「岐阜県」カテゴリーアーカイブ

18きっぷ輪行旅「岩村から猿投へ」

川ヶ渡橋にて

 8時半には岩村を後にします、朝の岩村の古い街並みは至って静かなものです。今日もお天気には恵まれそうです。
 次の目的地明智へは小さな峠を2つ越える事になるのですが、実は現在は同じ恵那市となっている岩村町と明智町ですが、岩村は木曽川水系、明智は矢作川水系にあたり、国道を行くと2つ目のピーク(543m)が分水界になります。(写真右)
 0930 明知鉄道の終点明智駅に到着、標高400m超の明智は今が満開です。

 明智の町に入った処にあったコンビニで少し食料を調達しておいたのですが、明智駅の隣りにお洒落なカフェがありましたのでここでモーニングを、これで550円也

 食後、丁度下り列車が入ってくるのを待って明智駅を後にします。

 光秀所縁の地だけに幾つか見所や大正村とかあるのですが、旧街道筋の明智西宮恵比寿神社(写真左)と逓信資料館(旧明智郵便局)だけ覗いて先に進みます。
 国道363号と別れ県道11号豊田明智線へ、矢作川との合流点まで約250mのダウンヒルです。1044 岐阜愛知県境を越え愛知県豊田市へ入りますが、左岸側はまだ岐阜県です。2005年に豊田市になるまで東加茂郡旭町の役場があった小渡へ、毎年正月の「新春ラン」でお馴染みの「川澄屋」まで矢作川沿いに走れば後12キロ程の処まで来ているのですが。今回の一つのミッション道路元標の残る豊田市御蔵町へ行くために東側へ迂回する上に300m以上登り返さなければなりません。

 これがとんでもない激坂でとても延陽伯号の手に負える坂ではありません 1キロ余りを押し上げる事に、登り切った豊田市太田町はまさに桃源郷。
 愛知県東加茂郡に属していた阿摺(あすり)村道路元標、御蔵小学校への道沿いにあります。これで1183基目、愛知県には現存が確認されているもの116基の内3基が未収です。

 毎年正月3日に「新春ラン」で渡る加茂橋まで下ってきました。その折には満員で入れない「川澄屋」でお昼にする事にします。
 「新春ラン」の折は矢作川左岸の愛知県道355号島崎豊田線を広梅橋から遡ってくるのですが、左岸の県道11号を走る事にしますが、やはり車が多いのが、対岸に県道355号が見えています。
 広梅橋を渡って名鉄三河広瀬駅跡へ、時折吹く風で桜吹雪が。
 岩村から59.1キロ走って名鉄猿投駅に到着、今回のミッション終了。時間もあるのでのんびり輪行支度を済ませ知立経由で名古屋へ、近鉄で帰途に就くことにします。チューブを1から1 1/8に交換したのが功を奏したのか4日/223キロを無事に走り終えました。

18きっぷ輪行旅「中津川から岩村へ」

中山道 中津一里塚址にて

 4月10日「18きっぷ」春のシーズンの最終日、最後の1回分です、3月はお天気と休みが嚙み合わず、未使用のまま払い戻しかとも思っていたのですが、富山~信州を除いて当初計画していたコースを走る事ができそうです。今日は名古屋経由で中津川へ向かいます。米原経由の方が早いのですが、乗換回数の少ない関西線経由にしたのですが、加茂から亀山までのキハ120 1両編成は満員、加茂駅ですんなり乗換できないと立ちっぱなしになる処でした。桜井0543→0616奈良0637→0652加茂0653→0816亀山0826→0956名古屋1018→1137中津川 4,070円分乗車。
 名古屋駅の接続は22分間、並んでいると少々厳しいですが、空いていたので例によって「きしめん」、季節限定「タラの芽と姫竹の入った春きしめん」昨年より20円値上がりして550円になってます。
 定刻に中津川着、輪行支度を」解きますが、この陽気は… 今日は恵那(大井宿)まで中山道を辿り、明知鉄道(旧国鉄明智線)に沿って城下町岩村を目指します。田切地形とまでは云いませんが、木曽川に流れ込む支流の浸食でこの辺りの中山道って細かなアップダウンがあります。

 「こでの木坂」車道は九十九折れで上ります。

 飛騨へ向かう苗木道への分岐だそうです、こんなのばかりで前に進みません。

 どれが「双頭一身道祖神」かが判りません(-_-;)

 恵那山を背に中山道を西へ向かうと目立つのが笠置山(写真左)、また下って上って。

 恵那へ越える最後の坂「甚平坂」、振り返ると冠雪の御嶽山が、この春は冠雪の北アルプスを見たかったのですがね。
 中津川から1時間半程かけて恵那(大井宿)へ下ったきました。

 恵那から岩村へは標高差約230m、阿木川沿いにR257が通じているのですが、交通量も多く途中に阿木川ダムがあり勾配とトンネルを避けて、東側に大きく迂回する明知鉄道に沿って走る事にします。(写真左)県道407号阿木大井線から見上げる明知鉄道。(写真右)飯沼駅は普通鉄道としては日本一急勾配(33‰)にある駅。

 岩村駅の一つ手前の極楽駅、明知鉄道となった以降に開業した駅ですが、あまり趣味が良いとは… 暫くすると下り列車がやってくるので待ってみましたが。

 16時前には岩村駅に到着、明知鉄道の写真を撮るならこちらの方が良かったですね。城下町岩村 2004年に恵那市と合併するまで岩村町でした、関西人にはあまり馴染みがないのですが、岩村城は高取城、備中松山城と並んで日本三大山城だそうです。

 宿にチェックインするには時間もあるので、坂の城下町を散策します。電線が地中化されていて風情が感じられますね。

 岩村城は標高721mにあり、太鼓櫓にある歴史資料館まで行く事に、ここまで自転車で行くのはさして苦でもありませんし、名残りの桜が出迎えてくれます。城址までは更に30分は歩かなければならない様です。
 今夜の宿は古い町並みの中にある染物屋さんをリニューアルしたゲストハウス「やなぎ屋」。ところで町中で食事のできそうな店は本日休業となっている処が多かったのですが、この町水曜定休が多いそうです、洋食屋ですが宿で教えて貰ったお店へ行く事に。R418沿いに出ればローソンがあり、先の極楽駅傍にファミマもありました。

 ゲストハウスの中はこんな感じ、一部が吹き抜けになっています。
 2段ベッドが4組ある男女兼用と女性専用のドミトリーがあります、台所他共用スペースがあって、シャワールームだけが別棟になっていますので、冬はちょっと辛いかな。今夜のお客さんは姫路から来た女性が一人のみ。
 本日の走行36.9キロ、走ったのは半日ですが距離の割に疲れました。(つづく)

2023年夏 18きっぷ輪行旅「リベンジ関東遠征 Part.2」2日目前半

6時には宿をスタート、まずは岩村田宿まで北上し旧中仙道へ入り追分宿から軽井沢に群馬県との県境となる碓氷峠を越えます、2010年9月に走ったルート(佐久平~横川)とほぼ重なります。既に暑い位の陽射しなのですが、残念ながら雲がかかって浅間山(2010年9月7日)は見えません。

 北国街道と合流する追分宿に着く事には霧雨の様相、とにかく国道18号の歩道を走って今日の最高標高1,003mを越えます。

 13年ぶりの軽井沢町道路元標を再訪。

 旧軽井沢駅舎記念館は現在はしなの鉄道の軽井沢駅舎として利用されています。


 現在の国道18号は南側の入山峠を越えているので、旧道は軽井沢駅前を過ぎると車は少なくなり、少し登るだけで碓氷峠に着くのですが、それにしても車が少ないなぁと思っていたら… なんと峠のゲートが塞がっていて「路肩崩落により通行止」との事、ここが通れないと今日の予定が成り立ちません。めがね橋へは横川側からは行けると書かれていますので、崩落箇所が熊ノ平より下なら「アプトの道」を行けばめがね橋へ出られます、数キロ下りますがダメ元で突入するしかありません。それに旧道と云っても全線2車線ですから自転車すら通れない2車線崩落なんてケースは稀ですしね。

 車がやって来る心配はほぼないのですが、決して耐パンク性能の良いとは云えない延陽伯号ですし、濡れた路面に枝などが散乱しているのでそろりそろりと下ります、雨上がり蝉しぐれの道が心地良いです。動画


 なんとあと少しで熊ノ平と云う処で重機が、崩落と云うより倒木の撤去作業が行われています、タイミング良く作業は終了間近で軽トラが1台後から降り来て待っています、これ幸いと軽トラの後について通過、路肩の崩落箇所では監督風の人が検証中の様子、崩落は知れていますが復旧工事が始まれば通してくれそうにありませんが、無事に熊ノ平駐車場に到着。もし通してくれなかった6キロ余りを登り返した上にどうやって今夜の宿の前橋に辿り着こうかと悩む処でした。

 熊ノ平前後からは重要文化財となっている碓氷峠鉄道施設を垣間見る事ができます、熊ノ平駅跡から横川まで「アプトの道」として遊歩道が整備されています、自転車は乗り入れ禁止と云う事ですが押せば問題ないでしょうとの事でネット上でレポートも上がっています。熊ノ平で少し階段を担ぎ上げて「アプトの道」へ入ればめがね橋の上に出られますが、下から見上げた写真を撮るには長い階段を担ぎ下りなけらばならないので、このまま国道を行きます。

 有名な、通称「めがね橋」です。丹後宮津を舞台にした瀬尾まいこ原作に拠る2008年の映画「天国はまだ遠く」でのロケ地にもなったのですが、自殺の名所と云う設定なので「めがね橋」とはクレジットされていません。前回はasuka号でしたので下に置いて登ったのですが、今回は延陽伯号を担いで階段を登ってみます。


 遊歩道になっている線路跡にベンチがあったので、軽井沢で調達したおにぎりで遅すぎる朝食にします、既に10時半なんですが… 平日ですが結構人が通ります、観光客やハイカーと云うよりウォーキングと云う雰囲気の人が多いですね、

 トンネル内の写真を撮りたいのと階段を降りるのも大変なので5号、4号、3号トンネルと抜けますと、担がずに一般道に出る事ができる部分があります。基本的に「アプトの道」はトンネル内は舗装、外は砂利道です。押している処を「自撮り」したかったのですが、泊りの時はなかなか荷物が限られますのでね。国道18号へ戻り、午後から道路元標を巡りながら前橋へ向かいます。

1日目 2日目前半 2日目後半 3日目

2023年春 18きっぷ輪行旅「高山~富山」2日目前半

高山本線 飛騨細川~角川間 国道360号旧道

 リタイア後現職に就いてからは習慣で用があろうとあるまいと疲れていようと、とにかく4時には目が覚めます、用のない時に二度寝ができる時は至福の幸せです。
 さて明るくなってきた頃に下りて延陽伯号の組み立てを済ませておきます。宿泊プランに朝食は入ってませんでしたが、バイキングでほぼクーポンの残りで間に合うのでここで朝食を頂く事に、先月の熊谷の時の様に朝飯前に道路元標へと云うのにはちょっと遠いです。

 チェックインを済ませて市街を一回りして一旦高山駅へ。
 2016年秋にリニューアルした高山駅、ずいぶんとモダンな建物になったものです。外観とかモニュメントがあったりとか工夫をしている様ですが、全国どこへ行っても同じ様な駅が増えましたね。
 まずは大野郡の上枝(ほずえ)村道路元標へ、高山駅の富山側の隣駅上枝駅とはかなり離れていて、かつての役場跡の公園に保存されています。しかし「ほずえ」って超難読地名ですね。

 高山市街には戻らず、宮川の支流川上川と高山本線に沿って飛騨古川へ向かいます、遠くに冠雪のアルプスが見えて、明日への期待も膨らみます。ところで富山~高山のメインルートは国道41号線(いわゆる越中東街道)ですが、旧古川町と旧神岡町の間で数河(すごう)峠(896m)を越えなければなりません、猪谷まで国道360号(越中西街道)を経由すると宮川沿いの下り基調の道、今後改良が進めば走りやすくなって交通量が増えるかも知れませんが、神岡に用がなければわざわざ41号を通る事もないですよね。
 飛騨古川の街に立ち寄ります。この先富山平野に下るまでコンビニの類はありません。

 造り酒屋の白壁、良い香りがしてきます。

 国道41号と別れ国道360号へ入ります、再び合流する猪谷まで高山本線と宮川を縫う様に走り「鉄」な人間には魅力的なコースです、高山本線の時刻を見てみると上りの「ひだ8号」がやってくるので待ってみます。
 野口トンネルの手前、スノーシェッドの間から旧道区間が残っているので迷わずそちらへ、なかなかの「自撮り」ポイント、車に邪魔される心配もなく下りの「ひだ7号」もまもなくやってきます、横長のヘッダー用に合成を前提に準備します。この場所ですが新緑や紅葉の季節にも来てみたいですね。

 この後も撮影ポイントには事欠きません、現道との合流手前にはアンダートラス橋もあります、写真は(左)角川~坂上間、(右)坂上~打保間。
 坂上~打保間にある旧道区間、新道は対岸(左岸)に渡り2つのトンネルを抜け正面に見える宮川新大橋でこちら側に戻ります。冬季通行止で結構荒れています。
 種蔵打保バイパスの開通でこんな立派な道が車は入って来れない旧道区間になってしまっています(写真左)。打保(うつぼ)駅近くで小休止の後 1343 には岐阜富山県境を越えます(写真右)。

【1142】岐阜県 大野郡 上枝村(現 高山市)

1日目 2日目前半 2日目後半 3日目

2023年春 18きっぷ輪行旅「高山~富山」1日目

 今回は2泊3日の日程で岐阜県と富山県を走ります、と云っても1日目は勤務明けからの出発で高山駅までの輪行だけ、2日目は高山市内に残る道路元標1基と、高山本線に沿って高山から富山まで100キロ弱、3 日目は残雪の立山連峰を期待して富山湾岸を走ると云う計画。コース的にはasuka号の方が相応しいと思うのですが、日程が「熊谷リベンジ」との二択になっていて、準備の都合で「関東遠征」に続いて延陽伯号で出掛ける事に。今日は高山までの輪行だけで、桜井1013→1041奈良1107→1151京都1207→1319米原1330→1404大垣1411→1422岐阜1445→1815高山と所要8時間2分、後のスジが桜井1237発で高山1944と所要時間が1時間も短いのですが乗換時間がタイトなので…
 京都駅まで来てみると、何やら東海道本線が阪神間でのトラブルで20分近く遅れている模様、米原と岐阜での乗継時間を考える微妙な処、結局米原には僅かな遅れで到着できたのですが、今度は垂井~大垣駅間で障害物で乗る予定のスジが運休になり1時間近く待たされる事に。どうも昔から米原周りをするとケチが付く事が多い様な…
 結局は岐阜からの高山本線は1615発と結果的に後のスジに。ところで高山線の特急には昨年夏からハイブリッド車のHC85系が投入されているのですが、写真はエンジンを響かせて出て行くクモハ?85の特急「ひだ13号」。
 先に出て行った美濃太田行はクロスシートのキハ25系だったのですが、1615発猪谷行きは高山まで3時間半も乗らなけらばならないのに1000番台のロングシート車両とは…

 最初の予定より1時間半遅い1944に高山駅に到着、高山へ降り立つのは3度目ですが、前回は2002年ですからなんと20年ぶりです。宿まで徒歩8分と云う事なんですが、組み立てるのは明朝にして輪行袋のまま担いで行く事に。観光地と云う事で外国人観光客も多いのですが、高野山同様欧米人の比率が高い様な気がします。
 宿はα1と云う和倉温泉でも使った事のあるビジネスホテルチェーン、旅行支援のお陰で安く泊まれて2..000円のクーポンが、有効に使えればお得ですよね。時間も遅いので宿近くで適当に食事をして夜の高山をちょっと散歩、ただ昨夜あまり仮眠出来なかったので明日に備えて早々に休む事にします。本日の走行は通勤の6.5キロのみ。

1日目 2日目前半 2日目後半 3日目

夏はやっぱり信州だよね(1日目)

 先週と同じく畝傍駅0932発でスタート、奈良、加茂、亀山、名古屋経由で信州へ向かいますが、18きっぷ故に中津川での接続が非常に悪く、なんと1時間53分待ちなのです。最寄りに岐阜県郡の苗木町道路元標が未修で残っていて、中津川駅からの距離は5.5キロ程、普通なら走っている時間より輪行支度の方が時間がかかる位なのですが、その苗木町と云うのは木曽川を挟んだ対岸なのです。土地勘のある方ならお判りでしょうが、この辺りは木曽川を挟んで河岸段丘が発達した地形、中津川駅から玉蔵橋を渡り城山大橋で戻ってくる周回コースをRide with GPSで描いたらなんと距離10.8キロに獲得標高282m(この値はRide with GPSの特性で過大になっているかとは思いますが)、このクソ暑い最中に熱中症になりかねないので、今日は移動日と一旦諦めたのですが、長野着が遅くなるものの、1本遅らせて3時間なら十分回れる計算に。
 畝傍0932→1008奈良1016→1033加茂1041→1205亀山1224→1336名古屋1346→と順調に乗り継いで行きます、この時間帯になると関西本線加茂~亀山間は1両での運行なんですね(写真左)、名古屋までは接続が順調過ぎてきしめんを頂く時間が。
 1507 中津川到着、先週でしたか日本の最高気温のタイ記録41.1℃が出ていましたが、お隣の多治見市は2007年8月に当時の最高気温記録40.9℃がでて、マスコットキャラクター「うながっぱ」が登場した土地、中津川も似たり寄ったりの気候。まだまだ暑い時間帯ですが、3時間の余裕で輪行支度を解き、ヒップバッグとか余計な荷物をコインロッカーに、久しぶりにコインロッカーのお世話になりましたが、今は一番小さいものでも300円とるんですね、さて出発。
 駅から木曽川に向かって坂を下ると玉蔵橋、案の定対岸には登り坂が待ち構えています。その玉蔵橋から下流側に望む事ができるのが…
 
 1975年に廃止された北恵那鉄道の木曽川橋梁、前後にガーター橋を従えたダブルワーレントラス橋、なんたら遺産になっている訳でもなく、50何年放置されています。

 玉蔵橋から標高で100mばかり登らされた後にアップダウンがあって苗木の街へ。岐阜県で現存が確認されている道路元標は4基、土岐郡駄知町、可児郡池田町、恵那郡坂下町とここ苗木町のみ。道路元標の根拠法である旧道路法の施行時には360程あった岐阜県の市町村、実際に設置されたのか、根拠のなくなった1952年以後に引っこ抜かれたのか判りませんが、もう少し見つからないかなぁ。
 北恵那鉄道苗木駅跡、特に何かがある訳でもなく、住宅街の中のただの空き地です。
 帰りはR257の城山大橋で木曽川を渡りますが、木曽川を見下ろす様に建っていただろう苗木城跡を望む事ができます、まるでライン川を見下ろすドイツの古城みたい、行った事ないけど。
 結局は2時間少々で中津川駅に戻ってきた訳ですが、走行距離は12キロ、GPSログでの獲得標高は190m前後でした。本日の走行、畝傍駅まで移動を含めて15.3キロ。余裕で今日2度目の輪行支度を済ませ、駅構内の立ち食い蕎麦を食って長野へ移動です。中津川1802→2030松本2105→長野2215、6,930円分乗車。

 

 

 

道路元標蒐集18切符の旅(3日目)

FI2613143_1E.jpg 18切符は昨日で終わったので、名古屋から近鉄経由で帰途に就く事に。 中央線宮ノ越駅で途中下車し西筑摩郡(現在の木曽郡)の日義村道路元標へ、駅から5分程の距離ですが、一度降りてしまうと次の列車まで一時間以上、利用できるバス路線もありませんので、中仙道宮越宿をのんびり散策する事に。








FI2613143_2E.jpg 木曽福島で再び途中下車、同じく西筑摩郡の三岳村道路元標へ、王滝行きの木曽町営バスに乗車、途中の黒沢で下車して1キロ程徒歩、なんとこのバスは王滝まで乗っても\200なんです、開田高原行きもある様です。









FI2613143_3E.jpg 御獄里宮のある黒沢里宮、ここでも帰りのバスまで一時間程待たされますが、今度は此処までバスがやってくる時間なので、またものんびりと過ごします。










FI2613143_4E.jpg 木曽福島から次の多治見まで\1,150奮発して1131発のしなの8号に乗車、18きっぷなら乗車券も使えないのでまずは特急を利用する事はありませんが。










FI2613143_5E.jpg 多治見で下車し岐阜県可児郡の池田村道路元標へ、道が真っ直ぐでない上に判りにくくて炎天下往復一時間近く歩く事に、多治見は昨年でしたか摂氏40.9度を記録した暑い街、マスコットキャラクタ「うながっぱ」は寒暖計を持っています。
高蔵寺から愛知環状鉄道に乗換え、愛知県下の元標を回ろうかとも考えてみましたが、明日の仕事の段取りもあるので、素直に名古屋から近鉄特急で帰る事に、滅多にない事に明るいうちに桜井に帰ってきました。

本日の収穫
【532】 長野県 西筑摩郡 日義村 (現 木曽郡木曽町)
【533】 長野県 西筑摩郡 三岳村 (現 木曽郡木曽町)
【534】 岐阜県 可児郡 池田村 (現 多治見市)

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道路元標蒐集サイク

今日の予定は名古屋鉄道瀬戸線の尾張瀬戸駅まで輪行し、愛知県東春日井郡瀬戸町、岐阜県土岐郡駄知町、同可児郡池田町、愛知県に戻って丹羽郡楽田村から県下を幾つかと企んでいたのですが…

名鉄尾張瀬戸駅に着いた頃は雨も止みかけていて、少しは快方に向かう予報で、どうにか走れそうな状態だったのですが…


瀬戸町道路元標をGETした後R248?R363と岐阜県に向かって走ります。 17度の温度表示が出ている岐阜県境を過ぎてもまだ登りは続きます、地形図には峠の名は書かれていませんが標高は500mを越えもう立派な峠道です。

PS:帰って峠おやじN氏のHPで探すと、’美晴峠’と云う峠だそうです、峠1件GET!!


無事に峠を越えたものの、柿野温泉を過ぎたあたりから再び雨が降り始め、岐阜県道69号線に入る頃には降りも強くなってきます、と云ってもなかなか雨宿りできる処もないまま、濡れ鼠で駄知町道路元標の残る処まで来てしまいました。 結局小降りになる事はあっても止むには至らず、後数キロの多治見市に残る池田町を残して中央本線の土岐市駅でリタイヤする事になりました。


本日の収穫
【342】 愛知県 東春日井郡 瀬戸町 (現 瀬戸市)
【343】 岐阜県 土岐郡 駄知町 (現 土岐市)
走行37.6キロ、折角の遠征は昨日に続いて2基、まあ位置的に行きづらい駄知町道路元標をGETできたので良しとしましょう。



「みのや食堂」オフ

FI2406459_0E.jpg東海3県持ち回り胃袋破壊ツアーと銘打ったとんでもない企画、岐阜県版は峠おやじN氏が幹事。
 朝9時過ぎ集合場所の岐阜駅南口に7名が続々と集合、残念な事に北山のマドンナD女史は前日、過度なヒップアップ体操で腰を痛めて無念のリタイア、先日の川湯温泉でN嬢の肢体に刺激されたのが災いしたとかしないとか...

FI2406459_1E.jpg車組のH氏と合流するためにと長良川河畔の第2集合地点まで岐阜市街の古い町並みを縫って走ります。








FI2406459_2E.jpg長良川河畔を走ります。










FI2406459_3E.jpg充分にお腹を空かせる為に? 松尾池からダート絡みの道を百々ヶ峰山頂近くまで登って三田洞に下り、武富町(現山県市)にある「みのや食堂」へ向かいます。






FI2406459_4E.jpgいよいよ「みのや食堂」に突入、昼時とあって20分程待たされましたが、8人(女性2名を含む)でカレーうどん、カツ丼×2、味噌カツ×3、オムライス×2を注文、漬物1切れ残さず完食しました。
 帰途、少し雨が降りだして来ましたが「みのや」パワー全開で岐阜駅まで40分余りで帰ってきました。
 既にうちのHP他に写真等がアップされています。

↑決して大盛りでも何んでもありません。