「道路元標」カテゴリーアーカイブ

【99】弥富町道路元標(愛知県海部郡)

仕事、と云っても年末のご挨拶ですが愛知県弥富市へ行ったので「弥富町道路元標」をゲットしてきました、これで99基目ですが年内100基達成は難しそうです。 もちろん自転車ではないです、県道ヘキサは100%自転車同行ですが、道路元標は今後沼島の様な離島へ行くかも知れないので、あえて自転車でとは拘らない事にしました(^^;)


現在の国道1号線より海岸寄りの旧東海道でしょうか、昔役場のあった場所が「歴史民族資料館」となっていて、その前に「弥富町道路元標」は保存されています。


Rが大きいですが省令に従った形状で、裏面は無地です。


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【95】上野町道路元標(三重県阿山郡)

上野町は昭和18年に周辺6村と合併し市制をしき、戦後も周辺5村を編入し伊賀市となるまでの上野市の形をなした。 平成16年に伊賀町、阿山町、青山町、大山田村、島ヶ原村と合併し伊賀市となり阿山郡と名賀郡は消滅した。


道路元標は伊賀街道の三叉路、上野本町通り郵便局角にある。 なお「上野町道路元標」ではなく「上野町元標」となっており、書体も道路元標としてはユニークなものである。


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兵庫県の道路元標

 頼んでおいた本が届いた、表題の通りの兵庫県下の道路元標を著者が10年の歳月をかけて探索した資料である。 道路元標が設置されたであろう400余りの行政区を巡り217基の現存を確認し写真に収めている。 奈良版とも云える「道路元標を尋ねて -奈良県ふるさとめぐり-」(上田倖弘著 弘道社)に比べると読ませる部分や周辺の写真や地図がなく、単に情報の羅列と云う感じもなくはないが、元標の存否を知る事ができるだけでも貴重な資料である。 A5版160頁、頒価\2,200_


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【87】下田村道路元標(奈良県北葛城郡)

下田村は昭和31年に近隣3村と合併して香芝町となり、平成3年香芝市となった。
 元標は長らく旧街道沿いの中川酒店前にあったが、最近JR香芝駅(旧下田駅)そばの下田地区公民館前に移され保存されている。


残念な事に「元標」の文字が埋まってしまっている、ただ中川酒店前にあった時は「路」も埋っていた様なので既に下の部分は失われてしまっていたのだろうか...


また折角の説明が「明治のはじめごろ...云々」と書かれている、もちろん道路元標は早くても大正9年以降のものである。


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道路元標探索サイク(その4)

今回は雪が積もる前に丹波丹後の道路元標をやっつけておこうと、往復輪行の予定で丹波方面へ向かう事に、桜井5:38発のJR桜井線で奈良へ、木津で学研都市線に、同志社前では始発の篠山口行きの直通快速に乗換て、これで混雑する大阪市内を座ったまま通過する事ができる。 篠山市域の元標は先月にほぼ履修済なのだが古市駅で下車し国道176号線を北上、遠回りだが先月から通行止の標識が出ていた<77>篠山山南線を使ってJR福知山線沿いに交通量の少なさそうな道で柏原方面に抜けようと企てたのだが... 「通行止」といっても自転車も通れない様なケースは稀なのでタカを括っていたのだが、2キロ程入った処でしっかりしたゲートとフェンスがあって路肩を擦り抜ける事すらできない。 すごすごと国道176号線まで引き返す事に...

今日の予定の氷上郡と朝来郡へ篠山から国道176号線で向かうには鐘ヶ坂峠を越えなければならないので敬遠したのだが、篠山側の標高差は知れていて旧道もほぼ繋がっているので意外な程快適に鐘ヶ坂トンネルにたどり着く事ができた。 その上新鐘ヶ坂トンネルが開通していて旧トンネルの交通量は皆無、こんな事ならわざわざ工事中と書いてある篠山山南線に突っ込まずに素直に国道を走れば良かったと少し後悔、日頃から交通量の少ない道や旧道を縫って走っているもので(^_^;)
 また新鐘ヶ坂トンネルの開通を期に明治期の鐘ヶ坂隧道が整備され通行できる様になっている様である、アプローチが数100mのダートなので今回は遠慮する事に。 なお全長は200m余りだが隧道内には排水路が横切っていて照明もないそうなので、ヘッドライトは必携の様である、煉瓦積みのボータルは篠山側が綺麗に残っているそうである。


氷上郡で幸世村、芦田村、佐治町、遠坂村の道路元標をGET、国道427号線で遠坂峠を越え朝来郡へ入り粟鹿村、簗瀬村、枚田村、東河村と廻り無名の峠を越え上夜久野駅へ下った時には既に15時、あわよくばと考えていた舞鶴へはとても明るいうちにたどり着くのは無理である、随分陽も短くなった事もあるが篠山を朝10時前にスタートしているのだから、まぁ仕方がないだろう。

↑上夜久野、日頃奈良や紀伊半島と風景を見慣れている目には、山の形や瓦の色とかも違っていて新鮮です。


とにかく天田郡金谷村の道路元標をGETするために夜久野から国道9号線を福知山方面に走ります、ツーリングマップルには「交通量の少ない区間」なんて書いてありますが、大型車がバンバン走る自転車にとっては最悪の道、極力旧道や走れそうな歩道をよって走りますが、正直云って二度と走りたくないです。


金谷村元標も無事にGET、福知山市街まであと少しですがお腹もすいてきたしとコンビニで買い食いしていたら、すっかり遅くなって次のポイントへ明るい内に辿り着くのは不可能だと、福知山駅まで走っても乗れる列車に変わりは無いようなので最寄りの山陰本線上川口駅から輪行で帰途に就く事に。


本日の実績 走行ルート
往復輪行所要7時間、実走行5時間、走行距離101.7キロ、
峠×2、道路元標×9で計86基、奈良県下にはまだ16基程残っているので100基達成も射程に入ったのだが、遥か下北山村とか現存が怪しそうな処も幾つかあるので...


幸世村道路元標(兵庫県氷上郡)

明治22年に油良村として発足、明治24年に幸世(さちよ)村となり、昭和30年に近隣5町村が合併し氷上町となったが、平成16年に丹波市となり氷上郡は消滅した。


元標は現在県道<7>青垣柏原線沿いの北小学校正門脇に建っている。


「幸世」の名は郵便局に残っている。


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芦田村道路元標(兵庫県氷上郡)

芦田村は昭和30年に近隣4町村と合併し青垣町となり、平成16年に丹波市となった。


元標は県道からは川をはさんで離れた芦田小学校正門脇にある、旧道脇にも思えないし保存のつもりで移設した様にも思えないが。 また他の氷上郡の道路元標5基は省令に従った形状だが、ここ芦田村と船城村道路元標は形状が異なり、材質も異なる様に思える。


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