発、膝の調子は相変わらずなので無理はせず、いつもよりゆっくり目のペースで吉野口駅前を通過、重阪峠を越えて五條へ。五條新町の顔だった「餅商一ツ橋」が廃業したと聞いていたので、その後はどうなっているのか気になって立ち寄ってみますが、看板は健在で廃業を記した張り紙すらありません、知らない人なら今日はお休みなのかなと思う位、雰囲気そのままです。
せっかくですので県道731号二見御幸辻停車場線を走って和歌山県へ、未収のヘキサゲット。
JR隅田駅に立ち寄ってから、恋野橋が前面通行止の為、旧道の大和街道を走り橋本橋で左岸に渡ります。自転車道の整備、橋本橋以東も進んでいる様です、京奈和自転車道ですが奈良県は佐保川べりを少し整備しただけでどうなっているのでしょうね。九度山で暫くご無沙汰の9さんにカレンダーをお渡しします。
今日の最初のポイントはかつらぎ町天野の丹生都比売(にゅうつひめ)神社、三谷橋から県道109号志賀三谷線を登るつもりだったのですが、9さんのアドバイスで九度山からフルーツロードに取り付いた方が楽だよと云う事で、確かに見晴らしは最高ですが。
教良寺から続く激坂はやはり登らないといけない訳でして… 過去2度登っているのですが、やはり裏側から攻めるのが正解だったかな。
12時半にどうにか峠を越えて少し下りますと、天空の里の名に相応しい風景です。しかしお天気が予報の様には良くならないのと標高400mとあって寒い事。
スタンプ27個目ゲット、ここのサイクルスタンドは神社の屋根の千木(ちぎ)をアレンジしたもの。
天野には奈良和歌山には珍しい2段重ねのヘキサがあります。平日はやっていない特産品を売っているお店の一角をお借りし、五條で調達しておいた弁当でお昼に。
真国川沿いを下り梨の木峠を越えて貴志川上流域に入るのですが、現在は志賀高野山トンネルが開通しています。高野町花坂でR480に入り、紀美野町に入って「たまゆらの里」で28ヶ目のポイントを。
ポイントのある生石高原への分岐へ着いたのが1515、100キロ近く走ってきてこれからポイントのある「山の家 おいし」(標高787m)へ向かうのはかなり無理があります、やはり前半の寄り道が過ぎた様で。海南か有田で今夜の宿を取るつもりでネットで探したのですが、適当な値段の処が見つかりません。
結局、料金優先で和歌山市内のゲストハウスに泊る事に、海南からの往復が無駄ですが2,900円(楽天トラベル)は魅力です。黒江を経由する熊野街道を北上し18時過ぎに到着、本日の走行122.8キロ。
宿は築地通り沿いの「サナ・イン・タウン」、和歌山市のど真ん中、町屋をリニューアルしたゲストハウス、設備も清潔で旅人には必要充分、場所が場所だけに買い物も便利ですが、自転車を安心して置いておける場所がないので、今風のロードバイクの人とかは敬遠するかも。
さて近くの中華料理店で晩飯を食って銭湯へ行こうと歩いていたら和歌山ラーメンの店の前で、日本一周中の4サイドのキャンピングを発見、バッグは今風のオルトリーブですが、ダボスのランドナーです。声を掛けると豊田市をスタートして紀伊半島を回ってきたそうです。さて明日は何処をどう回るか悩ましい処です。
昨日に続いて齋藤電鉄さんをご案内する訳ですが、ご希望は「山之辺の道」、ただハイカーが多いので休日だとあまりお勧めはできないのですが、2月の平日ですので顰蹙を買う事もないだろうとご案内する事に。横大路と上ッ道の交差する桜井町道路元標の建つ札の辻で待ちあわせる事に。
上ッ道を北上して、まずは大神神社へ。
山之辺の道のオフィシャル?なルート、大神神社から狭井神社、玄賓庵を経て檜原神社へは、階段やシングルトラックのある山道で多少担ぎが必要です。一昨年の「第15回 あすか鍋サイク」の際も麓の箸墓古墳近くへ迂回したのですが、齋藤氏は昨日までのキャンプ装備を宅急便にして身軽になったので、こちらのコースを進む事に。
二上山をバッグに檜原神社の参道を、今回はこちら側から走ってきたのではないのですが、せっかくですので走って貰いました。
桜井市穴師(写真左)、三輪山を望むポイント、天理市渋谷町(写真右)、大和三山を望むポイントと記されているのですが、天香久山はちょっと判りにくいかな。
山之辺の道から寄り道して上ッ道沿いの大和神社へ、1キロ程西へ下らなくてはならないのですが自転車ならではの機動力です。お天気も良い事ですし、お昼はR169沿いのコンビニで弁当を調達して、山之辺の道沿いの休憩所で済ませる事にしました。
萱生町の休憩所を後にして再び北へ。
夜都伎神社。
内山永久寺跡を経て石上神社へ、ちょっと推しの入る坂もありますが、気持ちの良いシングルトラックを下る事もできます。
石上神社を後に、山之辺の道として天理以北も紹介されたりしているのですが、見るべきものもないので、天理市街からは上ッ道を北上する事にします。
レトロな雰囲気にリニューアル中の桜井線京終(きょうばて)駅へ。
京終駅から知る人ぞ知るディープな一角を経てならまちへ。奈良駅から輪行で帰途に就かれる齋藤氏とは再会をお約束してここでお別れ。私再び上ッ道を引き返し帰途に就きました。本日の走行87.2キロ。
今日は遠路はるばる東京から齋藤電鉄さんが奈良にお越しになるので迎撃に向かう事に。昨日松阪まで輪行で来られ多気町のキャンプ場でくまっぷさんと野営の後、伊勢本街道を走って来られます。榛原への到着予定が15時頃との事ですが、せっかくですので朝から少し大和高原の辺りを走りながら補足する時間を合わせる事にします。
長谷寺門前から今年初めて初瀬ダムへいつもの県道38号を、最初は登りとあって暑い位だったのですが、名阪国道をくぐると霙混じりの雪が舞っています、一旦はR369に入ったのですが、上都賀橋の三叉路から東へ逃げる事に。
県道246号馬場針ヶ別所小倉線経由でR25旧道へ戻ります。県道127号北野吐山線は奈良県道路情報に拠ると通行止になっているので県道244号毛原切幡線を回って笠間へ下ろうと考えたのですが、R25からの分岐には「大型車通行困難」としかありません、こちら側からは殆ど片峠なので踏み込んで見ると峠の直前でゲートが、休日ですし何となく通れそうな雰囲気なので突っ込む事に。
工事は法面の復旧工事なのですがほぼ完了していて問題なく通過、宇陀市側(旧室生村域)へ下りました、大和高原側より心持ち陽射しが暖かい様です、なお工期は5月末までとなっています。県道781号の旧道に突き当たるのですが、三叉路には白看が残っています、既に白看データベースにも載っているのですが、腐食がかなり進んできています。
下り基調の県道781号をかっ飛ばして上笠間へ、私の好きな風景の一つです(写真左)。ここにも白看が残っているのですが、左方向が中峯山(ちゅうぶせん)となっているのが時代の流れを感じさせます。
次の三叉路は右へ、昨年はUG兄さんと雪の中を左、笠間峠の方へ向かったのですが、今日は県道242号上笠間三本松停車場線へ。そのまま242号を辿るつもりだったのですが、うっかり「やまなみロード」の方へ、お陰で余計な坂を登らされるハメに。
再び242号に戻って地蔵峠を越えます、三本松側からだとかなりの激坂です(写真右)。R165までは下らずに旧道の阿保越伊勢街道を西へ、
古い道標や三本松村道路元標の残る宿場町の中を辿り、海老坂峠で先の「やまなみロード」の下をくぐり室生口大野駅へ下ります。時刻は1340、そろそろR368~369と伊勢本街道を走ってくる一行の時間が気になる処ですが、Facebookへの書き込みを見ていますと。
飯南粥見ローソン→仁柿峠→伊勢奥津駅→三重奈良県境→を
0900→1030→1242→1315→と走ってきている様です。
昨年9月に私とvivvaさんと宮川からの帰りに走った時は食事休憩はなしだったのですが
0855→1014→1057→1120→の後、栂坂(とがさか)トンネル東口1325、榛原墨坂神社1411ですから、栂坂峠と大内峠を避けて栂坂バイパスの栂坂~石楠花~弁財天(開路)の3つのトンネルを通ったとしても15時過ぎはかなり厳しい計算になります。
時間的に室生寺経由で栂坂バイパスと旧道とが交差する石楠花トンネルと弁財天トンネルの間まで上ろうかとも考えたのですが、合流しても寒い中をR368を榛原へ下るのも鬱陶しいので、室生ダム経由で榛原へ向かう事に。
さて室生ダム湖畔をのんびり走っていると後ろから声が、山王ことS氏が、月ヶ瀬経由で笠置まで走り布目ダム経由(ダム湖右岸も通れる様になった由)で戻ってきたとか、やはり大和高原の寒さには参ったそうです。榛原までご一緒してお別れしますが、肝心の一行は1452でまだ御杖村土屋原、1時間半は掛かる計算ですので「おごぽご」まで往復する事にして、宇陀川沿いのサイクリングロードを行きます。
「おごぽご」は野依の交差点近く、しょっちゅう行く訳でもありません、って先月も来てましたが、20何年寄せて貰ってます。ランチも良いですが、夏は氷、冬はぜんざいが私の定番。ちょうどぜんざいを食べ終わった頃にS電鉄さんから着信が、これから栂坂トンネルだとか、時間も押しているのでトンネルを抜ける様です、墨坂神社前で落ち合う事にして、宇陀川沿いを引き返します。
1640 くまっぷさんに先導されて無事到着です。
下市まで帰るくまっぷさんはここから関戸峠経由で帰途に就かれますので、S電鉄さんの伴走(護送)役をここでバトンタッチです。2月も半ばずいぶんと陽も長くなりましたが、暗くなる前に大和八木までお送りしたいので、R165西峠経由の道を急ぐ事にします。
それでも可能な限り旧道を選んで行きます。
榛原で伊勢本街道は阿保越伊勢街道と合流、近鉄大阪線と並行しながら、初瀬街道~横大路~竹内街道と真っ直ぐ西へ。
暗くなる前には無事に下ッ道と交差する八木札の辻近くの宿までお送りする事ができました、本日の走行87.2キロ。明日は山之辺の道をご案内しながら奈良市方面へ向かいます。
昨年「能登半島キャンプツーリング」の機会に少し回った「いしかわ里山里海サイクリングコース」のスタンプラリー、運良くエリアクリア賞の抽選に当たったそうで、今日その賞品が送られてきた。地元の名産品と云うことなんで、羽咋って何があるんだろうと思っていたら、金沢市大野の直源醤油の「醤油とドレッシングの詰め合わせ」、大野は北前船の寄港地として栄えた港町で、道路元標も残っているので2009年6月に訪れて「からくり美術館」とか古い街並みとかを少し回った事があります。自転車ツーリングとかでは土産物もロクに買えないのですが、印象に残っていた街の特産品が届いたのは嬉しいものです。しかし大野が竜野、小豆島とかと並んで、江戸時代には五大醤油生産地だったとは勉強不足でした。
ポイントが68ヶ所(2018年)もあるスタンプラリーは県外からはなかなかパーフェクトは厳しいですが、今年もあったら少し参加してみようかな。
ところで隣県と云うか我が本籍地和歌山県の「サイクリング王国(WAKAYAMA800)」のモバイルスタンプラリー、45ヶ所のポイントがあるのですが、昨年11月に護摩壇山を回って26ヶ所までは回ったものの、その後は滞っています、期間は来月24日までですので後1ヶ月余り、パーフェクト達成には些かお尻に火がついてきた次第。昨年9月に十津川経由で南紀へ走ったものの、2日目は雨が酷くなってきて太地でリタイア、串本まで進めなかったのが響いてます。ところで昨年秋の台風禍で閉鎖となっていた由良町の「白崎海洋公園」が再開の目処が立たないとの事で実質的にポイントから外れる事が正式に発表された様です。既に残りは「白崎海洋公園」だけになっていた神戸のタモさんはパーフェクト達成かな。さて3月1日から「青春18きっぷ」のシーズンも始まる事ですし、輪行の機動力で残り18ヶ所を頑張って回ってパーフェクト達成を目指す事にします。
※ 関連記事「石川と和歌山 2つのスタンプラリー」
昨年暮れから手をつけているホームページのリニューアル、暫定的に公開したもののその後なかなか捗りません、しかし部屋の中でぬくぬくと過ごしていると外へ出掛けると云いますか、走るモチベーションが下がったまま、その上に左膝の違和感が今一つすっきりしません、そんなこんなで今月の走行距離はまだ200キロにも達していない次第。
道路元標とかおかしなものを集めるのが好きでして「県道ヘキサコレクション」、奈良、和歌山、三重の3県ですが、新HPへの移行が完了しました、まぁ自転車で走って回った証だけみたいなものですが。奈良県は後14基、和歌山県は後10基を残すのみなのですが、ただこの中には存在しない事が判っているものが幾つかあるのです。
奈良県道12号堺大和高田線、大阪府との越境路線で奈良県側は全て国道165号線と重複してしまっています。和歌山県道734号線、これは和歌山県との越境路線なのですが、県境より高野山側は県道53号高野天川線と重複していて、静岡県にある様なヘキサの2段重ねにでもしない限り若い番号が優先されますので存在はしていません。最近はGoogleStreetViewなんて結構なものがあるので、ある程度下調べができるのですが、見渡した限りではどうやら北宇智停車場線や加太停車場線といったのも存在しない様です。
従来からこのブログのメニューからリンクしていた「リンク集」と一昨年に連載した「自撮りのすゝめ」は少し手を加えてホームページ内に移転しました。
ホームページのリニューアルでの最大の課題は道路元標を始めとするGoogleMapを使ったコンテンツ、Googleは昨年から有償化を打ち出してきて何らかの対応を迫られていたのですが、ほったらかしにしていた結果Mapが正常に見られない状態になってしまいました。「轍」のK氏は早々とOpenStreetMap他への転換を果たしたので、さてどうしたものかと色々と模索したのですが、結構力仕事になって時間が食われそうなのと、所詮は道路元標なんちゅうコンテンツを覗きにくる物好きは限られているので、300ドルの無料枠を越える事はまずないだろうし、とりあえず「峠」の移行に目鼻がつくまでは暫くこのままGoogleMapを使う事にし、とりあえずGoogleとの手続きを済ませ、少し余裕を持ってOpenStreetMapの検討をしてみる事にします。
※ 2月16日の時点で都道府県別のページでGoogleMapが正常に表示できません。
さて週末に遠来の珍客(失礼)が奈良におみえになるので、少し走る事ができます。
今日はお天気も良い事ですので、最近になって現存が確認された北倭(きたやまと)村道路元標を履修に生駒市へ向かう事にします。相変わらず歩くと左脚の調子は良くないのですが、現金なもので自転車は大丈夫なんですよね。
さて飛鳥川沿いの「大和中央自転車道」(大和郡山田原本橿原自転車道線)を北上します。「大和中央自転車道」は浄化センター公園が起点、実質的には行き止まりになっているので、生駒市や王寺町方面に抜けるには保田橋西詰から県道36号天理王寺線を少し西へ走って曽我川沿いに北上してきた「飛鳥葛城自転車道」(明日香大和高田広陵自転車道線)に入る事になりますが、この辺り案内等は全くなくて大阪方面から走りに来た人にとっては日非常に判り難い事になっています。→「奈良県の自転車道に物申す」
曽我川を渡った処でその「飛鳥葛城自転車道」に入るのですが、昨年からなにやら工事をしているなと思っていたら、どうやら県道36号天理王寺線の付け替えで新しい橋が架かるので、左岸を走っていた自転車道はアンダークロスする様です。これはこれで良いのですが、奈良の自転車道を走っていて気になるのは交通量の多い道路の交差点で信号や横断歩道の類、車道側に自転車道との交差である事を示す標識が非常に少ない事です、「ならくる」や「京奈和自転車道」も結構ですが、こう云った基本的な安全面に気配りと予算を使って貰いたいものです。
大和川に出て御幸大橋で右岸に、竜田川べりに入って北上しR168へ。桜井に暮らしているとわざわざ車の多いこちら方面に走りに来る事は滅多にないので、せっかくですのでヘキサコレクションで空白になっている幾つかの県道を巡る事に。因みに新宮市が起点のR168は昭和57年までは大和高田が終点で、昭和57年に2つの県道の昇格で枚方市までとなりました。
お天気に恵まれた土曜日とあってすれ違うロードバイクが結構います、淀川べりから奈良へ走りに来る人は、今日走るR168や県道7号がルートになるのでしょうね。
時間を取られましたが未収だった5件をGET、ただ県道250号平群信貴山線は見つける事はできませんでした、どうやらフラワーロードまで登るとある様なのですが、標高差200mを登る余裕はありません。
近鉄の生駒駅に立ち寄った後再びR168に戻って北へ、奈良盆地の南東端から北東端へ、北倭村は結構遠いです、もうポタとは云えないですね。出店交差点(写真右)を少し西へ入り橋を渡ると大阪府四条畷市、ここは淀川の支流天野川の上流になるのです。
ここまでヘキサコレクションのためにR168を北上してきたのですが、白庭台ニュータウンの中を越えて富雄川の沿って北上してきた県道7号枚方大和郡山線へ入り、くろんど池への登りに。くろんど池と云えば大阪府のイメージが強いのですが、くろんど池そのものは奈良県生駒市、れっきとした富雄川源流域なのです。
さて北倭村道路元標の建つだろうポイントまでやってきたのですが、なんと道路元標と思しき石柱は頑丈なゲートに阻まれた橋の向こう、南向きに建っていて正面を確認する事はできませんが、形状から奈良県の様式の道路元標に間違いありません、万事休すかと思いきや、地図を見ると向こうに見える北倭土地改良区の建物までは高山溜池を大きく迂回すれば「金鵄の杜倭苑」と云うコミニュニティセンター経由で行けそうです。
十数m向こうの道路元標まで2キロ近く迂回する事になりましたが、さしたる?障害もなく無事に北倭村道路元標の正面に辿り着く事ができました、都合1,079基目となります。
北倭村は明治22年町村制の施行に拠り、添下郡5ヶ村により北倭村として成立、明治30年に平群郡とともに生駒郡となり、昭和32年に当時の生駒町に編入されています。上田倖弘著「道路元標」を尋ねてによると、現在の出店橋西詰にあったとされ、戦前には失われていたかとありますが、土地改良区ができた折にでも保管されていたものがここに再建されたのでしょうね、北倭村の村域は概ね生駒市高山町となったため、北倭の名を残しているのは保育園位になってしまいましたが、北倭村成立以前の旧村名(鹿畑)が鹿ノ台ニュータウンに引き継がれている様です。
13時半、今日の目的は達成、京都府側へ越える県道65号か72号で木津川側へ越える事も考えたのですが、最富雄川沿いに最短コースの県道7号を南下する事に。
近鉄富雄駅手前までは信号や車が多くて閉口していたのですが、三松橋からは富雄川左岸の道が自転車道みたいなもの、大和郡山市の外川橋からは「奈良自転車道」と「飛鳥葛城自転車道」を継いで大和川に架かる御幸橋まで戻ってきました。
大和川べりでは御幸橋から馬場尻橋まで右岸、中街道(下ッ道)の天神橋までは左岸を行きます。R24を跨ぐために県道36号を少し走らされますが大中橋から再び大和川左岸へ、桜井まで快適なルートを走る事ができます。交通量は少ないですが、生活道路になっているので時間帯によっては地元の車が広くもない堤防上の道を行き交います、断続的にある対岸(右岸)の道を自転車道として整備してくれないものですかね。
さてくろんど池への登りを除けばインナー要らずの川沿いのコースでしたが、走行89.9キロはもうポタやないですね。
なお2019/2/3の時点で道路元標のコンテンツに埋め込まれているGoogleMapは正常に表示する事ができません。