西吉野サイク

五條市西吉野町滝

 2月も今日で終り、あまり走れていない今月ですが、月間走行距離の帳尻合わせも兼ね「自撮り」の準備を整えて西吉野へ向う事に。いつもの近鉄吉野線とJR和歌山線に沿った県道120号五條高取線を行きます。
 五條の吉野ストアで補給の後、五新線の廃線跡に沿った道を行きます。この辺りの経緯と状況についてはこちらで詳しく解説していますので、興味のある方、訪れてみたい方は必ず目を通して下さい。原則的に通行は禁止とされています。
 五新線跡は第一丹生川橋梁で丹生川左岸に渡り生子(おぶす)トンネルへと入って行きますが、現在生子トンネルは封鎖されています。対して東側に大きく蛇行する丹生川の右岸に沿った旧街道と思しき道を行きます、軽トラがどうにか走れる位の幅員こそありますが、落石等で相当荒れてきています。途中、以前の西吉野村との境界付近に「為川筋往来安全也」と記された明治時代の石柱があり往時を忍ばせます、天誅組もこの道を辿ったのでしょうかね。
 険しい区間を抜けると、視界が明るく開けて滝の集落を望む事ができます、素晴らしい日本の原風景「う~ん、ニューサイクリング!」、今日最初の「自撮り」ポイントです、しかし梅には少し早かった様です。

 元の江出(えずる)停留所バス停跡付近ですが五條市が主催する「チャレンジウォーク」の案内が見えます。今年は3月5日に行なわれますが、五新線跡の一部がコースとして指定されています。生子トンネルが使えないのが残念ですが、先の川筋ルートも少し整備して貰いたいものです。
 神野バス停跡付近ではフルーツロードの巨大な賀名生大橋を見上げる事ができますが、その下に旧街道の橋が架かっていた様なのですが、現在は落ちてしまっています。
 賀名生(あのう)バス停跡にて、河瀬直美監督の代表作「萌の朱雀」で「恋尾」となっていた停留所です、尾野真千子が兄役の国村隼のカブの後ろに乗せて貰って学校へ通うシーンがありましたね。有名な賀名生梅林はすぐ近くなのですが、上の方はまだ早いのと今日は距離を稼ぐのが目的の一つなので、津越の福寿草もあるのですが今回はパスする事に、滝の集落の梅が盛りになる頃に再訪してみたいとは思うのですが。
 向賀名生から仕方なしにR168を走り城戸から県道20号下市宗桧線と県道138号赤滝五條線を継いで黒滝村へ向います、地蔵トンネルをまわって帰ると100キロを越える計算なのですが。旧丹生小学校跡でフロントバッグに挟んでいたフリースのハンチングがない事に気が付きます。実は正月にも吉野山でもなくしたばかり、その時は道不案内な同行者が先行していて探しに戻れなかったのですが、今回はお気に入りのカラーの旧いモデル、どこでなくしたのか見当もつかないのですが、とにかく走って来た道をR168まで10キロ程引き返したものの見つからず仕舞い、ところが最初に引き帰した場所から800m程の路上に落ちているのを発見、なんと20キロ近くも無駄に走った事に、車に轢かれたのか多少汚れてますが、とにかく無事に戻ってきました。
 16時半過ぎに黒滝の道の駅に到着、いつもなら蒟蒻が定番なのですが、新しくできたコンビニで食料を確保します。元のレストランがあった一角でテーブルもありますので、これからも重宝するかも。
 地蔵トンネルを抜け再び下市町域へ入り秋野隧道でショートカットして1743には椿橋で吉野川を渡り、1821には日も暮れた壷阪峠を越えます。夏とは云え真夜中にも越えた事のある壷阪峠ですが、冬場は猪と遭遇した事もあるだけにねぇ… 今日は熊鈴が付いていないので「いかのおすし一人前」を口笛で吹きながら真っ暗な山道を行きます、猪が突進してきたらasuka号に盾になって貰う事に。
 無事に高取の街並みへ下りましたが、さすがに冷え込んできましたので、またもや吉野ストアの前でベストを着込んで明日香村への裏道を、走り慣れた道ですが100キロ超えた後のナイトランですので慎重に、ここまで帰ってきて暗い農道で用水路に落ちては泣くに泣けません。とにかく桜井まで帰って来て120キロ超えて帳尻合わせにはお釣りが… ただ2月28日はこれでは終わらなかったのです。
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