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南の海へ「川湯温泉キャンプツーリング」(2日目)

三和(みわ)大橋にて


 撤収完了、10時過ぎに「川湯野営場」を後にし「川湯温泉」に向かいます。キャンプ場ゲートから公衆浴場まで650m程、歩いて行くにはちょっと距離があります。ちなみに「川湯野営場」のチェックアウトは12時まで。

 「仙人風呂」は今日2月28日までなのですが、水着が必要ですし、川の水でうめているので、近くの宿でも利用していないとね。代わりに公衆浴場(250円也)へ、と云う訳でN女史の入浴画像はなし、代わりに15年前の画像を…
 11時過ぎに川湯温泉を後に、R168に出た処のYショップで「さんま寿司」と「豆大福」を調達し、デポ地の小舟キャンプ場(三重県紀和町)へ戻る2人と共に三和大橋まで熊野川右岸を南下します。今回LG360CAMを持ってきているので動画を撮ってみたのですが、お天気は今一な上に途中でバッテリがあがってしまい、ロクなものでもありませんが、請川からR168旧道の敷屋大橋の手前までを5分に編集しました。

 請川からR168を13キロ程(旧道経由)走り1134 三和大橋が見えてきました。

 三和大橋を渡った熊野川対岸は三重県南牟婁郡紀和町、お二人とはここでお別れ。なお熊野川1998年までは新宮川が法定名称でした、水系名は今も新宮川水系。
 新宮まで約18キロ、左岸に県道もあるのですが、そのまま右岸のR168を行きます。R42に入り紀勢本線で1駅先の三輪崎へ「南の海」へ到達です。R168~R42経由で本州最南端の潮岬へ向かうにはR42に入ってから多くなる交通量と細かなアップダウンが辛い処、三和大橋では晴れ間も見えたのですが、海沿いのR42に出てから雲行きが怪しく時折雨粒が、ただ向かい風ではないのが救い。

 16時半過ぎに古座へ、潮岬まで後20キロ近くあるのですが、せっかく古座まで来たのですから、本州最南のJAZZ喫茶「イワシの目」へ、漁港と海鳥の見えるJAZZの店は稀有です、窓から見える波と風の音に南紀ならぬ北国の海を感じる日でしたが。
 LPのコレクションも相当のものです、ここの親爺はかつて北海道と東北のJAZZ喫茶を自転車で回ったと云う達人、ご挨拶とコーヒー1杯で帰るつもりが、あるLPの話題で1曲聴いて帰る事に。雨具を着込む程でもありませんが小雨の中を串本の街へ、オークワで弁当を買い込んで潮岬へ、何度も来ていて判っている事ですが、最後の坂道標高差70mは堪えます。
 1840 潮岬望楼の芝キャンプ場に到着、40数年来何度も来ていますが、やはりキャンプブームなんですね10張り近くのテントが、強風の中慎重に設営を済ませテントにもぐりこみます、風は強いですが気温は低くないので、今夜は湯だんぽの必要もない様です。本日の走行87.1キロ。

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3度目の正直「川湯温泉キャンプツーリング」(1日目)

 既に準備は完了、心配なお天気も昨日の予報では多少は好ましい方向へ、左図は上から「桜井市」「川湯温泉」「潮岬」、南へ行く程降水確率は高くなりますが、少なくとも27日(土)は安心して川湯温泉まで走れそう「2度ある事は3度ある」は免れそうです。そうこうしているN女史とV氏がキャンプに参加、A氏が不参加、F1氏がR168を途中までご一緒してくれる事になり乗り合いが決まった。過去の記録から夜中3時過ぎには出発する事にし、F1氏とは五條で落ち合う事に、夜中に大阪から走ってくるのが、そこは400キロ完走のブルベライダー、心配には…
 0311 桜井を出発、0426 吉野口駅前を通過しほぼノンストップで0456には重阪峠、F1氏からは五條のローソンで待つとの連絡、途切れた雲の間からまんまるなお月さんが出てきてくれて路面を照らしてくれます。
 0522 ローソンでF1氏と合流、時節柄かイートインコーナーは閉鎖されている様で、寒い中お待たせしました。
 五新線跡を生子(おぶす)トンネルの手前まで走りR168に取りつきます、さすがに真っ暗な旧十津川街道に4サイドとロードバイクでは突っ込めません、滝で再び五新線跡に下りるつもりが、分岐を見落としてそのまま城戸へ、この頃には少し明るくり 0624 宗川野で自販機休憩、立川渡経由の旧道に入り 0656 西吉野大滝に、夏なら最高の涼感ポイントなんです(写真左)。さすがに立川渡から天辻まで押しが入りますが、所々で路面が凍って滑るのが、路肩に雪、眼下にはプチ雲海。
 R168に戻ると土曜日のこんな時間ても車が多い様な、 0807 標高646mの新とは名ばかりの新天辻隧道(1,174m) に到着、ここでV氏の車に抜かれたらしいのですが。(写真左 : F1氏)

 R168天辻峠のピークはトンネルを出て少し先にあります、0818 道の駅「吉野路大塔」に到着、ここまで来れば熊野川沿いに新宮まで下り基調、F1氏は明日早朝からの勤務が気になるので途中から引き返すつもりでいたのですが、思いの外早い時間にピークを越える事ができたので新宮まで走り抜ける気になった様です。天辻峠を下ると猿谷貯水地に架かる阪本橋が架け替え工事中、新しいローゼ橋(アーチ橋の一種)が姿を表しています、現道を跨いだ先のトンネルがあるので供用はまだでしょうが、またトラス橋が1つ姿を消すのでしょうね。
 この先下り基調の快走ルートと行きたい処なのですが、風に苦しめられる事に、少しの登りに強烈な向かい風で4サイドは失速寸前。0933 谷瀬の吊橋で有名な上野地でトイレ休憩。
 1005 風屋貯水池を右に見る辺り津越野随道手前の「丸新食堂」が営業していたので、少し温かいものでもと立ち寄ります、ストーブの入った店内に、二人揃って「肉うどん」を注文。ここは谷瀬辺りの観光客相手のお店とか違い工事や仕事の人が立ち寄るお店、一応11時からの営業。
 1120 道の駅「十津川郷」に、私は「めはり寿司」を調達。折立の手前で十津川温泉北トンネルと云う新しいトンネルが供用されていたのでそちらへ、いずれ折立も平谷も通らずに七色高架橋まで繋がっちゃうのでしょうね、アップダウンも少なくなって自転車にとっても楽と云えば楽なんですが、改良区間のペースで車が飛ばす様になったのは。

 1151 十津川温泉(平谷)手前のスーパー「ヤマイチ」着、十津川筋で一番モノが揃うお店。私はここで買い出しをしておきたいのと、下り基調とは云え果無越がありますので F1氏には先に行って貰う事に。ここまで五條から私のペースで走って貰い有難うございます、走り続けている事が前提のロード用のウェアでは、休憩の多いツーリングペースはさぞかし寒かった事では。
 一人になると途端にのんびりペースに、温泉に立ち寄る余裕こそありませんが、十津川温泉のバスターミナルで早速の休憩です。
 果無と桑畑のトンネルを抜けると果無越のピーク、1319 には 二津野ダムを見下ろすポイントへ(写真左)、少し進むと七色高架橋が見えてきます、あそこを下りきると県境です。少々振動が気になりますので高架橋区間と旧道の分岐で、キャリアの点検、案の定ボルト1本が外れ、1本が緩んでいます、十津川までガンガン走ってきましたからね、やはりキャンピングはマメに点検が必要です。
 1403 土河屋トンネルに到着、このトンネルの手前で日本で一番大きい村(北方領土6村を除く)十津川村は終わります、休憩時間を含めてすが40数キロ約5時間がかり。ここから和歌山県となります、旧本宮町が下流の新宮市とではなく田辺市と合併したのですが、違和感ありますね。1420 本宮到着、N女史から焼き芋したいからサツマイモを買ってこいと指令ですが、3軒回って見つからず、此処は芋は買うものではなく作るものかも。 1454 「川湯野営場」に到着、ここまで本日の走行121.6キロ。
 ところで「川湯野営場」利用するのは30数年ぶり、いわゆる第一次キャンプブームの頃、お盆とあって超満員で、夜にはコールマンの2マントルが並んで、まるで夜店の屋台の様な有り様、以来遠慮していたのですが、最近はなかなか評判の良いキャンプ場の様です。当初天気予報が思わしくなかったこの週末、利用客は十数組と云う処でしょうか、ちなみに料金は1泊800円。

 既にN女史とV氏は到着していて設営完了、宴の準備が始まっています。道の駅で買った「めはり寿司」を頬張りながら、焚き火を囲む様に設営。
 十津川の「ヤマイチ」で見つけた「郷の心」は北海道新十津川村とのコラボ商品です。既に設営中に酒が入ってしまったので、温泉は明朝にして宴の始まり。
 そうそうF1氏も無事に新宮まで走り車中の人との知らせが。A氏が欠席する事をV氏に伝えてなかったので、食材は多め、でもどうもこの調子では酒が足らない様な、と云う訳で夜は更けて行きます。

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齋藤電鉄氏護送サイク 2021

 今日は齋藤電鉄氏が3泊4日の予定て関西に走りに来られるので、日程の2日目となる奈良県橿原市から和歌山県かつらぎ町までをご案内する事に、写真は「風の森」にて。
 以前にも一昨年2月同10月にもご案内しているのですが、昨日は滋賀県在住となったショコラ氏が大津市から橿原市の大和八木駅まで100キロあまりをご案内してきたとの事。朝9時に橿原神宮一の鳥居で待ち合わせです。
 目的地の笠田まで60キロ程の行程ですが、帰りは輪行になりますし、asuka号は週末に予定しているキャンプツーリングの準備でキャリアを取り付けていますので、デモン太での出走です。
 橿原神宮を出発し、岡寺~飛鳥と近鉄吉野線に沿ってレトロな吉野口駅へ。近鉄吉野線とJR和歌山線の接続駅です、次の薬水付近まで両線は並行して走り、吉野、和歌山へと別れて行きます。

 薬水では土木遺産にも指定されている「薬水拱橋(きょうきょう) 」にご案内。県道120号で重阪(へいさか)峠を越えれば五條市なのですがせっかくですので高鴨神社へご案内する事に。
 薬水と船宿寺を結ぶ無名の小さな峠へ、京奈和自動車道の下をアンダーパスする工事の折に、線形改良と拡幅されて東側11%西側7%の激坂になっています。峠の切通しの先に金剛山が迫ってきます。

 R24を跨ぎ「コロナ禍」で休業中の「かもきみの湯」の前から再び登りに。他に楽なルートもあるのですがね、大和盆地の展望を愉しんで貰って、高鴨神社へお参りします。全国鴨(加茂)社の総本宮で、日本最古の神社の一つと云われています。
 高鴨神社の後はちょっとサプライズで「風の森」へ、今でこそ知られる様になりましたが、県下のサイクリスト御用達のビューポイント。風の森神社の裏手の最鞍部を国道24号が越えていて、風の森峠は大和川水系と紀の川水系の分水嶺になっています。青空に金剛葛城の山並み、齋藤氏をご案内するには最高のお天気になってくれました。

 一昨年もご案内したのですが、五條の旧い町並み五條新町へ。なんと先年廃業した「餅商一ツ橋」が改装中? 五條新町のシンボルだったあの看板は何処へ。

 五條からは紀の川左岸の県道を辿るのが定番コースなのですが、JR和歌山線沿いの小径を縫って和歌山県へ入り、紀の川のサイクリングロードの終点隅田(すだ)駅へ(写真左)。旧街道の大和街道を辿って橋本市街へ。
 橋本橋で左岸に渡り紀の川べりの快走サイクリングロードに入ります。

 九度山でお昼の予定にしていたのですが、すっかりお昼を回ってしまいました、目的地の笠田まで後10キロあるかないかですので、時間的には余裕があります。真田親子所縁の真田庵の隣の幸村庵でお蕎麦を頂きます。そこで野良仕事の最中の地元民9さんを呼び出します、齋藤氏と9さん、初対面ですがブログを通じては知った間柄。

 食事の後、真田庵を案内して貰いますが、まだ残ってました、1985年から1986年にかけてNHKで放映された「真田太平記」のポスター、幸村役を草刈正雄、信之役を渡瀬恒彦、他ポスターには紺野美沙子と遥くららが映っていますが、正幸役は丹波哲郎でした。2016年のNHK大河「真田丸」では30年前に幸村を演じた草刈正雄が正幸を演じて話題になったのが記憶に新しい処。その「真田丸」でここ九度山も賑わったのですが、所詮ブームはブームですからね、おまけに「コロナ禍」でお店とかもなかなか大変な様です。
 九度山を後に紀の川左岸を進みます、サイクリングロードは三谷橋で右岸へ渡るのですが、左岸の堤防道路は暫く続きます。大門口大橋を渡りJR笠田駅へ。齋藤氏は近くの宿をとってあるのでここでお別れ。

 輪行支度をしているとY氏が到着、齋藤氏を引き渡して本日の私の任務は終了。16時37分発に乗車し帰途に就きました、本日の走行58.8キロ。



迷走「賀名生から広橋へ」

広橋梅林(吉野郡下市町)にて

 今日は勤務明けでお天気も良さそうなので五條の栄山寺から吉野川べりを軽く走って裏芋で帰って来ようかと思っていた処に、VIVVAさんからどっか行こうとのお誘い、リクエストは賀名生(あのう)梅林との事、明日香村セブイレ前に9時に合流します。René Herseのダブルレバーがご機嫌斜め、大丈夫かなぁ…
 五條へは吉野口駅前から重阪(へいざか)峠の定番ルート、お昼にと吉野口駅前の「柳屋」で「柿の葉寿司」でも買って行こうと立ち寄ったものの休業、五條病院前の吉野ストアでお弁当を調達する事に。その後は例のルートを行きますね。

 生子(おぶす)トンネルは閉鎖されていますので、国道へ登らなければならないのですが、丹生川べりの旧十津川街道を行きます、元は車が通れるだけの幅員も一部ガードレールも残っているのですが、今は数100m押さなくてはならない状況です、強引に乗ってたら案の定vivvaさんがサイドカットの憂き目に。どうにか旧西吉野村(旧賀名生村)との境界に建つ石碑を過ぎると、滝集落が開けます。
 再び例のルートに戻り、沿道では咲き始めた梅の花が出迎えてくれます。(Photo : vivvaさん)

 賀名生停留所跡へに到着、映画「萌の朱雀」の「恋尾バス停」ですね、ここから丹生川と国道を跨いで賀名生梅林へ向かい、少し登ったのですがやはり早かった様です、これ以上登っても無駄な様ですので、バス停跡に戻ってお弁当にする事に。

 まだ時間もありますので広橋梅林に向かう事になり、城戸から県道20号で樺ノ木峠へ、峠から下市町の街中へ下らずに山腹を広橋へトラバースできるルートがあると聞いているのですが、まだ踏み込んだ事はありません。樺ノ木峠から更に80m程登り梨子堂へ下りますのが、そこで道を間違いなんと先程登って来た県道20号に戻ってしまい、再び仕切り直す事に。私一人なら下市に下ってしまう処ですが、vivvaさんに引きずられて再挑戦。

 ハイキングコースにもなっているのでまず遭難する心配はありませんが、乗って走れるルートを取りたいので林道へ踏み込みます、GPSがあっても地形図がないと駄目ですね、最初に樺ノ木峠に着いてから推したり担いだり3時間近く山中を迷走、MTBにも乗っていた頃なら歓声もののルートですが、山サイなんかご無沙汰の身、脚が攣る始末。
 陽が傾き始めた1554、ようやく廃校下の広橋峠に到着。トンネルが開通してR309の旧道となりましたが、今も路線バスはこの峠を越えています。

 時間も推してきているので梅林の中を散策する余裕もありませんので旧道沿いに愛でるのが精一杯ですが、日当たりの良い分だけ賀名生より開花が早い様です。
 壷阪峠へ越えて明日香村まで戻ってくる頃には陽が落ちてしまいました。(Photo : vivvaさん)
 走行92.7キロ、7時間17分、AVS12.7km/h、センチュリーランを果たした位くたびれましたわ。



やっと2021年起動「東吉野サイク」

 2021年1月、あわや300キロ/月切れになりかけたのを暴風の中、半ば強引に大阪へ往復したのですが。何やら晦日は良いお天気との事、勤務明けですがFacebookに呟いたらVivvaさんが釣れ、東吉野方面へ向かう事に。
 9時に明日香村のセブイレで落ち合って芋ヶ峠を越えます、峠を吉野側へ下ると、結構路面が濡れています、予報と違い今朝まで降っていた様です。vivvaさんはデュカスの28のチューブラーを履かせたエルスです。
 窪垣内の信号にも交互通行かからなかったので、河原屋のローソンからニホンオオカミまでノンストップ、vivvaを前の出すと飛んで行ってしますので、頑張って引きます、まぁ今風ロードには抜かれましたけどね。
 「よしの庵」も「月うさぎ」も冬季休業中ですので「麦笑」で買い食い、「コロナ禍」でイートインコーナーはクローズしているので、縁側でひなたぼっこしながら戴きます。

 お馴染みの定点観測ポイント、今日は高見山は見えないだろうと思っていたのですが。珍しくリュックを背負ってます、夏なら耐えられませんが、通勤モードですんで。(Photo : vivva2000さん)

 「カエデの郷」に立ち寄っただけで、15時過ぎには桜井へ下ってきました。ほぼお天気に恵まれ、結構良いペースでご機嫌に走る事ができました、走行83.5キロ、これでようやく2021年が起動したかな。



大阪府の道路元標

 さて危険を顧みず大阪のど真ん中まで来たのですから、梅新交差点の北西角に建つ「大阪市道路元標」に立ち寄ってきました、ご覧の様に(大正)道路元標の様式とは全く異なる石標と云うよりモニュメント、測量で使われた下げ振り錘を模しているのですね。明らかに(大正)道路法の下で建てられたものではないので和歌山市道路元標とともに私はコレクションにはカウントしていないのです。
 元の道路元標は中之島の現在の大阪市役所前に建っていた様で、明治の里程標は高麗橋に跡碑が残っています、まぁ大阪の道路の起終点が移動してきたと云う事ですね。このモニュメントは昭和57年に地元ライオンズクラブによって再建されました、銘板は先代のものが流用されているとの事です。
 実は先日から道路元標のデータを整理していて、従来から道路元標が建っただろう12,000余りの市町村とネット上に公開されている情報と自身の履修情報をExcelで都道府県別に、現存が確認されている、或いはされていた座標をカシミールにプロットしています。
 道路元標は「道路法施行令」が施行された大正9年(1920年)4月1日に存在した市町村に設置を義務づけられたのですが、えいゃとばかりにその4月1日に一斉に12,000本もの石標が日本の津々浦々に建てられた訳でもなく、昭和にかけてぼちぼちと建てられいた様です。
 設置場所に関しては、設置(された或いはする)場所を県報(都道府県版官報みたいなもの)で告知された様で、これが道路元標探索の大きな拠りどころになっている訳です(左は山口県報第813号 大正9年4月1日 告示第141号)。戦災で逸失したものもあるでしょうが、幾つかの都道府県のものが図書館などで閲覧複写が可能です、ただ日本の公文書管理のエエ加減を知る事になりますけど。
 ただ設置場所が判っても実際に建てられた或いは残っている訳ではないのです。あと話がややこしいのは実際に建てられるまでの間に市町村合併などの変化もあり、大正9年4月1日の時点で存在しなかった市町村や既に無くなってしまった市町村の道路元標も存在している訳です、即ち時系列での重複を考慮に入れる必要もあるのです。
 例えば山口県山口市に現存する吉敷郡の「秋穂町道路元標」ですが、大正9年当時は秋穂村、町制をひいて秋穂町となったのは20年も経った昭和15年、それまでの間に「秋穂村道路元標」と印した元標が存在していたのか、今となっては判りませんが。また京都府舞鶴市には「舞鶴市道路元標」「東舞鶴市道路元標」がともに現存していますが、東舞鶴市は昭和13年から昭和18年にかけて旧舞鶴市と合併するまで存在しただけで、あと昭和17年に東舞鶴市に編入された「東大浦村道路元標」も現存しています。まぁ所属する市町村を失った道路元標をどうするかの条文はない様ですし。
 さて現時点で全国で2,000弱の現存が確認されている(された)道路元標のうち1,110基の道路元標が履修済みなのですが、集計して行くと1つ数が合いません、それが大阪府。先の大阪市を除けば府下には「岸和田市道路元標」「熊取村道路元標」「粉浜村道路元標」の三つしか確認されていません。その大阪府には大正9年当時の設置場所を示す県報などは見つかっておらず、昭和4年から道路元標の設置義務がなくなる昭和27年の(新)道路法施行前の昭和24年にかけての大阪府告示に設置場所が記されています。ほぼ訂正や廃止を含め大方がネット上に転載公開されていますが、大正9年から昭和24年までの開きがありその間の府下での市町村の変遷はかなりの数になります、なにしろ大正14年までに当時の西成郡20町村と東成郡24町村が大阪市に編入されたのが大きいかと。
 さて数が合わなかったの粉浜村がその西成郡に属していた為ですが、自治体がそのまま残る岸和田市や、町制こそひかれたものの合併する事なく残る「熊取村」2006年に何の手ががりもなしにたまたま発見できたのはともかく、大正14年(1925年)に大阪市に編入された「粉浜村」が100年近くも現存しているのは奇跡的かと。
 お陰で非常にややこしい大阪府の市町村、大正9年に301あった府下の市町村、昭和24年には164までに統廃合されたのを、私になりにまとめる事に。四条畷駅はなぜ四条畷市でなく大東市にあるのか、1日しか存在しなかった美陵(みささぎ)市、南大阪市、狭山市とかトリビアもあるのですが、道路元標は今も時折発見される京都府に対して寂しい限り、まだどこかに埋もれていないのでしょうかね。発見を願って整理した一覧を掲げておきます。
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「コロナ禍」緊急事態宣言下の大阪へ

 今日は勤め先の「健康増進プロジェクト」の個人面談に出よとのお達しでで、コロナ禍の渦中の大阪それも梅田まで出掛ける必要があり、全く走れていない今月(今朝の時点で218.6キロ)、このままでは2014年以来の300キロ割れは確実、ならば「密」になりかねない電車より走って行こうと考えたのですが、今年も走ろうとすると天気が悪くなる巡り合わせ、昨夜からの暴風、今朝は雪もちらついて一旦は諦めたのですがネ。
 とにかく行ける処まで行こうと輪行支度も整えて出発、飛鳥川沿いの自転車道は良かったのですが、御幸橋から大和川べりに出ると案の定とんでもない向かい風、もう15km/hすら出ません。
 もとより12時半までに梅田まで走って行くのは難しかったので、大阪メトロ谷町線の長原駅まで走って駐輪場に預けるつもりだったのですが、どうやらそれでも間に合いそうにないので近鉄河内国分駅でギブアップする事に。
 久しぶりの大阪市内、人も車もいつもと変わらないです。しかし「緊急事態宣言下」の大阪に「高齢者」を交通費自己負担で呼び出す「健康増進プロジェクト」って何なんでしょね。「コロナ太り」故の数値を指導される訳ですが「ハイ、お説ごごもっとも」と云う事で、ただ目標値をクリアしないと3ヶ月毎に呼び出されるのと、「自撮り」モデルとして横からは見るに耐えなくなっているので多少の努力はね。面白かったのは健康運動指導士のお嬢さんが串本町潮岬出身だと云う事で「測候所(跡)」の前の道で盛り上りました。ところで国道1号線を見下ろすこの風景、30年近く前に少し東の並びのビルの8階に勤めていたのですよね、風景はあまり変わってないです。
 14時には開放され梅田新道交差点の北西角の大阪市道路元標に立ち寄っただけで帰途に、鶴橋経由で河内国分駅へ、スーパー地下の駐輪場は何か買い物をすればタダになると云う事なんで、懲りずに甘いものを調達します。
 帰りも同じくR25経由ですが、追い風に乗って速いの何の、国豊橋北詰から王寺駅前まで30分と掛かりませんでした。R24を跨いだ辺りから風向きが変わったのには閉口しましたが1650には無事に帰投。本日の走行59.8キロ。



年末恒例「石川ポタ」


 今年で19回目を迎える年末恒例の「石川ポタ」ですが、コロナ禍の渦中でもあり、柏原市役所から一同連んでのポタを止めて通称「OHCHOの森」へ現地集合、各自振舞い料理はなしでソーシャルディスタンスを確保して食事、恒例のプレゼント交換と集合写真を撮って解散と云う形で実施する事になりました。
 今回はマトモな料理もしませんので荷物はお湯を沸かすだけの最低限の火器のみですが、カレンダーと三脚がありますので、フロント2サイドに大型サドルバッグ支度で。
 例年は柏原市役所10時集合ですが、今年は余裕がありますので 0820 桜井をスタート、二上山を正面に見ながら横大路を西へ、高田から裏道を走り逢坂のオークワでお昼を調達して関谷駅の西側からR165に入り 1020 田尻峠を越えて大阪府へ。
 10時半には柏原市役所に到着しましたが、誰もいませんので、一人寂しく石川沿いのサイクリングロードを南へ。年の瀬とは云え暖かな休日とあって行き交うローディの多い事、聞くところによると、今朝サイクル橋を渡った右岸路でローディ同士の衝突事故があったとか。さぁ一番乗りと思いきや「OHCHOの森」に着いたら、既に数人が店開きの最中。
 いつも大鍋を持ち込む幹事役のUG兄さんはパニアバッグの軽装備、それでも早くから来てメスティンで御飯を炊いていたとか。


 続々と到着する面々も、何時になく遠慮がちに間隔を開けて店開き。
 例年「たこ焼き屋」で大忙しのダイバーてっちゃんも、今年は寂しく小さなプレートで「一人たこ焼き」を。
 昨年に続いて女子率ゼロとなった「石川ポタ」でしたが… いましたいましたてっちゃんちのハルちゃんが、記念のツーショットを。(写真右上と左 : Setoguchiさん
 食後は恒例のビンゴゲームによるプレゼント交換、私は高級洋菓子をGET! (写真右 : Setoguchiさん)
 集合写真を撮影して解散となります。いつもは大和川に沿って帰るのですが、今回御所市から自走のkitanoさん、帰りも竹内峠で帰るとの事、昨年はその竹内峠を越えて来たのですが、大阪側の旧道は随分とご無沙汰で記憶も曖昧、そこで連れて帰って貰う事にしました。今回は走っている写真が皆目ありませんが、バクローさん親子をバックショット。

 実は私が自転車で名のある峠を初めて越えたのがこの竹内峠、50年位前でしょうか当時住んでいた堺から母方の実家のある明日香村まで走った時に、舗装前の地道だった記憶が。その大阪側から登るのは何年ぶりでしょうか、10数年前の「石川ポタ」の帰りに輪童さんと越えて以来、その時モンベルのフロントバッグのアタッチメントが折れた記憶が。kitanoさんの先導で道の駅「近つ飛鳥の里・太子」までは良かったのですが、その後がいけません、峠まで息があがって3回も休憩する始末、そう云えば通勤とかで距離こそは走っているものの、体重増に心肺機能ダウンは否めません。すっかりkitanoさんの足を引っ張りましたが、お陰で「自撮り」以外では珍しいサイドバッグスタイルの写真を撮って頂けました。旧街道に入り長尾街道との合流点までご一緒してお別れ、後は竹内街道~横大路と桜井までほぼ真っ直ぐです、16時半には無事に帰宅して本日の走行69.2キロ、2020年のサイクリング納めとなりました。来年は例年通りの「石川ポタ」ができます事を願うばかりです。

 なお集合写真を含む写真を順次アップしております「CanCanHomePage」の「BICYCLE」→「TOURING REPORT」→「2020」からご覧下さい、参加の方は再利用して頂いて結構です。なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧頂けません。ログイン名は’2020’、パスワードは2020年CanCan謹製卓上カレンダーの奥付右下の4桁の数字です、なお既に2021年のパスワードとの組み合わせも使用可能になっています。



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今年最後の東吉野サイク


 今月は皆目走れていません、先日から体調も今一ですし、それにこの季節は約束でもなければなかなか走り出せないもんで、まして先日からの寒波。今日は恒例と云うかカレンダーの配達に東吉野村から宇陀市へいつものコースを、今年最後の東吉野サイクです。週末ですし「明日香村セブイレ9時」とFacebookにも告知しておいたのですが、誰も現れません、当然か。芋ヶ峠の下り寒かった事、それに下るにつれ霙(みぞれ)が降ってきます、何でも五條市は雨だそうです。河原屋のローソンで使い捨てカイロを買いましたよ。
 こんな天気でも走っている人がいるのですよね、吉野町ではソロが1人と数人のグループが。東吉野村に入る頃には雲の切れ目に青空が少し、1142にはニホンオオカミ像前へ。
 まずは最初の配達先「麦笑」へ、年内の営業は26日(土)が最後だそうです。
 「よしの庵」さんは既に冬季休業に入っています、この寒いのに煩わせてもなんですので、そっとポストへ。なんでも差し入れにチョコを用意して待っていてくれたそうなんですが、感謝。また桜の頃に美味しいお蕎麦を。
 時々明るい陽射しが差し込む中、谷尻(たんじり)の集落を抜け 1337 一谷峠を越えようとすると凄まじい風が、下るにつれて芋ヶ峠同様、霰(あられ)が、しみてこないので霙よりマシですが、痛い事と云ったら。
 岩端の三叉路から少し登り返して、14時前にはお馴染み「月うさぎ」へ。番頭さんに今夜は「月の宝箱」で忘年会をするから泊って明朝帰れよと誘われたのですが、今日は任務がありますんで、残念。
 菟田野へ下ると再び霰が、やや酷い降りなので、「ひらら」の向かいの農協倉庫の軒先で20分ばかし雨?宿り。その後芳野川沿いの道を、路面はかなり濡れていますが、北には青空が。
 来年のカレンダー2月のバックに「伊那佐郵人」が写っているので、松田局長宛にポストへ入れておきます。

 宇陀川側へ越える頃に再び霰が、逃げ込むように今日最後の目的地「おごぽご」へ、もう30年のお付き合いになり、以前は鉄人児玉さんや葱の吉盛さんも良く来られていたのですが。最近は私も対岸のサイクリングロードが繋がってしまったので通過する事が多くて申し訳ありません、先日の「タンデムラン」きっちり観てたよとの事。濃厚ぜんざいとストーブで暖まって帰途に、幸い西風のせいか女寄峠の路面は乾いていて、安心して下る事ができました、本日の走行87.4キロ。



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4Season 2020 秋のライド

宇陀市菟田野岩端 古民家カフェ「月うさぎ」にて 

 今日は時々お邪魔している橿原市法花寺町のカフェ「4season」のりょうママ主催のライドイベント。一昨年10月8日にお店の15周年を記念して初めて行われたのですが、昨年10月14日そして今年と恒例行事となりつつあります。今年はお馴染み「月うさぎ」でお昼をと云う事になったのですが「コロナ禍」の事もあり、定員を絞ったらあっと云う間に定員に達してしまったとの事。
 スタートは橿原市なのですが、私は昨日の「タンデムラン」の後「月の宝箱」に泊まり込み、峠の手前の宮奥ダムでお迎えする予定で出発したのですが、早く着きすぎてしまいそのまま大峠トンネルを抜けて桜井側で待つ事に。
 1033 一番最初に登って来たのはなんとS先生,、しんがり役の3人が登ってきたのは僅か6分後、例年はのんびり走ってくれる人がいるのですが、全員がこの調子だと帰途フル装備になるとついて行けない事は目に見えています。
 しんがりを追って再び大峠トンネル(1,806m)を抜けて宇陀市側へ。
 宮奥ダムにて小休止。今回の女性陣は5名です、困った事にどちら様も速いのが。
 宮奥ダムの後は一気に岩端まで走り、一谷峠の登り口になる分岐まで来ました。
 最後の登りはだんだんキツくなって、到着です。
 1147には全員が「月うさぎ」に到着です。
 今回は「コロナ禍」対応でテイクアウトもできる様に、お弁当にして貰ったのですが。結局は昨日と違ってお天気は今一つ、外は寒々しいので店内で頂いてましたが。
 最後に番頭さんのレクチャーもあって「月うさぎ」を後にします。連日お世話になりました。
 1307「月うさぎ」を後にし「月の宝箱」に寄ってサイドバッグ4つを装着し出発しますが… (写真右 : 森川 康治さん)
 出るなり皆さんの早い事と云ったら、あっと云う間に離されます。
 こちらは4サイド、どうにか追い付いて何枚かの写真は撮りましたが、陽射しがないので冴えません。
 菟田野古市場の和菓子「西昭和堂」に寄って、おやつの「みたらし団子」を、5本以上でないと売って貰えないのでソロの時はなかなか戴けません。(写真 : 小黒あきさん)
 昨日も立ち寄った「カエデの郷 ひらら」へ。この後、帰途に就いたのですが、伊那佐の手前でちぎれてしまい、私にとってのライドはその時点で終了、のんびりと予定のコースを走って帰りました。本日の走行72.8キロ。