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一昨年秋から続いていた芋ヶ峠(奈良県道15号桜井明日香吉野線)の通行止、夏から工事が始まっていて自転車も通行は無理と判断して、先週東吉野へ向かうのも車阪まで迂回していたのですが、某O氏から通れるよとの嬉しいメッセージが、早速壺坂峠で戻ってくる定番コースでも走ろうと向かう事に、ただ先週から左足に違和感があるので無理をせずにのんびり行く事に。
峠を越えるのは昨年4月28日の「月うさぎキャンプ」への往路以来9ヶ月ぶりです、車が通わなくなると、倒木も手付かずにほったらかし木っ端が散乱している状況だったのですが、取り除かれてずいぶんと綺麗になっています、但し明日香村側の苔むした路面や流れる湧水とかは相変わらずですので要注意。
通行止になっていた崩落箇所は峠を吉野側に越えて1.5キロ位下った処ですが、ご覧の様に修復されています。しかし今回も通行止になっていた期間は1年以上、新鹿路トンネルができて以来国中(くんなか)と吉野を結ぶ道路しての重要性は少ないのですが、自転車が車に煩わされる事なく安全快適に走れるコースとして維持して貰いたいものです。
千股のせせらぎ公園で一息入れた後吉野川河畔へ、先週も立ち寄った上市橋を渡ります。吉野川左岸を下って椿橋~壺坂峠で帰途に就くのが定番コースなのですが、せっかくですので吉野山方面へ。
暗くて判りにくいですが右側が1234に折り返す観光特急「青の交響曲」。
吉野駅前から県道37号桜井吉野線で吉野山へ向かいます。桜井から新鹿路トンネルを抜けて桜橋で吉野川を渡ってくるのがこの県道なのですが、如意輪寺近く駐車場付近から芋ヶ峠~吉野大橋を経由してきた県道15号桜井明日香吉野線とぶつかります。あと2ヶ月もすると桜のシーズン、如何せん人も車も一杯なのが。今の季節はすれ違う車も10台にも満たない様な、ただ平日にもかかわらずロードが3台上ってきました。
参陵トンネルを抜けます、右へ行くと中千本方面、左へ上ると上千本口に向かいます。昨年1月は雪の中を上千本口から奥千本の手前の金峯神社へ向かいましたが「雪の吉野山へ」今年のカレンダー1月の写真はその時のものですが、今日の様に静かな吉野も良いものです。
勢い上千本口まで上ってきたのですが、雪も桜も紅葉もなければこのまま行っても仕方がないので中千本まで下り馴染みの「静亭」でお昼にします。初めて寄せて貰ったのは2001年8月26日、当時は先代の女将さんでした、洞川からの帰り乾さんやUG兄さんの姿が見えます、なんと懐かしい。
馴染みと云ってもそうしょっちゅう寄せて貰う訳でもないのですが、それに桜の季節の吉野山は車は入って来ないものの自転車でも押し歩くの精一杯、お店も一杯でなかなか入れません、したがってお店のなかから桜を見た事がない次第。
以前は裏メニューだったと思うのですがネェ… 特盛り+αで満腹に。
「静亭」を後にして吉野山内を蔵王堂から吉野神宮へ下ります、桜のシーズンは勝手神社から県道257号才谷吉野山線に入って途中から脳天さんに下る(路面悪し)か、才谷から下市に抜けるのがお勧めです。こちらの方の県道15号はいまだ通行止ですので、椿橋へ向かうには少々回り道ですが県道167号線を下ります、なお復旧工事は始まっています。
吉野川左岸の県道39号五條吉野線を走り椿橋を渡ります。
壺阪峠への道を行きます、大淀古道と呼ばれる歴史のある道です、安産の滝からの木立の中の道が夏は心地良いですが、猪に遭遇した事もあります。
1507 壺坂峠を越えます、無理せず半日走る位のつもりで出掛けてきたのです、結構良い時間になってしまいました、明日香村経由で暗くなる前に無事帰投、本日の走行60.2キロ(明日香村スタートなら50キロ位かな)、距離の割にはくたびれました。
かねてよりリニューアル中のホームページ、いつまで触っていてもキリがないのでとりあえず公開しています。ホームページを最初に作ったのが1997年、まだ日本ではブログもSNSも無かった頃(mixiは2004年)ですからね、1997年と云えばそれまでのパソコン通信に翳りが見えてきて、アスキーネットと私の参加していた日経mixが終了した年、1995年にテレホーダイが始まって夜中ならINS64の常時接続が使える様になって、プロバイダやレンタルサーバーとか個人でもホームページを持てる様になって、コミニケーションツールとしてBBSが賑やかになってきた頃かな。自転車関係のホームページではナワさんの「自転車・峠おやじ」(1996年)、乾さんの「ランドナー補完計画」、故門岡さんの「自転車ツーリング再生計画」、輪童さんの「自転車散歩」、駒井さんの「サイクル紀行」、skuramさん、布目さんと次々と登場してきました。
最初の頃の開発ツールはIBMのホームページビルダーだったかと、その後Microsoft FrontpageからMicrosoft Expression Webと使ってきていたのですが、ここ数年は「道路元標」と「ツーリングの記録」のアルバムを更新するだけで、もっぱらブログが中心になってしまいました。2004年5月にNTTデータが実験運用を始めたサービス「doblog」でブログに手を染めたのですが、2009年2月に障害発生、まともに復旧できないまま5月にはNTTデータとあろうものがサービス終了と頓挫、急遽契約しているXServerで使えたMovableTypeに移転、諸般の事情で2017年1月にはWordpressに乗り換えて、ブログの方は今に至っているのですが。
さて前置きと云いますか昔話が長くなったのですが、陳腐化したホームページをいつまでもほっとけません、昨今はWordpressとかでホームページまで作ってしまうのがトレンドな様ですが、それはちゃうやろと云う気持ちがあって、Expression Webでの開発に拘っていたのですが、最新のExpression Web 4の画面を眺めては溜息がでるだけで、どうにも重い腰があがりません。結局はブログで慣れているWordpressでやっつけるのが最短コースかなぁと云う結論になります。今やWordpressで何かしようとするば、適当なテーマを見つけてやっつけるのが常套手段、無償のテーマで充分満足の行くものが作れるはずです、ただこの適当なテーマを探す作業も結構大変なんですが、結局は今風に格好良くて、実績、定評、情報の多いSidneyに決定、どうにかここまでやっつけたのですが、プラグインてんこ盛りで複数のエディタを使わなければならないとか、操作性は決して良くないと云うのが正直な感想です。
アドレスは https://canpal.xsrv.jp/wp2/ 従来のhttps://canpal.info/hp からリダイレクトしてあるのですが、この辺り今後どうしたものかと。「道路元標」や「ツーリングの記録」「Selfy Photo」を始めとするJalbumを使ったアルバムと云ったコンテンツは従来の場所へリンクして、すなわちWordePressをランチャにして従来のコンテンツに飛ばしているだけなんで、その辺りでデザインの統一感がないのも致し方ないと云うか、テーマにSidneyを使ったのはトップのスライダー画面のためだけと云われても仕方ありませんが。
と云う訳であちこちで工事中になってますので悪しからず。GoogleMapのサービス変更でマップがまともに見られなくなっている「道路元標」をどうするかとか「峠」はともかくフレーム構造を引きずっている「紀伊半島の道」と云ったコンテンツをどうするかとか問題は山積みです。当面は中身よりちょっと見かけだけのホームページになりますが、どうぞ長い目で見てやって下さいませ。
今日は暮れから手を付けているホームページのリニューアルも目処かついた事ですし、久しぶりに東吉野方面に向かう事に、しかし今日走らんで何時走るねんと云う位の良いお天気です。
ただ東吉野への定番コースである芋ヶ峠が通行止のため、迂回して吉野口駅前から阿太を越えて車坂峠から吉野川河畔に下ります。壺坂峠と云う手もあるのですが、どうも北側から登るのが好きになれません。
和歌山方面への定番コース県道120号線、奉膳(ぶんぜ)の踏み切りに捕まると、やってきたのはリバイバル塗装の6020系。
車坂峠へはR309が最短なのですが、薬水拱橋(土木学会選奨土木遺産)をくぐって弘法大師所縁の「薬水の井戸」の横を通って登って行く古い道を行きますが、谷を挟んだ南側はニュータウンの中にできた南奈良総合医療センターの建物やらで風景が一変してしまいました。R309を走るより余計に登らなくてはならないのですが、車のやってこない道をのんびりと往く事ができます。
下市のオークワでお昼の弁当を買っていたら時間は10時半、そろそろ吉野線の観光特急「青の交響曲」がやってくる時間、上市橋から狙ってみる事にしたのですが、半逆光で普通車と変わらないシルエットなので、今一つだったかな。
宮滝の柴橋までは吉野川左岸の県道39号五條吉野線を。
窪垣内までは右岸のR370を、私が距離の誤表記を指摘した「なるくる」の標識、訂正シールは消えつつあります、まぁ「なるくる」も既に消えたも同然ですが。
1237「ニホンオオカミ像」に到着。
お馴染みのパン屋さん「麦笑」に到着、持ち帰りのパンを2つばかり。それとカレンダーをお渡しします、実は今日の東吉野サイクは昨年12月に配りに回れなかったカレンダー配達のミッションでもあるのです。
冬季休業中のお蕎麦屋さん「よしの庵」はポストにカレンダーを届けてさらに北上、1354高見山の見えるポイントまでやってきました。ところでR166旧道の通行止ですが3月28日までとなっています、谷尻(たんじり)方面へは相変わらず東へ1キロばかり迂回しなくてはなりません。
1445、標高600m超の一谷峠に到着、しかし今年は雪が少ない様で、この辺りでも降っても積もるまでには至ってない様です。
一谷峠を下り、昨年東吉野村谷尻から宇陀市菟田野岩端(いわはし)に移転した「月うさぎ」へ、場所の関係でキャンプはできなくなりましたが、立派な古民家カフェになりました。
16時過ぎには野依の「おごぽご」まで下ってきました。陽射しがあると結構暖かい一日でしたが、この時間になって下り基調の帰途になると結構寒くなってきました、濃厚ぜんざいで暖まって女寄峠を下ります。迂回したので桜井へ戻ってきた時点で100キロ超かなと思っていたのですが、明日は雨模様との予報ですので「麦笑」のカンパーニュのお裾分けに「4’Season」まで往復して、本日の走行距離100.7キロ也。
寒い日が続きましたが、今日は1日晴マークで暖かいと云う事ですので、郡山まで献血にポタリングも兼ねてのんびりと走る事に。八木から中街道(下ツ道)を北へ、橿原市から田原本町にかけて少々車が多い処もありますが、旧街道とあって概ねのんびりと走る事ができます。
中街道は近鉄橿原線と国道24号線の間、古くからの集落を継ぐ様に北へ、ほぼ東西に流れる大和川を渡ります。
天理市二階堂、この三っ辻を右(東)へとると丹波市から石上神社へと辿る事ができます。この辺りから県道192号線筒井二階堂線となっています。
近鉄天理線を跨ぎます、正面に見えているのは京奈和自動車道の高架、ただ下ッ道ジャンクションの進入路が邪魔していて、少し迂回しなければなりません。
中街道(下ッ道)はさらに北上するのですが、この先環濠集落のある稗田あたりからルートが曖昧になってしまいます。県道も左折して菅田神社の鳥居をくぐって郡山へ向かうので、この先では近世以降国中(くんなか)を南北に結ぶルートとしての機能は失われていたのかも知れません、佐保川の流路の変化が影響しているのかも。少し寄り道して菅田神社の境内へ(写真右)。
菅田神社の北側を巻いて三郷橋で佐保川を渡りますが、一昨年(2017年)10月に京奈和自転車道の一部として県道280号大和青垣自転車道が4.4キロ供用されここ三郷橋西詰が現時点での南端なのですが、その後の進展はない様で、まるで佐保川河岸の造りやすい処だけ造った様な按配です。ブルーラインには「京奈和自転車道 和歌山港まで118キロ」と記されていますが、確か2020年完成とかただ奈良県下の他の区間は手付かず、和歌山県に入ってJR和歌山線隅田駅近くまで直線距離でも30キロ以上、ブルーラインはおろか案内の類は見られません。今日はその自転車道には入らずに県道筒井二階堂線を辿ります。なお京奈和自転車道を辿った時の記事はこちら→「走り納め ~京奈和自転車道~」
県道から少し離れて、筒井の集落の中にある五輪塔覆堂(重文)、「洞ヶ峠」で日和見の代名詞の様になった筒井順慶の墓所です。
西名阪の高架をくぐって少し北へ、三つ辻の南角になる道標、大正13年と古いものではありませんが「右 長安寺 平端村役場所在地 電車停留所近道 左 二階堂田原本八木」とあります、左は正に今私が辿ってきた道なのですが右の停車場とは、初めて見た時に天理軽便鉄道の事かと思ったのですが「大正13年」と「電車」の文言から大正11年に平端まで延伸した大阪電気軌道畝傍線(現在の近鉄橿原線)の平端駅の事なんでしょうね。
再び北上して国道25号線との交差点が県道筒井二階堂線の起点となっていますが、筒井村道路元標が歩道の真ん中に建っています、このまはま北へ行くと「城之口餅」の「菊屋」の前まで行くのですが。
今日の目的地は筒井駅西側のこちら、意外に混んでいて成分献血は待ち時間が、現役時代はなかなか献血なんて余裕はなかったのですが。粗品とか豪華にすると「売血」の悪いイメージがついてくるのですが、あの何の役にも立たない記念の「盃」どうにかしてくれないかな。
郡山まで来た事ですからお昼は「とんまさ」「菊屋」と回りたい処なのですが、結構時間をくったのと、予報に反してお天気は曇り模様に、陽射しがないとテンションも上がりません、今日はここから帰途に就く事に、国道25号線を少し東に走って筒井橋西詰で京奈和自転車道に入ります、国道25号と西名阪にはご覧の様に立派なアンダーパスが整備されています、こんな事に金をかけずに佐保川の河川敷に下りて既存の橋の下をくぐれば良い様なものです、自転車道故に増水時に利用する状況もないでしょうに。ほんと金の使い方間違ってますよ。
現状来しなに通った三郷橋西詰までしか供用されていないのですが、せめて近鉄天理線と橿原線をくぐって大和川の対岸の大和中央自転車道(奈良県道273号大和郡山田原本橿原自転車道線)に繋がる処位まではなんとか整備して貰いたいものです。
※「全長75キロ、奈良県縦断サイクリングロード整備へ」
はっきり云って奈良県の自転車道施策のお粗末さには辟易しているのですが。→「奈良県の自転車道に物申す」
おっと新三郷橋から三郷橋まで護岸工事で通行止、自転車道整備の時に一緒にできなかったのでしょうかね、まさにお役所仕事の典型。
今日は木津川サイクリングクラブと大和川サイクリングクラブ(以下CC)、奈良県サイクリング協会の行事で京都府綴喜郡井手町の高神社まで、題して「初詣 安全祈願サイクリング」、ご自身もサイクリストである山本宮司によるお祓い受けさせて貰えます。一昨年も参加させて貰ったのですが、この季節なかなか走りに出掛けるのが億劫になり、やりかけのホームページのリニューアル作業もある事ですし、ぬくぬくと部屋の中でパソコンを触っている方が楽な訳でして、参加表明を躊躇っていたのですが、今年はまだNちゃんにカレンダーをお渡しできていないので、流れ橋で待ち合わせのメッセージを入れた処、幸い来て貰える事になり、ようやく重い腰を上げる事ができた次第。
流れ橋までは2時間半程の行程、今風のロードバイク主体の両サイクリンググラブの行事にはロードで出掛ける事が多いのですが、erbaは整備中と云うかバラしてほったらかしの状態、やむなくasukaで出動する事に、ヘルメット着用がお約束ですのでどうもしっくりきません。なお今回は先日UG兄氏から格安で譲って貰った、キャラダイスのネルソンロングフラップを装着して行く事に、15~18リッターとシリーズ最大容量だけにデカい。ロングフラップは三脚を横置きにして巻き込む事ができるので重宝すると期待しているのですが。
2015年には桜井から40往復もした流れ橋、上街道から奈良阪を越え木津川の自転車道と勝手知ったるルートなのですが、のんびり正月気分で上街道を流していたら、奈良市街を通過したのは10時過ぎ、お約束の11時にはとても間に合いません、とにかく20分位遅れる旨のメッセージを入れたのですが、井関川沿いの道が関西線の踏切前後で通行止、その上自転車道に入ったら思いっきり向かい風に、これでは20分どころか30分すら危うい事に。
結局、流れ橋まで後1キロ程の処で、痺れを切らしたNちゃんが心配してお迎えにやってきてくれました。一昨年8月の「北の海へ Part.Ⅱ」以降、昨年となかなかご一緒する機会がなかったのですが、色々とツーリングプランを相談しておきました。
さて「初詣 安全祈願サイクリング」の方の集合時刻は1330、追い風に乗ってあっと云う間に集合場所の木津川グラウンド駐車場へ戻ってきました。木津川CCのイベントには年に1度参加させて貰うか貰わない程度ですので見知った顔を少ないのですが、NLCのOさんと「第11回月うさぎキャンプ」以来のK氏を発見。ただ先日の名古屋の「新春ラン」とは正反対でマッドガード装着車は2台のみとは些か寂しい次第。一昨年はペンギンのお二人がおられたのですが。
井手町の高神社まで直線距離では10キロにも満たないのですが、車の少ない道を縫って行きますが、途中時折霙の降るお天気に。標高70~80mとは云え山の上にある神社ですので、最後は登りが待っています。
柏原市役所集合で走ってきた大和川CCの面々も既に到着。お祓いの後、お札やお菓子を頂いたりして記念撮影。
木津川CCと大和川CCを合わせると100名の大所帯です(写真左)。大和川CCのみの集合写真は私が(写真右)、昨年不慮の死を遂げた大塚親分の姿がないのが悲しい限りです、2017年の写真。
お神酒を振舞う臨時の巫女さん。
今年も奈良の「一丁焼こたろう」さんが出店されているのですが、なかなか「たい焼き」が焼き上がらないのでなかなかあり付く事ができませんので、ぜんざいをば。
「初詣 安全祈願サイクリング」はここで流れ解散と云う事になりますので、1520高神社を後にし帰途に就き18時過ぎに無事桜井に帰投しました。本日の走行118.0キロ、新年早々100キロ超、でも昨年も出だしだけは良かったのですがね。
(Photo おつねさん)
今年で24回目を迎える名古屋の新春サイクルミーティング、「サイクリストクラブはづき」さんとカトーサイクルさんの共催で毎年正月3日に愛知県豊田市の「昭和の森」に集合し行なわれています。 参加資格はマッドガード付きである事、ロードにプラスチックのガードを付けたなんちゃってガード付きもいますが、大半はランドナーやスポルティーフが中心です。2008年から毎年お邪魔させて貰っていますが、「はづき」の皆さんやなかなかご一緒する機会のない中京地区の皆さんともお逢い出来るのが愉しみです。
ほぼ毎年「昭和の森」へはUG兄さんの車に迎えに来て頂いているのですが、今年は2日に大阪の実家へ自走で帰ったので、3日の早朝に大阪市内から八尾まで自走し合流、いぬいさんを含め3人で「昭和の森」へ向かう事になりました。寄り道なしで藤井寺ICから西名阪~名阪~東名阪~伊勢湾岸~東海環状と継いで豊田藤岡ICまで、休憩込みで2時間余りで着いてしまいました、お約束の時には2時間近く早かったのですが、それでも見知った顔が既に到着しています。
そうこうしているうちにあちこちから愛車を積んだ参加者が次々と到着します。
お約束の10時になりましたので主催者のご挨拶、今回の参加者は70~80名程とか、新春の挨拶だけにわざわざ来られて帰られた御仁もおられます。
お愉しみの抽選会と記念撮影。
抽選会と記念撮影の後、サイクリングのスタートまでの間にそれぞれのグループで食事を囲むのが恒例になっています。今回もUG兄さんが具沢山のカレーチーズ鍋を用意してくれました。
さて12時が近づいてきましたらさみだれ式にスタートです。サイクリングのコースは「昭和の森」をスタートして北東へ、矢作川河畔へ越えて三河広瀬駅跡から矢作川左岸を加茂橋まで遡り、東海自然歩道をたどる通称「けいぞう峠」を越えて戻ってくる25キロ程のコースです。年によっては南コースと云うのもあったのですが、ここ何年かはこのコースが定着しています。
今回寂しかったのは女性の参加者が2名だけだった事、初参加の彼女はベレーにブーツスタイルがお洒落です。
25キロ程のコースですが自転車談義のための休憩タイムがたっぷり3回はあります、まずは廃線になった名鉄三河線の三河広瀬駅跡にて。
参加車の全てではないのですが、私ならこの手の写真は撮っているうちに訳が判らん様になってしまいますので、乾さんのブログから拝借してきました、詳しい画像はどうぞそちらの方で。
矢作川左岸の県道を遡ります。昨夏は飯田から三州街道を経てこの道を浄水駅まで走ったのが懐かしいです。
加茂橋で再び矢作川を渡り「川澄屋」前へ。(Photo : 乾さん)
さすがに「川澄屋」には全員が入る事はできませんので、お店の周りが異様な事に。
「けいぞう峠」への登りでは、今年も木の上に陣取ります。
「けいぞう峠」からぼ激下り。
最後の休憩ポイント。
14時半過ぎには全員無事に「昭和の森」に戻ってきました。(Photo : 乾さん)
ご挨拶があって一応の解散の後、恒例のカフェのオープンです。来年は25周年とか、参加できる事を愉しみに2019年スタートです。
なお集合写真を含む写真を順次アップしております「ツーリングの記録」→「2019」からご覧下さい、参加の方は再利用して頂いて結構です。なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧頂けません。ログイン名は’2019’、パスワードは2019年CanCan謹製卓上カレンダーの裏側右下の4桁の数字です、なお2018年のログイン名、パスワードの組み合わせも2019年3月末まで利用可能です。(2017年以前は不可)