コミュニケーション・ツールとしてのインターネット

常駐していると云って良いツーリング系サイクリストの掲示板での話である。 自転車ツーリング系サイトの場合はネット上でのみの付き合いだけ云う事は少なく、いわゆるオフでの付き合いのウエイトが非常に高いと云える、殆どが面識のある、一緒に走った事のある仲間同士のコミュニケーションの道具として活用されている、ネットだけの付き合いでもない故に、ほぼ掲示板で相手の人となりは良く判っている。 当然公開されているネット上の掲示板だし、新しい仲間が現れる事は非常に愉しい事でもある。
 そんな掲示板に新しい参加者が現れた、彼は今や世界遺産で有名になった熊野古道の中でも特にマニアックな小辺路を走ったと云う、走ると云っても険しい山道の事、殆どが押し担ぎの行程で、それは感嘆すべきであり、充分に自慢できる話だし色々と参考になる事もあるだろう、ところがだ彼は数度に分けて実行したその行程で本人曰く遭難に等しいとも云えるアクシデントに愛車?を山中に捨ててきてしまったと云うのである、それも一度ならず二度である。 最初にその書きこみ見た時に、当然その行動に非難が集まることは目に見えている、行為の是非よりも彼の書きこみがネット上で非難を受けない内に訂正する様に進言しようにも、メールアドレスを伏せている、メールアドレスを伏せる事そのものは昨今のご時世では仕方のない事かも知れないし、法人ドメインのアドレスしか持っていないのかも知れない。 :結果当然の様に集中砲火を受ける訳である、少なくも彼の文面から察する限りには非難を受けて当然の行動だし、遠回しにも非難の内容には私も同意見である、書きこむ面々は全員見知った顔でツーリング等で寝食を共にしている連中でもある。 彼の行動は非難されるに値するが、それよりも彼は山の歩き方に加えてネットの歩き方にも配慮が足りなかった様である。 その行為を伏せた処で何も変わる訳でもないが、少なくともサイクリストとしての常識に目覚める前に非難の矢面に立たされれば気持ちの良いものでもあるまい、結果的に彼は二度と現れる事はないと想像していたが、そんな時掲示板を傍観していた別の仲間からメールが来た、件の彼は小辺路について以前に小辺路を走破して自身のホームページにも旅行記をあげていること山サイに関しては知る人ぞ知る多くの経験を持つ別の仲間にも色々と質問等を辟易される程に投げていたとの事である、ははそう云う人なんだと納得せざる得なかった。
 ネットと云うのは非常に怖いツールでもある、文字のみの伝達手段でコミュニケーションをとり、ネット特有の秘匿性から自身が別の人格を創作する事も可能である故に、危険な深みに陥ってしまう可能性は充分にあるし、ネットの大衆化でそのツールが誰にでも安易に利用できる様になっている。 ネットで知り合った人が、オフで始めて出会ったりすると、ネット上での文面からは想像できない別の人格の持ち主である事は往々にある、所詮文字だけの伝達手段だから、常人ならば多くやまた正しく伝える事は困難だし、それは構わないし私自身もそうであるかも知れない、またオフから新しい付き合いが始まると考えれば良い事なのだか...


「コミュニケーション・ツールとしてのインターネット」への5件のフィードバック

  1. 匿名性って、人を無責任にさせがちですよね。
    結局は本人の人間性なのでしょう。

  2. 匿名性の問題って他のメディアでも考えられるのですが、特にネットの場合HPや掲示板、そしてBlogも含めて、いずれも表現や発言は作者の知られたくない部分でフィルターがかけられるのは仕方が無い事ですが、選別された現実と創作で架空の人格を形成させてしまう事があるのですよね。

  3. >色々と質問等を辟易される程に投げていたとの事である、だから彼は突如掲示板をやめたのだろうか?いや、そうではあるまい・・・windyさんが我々の気持ちを代弁してくれたけれど、どう考えても例の人の行動基準は不可解なんだよね。

  4. メールを貰ったo氏によると、掲示板閉鎖の一因にはなったそうですね、件の彼のその後の書きこみで「鬼門」「裏鬼門」って出てくるのにはネ、民族学的な伝承や考証以外でそう云った事を口にする人って怖いです。

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