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大隅半島キャンプツーリング2022(3日目)

鹿児島県肝属郡錦江町 神川ビーチにて


 今日も良いお天気です、真夏だと陽が登ると暑くてやってられないのですが、10月ともなるとのんびりと撤収作業を… いやちょっとのんびりし過ぎ。
 神川ビーチは桜島と開門岳の両方が見えるのも売りにしているのですが、正直云ってどっちも中途半端、特に桜島は海岸線に隠れて全容は見えません。

 神川キャンプ場を後にしたのは8時、それが立ち寄るつもりだった「神川大滝」の事はすっかり忘れていました。海岸に沿ってR269を北上するのですが、結構なアップダウンです。展望塔のある「錦江湾パノラマパーク」で一息入れていると、同じモニターツアーで来ているロードの一行が気持ちよさそうに下ってきます、暫くすると出口さんと角野さんも、さてどこまで南下するのかな。県道68号に入り昭和62年国鉄民営化と同時に廃線となった国鉄大隅線のガードの下をくぐります、塗り直されているのか廃線の鉄橋と思えませんが。(写真右) 

 大隅高須駅跡、廃線跡は「フィットネスパース」と云う自転車歩行者専用道路になっています。前回2019年には垂水市から廃線跡に沿ってここまで南下してきました。


 駅跡から廃線跡の自転車道を鹿屋市街へ向かいます。大隅半島東岸に沿う高隈山地の南端が丁度この辺りで、佐多岬へと続く肝属山地との間は半島を横断するには一番標高の低い部分になっていて、一番楽に志布志方面へ戻る事のできるルートです。なお大隅線の前身の南隅軽便鉄道は港のあった高須から大隅地域の中心地だった鹿屋の間が最初に開通しています。

 自転車歩行者専用道路と云っても利用者の殆どはランニングやウォーキングの人で、所々落ち葉に埋まっている様な部分もありますが、切り通しなど廃線跡を感じさせる道筋が続き緩やかに登って行きます、昨日鹿屋へ向かうこにたんさんにこのルートを教えたのですが、荒平天神まで行っているので「フィットネスパース」への入り口を見つけられなかったのか、反対向きに走ってしまったのか。

 標高70m程で鹿屋市郊外の住宅地と云った趣の中の大隅野里駅跡へ、残念ながらこの先は車止めが多くて自転車には走りづらいのですが、一般道が並行しています。今回は鹿屋航空基地の南西端で左折し市街へ向かいます。

 海上自衛隊鹿屋航空基地の中にある鹿屋航空基地資料館、回りに所縁の航空機が展示されてます。「CanCanさ~ん!」と呼ぶ声、どうやらこにたんさん達も来ている様です、帰りのルートをどうしようかと迷っているとか、来る時はR220だったそうですが、地元の人に聞いてもやはりR220だと云われるそうで、夕方に志布志を出るフェリーに乗らないといけないサイクリングの女性2人に尋ねられたら、それ以外に答え様がないですよね。
 私の予定はルート探索を兼ねて肝属川沿いに下り、昨日のコースと重ならない様に途中から前回しくじった廃線跡を辿るつもりだったのですが、結果的にお二人と一緒に志布志までの帰途に就く事に、クロス、キャンピング、ミニベロの珍道中。(写真 : こにたんさん)

 鹿屋航空基地は鹿屋市中心市街の西側の高台にあるので、取り敢えず鹿屋駅跡の方に下ろうとして早速ミスコース、なんと「神徳稲荷神社」の前へ、これも御導きと見学を、ガラス製の鳥居と云い、何とも面白いお稲荷さんです。

 国鉄鹿屋駅跡の鹿屋市鉄道記念館、キハ20とかつての大隅線の各駅の駅名標が並んでいます。後で知ったのですが、廃線前鹿屋駅前後はΩ状に線路が敷かれていて、今もその跡を道路で辿る事ができます。Ω状になっているのは標高を稼ぐためのものだとばかり思っていたのですが、大隅鉄道時代の鹿屋駅はスイッチバッグ状になっていて、国有化後改軌とともに折り返しをしなくてよい様に付け替えてしまったのだとか。
 鹿屋駅跡から廃線跡の自転車道を少し走り、肝属川の支流下谷川を渡った処から右岸を走るとすんなり肝属川にでる事が。とにかく志布志港に15~16時の間に戻らなくてはなりません、万が一にも乗り遅れると自腹で帰らなくてなりません、帰阪が火曜の朝になっても構わない人は明日の「さんふらわあ」でしょうが、少しでも早く帰らないといけない人には、輪行袋を手に入れて鹿児島で1泊、明日の新幹線と大変な出費になってしまいます。その上台風被害でJR日南線は一部運休で南郷以南がバス代行、でも南郷まで走って日南線で宮崎回りする位なら、都城へ走った方が得策、とにかく船に乗り遅れると大変な事になる訳です。
 さてお二人のペースも判りませんし、距離的には多少遠回りにはなりますが、昨日走った肝属川沿いと海岸よりの道を走るのが賢明かと。

 肝属川沿いに走ると広々とした風景の中、車は来ないし、信号もない快適コース、ただ途中には食事のできる処かコンビニすらありません。しかも肝属川べりは河口に近づくにつれて向かい風が強くなります、まして抵抗の大きい4サイドでは油断をすると13km/hまでスローダウン。どうにか柏原海岸まで帰ってきて暫しトイレと自販機休憩。その後昨日同様に防砂林の中の道へ、一本道なので先頭を交替して貰い牽いて貰うつもりが、途端に20km/h超、そうお二人はE-Bikeだったのです。志布志市域に入りR448からR220へ、さすがにこのまま昼飯抜きではと、夜のバイキングまでの虫養いにファミマへ突撃。

 ともあれ 1452 無事に志布志港に到着、既に何台かは戻ってきてはいるのですが、佐多岬でキャンプをしていたT君は大丈夫かな。
 さて今回の参加条件にアンケートへの記入があるのですが、前回より進歩してネットでの回答なのですが、結構なボリュームがあります。

 1548 出口さんと角野さんも無事到着(写真左)、Tさんも無事に佐多岬から帰ってきました(写真右)、しかし皆さん与えられた時間目一杯走ってますね。前回と云い余裕で志布志に帰ってきたと云うより私が心配性なのかな…

 乗り遅れる人もなく参加者全員が無事に乗船できた様です。帰りは船が変わって「さつま」で3階甲板にサイクルラックが用意されていて、ラックに掛けられないキャンピングやミニベロは柱に固定して貰う事に、フェリーではそれが当たり前の光景だったのですがね。

 昨日に比べて坂と云える様な坂はなかったですし、距離も僅かに短いのですが些か疲れました。船室に上がると速攻で風呂に入ってバイキングの夕食に。本日の走行61.2キロ。

 

※ こにたんさんこと京猫さんのブログ

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大隅半島キャンプツーリング2022(2日目)

鹿児島県肝属郡錦江町 神川キャンプ場にて

 志布志行きの航路、今の季節ですと宮崎沖で明るくなり、右舷側では日南海岸から都井岬を望む事ができます。志布志港に着くのは0855ですので、朝食バイキングとか、サイクリストにはゆっくり過ぎる朝を過ごします。

 自転車が下船できるのは乗船とは逆に最後で、そのから参加者が全員揃った処で記念写真を撮ってからのスタートとなります。フロントバッグは西大寺の自転車工房「Delft」製のお揃です。(写真左)

写真提供 : ヴァンズ凸


 志布志港から皆さん思い思いのコースで走り出します。出口さんと角野さんは3年前に私が行けなかった中茶屋公園経由で垂水市へ、「大和川CC」の4人は雄川の滝経由で「財宝」がやっている垂水市の宿へ、「ゆるゆるCC」のこにたんさんは鹿屋市の宿へ、「自転車キャンプツーリングを愉しむ会」のT君は今時のパッキングとは云えなんと佐多岬でキャンプ。港から一人旅の私は市街に寄り道の必要もないので10時過ぎには志布志を離れ、R220からR448へ、R448へ入ると交通量は少なくなり走り易くなります。ほぼ先頭を走っていたのですが、足の違いで休憩していると次々と抜かされてしまいます、R448を南の方へ行くグループが多い様ですね。
 東串良町に入った処で海岸寄りの防砂林の中の道へ、海側の展望は殆どないのですが車の殆ど来ない道を数キロ走る事ができます。柏原海岸沖の人工島には志布志国家石油備蓄基地があるのですが、タンクは全くと云って良い程見えません。なお柏原海岸には休憩所やキャンプ場があります。


 肝属川河口から支流の姶良川を経て吾平山上陵まで約20キロの県道東串良吾平自転車道線(肝属川河畔自転車道)が通じているのですが、先日の台風で河川敷の区間がご覧の有様、堤防上を河川管理道路が通じているので、そちらを走らせてもらいます。

 自転車道の案内板と分岐とかで路面の案内が幾つかあるのですが、四阿やベンチと云った設備は見かけませんでしたし、日陰が全くないので夏場はちょっと大変かも…


 支流の姶良川べりへと入り前回2019年には端折った「吾平鉄道記念公園」へ立ち寄ります。元の大隅線吾平駅跡地で、かなり傷んでいますがキハ20とヨ8000が保存されています。
 写真は「吾平麓の田の神」九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部には田の神(タノカンサァ)と呼ばれる石像が多く残っていて、年代の特定できたものだけで100以上あり、なかなかユニークな姿のものもあります。
 海岸沿いから川べりと走ってきたのですが、R220を離れてからはコンビニの類は全くありませんでしたので「吾平鉄道記念公園」の近くでファミマに立ち寄り補給、ここを外すと錦江湾側に出るまで補給はできません、自販機も関西の感覚からすると少ない様です。
 自転車道は支流の姶良川沿いに、ここまで来て地元ローディとすれ違います。さらに支流の苫野川沿いの県道561号神之川内之浦線に入り自転車道とはお別れです。ところが県道は途中で通行止、迂回路の標識が判り難く行き過ぎて引き返した上に激坂を登らされる事に。
 今回神川キャンプ場まで神川大滝経由と雄川の滝経由の2つのプランを考えていたのですが、雄川の滝が下流側から滝壺への遊歩道が通行止になっているとの事で神川大滝経由にする事にしたのですが。県道68号鹿屋吾平佐多線から肝属グリーンロードへの道、標高で200m程度の山越えなのですが、4サイドには結構堪える道筋です、10月に入ったとは云え結構暑かったですしね。広域農道の様な肝属グリーンロードと並行する旧道もある様なのですが、ルートファインディング不足で踏み込めませんでした、宿利原農村公園の四阿で一息入れてルートは錦江湾に向かっての下りへ、神川大滝は明朝にでもと端折って神川キャンプ場へ。

 16時過ぎには影絵のモニュメントとかで人気の「神川ビーチ 影絵の祭典」に到着。

 前後して鹿屋泊りのこにたんさん一行と「大和川CC」のHさん一行が神川ビーチに。しかしこにたんさん明るいうちに鹿屋へ戻れるのかなぁ、Hさん一行は宿に18時に入らなければならないのに… この先アップダウンがあるのに、皆さん目一杯走っている様です。
 神川キャンプ場、料金は1人1張で1,500円也、週末とは云え十数張程度で余裕があります、ただ国道と海岸の間で車の音が結構煩いのが、国道を挟んでローソンがありますし、ベンチとかをテーブル代わりできるのでもっと荷物を絞れたかと。錦江湾を挟んで開聞岳がかすかに見えます、写真を撮ったりしながらのんびりテントの設営を。本日の走行57.4キロ。
 一旦休んで23時頃目を覚ましてごそごそしていたのですが日付の変わった 0003 スマホに緊急地震放送が、暫くして揺れが来たのですが、大隅半島東方沖でマグニチュード5.8の地震が、宮崎市では震度5弱だとか、海岸だけに津波の心配が、有線で「おおじしん」と放送が流れます。「津波の心配なし」が出るまで4分間、貴重品と自転車だけで逃げる段取りを考えていましたが、旅先で災害に出遭う事を考えるとぞっとしますね。

※ こにたんさんこと京猫さんのブログ

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大隅半島へ船の旅

 この週末は台風襲来で色々と計画が吹き飛ばされて残念な事になりそうですが、先月ご紹介した大阪南港から九州志布志港まで往復タダで連れてって貰える企画「目指せ!自転車の聖地 大隅半島を走ろう!!」、先日「現地1泊プラン」9月30日~10月3日の日程で当選の連絡を受けました、3年前は一部定員割れしていたそうなんですが、今回は「現地1泊プラン」も「弾丸プラン」も定員の25名を上回る応募あったそうで、抽選の結果「ゆるゆるCC」の方から4名応募して2名が、私の聞いた範囲ではFacebookの「自転車キャンプツーリングを愉しむ会」の方で1名、「大和川CC」の方では4名が当選している様です、前回は見知った顔が全くいなかったので往復の船の旅は些か寂しかったのですが、今回は賑やかな事になりそうです。ただ私同様にキャンプツーリングの予定で申し込んでいたタックさんが外れたので現地では前回同様ソロツーリングになりそうです。
 前回の2019年10月は道の駅「すえよし」を回らなくてはならないと云う条件があったので、志布志から半時計回りに旧国鉄志布志線の廃線跡に沿って北上してから錦江湾沿いまで走り、桜島の見える道の駅「たるみず湯っ足り館」でゲリキャンして翌日には同じく一部が自転車道となっている大隅線の廃線跡を辿って志布志港へ戻りました。今回も現地での時間を考えると佐多岬は少々難しいので、飫肥や都井岬を考えてみたのですが、鹿児島県大隅地域振興局に主催して頂いているのにそれはないだろうと、前回見えなかった開聞岳を期待して根占方面へ向かう事にしました。ただ復路は前回同様としても往路はR448でしょうかね、鹿児島県道74号内之浦佐多線なんて魅力的な険道もあるのですが…
 ここからは前回の反省と参加される方には船旅で参考になりそうな点をご紹介… 
 前回志布志港到着後、自転車の下船が最後だったり出発のセレモニーがあった上に志布志駅や志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所に立ち寄ったりしたものですがから、結局志布志を離れたのは11時前になってしまいました、翌日帰りの便に乗り遅れると大変ですので、余裕を持って志布志に戻って来なければなりません、その辺りを考えると「志布志…」は志布志に戻ってきてからにしておけば良かったのですね。
 今回も私は4サイドで行く予定にしています、5月の「琵琶湖キャンプツーリング」で破損してリアのサイド枠がそのままなのですが、ショコラさんの応急処置が完璧なんで、取り敢えずこのまま行こうかと…

  「現地1泊」組は往路と復路で船が変わります、前回は自転車の積載方法が行きと帰りでは違いました、往路はマットの上に寝かせ、復路はバイクラックでした、これは天候によって変わったのかも知れませんが、なお4サイドの私は壁に立て掛けて固定して貰いました。もちろん航行中に車両甲板には入れませんので、船室での1泊や入浴される方は予め荷物を揃えておいた方がが慌てずにすみます。
 前回2019年10月はコロナ禍の前で船内のレストランはバイキング形式だったのですが、その後なにやら弁当になった時期もあった様ですが、今はどうなんでしょ。写真はフェリーさんふらわのプライベートベット、もちろん個々にコンセントがありますので充電等が可能です。
 クリートシューズでなくても重宝したのが、WORKMANのスリッポン、ソールや踵が柔らくて使用しない時はコンパクトになります。それでも今時ロードの人には現地で走る時には余計な荷物ですよね、志布志港にはコインロッカーがあったと記憶しています。なお昨年から部屋に備え付けられていた共用スリッパも廃止されている様です。

 ところで志布志行きのフェリーさんふらわの出港する「大阪南港コスモフェリーターミナル」へのある南港北へは2本の海底トンネルと2本の橋が架かっているのですが、うち3つは自転車(125cc以下の単車や軽車両、歩行者も)が通れないので、ニュートラムかバスで輪行しない限り自走で行くには南側の南港大橋が唯一のルートなんです、私の様に奈良から大和川に沿って行くにはどうって事はないのですが、大阪市の中心部や北部から走られる人には結構遠回りなんですよね、それと南港大橋の西側はとても乗っては登れない写真左のスロープが、ただ東側は写真右の様になっています。写真はいずれも北から南に向かって撮っています。
 さて後2週間、走るコースをあれこれ考えるのも自転車ツーリングの愉しみです。
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今回も申し込んでみようかな

 3年前とある企画に乗っかって参加した九州鹿児島は「大隅半島」へのフェリーの旅、今年も同様の企画で「目指せ!自転車の聖地 大隅半島を走ろう!!」があるとの知らせが、なにしろ大阪南港から志布志港まで往復タダで乗せてもらえる美味しいお話ですからね。
 前回は志布志港を出発して1987年に廃線となった旧国鉄志布志線の廃線跡(一部自転車道)に沿って北上してから桜島を望む錦江湾べりまで西進、桜島の見える道の駅でゲリキャンの後、同様に旧大隅線跡に沿って志布志港に戻る現地1泊2日170キロ余りのキャンプツーリングでした。もし参加できたら前回は県道通行止で行けなかった「中茶屋公園」にリベンジしても良いですし、1泊2日で佐多岬は少々厳しいですが、都井岬とか2011年に訪れた飫肥とかを巡っても良いかも。まぁ抽選なんで捕らぬ狸の皮算用ですが、前回は15名の自転車枠に応募が7名で無抽選、今回は25名の募集枠だとか。

大隅半島キャンプツーリング(3日目)

鹿屋市高須町フィットネスバース(国鉄大隅線廃線跡)にて

 今日の予定は鹿屋市まで錦江湾沿いに南下、大隅半島を横断する様に志布志市へ、フェリーターミナルへ16時半~17時にはに戻らなくてはなりません、コース的には国鉄大隅線の廃線跡に沿ったさして勾配のない約75キロのコースです。
 明るくなる前にはテントを撤収してしまったので、キャンプツーリングと銘打っていながらテントの写真がありません、バックに桜島を望む最高のロケーションなのですが、暗い間はずっと雲がかかっていました。道の駅「たるみず湯っ足り館」は国道と錦江湾に挟まれて東西に細長いのですが、西の端にあたるこの場所は駐車スペースとは芝生広場をはさんで離れているために、エンジンをかけたまま休憩する大型車や車中泊の車その騒音も幾分ましかと、国道220号もさすがに夜中は車は少ない様です。
 「国旗日の丸のふるさと」のモニュメントと足湯(10時~日没)。
 道の駅の向かいの「マミーズカフェ」、「あっちん」なるご当地スイーツがお目当てだったのですが、営業時間に間に合いませんでした。せっかく教えて頂いたFさんごめんなさい。

 

 7時には道の駅を後にし国道220号を桜島へ。一応「自撮り」の準備もしてきているのでトライしてみますが、正面に桜島を望むだけの写真ですね。
 大隅半島側の旧道が通行止になったままですので否応無く牛根大橋を渡って桜島側へ、桜島口前後が一番のロケーションですね、ここで「自撮り」するべきだったと。
 海潟のコンビニで補給、北国の様な風除室があるのは火山灰対策なのでしょうね。
 海潟の「ホタル公園」、やはり桜島は手前に錦江湾が写っていないと駄目ですね。
 海潟漁港、高倉健と田中裕子が主演した映画「ホタル」のロケ地だけに桜島を望む最高のロケーションです、漁港なのに「ホタル公園」があるのはそのせい、ただ色々と批判もあったこの映画は好きではないのですがね。
 さらに国道を南下し、垂水市街を過ぎた辺りから国鉄大隅線の廃線跡(写真左)に入ります、大隅線も志布志線同様、国鉄民営化直前の1987年3月に廃止されますが、古江~海潟間は1961年、海潟~国分間が開通したのは1972年で、この時に古江線から大隅線と改称されていますが、僅か15年後の1987年には廃止されている訳です。多くが道路として供用されている廃線跡ですが、見通しが良く信号がなくて交通量が少なくて安全快適なのですが、国道の山側を走っていて錦江湾の展望が今一つなのが。
 余談ですが九州にはチェリオの自販機はありませんが、こちらでは水色の財宝の自販機がリーズナブルなんです。 10時には鹿屋市域に入ります、古江駅跡は古江駅跡記念公園となっています。
 古江では「みなと食堂」が人気だそうで、志布志まで一緒にきたローディとばったり出逢いますが、営業時間が11時からですので、私はパスする事に。
 ミニュチアの様な陸繋砂州に立つ荒平天神(菅原神社)の鳥居、県道を挟んだ四阿は荒平駅跡です。
 高須海水浴場の手前から廃線跡は自転車歩行者専用道「フィットネスバース」となります、こちらも志布志線跡の「マインドロード」と同様、主に地元の人のランニングコースと云う扱いですね。

 錦江湾をバッグに緩やかにカーブしながら登って行く廃線跡を行きます、対岸は薩摩半島ですが、開門岳は見えない様です。

 

 廃線跡らしい雰囲気のある切通しが続きます。

 

 視界が明るく開けると、風景は一変して高原ぽい風景に一変します、標高は100mにも満たないのですが、暫く走ると大隅野里駅跡。

 

 自転車道と一般道に挟まれた一画、製茶工場でしょうか、その前に小さなお店が、地産のお茶の葉を販売している様ですが「抹茶アイス」もある様ですので、休憩がてら寄り道する事に。関西に暮らすものにはピンと来ないのですが、この辺り輝北地方(合併で鹿屋市となった旧輝北町域)はお茶の産地なのだそうです。
 かつての特攻出撃基地であった鹿屋飛行場、現在の海上自衛隊鹿屋航空基地の南端に沿って、自転車道は2キロ余り真っ直ぐに延びています。こちら側を走ると横が自衛隊基地だと気づくものはありません。なお鹿屋航空基地史料館は反対側になります。
 廃線跡は北側へ迂回する様に鹿屋市の中心部へ、鹿屋駅跡が鹿屋市鉄道記念館となっており、キハ20が保存されています。自転車道はさらに続きますが、住宅地の中で車止めが続いて非常に走りにくい事になっていまて、肝属川の支流大姶良川の手前で消える様に終わっています。
 鹿屋市を後には東串良町を経て志布志市へ戻ります、断片的に道路に転用された廃線跡をたどりますが、さしたる見処もなく国道448号から国道220号に戻ります。
 1550 志布志港フェリーターミナルに戻ってきました、本日の走行は88.1キロ。受付は1630からですが、トラブルで乗り遅れたりすると自腹で帰らなくてはなりませんからね、1時間の余裕を持って走ってきました、自転車組の他6名も追々帰ってきました、ロードバイクとは云え2日で260キロ走って佐多岬まで行ったご仁も。さて土曜日の出港時刻は1830、1719に乗船開始です、なお帰りの船は「さんふらわあ さつま」に変わって、自転車は寝かせるのではなくてサイクルスタンドが用意されていました、キャンピングはちょっと無理ですので単車と同じ様に立て掛けて固定し貰いました。大型の長距離フェリーの旅は快適ですが、どうしても乗下船のロスタイムが大きいですね。(つづく)

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大隅半島キャンプツーリング(2日目)

鹿児島県道479号国師境線から望む桜島

 台風の余波もあってか紀淡海峡を抜けてからは結構揺れていた様な、そこはその元ヨットマンとしては、久しぶりの浮遊感を懐かしく感じながらいつの間にか寝ついてしまいました。志布志港到着は0855、走る時はあまり朝食は摂らないのですが、いささか時間をもて余してレストランへ、620円也の朝食バイキングを、さすがに朝食にはシニア割引はない様でして。エントランスの丸窓から見える陸は宮崎県最南端の都井岬、岬をまわれば志布志湾です。
 下船はトラック、乗用車、単車、自転車の順になりますので、車両甲板に降りたのは9時半。
 0940 ようやく下船。
 参加者はヘルメット着用とのお達しで、カスクでも可と云う事でしたので、今回はカスクを持ってきました。なお鹿児島県は自転車保険への加入が義務付けられています。
 色々とセレモニーもあって、志布志市のゆるキャラ「志武士ししまる」もお出迎え。
 参加者全員で集合写真を撮って 1015 ようやくスタートです。
 まずは市街を抜けて志布志市役所へ「志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所」です。
 続いて志布志駅へ、訪れるのは大隅(古江)線全通前の1969年8月以来ですから50年ぶりになります、かつては志布志線、日南線、大隅線の接続する駅でしたが1987年に志布志線と大隅線が廃止され、駅そのものも少し東側へ移転して日南線の終点として、宮崎方面からの1日8往復がやって来るだけのホーム1面の無人駅になってしまいました。
 元の志布志駅や機関区などのあった場所は駐車場やショッピングセンターになっていて、一角が志布志鉄道記念公園としてキハ52他、門鉄デフのC58 112が保存されています、志布志線と云えば幻のC63を彷彿とさせる4次型C58が走っていたのですが、ではないのが残念。
 写真はいずれも1969年8月5日、ラストナンバーのC58 427、(写真左)志布志古江管理所、(写真右)都城駅?  この当時は424,426,427が志布志区在籍で112は大分区にいた様です。
 さて今日は北へ30キロ程のノルマの「道の駅 すえよし」経由で錦江湾沿いの「道の駅 たるみず湯っ足り館」までの75キロ程を走る予定なのですが、志布志を後にしたのは既に11時前、先が思いやられます。志布志線廃線跡をたどりながら進みます、廃線跡は岩川駅跡以南の多くは道路に転用、以北は「マインドロード末吉」と云う名称の自転車歩行者専用道路となっています。元が線路跡ですから勾配こそ知れているものの、鉄橋やトンネルがあった部分は道路に転用されず、その部分を迂回している区間のアップダウンが結構きつく、おまけに向かい風が。
 
 志布志から3つ目の伊崎田駅は、元駅舎が有明町鉄道記念公園となっています、駅舎の中のマネキンが不気味な事、さすがにここでのゲリキャンは遠慮します。
 伊崎田~大隅松山間のトンネル、山越えで迂回します。
 岩川駅跡付近から自転車歩行者専用道路「マインドロード」に入ります、自転車道用途よりも地元の方のランニングコースになっているのでしょうか、ところどころにベンチや四阿もありますが、崩落で通れず迂回しなければならない部分がありました。
 岩北駅跡、ホームがそのまま残っています。
 駅跡ではないのですが四阿が、岩川のコンビニで買い込んだお弁当でお昼にします、近くでは「高松さこんたろうの里」と記されて水車が回っています。あとで知ったのですが「さこんたろう(左近太郎)」とは精米用水車の事らしいのです。
 末吉駅跡も末吉鉄道記念館として公開されています、これより志布志線跡は県境を越えて西都城へ向かいますので、廃線跡探訪はここでひとまず終えて、県道501号光神山諏訪方線他を経て道の駅「すえよし」へ。
 1503 参加ノルマになっている「道の駅 すえよし」に到着。現在は曽於市となっている末吉町は県内随一の肉牛生産地だとか。
 道の駅からが国道10号を西へ、1624 霧島市へ入ります。当初のプランでは牧の原から県道478号比曽木野福山港線で錦江湾べりを走る国道220号まで下る予定だったのですが、通行止めの情報が、途中の「中茶屋公園」からの展望を期待していたのです。代わりに国道504号線を南下し県道479号国師境線で国道220号へ下る事にしていたのですが、遅くなりついでに県道478号へ突っ込んでみる事に、あわよくば「中茶屋公園」でのゲリキャンも考えて牧の原のコンビニで食料を調達しておきます。
 県道478号に入ります、国道220号までの標高差は400m、普通なら無理に突っ込む状況ではないのですが、通行止箇所がそう遠くもなさそうなので。幅員もあって崩落箇所も充分に通れて、してやったりと思っていたら、完全に崩れた区間が現れて(写真右)万事休す、標高で50mばかりを引き返す事に。
 国道504号に戻って南下、稜線近くまで登る区間があって嬉しい事に桜島と錦江湾に沈む夕陽を望む事ができました。
 県道479号に入るとこちらも錦江湾に向かって標高差400m程のダウンヒル、所々ですが錦江湾を望む事できます、写真を撮りながら沈む夕陽と競う様に下ります、国道220号まで下りきった頃にはすっかり暗くなってしまいました。
 道の駅「たるみず湯っ足り館」まで国道を10キロ程、交通量も多くなりますし、充分なナイトランの用意もありますので、整えて走り出します。
 道の駅到着は19時過ぎ、既に温泉以外の営業は終わっています。温泉(350円)に入ってから桜島を望む「国旗日の丸のふるさと」のモニュメントの陰にテントを張ります。本日の走行88.4キロ。

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