先月からの爆忙状態がほぼ落ち着いた今日、来週日曜に迫った「あすか鍋サイク」の下見にT御大と走ってきました、下見と云っても勝手知ったるコースなのですが…
石舞台を10時に出発、先月25日以来全く乗っていなかったので体が重いですが、のんびりと芋峠をめざします。
芋峠の手前、役の行者の祠のあるコーナーで待っている人が… 久しぶりのKさんが丸石のツーリングマスターと共に待ち構えていました(^o^)/
来週の「あすか鍋サイク」お昼の休憩場所、千股水辺公園、多少税金の無駄遣いと思えなくもない治水施設に併設されている公園、車道とは川をはさんでいて自動車が乗り入れられないであまり荒らされていなくて綺麗です。
吉野川左岸を走り、越部から壺阪峠を越え帰途に就きました。
本日の走行50.8キロ、「あすか鍋サイク」では40キロ前後のコースになります。
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久しぶりに伊賀上野「伊賀路」で「麦飯とろろ牛タン定食」を頂きました。
走行95.8キロ
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Wさんに丸投げしていた「岩尾池紅葉ポタ」ですが、二転三転したものの結局走る事になりました。
詳しくは
WさんのBlog「轍」の案内をご覧になって下さい、基本的にJR伊賀上野駅前発着の周回コースですが、<334>神山多羅尾線が通行止でいわゆる御斉峠を越える「牛タンとろろ」のコースとは異なり、紅葉の岩尾池周辺をメインに走ります。
もちろん
「伊賀路」で食って帰りますが(^_^)
← 岩尾池にて、昨年11/21
なお私は桜井から自走、T御大と8時半頃に猿沢池で合流し、奈良阪?大仏線跡?恭仁大橋?和束ローソンと走り、信楽駅前で11時半?12時にWさん一行と合流します。
今年ももう「あすか鍋サイク」を話題にする季節になりましたが、回を重ねて今年で10回目を迎える事となり、近年は10数名から時には20名を越える方々に、遠方からの方も含め暮れのお忙しい中を集まって頂いております。
本来
「ランドナー補完計画」の名を冠した行事でありますが、サイクリングの後に明日香村「めんどや」にて「あすか鍋」を囲む事から地元の私が幹事役をさせて貰っております、当初の少人数の頃は車で移動して室生や東吉野方面へも遠征していましたが、夜は酒席でもありますし輪行での参加者も多くなり最近は明日香村を中心に周回コ?スを組んでおりました、毎年同じ鍋でコ?ス的にも多少ネタ切れの感もあります、年末の恒例行事として「石川ポタ」も定着してきた事ですし、「あすか鍋サイク」はキリの良い処で10回目の今年で一旦終わらせて頂こうかと勝手に考え、まあ来年からはもうやりませんよと云う程の大した事でもなく、希望者がおられましたら幹事役位はいつでも引き受けますが、私の方から音頭をとって始めるのは一旦休ませて頂きたいと思っております。
今年は例年の日程から致しますと12月16日(日)になろうかと思います、コース等はまとまりましたら12月上旬にはお知らせしたいと考えております。
今回は神戸電鉄押部谷駅まで輪行して兵庫県明石郡、加古郡、印南郡の道路元標を探索します。
しかし始発に乗って出掛けるには寒い季節になりました。
押部谷村道路元標の次の目的地は神出村、神出山田自転車道と云うのがあるので辿ってみました、県道を行くより遠回り、その上途中に階段があります(@_@)
岩岡村道路元標は予想していた処とはかなりずれていましたが無事発見、倒置とされていたものが再建されていました、魚住村道路元標と鳩里村道路元標は倒置のまま、鳩里村は裏返しになっていました。
ただ二度目に訪れる’二見村’はやはり見つける事ができませんでした。
本日の走行 69.7キロ、
本日の収穫
【361】 兵庫県 明石郡 押部谷村 (現 神戸市)
【362】 兵庫県 明石郡 神出町 (現 神戸市)
【363】 兵庫県 明石郡 平野村 (現 神戸市)
【364】 兵庫県 明石郡 岩岡村 (現 神戸市)
【365】 兵庫県 明石郡 大久保村 (現 明石市)
【366】 兵庫県 明石郡 魚住村 (現 明石市)
【367】 兵庫県 加古郡 阿閇村 (現 播磨町)
【368】 兵庫県 加古郡 野口村 (現 加古川市)
【369】 兵庫県 加古郡 鳩里村 (現 加古川市)
【370】 兵庫県 印南郡 米田村 (現 高砂市)
【371】 兵庫県 加古郡 荒井村 (現 加古川市)
【372】 兵庫県 印南郡 伊保村 (現 高砂市)
【373】 兵庫県 印南郡 曽根村 (現 高砂市)
西峠を越え集合場所の榛原駅へ、暫くすると輪行組に自走組と集まってきて、今日のツ?リングは総勢11名になりました。
R166高見越で松阪や伊勢方面へ走り抜けるプランは桜井に住む私にとって定番みたいなもの、ここ10?15年でずいぶん道も良くなりましたが、あいかわらず昔のルートや折々に見つけた裏道を縫って走っています。
正直云って毎回走るコースが違います(^_^;) 榛原から芳野川沿いの<31>榛原菟田野御杖線で菟田野へ、松井橋のローソンでお昼を仕入れて佐倉峠、鷲家へ一旦下り木津(こつ)峠へ、
↑新木津トンネルを抜けると高見山が正面に見えます。
‘高見登山口バス停’まで来ながら?氏のKHSのスポークが破断、無理に走れなくもない様なのですが、ら?氏はこのコースを4月にご一緒していて、まだまだ高見峠を越え70キロ近く走る長丁場が判っていて、無念のリタイヤを決断。
実はこの軽量なA-Classの完組ホイール、私も狙っていたのですが…
11時45分には高見峠に到着、しんがりの9さんの事など忘れて皆さん早速弁当に食いつきます(^_^;)
珍布峠にて
大きな画像(1024×768)この後<745>片野飯高線を走り
櫛田川に架かる沈下橋でヤラセ写真を撮りたかったのですが、この季節この時間では日陰になってしまい断念しました。
← 立梅用水沿いの裏道にて、交通量も増えてきて路肩も狭くて走りづらい柿野あたりのR166をパスする事ができます。
この後、小片野から辻原までは仕方なくR166を走り<757>辻原西町線へ入り松阪「一升瓶」めざして爆走します。
写真だけですがいつもの様に、うちの
HPの「自転車の頁」→「ツーリングの記録」にUPしています。
参加の方は画像をご自由に再利用して頂いて結構です。
天五さんのBlogには随時動画レポートが逐次Upされています。
WindyさんのBlogでGPSログへのリンクがあります。
滋賀県栗東市綣(へそ)、中仙道に沿った大宝神社境内に建つ「大宝村大字綣村元標」、いわゆる里程標であるが、ここに現在建っているのはレプリカである。
隣に立派な案内板が建っているが、ここに限った事ではないがやはり’明治里程標’と’大正道路元標’の混同がある様である。
なお大宝村は1889年(明治22年)4月1日に綣(へそ)村他9村が合併して成立しており、道路元標の根拠法は大正8年の旧道路法施行令である。
なお’里程標’については「桜村の元標(三重県四日市市桜町と智積町に在った元標についての一考察)」に妥当と思われる詳しい記述があり、大阪府及び各県県庁所在地に設置された’里程元標’と補助的な’里程標’があるとしている。
【以下引用、原文のまま】
大宝村大字綣村元標について
元標(げんぴょう)は道路元標ともいい、道路路線の起点や終点など表示する標識であります。
各市町村一つづつ置かれるもので、石材その他の耐久性材料を用いて、里程や市町村名が記載されているものです。
この元標は「大宝村大字綣村元標」と刻まれることから、道路元標と云えますが、同時に大津市元標や栗太郡役所などからの里程をも示しており、里程標を兼ねたものだといえます。
官公庁としては大正15年(1926)に廃止された栗太郡役所、及び昭和29年(1954)に移転した草津警察署からの里程を示すのはもちろん、京都伏見の第十六師団司令部や、大津駐屯の歩兵第九連隊(大正14=1925年に伏見へ移転)といった陸軍官庁からの里程も明らかにしており、建立時の時代背景をよく示しています。
<読み方と意味>
(正面)
大津市 大津市元標と距てること、四里十八町三十■間五尺。
(約17.730m)
栗太郡役所と距てること、二十四町三十一間4尺。
(約2.700m)
草津警察著と距てること、二十九町二十五間。
(約3.200m)
(向って右側面)
第十六師団司令部最迫より、九里八丁(町)十二間五尺(36.200m)
大津第九連隊最迫より、四里三十■町十三間五尺(約19.000m)
(向って左側面)
東は大宝村大字野尻より、十一町六間三尺 (約1.200m)
南は大宝村大字苅原より、八町四十間一尺 (約950m)
西は大宝村大字北中小路より、五町二十一間三尺 (約590m)
北は物部村大字二町より、四町五十八間三尺 (約540m)
(裏面)
大正六年二月十五日建設、寄付・西田哲太郎
元標の復元
旧元標は設置されて80年余りの年月を経ているため、風化がひどく文字の判読が困難な状況であることと、交通事故により中程から半分に折れるなど破損が著しいので、平成12年(2,000年)に創意と工夫の郷づくり事業により復元したものです。
尚、旧元標は栗東歴史民族博物館に保存されています。
綣行政区
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古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。