「自転車」カテゴリーアーカイブ

穏やかな冬の1日を

20150207a.jpgこの週末は土曜日だけは良いお天気との予報、3連続100キロ超えの疲れは全くないのですが、さすがに3日も遊んでいると雑事が溜まってしまって、asuka号も輪行袋に入ったまま、何の予定も考えていませんでした。 ずいぶんご無沙汰しているのですが、近在のサイクリングの先輩であるモゼールさんから軽くポタをとのお誘いが、待ち合わせ場所の橿原公苑の「ジョギング&サイクリングステーション 」へ明日香村経由で向かいます、風もなくやわらかな陽射しが心地良いです。 20150207b.jpg別に何処へ行こうと決めている訳でもありませんが、石舞台経由で栢森へ。 このお天気の週末ですから石舞台界隈ではローディの多い事、皆さん多武峰方面へ行かれる様で、多武峰への県道はすっかりクライマーのメッカになっていますね。 ところで私の10年先輩氏はポタと云いながらシッティングでグイグイ登って行かはります。 20150207c.jpg栢森では「奥明日香さらら」へお邪魔してコーヒーを頂きます。 「さらら」は古民家を利用した田舎料理のお店、以前にも来ているのですが、その時はUG兄氏とニッカスタイルで来たので工事の人と間違えられていた様な。 一人で走る事の多い私はこう云った機会でもないとなかなか立ち寄る事ができません。 写真はおかみさんに撮って頂いてfacebookにアップされたものを加工しました。 20150207d.jpgあくまでもポタですので栢森で引き返し稲渕の棚田へ、先週も日本一周中の國弘君と来たばかりですが。   20150207f.jpgお昼は橿原市田中町にあるザ・カントリーキッチン「だいこくや」、昔からあるそうなのですが住宅街の中にあって前の道を通る事もないので今まで知りませんでした。 ログハウスの内外装個性的なお店ですが、なかなか落ち着けます。 なお2階は一泊2,500円の「虹のたね」と云うゲストハウスになっている様です。 少し走ってまたの機会をお約束して今日はお別れしましたが、結局、走っていた時間よりお茶をしながら喋っていた時間の方が長い「真正ポタ」でした、満足。 しかし今日のモーゼルさんに80代の鉄人児玉さんと回りには元気な先輩が、まだまだ10~20年は元気で走らなあきませんなぁ… 20150207g.jpgお茶ついでに帰り道に「4’season」で豆乳ココアを頂きます、facebookの方の300いいね! のお礼にとあるサインをすると??? ところでママは暖かくなったら高見越えで伊勢参りを画策している様です。 20150207h.jpg本日の走行35.5キロ、走行時間2:08:49、平均速度が16.5キロっていつもより早いやないですかぁ、いつも一人でどれだけのんびり走っている事やら。 今日は結果的にマッドガードなしのasuka号で走って行きましたが,、最初はkoga-miyataで行こうかなと思い、先月の「大和川CC御一行様迎撃」の折に走行中にリムから外れたpanaのTourerPlus700x26c、原因は曖昧なままですが代品が先週届いていましたので交換しました、そろそろロードも頑張って乗ってあげなくっちゃね。 しかしパナソニック・ポリテクノロジーが投資ファンドへ身売りとか、これからどうなるのでしょうね。

3日連続100キロ超えは伊勢ツーリング

 

20150204a.jpg今日は復調以来の当面の目標だった「3日連続100キロ超え」を果たそうと一昨日、昨日に続いて、お伊勢さんまで片道のツーリングに出掛ける事にしました。 それに「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーのポイント2ヶ所をGETすると云う目的もあります。 基本道路元標であったりとか県道ヘキサ蒐集とか何か目標やテーマが無いと走らない人でして「走るのに理由はいらない」なんて格好の良い事をのたまう御仁でもありません。 今日は復路伊勢市から輪行の予定ですので、昨年暮に新調していたオーストリッチのMTB用の大型の輪行袋をサドルバッグに押し込んで行きます、しかしデカいキャラダイスのネルソンがそれだけで一杯です。

20150204b.jpg桜井から伊勢へはいわゆる伊勢本街道とよばれるR165~R368が最短コースになるのですが、R368の大内峠までのだらだらと続く登りとその後のアップダウンが嫌なので、昔からR166高見越を走っています。 R165西峠を越えて宇陀市へ、さすがに標高300m台の宇陀は寒いです。

20150204c.jpg菟田野松井橋のローソンで補給、これよりR166は60キロ程は松阪市飯南町付近までコンビニの類はないのです。 桜峠を越えて昨日も来たばかりの東吉野村へ、最近佐倉峠を越えたところにこんな看板ができました「ニホンオオカミ最後の地…」、まだお目にかかってませんがオオカミのゆるキャラもいるそうです。

20150204d.jpg佐倉峠を下り鷲家(わしか)で高見村道路元標の生存確認をした後、新木津(こつ)トンネルまで登り返しトンネルを抜けるといつもの定点観測ポイント、昨日と違ってなかなかのお天気です。 高見トンネルまでできる限り旧道を走って行きます。 ところで高見峠への旧道ですが、奈良県側通行止になったままと思っていたのですが、通行止の案内はでていませんでしたね。

20150204e.jpg路肩には雪が残っていますが問題なく高見トンネルに到着(最初の写真)、今日は向かって右側の歩道を行く事にしましたが、所々で漏水が凍って散乱しています、ちょっとこれには難儀しましたが、そのまま歩道を走って行く事に。 無事に2,470mの高見トンネルを抜け、ループ橋を見下ろせる処で一息入れます。

20150204f.jpgここからは松阪市飯南町粥見(かゆみ)まではR166を櫛田川沿いに約40キロ標高差500m程の下り基調の道を走って行けば良いのですが、そんな事は決して致しません可能な限りの旧道、脇道、裏道を縫って走って行きます。 まずは高見峠を越えて最初の宿場波瀬(はぜ)集落へ、昭和31年まで飯高郡波瀬村で里程標が残っています。 ここだけは時間が止まってしまった様な旧街道の街並みです。

20150204g.jpg松阪市飯高町森のR166旧道区間、遠回りになりますのでわざわざ通る車はありません。 なお先の波瀬集落に入る処から次の珍布(めずらし)峠まで、天神橋五丁目さんが2007年10月に撮った動画「R166旧道脇道裏道ツーリング「和歌山街道 珍布峠へ編」がYouTubeに残っていますので、興味のある方はどうぞ。

20150204h.jpg道の駅「飯高駅」の手前から旧道に入り和歌山街道珍布峠へ、櫛田川の蛇行部分をショートカットしているだけの標高差50m程の小さな峠ですが、岩盤を穿った深い切り通しが独特です、最近は訪れるハイカーも増えている様で案内板などが整備されています。 和歌山街道は伊勢南街道とも云われますが、江戸時代初期に紀州徳川家が参勤交代に利用していた時期があり、またこれから走る和歌山別街道の途中にある田丸は同じく紀州徳川家の所領でもあり、三重県の櫛田川沿いのこの道は和歌山とは縁が深いのです。 珍布峠を東へ下るとR166沿いにある道の駅より先に出てしまいますので、道の駅に立ち寄りたい向きは少し引き返す必要があります、ご注意を。

20150204i.jpg一旦R166に出ますが<745>片野飯高線に入り櫛田川右岸に入ります。 そのまま右岸を走りR368に出ますので、もうR166に戻る事はありません。 写真は<745>から見る櫛田川、背後の山は局ヶ岳(1,029m)伊勢三山と呼ばれているそうです。 写真の沈下橋は渡れましたが今はどうでしょうね。 (2007年4月)

20150204j.jpgR368に入り桜峠を越えます、飯高町側から大した標高差でもありませんが、ここまでに走ってきている事もあって谷あいのダラダラとした登りがあまり好きではありません。 私の知る限り三重県には桜峠は三つありますねR422信楽と青山高原に。 桜峠を越えたのは14時12分、もう登りはありませんがまだ30キロ以上は走らなくてはなりませんので、少々時間が押してきました。 それでもなお極力旧街道を走ります、何やら未知の道路元標がひょこっと現れそうな雰囲気の道筋ですねぇ。

20150204k.jpg予定の一つであった3日連続100キロ超えは達成、別に早く走りたいとは思いませんが、ツーリストとして連日走れる持久力と気力は持っておきたいですね。 16時丁度に伊勢市域に入りました。

20150204l.jpg度会(わたらい)橋を渡り外宮前の「ツール・ド・紀伊」のポイントをGETし内宮前のポイントへ、伊勢志摩エリアをクリアし都合22地点達成し後8地点です。 近々にも今日と同じ高見越えで尾鷲を目指す予定にしています。
20150204m.jpgせっかく内宮まで来たのですから「おかげ横丁」へ、しかしどのお店も5時で店仕舞い、折角の伊勢ですが「伊勢うどん」も「赤福」もなし。 なにやらうら寂しい赤福前、三脚を持ってきていたら人影のない貴重な風景で「自撮り」が出来たのに、残念。

20150204n.jpg最寄の近鉄五十鈴川駅まで走り、コンビニで豚まんと唐揚げで虫養いをして帰途に就きました。 本日の走行124.9キロ。

 

月例 東吉野サイク+室生ダム

 

20150203a.jpg室生ダム湖畔にて

 

20150203b.jpg昨日も京都府城陽市まで往復していて100キロ超えしていたのですが、最近では100キロ超えだけではブログネタになりません。 今日も連続で100キロ超えのつもりで東吉野へ向かいますが、定番コースでは90キロ程ですので染谷峠を越えて室生経由の予定です。 例によって芋峠を越えて吉野へ向かいます、行者辻あたりから週末に降った分でしょうか路肩に雪が残っていますね、下の方から人の声が、どうやらジョギングの人達の様です、どうにか峠までに追い着かれない様に頑張って登ってきました。 しかし今日は身体が重いです、朝からトースト3枚に卵2個のベーコンエッグはいくらなんでも食べ過ぎですよね。

 

20150203c.jpg吉野川沿いのローソンでパン2個他を仕入れて東吉野へ、天気予報では晴れ間もでてきそうな感じだったのですが、ずっと曇り空のままです。



20150203d.jpgお昼前には高見山を見上げる定点観測ポイントまでやってきました、肉眼ではどうにか山頂付近まで見えるのですが、写真では判りにくいですね。 風がないのは良いのですが気温はかなり低い様で登り基調の道もずっとネックウォーマーをしたままです。

20150203e.jpg染谷峠へ向かいますので、いつもの谷尻(たんじり)への道ではなく、「たかすみ温泉」の前を通る<28>吉野室生寺針線へ入りますが、なにやら雪が降ってきました、丁度お昼時ですし平野口の屋根あるバス停にもぐり込み、持参のポットのコーヒーとローソンで買ったパンでお昼にします。 滝野から染谷峠への道へ入って行くと標高が高い事もあって路面はご覧の通りで慎重に上がって行きますが、峠を越えて北側の激坂部分では見事に凍っていてスリップ、幸い立て直して転倒せずにすみましたが、さすがに後は国道まで推して行く事にしました。

 

20150203f.jpg室生寺門前にて、橋本屋は開いていますがこの季節の平日とあって閑散としています。 室生ダムへ登り返しダム湖畔を走ります。 三脚も交換レンズも積んで「自撮り」の用意もしてきているのですが、天気も今一つですし、良さげなポイントも見つけられずにそのまま榛原へ、宇陀川沿いに篠楽まで走り女寄辻経由で16時半には桜井へ帰ってきました。 本日の走行105.9キロ、2日連続の100キロ超えですが、復調後の目標に「3日連続100キロ超」ってのを考えてまして、明日も100キロ目指して走る予定にしていますので、今日は簡単にこの辺で失礼します。  

 

2月はポタでスタート「おんだ祭」へ。

20150201a.jpg2月の第1日曜は明日香村の奇祭、飛鳥坐神社の「おんだ祭」です。 午後からのんびりと出掛けてきました。






 

 

20150201b.jpgお尻を青竹で叩かれると厄除けになるそうです。 女性や子供は手加減してくれますが、大人の男性は遠慮無しに叩かれます。





 

 

20150201c.jpg案の定、翁に思い切り叩かれました。 お尻を叩いて回るのは余興みたいなもので「おんだ祭」のメインは神前の舞台で行われる神事?




 

 

20150201d.jpgそちらは見学の人が一杯押しかけて来ていますので、私の様にのんびりやってきては見る事はかないません。 輪童さんご夫妻がお昼位から陣取ってくれていまして、Twitterで画像を送ってくれます。 写真は輪童さんの4年前のものですが「夫婦和合」「子孫繁栄」の神事であります、詳しくはこちら(^_^)

 

 

20150201e.jpg上では神事がたけなわなのですが、下にいても寒いだけなので、少し石舞台の方へ走りに、八釣の蝋梅が咲いているそうなので、岡寺のバイパスを登って八釣へ。



 

 

20150201f.jpgその後、輪童さんご夫妻とお茶へ。 時々雪の舞う寒い1日でしたが、本日の走行21.6キロ、2月はのんびりとポタリングでスタートです。

No tags for this post.

日本一周中の國弘君と飛鳥ポタ

今日は1月24日に「志摩ツーリング」の途中、鳥羽展望台で知り合った日本一周中の国弘君が奈良へ来ているので、飛鳥案内を兼ねて一緒に走る事にしました。 彼はGIANTのGREAT JOURNEY の4サイドで山口県をスタートし時計回りに走っています。  

近鉄飛鳥駅前で待ち合わせします、今日が188日目。 彼は大阪の大学(田尻峠の向こうの)を出ているそうなのですが、大学時代は自転車はやっていなかったそうで、明日香村には来た事がないそうです。 まずは高松塚古墳へ向かいます。
高松塚古墳から亀石を経て稲渕の棚田へ、「日本の棚田百選」に選ばれているとは云え、あの能登の「白米千枚田」を見てきた目には比べるべくもない様な気もするのですが。

棚田の中を走れるよと云うと、走りたいと云うのでご案内を、これだけの荷物の4サイドで半年間10,000キロ以上走ってきたのですからなかなかパワフルです。

 
いつもの石舞台を見下ろす丘の上で記念撮影を。






明日香村岡の古い街並みの中を行きます。






お馴染み「めんどや」でお昼にします。






食事の後も酒船石、入鹿の首塚とかを回ります。 明日香村の長閑な風景の中を行きます。




大官大寺跡から藤原宮址を通って、橿原市のローディ御用達のお店「4’season」でコーヒーブレイク。




横大道(初瀬街道)を走ってJR高田駅までお送りしてお別れします。 明日は奈良市から大阪方面、そして岡山から四国に渡るそうです、これからの旅もご無事で頑張って下さい。 ブログ「自転車でお届けする日本1周日記」やfacebookもやっているそうですので応援してやって下さい。
 
うちのHPの「ツーリングの記録」にも写真をアップしています、パスワードをご存知の方はご覧になれます。

五新線跡に沿って西吉野サイク(2)

20150129a.jpg 映画「萌の朱雀」でロケ地として使われた「賀名生(あのう)」バス停です、映画では「恋尾」バス停となっています。

20150129u.jpg 結局、橋が落ちていては丹生川を渡る事ができませんのでR168にワープする事に、写真は南朝の行宮であったとされる「堀家住宅 賀名生皇居跡」と五新線第6丹生川橋梁。 鉄道が走っていたら格好の撮影ポイントだったんでしょうね。

20150129s.jpg せっかくですから「賀名生」バス停へ寄ってみます、賀名生は梅林で有名な沿線随一の観光地です。 丁度お昼時ですので五條の吉野ストアで買ったパンと持参のポットの温かいコーヒーでお昼にします。ちなみに五條市街を出るとR168にはコンビニの類はありません。

20150129t.jpg 国鉄バスと書かれた観光案内板があります、もうこのバス停に降り立つ人はいないのですが。

 

20150129v.jpg 賀名生の街並みから丹生川をはさんで五新線跡が望めます。

 

20150129w.jpgR168の走る丹生川左岸から向賀名生バス停のある対岸へ渡ってみます。

 

20150129x.jpg向賀名生の集落、丹生川をはさんで山腹にへばりつく様に大日川の家々が点在している。吉野には良く見られる風景です。

 

20150129y.jpg 再び左岸に戻ってR168へ、第7丹生川橋梁で一旦R168と交差します。

 
 

20150129z.jpgR168旧道から何度か五新線を見下ろせるポイントがありますが、この付近の衣笠トンネルに崩落の危険性があるとの事が、専用道のバス廃止の直接の原因となった様です。

20150129za.jpg 専用道の終点である城戸(じょうと)が見えてきました。

 

20150129zb.jpg終点の城戸バス停跡です、かつて専用道を走ってきたバスはこのスロープを下ってきて一般道に入り西吉野温泉まで行っていました。スロープを上がると鉄道駅舎の様な建物があって反対側はタクシー会社の車庫になっている様です、「市有地につき一般通行を禁止します。この先、通り抜けはできません。五條市」とあります。  五新線に沿ったサイクリングはここまでです。 バス専用道の存在を知っているサイクリストはバス運行の廃止を聞いて口を揃えて自転車道にしてほしいなと云います、実際私もそうだったのですが今は否定的です。鉄道廃線跡を自転車道にしている例は日本全国に多くの実例があります、それは平行した道路が既に整備されていて、幅員がなく一般道への拡張が難しい廃線跡の再利用は自治体の苦肉の策で、まして維持コストのかかるトンネルや橋梁の多いこの路線、大分交通廃線跡のメイブル耶馬サイクリングロードが似通った事例かも知れませんが、賀名生梅林と西吉野温泉くらいしか集客ポイントがない西吉野、サイクリング利用者は限られている事でしょう、廃道寸前の自転車道は各地に少なくないのです、現在の所有者の五條市も頭を抱えている事でしょうね。ぶっちゃけた話この道はバス運行廃止以前から部分的に地元の生活道路になっているのです、それは詳細な地図を見れば歴然としています。現実に崩落の危険性のあるトンネルで分断されてしまっているのですから、地元利用の機会がない橋梁やトンネルは閉鎖し、必要な箇所だけは生活道路として活用すると云うのが現実的だと思います、その折は部分的にでも有効に利用したいと思います。「市有地につき一般通行を禁止…」と云う市の責任回避だけしている現状が一番問題なんだと思いますが、どうでしょう。

(その1へ) (その3へ)

 

五新線跡に沿って西吉野サイク(1)

20150129a.jpg

 かつて鉄道敷設法と云う法律がありました、1892年(明治25年)に制定され、あまねく全国に鉄道路線網を張り巡らそうと云う、今の高速自動車国道法の鉄道版みたいなものです。 鉄道建設が国家の基盤施策みたいに考えられていた時代ですから、費用や技術的問題、必要性、採算性などは度外視で、ある意味政治家の集票の道具の様に使われていたかも、ちなみに道路元標の根拠法の旧道路法は1919年(大正8年)。 1922年(大正11年)の改正鉄道敷設法では全国で150もの路線が設定されていました。 その中に「奈良縣五條ヨリ和歌山縣新宮ニ至ル鐵道」、すなわち五新線が掲げられています。 1939年(昭和14年)に建設に着手されたものの、ルートに関して地元同士の綱引きに、国鉄、近鉄、南海の思惑が絡み、戦時中断を経て1957年(昭和32年)に工事再開、1959年(昭和34年)には五條~城戸までの路盤が完成したものの、地元西吉野村(現五條市西吉野町)が鉄道としての開業に懸念を示したため、路盤を専用道として利用するバス路線として開業する事となります。 その後工事は大塔村(現五條市大塔町)阪本まで進みますが、1982年(昭和57年)の国鉄再建法の施行で工事は凍結、城戸までのバス路線は国鉄~JR西日本と継続されますが、平行する国道168号線の改良や自動車利用の発達、城戸以遠や接続網を持つ奈良交通のバスが国道を走っている事もあって運行本数は逓減し、2002年(平成14年)にはJRバスが撤退、地元自治体が奈良交通に運行を委託していたのですが、トンネル崩落の危険性がある事が判り2014年9月末で廃止となった事は話題に新しいですね。
 奈良県出身の映画監督河瀬直美さんの実質的な処女作でカンヌ新人監督賞の最年少受賞作品となった映画「萌の朱雀」(1997年)の舞台に西吉野村がなり、作品中では具体的な事までは明らかになっていませんでしたが、國村隼演じる主人公が五新線に拘わっていた事が物語の重要なテーマになっていました。 ちなみ「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子さんは西吉野村出身で御所高校卒業。 最近ではロケ地の案内ができたりしていますが、私の聞いている範囲では内容が暗すぎると地元での評判は良くなかったそうです。
 ところで晩年の土日には午前中に1往復だけなってしまったバス専用道、奈良県のサイクリストには知られた存在でした、なにしろ五條~城戸間を車に煩わされる事のない殆んど平坦路と云って良いルートがあるのですから、しかしネットではその利用を明らかにする事はタブーなのです、今もなお。

続きを読む 五新線跡に沿って西吉野サイク(1)

断捨離の日だったのですが… 奈良盆地ポタ

 

20150128a.jpg

 

天理市丹波市町

実は昨日から色々と片付けものをしていたのですが、なにせ面白そうなものが出てくる度にtwitterやfacebookのネタにしてしまいますので、なかなか前に進みません(^_^;) 20150128b.jpg1993年当時のソフトバンクの会社案内、開くとおもわず笑ってしまいました。   20150128c.jpg昭和11年でしょうか阪和電鉄天王寺駅のスタンプ、阪和電鉄とは現在のJR阪和線の前身、天王寺~和歌山間を45分で結んでいたのはなんと今と2分しか変わらないのです。 しかしなぜのこのスタンプが私の手元にあるのかが判らないのです。 20150128d.jpgMicrosoft LAN Manager とユーミンのアルバムのトランプ、LAN Manager はMS-DOSからWindowsまでの間に存在したネットワークOS、この画像をTwitterにUPしたらWindows Newsにシェアされてしまった。 20150128e.jpg自転車関係とは違うところから出てきたシクロサロンあすかの刻印入りのステム、今度バーテープを巻きかえるときにでも交換してみようかな、しかし何故余っているんだろうか判らない。   20150128f.jpg 相当量の雑誌類が幅をきかせていますので処分します。     20150128g.jpgとりあえずオリコン1個分を燃えないゴミに、しかしまだまだあるなぁ、古いDOS-Vパーツも処分して行かなくては…   と云う訳で今日も「断捨離」Dayのつもりでいたのですが、表を見ると少し陽射しもあって気持ち良さそう、ひっくりかえったままの部屋をほったらかしにしたまま、走りに出かける事に(^_^;) 20150128h.jpg上街道を北上し天理市丹波市町で丹波市町道路元標の生存確認、道路元標は道路沿いではなく市座神社の境内に青石橋と一緒に保存されていますが、案内には道路元標に関しては何も書かれていません。 20150128i.jpg 市座神社で猫とだるまさんは転んだをしたりして…   20150128j.jpg再び上街道を北上します。 遅めの朝食を採ってきたのですが、「まんま亭」でも行こうかなとふと思ったので念のためにHPを確認すると今日は休み、昔から行こうと思うと休み、どうも縁が無い様です。   20150128k.jpg奈良町、さすがに冬の平日は観光客の姿も少ないですね。 「こたろう」で鯛焼きでも買おうかと向かいますと、今日は鯛焼きはないそうです。 雪も降って来た事だし帰ろうかと考えながら西へ向かうとまた天気が良くなってきたので、奈良自転車道へ入り西ノ京から大和郡山へ、「菊屋」でも寄ろうかなと思いつつ行き過ぎてしまいます。 20150128l.jpgそうだ「とんまさ」も良いなと店の前に行くと平日の1430~1700はお昼休み、こんな事なら奈良で「銀座デリー」でも行っておくんだったと思うとますますお腹が減ってきます。 結局御幸橋経由の定番コースをひた走り帰ってきました、本日の走行59.8キロ。 

No tags for this post.

月例 東吉野サイク+宇陀ポタ

20150125z.jpg昨日志摩へ行ったばかりですが。 KHSは輪行は気軽にできるし、小径車にもかかわらずそれなりの走りもできる事は先日の「南紀ツーリング」を始め北は会津から南は宮崎まで数々の遠征で実証済み、機動力のある良き相棒なのですが何か物足りないんですよね。 ツーリング車で走った時の様な満足感がないと云うか、今日はasuka号で写真でも撮りながらのんびり走ろうかと、三脚も積んでとりあえず明日香村から芋峠を向かう事にして、後の事は考えていません。 まずは初瀬街道(横大路)を西へ向かっていると、ひょこっと脇道から女性ローディが現れます、時代と云うかいるんですね、ついて行きたいのは山々なんですが左折して明日香村方面へ、石舞台で定点観測の後、栢森から芋峠へ、1台のロードが颯爽と抜かして行きます、こちらは時にはジョガーに負けるペースですからね。 20150125a.jpg芋峠へ着くと数台の車が、オレンジ色のベストとかを着ているので一目でハンターと判ります、軽トラの荷台にはゲージに犬も、イノシシ狩りの様です。 峠の両側へ別れて行くのをみるとこれから追い込んで行くのでしょうかね。 ちなみに隣の壺阪峠を走っている時にイノシシと出遭った事があります、幸い「ブヒッ」と鳴いて向こう側へ走って行ったので事なきを得ましたが。 20150125b.jpgところでフロントバッグを開けるとカメラが、交換レンズも三脚も持ってきているのにG2本体を忘れてきた様です。 メモリーカードを入れ忘れたとか、バッテリーが上がってたりとか笑い話がありますが、カメラ本体とは、まぁ情けない話です。 コンデジも持ってきていませんので、従って今日の写真は全てスマホです。 20150125c.jpg芋峠を下り吉野町上市まで下ってきましたが、さてここから定番の東吉野へ向かうか、吉野山へ登るか、あるいは五條方面へ向かうか。 結局はカメラを忘れてきた事もあって、新しいネタも無さそうな東吉野へ向かう事にし、週末ですが「よしの庵」も1月中は改装とかでお休み(2/7から営業だそうです)宇陀へ越えるまでは食事のできる処もないので、吉野川沿いのローソンでパンとおにぎりを仕入れて行く事にします。 20150125e.jpg「中荘村道路元標」「国樔村道路元標」の生存確認をして吉野川沿いの道を走っていますと、またこんなものを見つけてしまいました、吉野町菜摘と矢治にある「ならクル」(T-1)大和青垣ルートの案内、4キロ程離れているのですが柳生までの距離がいずれも48kmになっています。 20150125d.jpg暫く走ってますと、前方に2台のロードがのんびりと愉しそうに走ってます。 追い越すのも気が悪いので暫くはそっと後ろを走ります。 途中で何か気になるものを見つけたのか停まりかけたので、遠慮なく先へ行かさせて貰う事に。 20150125f.jpg東吉野村へ入りお馴染み「オオカミ像」前で休憩、温かいポットのコーヒーとローソンで買ったカレーパンを頂きます。 キリッとした冬の空気と陽射しが心地良いです。 暫しの休憩の後は「小川村道路元標」を確認して、丹生川上神社経由で木津(こつ)へ、高見山の見えるポイントで定点観測、facebookを見ると自転車仲間のsyokoraさんが今まさに高見山に登っているそうで霧氷が綺麗だとか。 20150125y.jpg東吉野村谷尻(たんじり)にて、「月うさぎ」も冬眠中なのでそのまま一谷峠へ。 20150125x.jpg菟田野から芳野川沿いに一旦榛原まで行ったのですが、再び宇陀川沿いに南下して大宇陀へ、松山街道の古い街並みをポタります。 峠道、里山の風景、旧街道、日本の風景に似合うのはやはりマッドガード付きの自転車ですね、それもホリゾンタルフレームの、残念ながらKHSでは絵になりません。 大宇陀を後にし宮奥ダムから大峠トンネルを越えれば丁度100キロ超えで桜井に帰ってきました。 本日の走行102.7キロ。