幸世村道路元標(兵庫県氷上郡)

明治22年に油良村として発足、明治24年に幸世(さちよ)村となり、昭和30年に近隣5町村が合併し氷上町となったが、平成16年に丹波市となり氷上郡は消滅した。


元標は現在県道<7>青垣柏原線沿いの北小学校正門脇に建っている。


「幸世」の名は郵便局に残っている。


芦田村道路元標(兵庫県氷上郡)

芦田村は昭和30年に近隣4町村と合併し青垣町となり、平成16年に丹波市となった。


元標は県道からは川をはさんで離れた芦田小学校正門脇にある、旧道脇にも思えないし保存のつもりで移設した様にも思えないが。 また他の氷上郡の道路元標5基は省令に従った形状だが、ここ芦田村と船城村道路元標は形状が異なり、材質も異なる様に思える。


枚田村道路元標(兵庫県朝来郡)

枚田(ひらた)村は旧和田山町の前身、昭和5年に町制をしき和田山町となり、平成17年に朝来市となった。


元標はJR播但線、県道<104>物部養父線に面した枚田小学校正門脇に保存?されている。


工事中だからなのかも知れないが、正門には門扉は無く撮影する事には支障はなかったが一応は学校敷地内である(^_^;)


道路元標探索サイク(その3)

今日は絶好のサイクリング日和、天五さんやMikeさんやらと色々と企画がある様なのですが、仕事の都合で奈良市近辺から離れられないので、京都府南部から奈良県北部にかけてに未収の’道路元標’と’県道ヘキサ’を漁りに行く事に... 上街道を北上、天理から筒井まで西進してから奈良から木津へ、木津川自転車道や旧街道をぬって宇治から淀、八幡と走り、本日の収穫14基(^o^)/ これで計77基になりましたが、往路自走でたどり着けそうな処だけでは100基達成には届かない様です。 京都府南部では旧国道24号線、現在の府道70号上狛城陽線沿いに未知の道路元標を探索しますが今回も見つける事はできませんでした。 ←山城町域では上狛村、高麗村、棚倉村の役場跡であった事を示す標柱がありました。 これらは昭和50年頃に山城町によって建てられたものの様です。 未収の奈良県道ヘキサは4基、実は京都府道も幾つか撮っているのですが京都、滋賀とやりだすとキリがないので...(^_^;) 八幡村道路元標をGETした後、木津川自転車道へ入り流れ橋を渡り城陽市で用事を済ませてから木津川右岸を南下、8月には工事中だった区間も通れる様になっていて山城大橋まで南下し再び左岸へ渡り玉水橋へ... これから所用で’あやめ池’近辺まで行かなくてはならないので玉水橋を渡った処で地図を確認していたら、信楽?上野ツーリングから帰りの天五さんとばったり遭遇します、これから御幸橋をまわって大阪まで帰るそうで170キロ越えにはなる様で、しかしタフですわ(^o^) 木津川自転車道を離れ祝園?山田川?登美丘と走りあやめ池へ、用事を済ませ’ちゃんこ鍋’を頂いてから帰途に、輪行袋も携行していたのですが月も明るい事ですし夜道を走って桜井へ帰り着いたのは23時前でした(^_^;) 本日の走行152.1キロ。

丹波市町道路元標(奈良県山辺郡)

丹波市町は現在の天理市の前身になるのだが、近鉄やJRの天理駅や商店街がある現在の天理市の中心部からはやや南へ離れた上街道に沿った位置に丹波市町道路元標はあり、現在も地名や郵便局に’丹波市’の名は残っている。
 昭和29年に丹波市町は近隣の5村を合併して天理市となったが、JR桜井線の駅は丹波市駅と称したまま現在地よりやや南東の場所にあった、桜井線の高架化と近鉄天理駅との統合で現在の形となり、名称も天理駅となった。 天理教のまちとして発展して中心が北側へ移動してしまった訳である。



元標は元は上街道に面して建っていた様だが、現在は丹波市郵便局向かいの市座神社の奥まった処にある。


昔、上街道が布留川南流に架かっていたと言われる青石橋と並んで建っている。


本来の場所ではないですが、元標は神社の境内と云う恵まれた場所に未来永劫に建っている事でしょう(^_^)


古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。