金橋村は昭和31年に橿原市に編入されています、横大路(初瀬街道)沿いの曲川簡易郵便局の前に丸ポストと共に並んでいます。
元標はかなり埋っていますが、東南方向を向いているので恐らく何かの都合で埋め変える際に間違ったのでしょう。
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「道路元標」カテゴリーアーカイブ
高田町道路元標 (奈良県北葛城郡)
高田町は昭和23年に市制、その際に新潟県高田市(現上越市)と名称が重複するので大和高田市となった。
元標は横大路(初瀬街道)と下街道の交差する場所にあります、なお横大路はこの前後はれっきとした国道166号線です。
「元標」と由来を記した案内も建っていて文化財扱い、ちょっとやりすぎではと思う位にガードされていますが、傷から見るとなければどうなっていたか...
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「元標」と由来を記した案内も建っていて文化財扱い、ちょっとやりすぎではと思う位にガードされていますが、傷から見るとなければどうなっていたか...
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河合村道路元標 (奈良県北葛城郡)
河合村は昭和46年に河合町となっていて、今では西大和ニュータウンのある町西部の新興住宅地が町の中心の様になっています。
元標は河合町の古くからの集落のある北東端の川合地区にあり、現在の県道<5>大和高田斑鳩線の旧道の様な道筋にあります。
「道路元標を尋ねて」によると、位置の移動はない様ですが、車に当てられ傾いていたものを建て直したとあります。
しかし長年奈良県に住んでいて河合町、三宅町、安堵町、川西町の位置関係が良く判りません(^_^;) 桜井からわざわざサイクリングに行くような処でもありませんし...
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「道路元標を尋ねて」によると、位置の移動はない様ですが、車に当てられ傾いていたものを建て直したとあります。
しかし長年奈良県に住んでいて河合町、三宅町、安堵町、川西町の位置関係が良く判りません(^_^;) 桜井からわざわざサイクリングに行くような処でもありませんし...
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都村道路元標 (奈良県磯城郡)
都村は昭和31年に合併して田原本町となりました、現在の地名は田原本町宮古。
元標は飛鳥と斑鳩を結ぶ筋違道(太子道)と呼ばれる街道沿いにあります。
かなりきわどい状態にあります。
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かなりきわどい状態にあります。
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初瀬町道路元標 (奈良県磯城郡)
名刹長谷寺の門前町として栄えた初瀬町は昭和34年に桜井市に編入されました。
元標は<38>桜井都祁線、長谷寺参道にあります。
山菜おこわ饅頭の「宝園堂」の少し先です(^_^)
やはり度重なる舗装で「標」の字の半分位まで埋もれています。
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やはり度重なる舗装で「標」の字の半分位まで埋もれています。
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三本松村道路元標 (奈良県宇陀郡)
今日は上之郷村(現桜井市)と山辺郡東里村(現宇陀市)の道路元標があっただろう道を通りましたが、「道路元標を尋ねて」で既に存在を確認できていないのであっさり通過、場所がなかなか特定できない上に残っているかどうかも判らない道路元標探しは大変な作業です、ガイド本なしではとてもサイクリングの余興にできる事ではありませんわ(^_^;)
※東里村と云う名称の村は添上郡と山辺郡に存在していました、山辺郡の東里村は合併により宇陀郡となりました。
三本松村は伊勢街道(阿保越)沿いにあり旧街道の趣きを残す街並みが今も残っています、昭和30年に室生村、山辺郡東里村と合併して室生村となり、今年1月に榛原町、大宇陀町、菟田野町と合併して宇陀市となりました。
「道路元標を尋ねて」では三本松道路元標はこの場所に倒れている事になっていますが(昭和62年)、位置はともかく現在はちゃんと建っています。
ここの元標の様に塔頂がカマボコ型になったものが省令に従ったものです。
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※東里村と云う名称の村は添上郡と山辺郡に存在していました、山辺郡の東里村は合併により宇陀郡となりました。
三本松村は伊勢街道(阿保越)沿いにあり旧街道の趣きを残す街並みが今も残っています、昭和30年に室生村、山辺郡東里村と合併して室生村となり、今年1月に榛原町、大宇陀町、菟田野町と合併して宇陀市となりました。
「道路元標を尋ねて」では三本松道路元標はこの場所に倒れている事になっていますが(昭和62年)、位置はともかく現在はちゃんと建っています。
ここの元標の様に塔頂がカマボコ型になったものが省令に従ったものです。
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「道路元標」を尋ねて
今日は午前中の予定が意外と早く片づいたので図書館まで往復。
「道路元標」の存在については多少は知っていたのですが、幸い奈良県下に関しては「道路元標を尋ねて -奈良県ふるさとめぐり-」(上田倖弘著 弘道社)と云う自費出版の本がでていて桜井市図書館にもあるので借りに行く事に、書庫から出して貰い涼しく快適な館内でつらつらと読んでいたら、「道路元標」は県下で残っているのは大正8年公布の「道路法」に基づき設置されたであろう154市町村(当時の)の半分に満たない69本、それも著者が古い奈良県公報記載の所在を元に歩いて探し、或る時は民家の庭先に埋もれていた様なものまで含まれているのです。
現在も利用されて真っ赤な色で目立つ「丸ポスト」ととは桁違いに貴重なものなのです、その上今では設置と維持管理に法的根拠が無く、至って邪魔で危険な道路脇に鎮座しているのです、幸い桜井市周辺は幾つも現存しているとあるので、早速その足で探索ポタに出掛ける事にしました(^_^)/
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桜井町道路元標 (奈良県磯城郡)
早速、図書館からの帰り道にあるのが「桜井町道路元標」、駅南の寂れた商店街の中にあります、位置的には横大路(初瀬街道)沿い、上街道や多武峯への道が交差する処です。
少し欠けたりしていますが長年アーケードの下で場所的に風雨にさらされる事が少なかったのかはっきりと「桜井町道路元標」と読み取る事ができます。
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少し欠けたりしていますが長年アーケードの下で場所的に風雨にさらされる事が少なかったのかはっきりと「桜井町道路元標」と読み取る事ができます。
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城島村道路元標 (奈良県磯城郡)
城島(しきしま)村は現在の桜井市、大和川より南、近鉄線より北側と云った辺りでしょうか昭和17年に当時の桜井町に編入されていますが、現在では桜井市役所や警察、消防、税務署、郵便局まで旧市街からこちら側に移っています。
道路元標は桜井町のものから上街道を北に数100m辿った処にあります。
道路元標は原則、「○×村道路元標」と彫られた面が道路側に面しているのですが、何故かここでは「奈良県」と彫られた面が正面になっていて裏向きです。 これは多少なりとも移動や建て直された証拠だそうで、確かに辻でもなんでも無い位置に建つのもやや疑問ですが、奈良県公報記載の地番とは現在地は一致しているそうです。 しかし今や裏路地と云った趣の道とは云え、非常に危険な位置に建っています、同じ桜井市域でも三輪大社や「三輪そうめん」が知られる三輪や元城下町として帰属意識の高い織田村等と違って「城島」の地名すら残っていないこの地区の「道路元標」がこのまま生き残る事ができるかは危なっかしいです。
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道路元標は原則、「○×村道路元標」と彫られた面が道路側に面しているのですが、何故かここでは「奈良県」と彫られた面が正面になっていて裏向きです。 これは多少なりとも移動や建て直された証拠だそうで、確かに辻でもなんでも無い位置に建つのもやや疑問ですが、奈良県公報記載の地番とは現在地は一致しているそうです。 しかし今や裏路地と云った趣の道とは云え、非常に危険な位置に建っています、同じ桜井市域でも三輪大社や「三輪そうめん」が知られる三輪や元城下町として帰属意識の高い織田村等と違って「城島」の地名すら残っていないこの地区の「道路元標」がこのまま生き残る事ができるかは危なっかしいです。
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三輪村道路元標 (奈良県磯城郡)
「そうめん」と「三輪大社」で有名な三輪、昭和30年に織田村と纏向(まきむく)村と合併し大三輪町となり昭和38年に桜井市に編入されました。
「三輪村道路元標」も基本的に上街道沿い、三輪郵便局の隣の神社の前にあります。
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「三輪村道路元標」も基本的に上街道沿い、三輪郵便局の隣の神社の前にあります。
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