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大隅半島キャンプツーリング(2日目)

鹿児島県道479号国師境線から望む桜島

 台風の余波もあってか紀淡海峡を抜けてからは結構揺れていた様な、そこはその元ヨットマンとしては、久しぶりの浮遊感を懐かしく感じながらいつの間にか寝ついてしまいました。志布志港到着は0855、走る時はあまり朝食は摂らないのですが、いささか時間をもて余してレストランへ、620円也の朝食バイキングを、さすがに朝食にはシニア割引はない様でして。エントランスの丸窓から見える陸は宮崎県最南端の都井岬、岬をまわれば志布志湾です。
 下船はトラック、乗用車、単車、自転車の順になりますので、車両甲板に降りたのは9時半。
 0940 ようやく下船。
 参加者はヘルメット着用とのお達しで、カスクでも可と云う事でしたので、今回はカスクを持ってきました。なお鹿児島県は自転車保険への加入が義務付けられています。
 色々とセレモニーもあって、志布志市のゆるキャラ「志武士ししまる」もお出迎え。
 参加者全員で集合写真を撮って 1015 ようやくスタートです。
 まずは市街を抜けて志布志市役所へ「志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所」です。
 続いて志布志駅へ、訪れるのは大隅(古江)線全通前の1969年8月以来ですから50年ぶりになります、かつては志布志線、日南線、大隅線の接続する駅でしたが1987年に志布志線と大隅線が廃止され、駅そのものも少し東側へ移転して日南線の終点として、宮崎方面からの1日8往復がやって来るだけのホーム1面の無人駅になってしまいました。
 元の志布志駅や機関区などのあった場所は駐車場やショッピングセンターになっていて、一角が志布志鉄道記念公園としてキハ52他、門鉄デフのC58 112が保存されています、志布志線と云えば幻のC63を彷彿とさせる4次型C58が走っていたのですが、ではないのが残念。
 写真はいずれも1969年8月5日、ラストナンバーのC58 427、(写真左)志布志古江管理所、(写真右)都城駅?  この当時は424,426,427が志布志区在籍で112は大分区にいた様です。
 さて今日は北へ30キロ程のノルマの「道の駅 すえよし」経由で錦江湾沿いの「道の駅 たるみず湯っ足り館」までの75キロ程を走る予定なのですが、志布志を後にしたのは既に11時前、先が思いやられます。志布志線廃線跡をたどりながら進みます、廃線跡は岩川駅跡以南の多くは道路に転用、以北は「マインドロード末吉」と云う名称の自転車歩行者専用道路となっています。元が線路跡ですから勾配こそ知れているものの、鉄橋やトンネルがあった部分は道路に転用されず、その部分を迂回している区間のアップダウンが結構きつく、おまけに向かい風が。
 
 志布志から3つ目の伊崎田駅は、元駅舎が有明町鉄道記念公園となっています、駅舎の中のマネキンが不気味な事、さすがにここでのゲリキャンは遠慮します。
 伊崎田~大隅松山間のトンネル、山越えで迂回します。
 岩川駅跡付近から自転車歩行者専用道路「マインドロード」に入ります、自転車道用途よりも地元の方のランニングコースになっているのでしょうか、ところどころにベンチや四阿もありますが、崩落で通れず迂回しなければならない部分がありました。
 岩北駅跡、ホームがそのまま残っています。
 駅跡ではないのですが四阿が、岩川のコンビニで買い込んだお弁当でお昼にします、近くでは「高松さこんたろうの里」と記されて水車が回っています。あとで知ったのですが「さこんたろう(左近太郎)」とは精米用水車の事らしいのです。
 末吉駅跡も末吉鉄道記念館として公開されています、これより志布志線跡は県境を越えて西都城へ向かいますので、廃線跡探訪はここでひとまず終えて、県道501号光神山諏訪方線他を経て道の駅「すえよし」へ。
 1503 参加ノルマになっている「道の駅 すえよし」に到着。現在は曽於市となっている末吉町は県内随一の肉牛生産地だとか。
 道の駅からが国道10号を西へ、1624 霧島市へ入ります。当初のプランでは牧の原から県道478号比曽木野福山港線で錦江湾べりを走る国道220号まで下る予定だったのですが、通行止めの情報が、途中の「中茶屋公園」からの展望を期待していたのです。代わりに国道504号線を南下し県道479号国師境線で国道220号へ下る事にしていたのですが、遅くなりついでに県道478号へ突っ込んでみる事に、あわよくば「中茶屋公園」でのゲリキャンも考えて牧の原のコンビニで食料を調達しておきます。
 県道478号に入ります、国道220号までの標高差は400m、普通なら無理に突っ込む状況ではないのですが、通行止箇所がそう遠くもなさそうなので。幅員もあって崩落箇所も充分に通れて、してやったりと思っていたら、完全に崩れた区間が現れて(写真右)万事休す、標高で50mばかりを引き返す事に。
 国道504号に戻って南下、稜線近くまで登る区間があって嬉しい事に桜島と錦江湾に沈む夕陽を望む事ができました。
 県道479号に入るとこちらも錦江湾に向かって標高差400m程のダウンヒル、所々ですが錦江湾を望む事できます、写真を撮りながら沈む夕陽と競う様に下ります、国道220号まで下りきった頃にはすっかり暗くなってしまいました。
 道の駅「たるみず湯っ足り館」まで国道を10キロ程、交通量も多くなりますし、充分なナイトランの用意もありますので、整えて走り出します。
 道の駅到着は19時過ぎ、既に温泉以外の営業は終わっています。温泉(350円)に入ってから桜島を望む「国旗日の丸のふるさと」のモニュメントの陰にテントを張ります。本日の走行88.4キロ。

 プロローグ 1日目 2日目 3日目 4日目

ぶらり120キロ

 今月は色々あって自転車の方は皆目走れていません、昨日の時点で260キロを超えたばかり、今日のお天気は温度湿度ともに最高のサイクリング日和の予想、少々寝不足なのですが、走らないと絶対後悔すると、目的地も考えずに走り出します。
 定番の東吉野方面でも良かったのですが、吉野口から重阪(へいざか)峠を越えて五條へ、オークワで弁当を仕入れて行こうを立ち寄ったのですが、2台のスマホの内音声通話の使える方が正常に起動しません、ブート時のGALAXYロゴを繰り返すばかり、SIMやSDカード、外部電源と状況を変えても変わらず、2台持ちのお陰でSIMを入れ替えれば電話をかける事も受ける事もできますので差し迫って困る事はないのですが…
 奈良県と和歌山県を跨ぐ県道731号二見御幸辻停車場線に入り未収の和歌山県側のヘキサをGET。この県道金剛山の裾野の集落を縫うように登ったり下りたり、通して走る車はまずないだろう概ね1.5車線の道が続きます。
 R371まで出たので、これも未収の和歌山県道106号紀見峠停車場線へ、これで和歌山県下で存在するだろう県道ヘキサは157号山東停車葉線、183号楠本小川線、752号和歌山阪南線(R26旧道)の残り3つ。なお156号加太停車場線、204号印南停車場線、734号高野辻堂線、780号熊野川紀和線他は設置されていない事を既に確認。でない都道府県もありますが府県を跨ぐ県道(地方主要道は別)は700番台、自転車道は800番台を割り当てる事が多いです。
 せっかくここまで来たのですから紀見峠を越えて大阪府側へ越える事に。紀見峠を和歌山県側から越えるのは初めてかな,、峠前後の旧道区間は大阪府側より長いです。工事中の新紀見トンネル(2,105m)の坑口が見えます。

 1023 標高400m車道の紀見峠に到着、ベンチがあるのでここで弁当にします、旧街道(高野街道)の峠はこの上になるのですが。
 紀見峠を下り現在のR371に合流後、少し下ると南海高野線が複線化される前の路盤を利用した自転車道へ入ります、写真は天見駅以南の区間。
 「あまみ庵」が廃業して久しいですね、2005年の「天野街道ポタ」、右側へ入ると再び自転車道に。
 三日市駅の手前まで多少断続的になりますが廃線跡が残っています、南海高野線の複線化が完了したのは1995年なんですね、それまで三日市以南は17m級車両しか入れない山岳路線でした。
 三日市からは旧街道へ、秋祭りの提灯が並んでいます。
 河内長野から石川右岸に入りサイクル橋へ、石川べりの南河内サイクルライン(大阪府道802号八尾河内長野自転車道線)へ、河川敷の区間は草ぼうぼうです。
 13時前には柏原市役所前へ。
 少しR25を走り関西本線の河内堅上駅近くの弁天橋を渡り大和川右岸へ、この付近は亀瀬と呼ばれ、生駒山地と金剛山地の間の峡谷で地滑り地帯として知られ、昭和7年の地滑りでは関西線の路盤が流され、従来の経路では復旧ができず一旦南側の大和川左岸に渡る現在の経路に変わっています。国交省近畿地方整備局の「亀の瀬 地すべり資料室」が不定期に公開されています。
 現在R25と関西本線が通る大阪と奈良を結ぶ重要なルートですが、旧街道の亀瀬越大和街道は大和川を見下ろす右岸の高台を峠越えしていて「峠八幡神社」があります、住所も大阪府柏原市大字峠、そのまんまです。
 三郷駅前へ下り大和川河畔から飛鳥川沿いの自転車道に入りますが、既に100キロ超。起動しないスマホの件もありますので、八木のdocomoショップへ駆け込みますが、セーフモード?でも起動しない重傷、修理が必要な様で、来週に予定している大隅半島へ2台持ちでないのは些か不便です。本日の走行118.3キロ。

西の海へ ~ゆる風サイク~

和歌山市加太にて

 

 31日から2日とせっかく休みにしておいたのに台風襲来で淡路島キャンプツーリングは中止に、部屋に籠もってパソコンいじりをしていたものの、今日1日は良いお天気との事、こんな日に走らずにいたら昼頃になってから後悔する事に決まっているので、意を決して出掛ける事に、特に何処へと予定はなかったので、「WAKAYAM800」モバイルスタンプラリー」で一番面白くなさそうな和歌山市周辺へ向う事にして、明日香村から重阪峠で五條へと、いつもの道を行きます。
 五條のオークワでおにぎりを仕入れてR24を西へ、左岸に渡らずそのまま走ると真土峠の面白くもない坂を登らなければならないのでJR和歌山線沿いの小径へ入ります、線路と川岸に挟まれた小特しか通れない道が隅田(すだ)駅の手前まで続いています、途中ダートと云うか田圃の畦の様な部分もありますので、ロードにはお勧めではありませんが。
 隅田駅は「WAKAYAMA800」のポイントですが既に履修済、ただリピータ賞なるのがありますので、一応チェックはしておきます。この先和歌山街道が少し残っていますのでそのまま橋本の町へ。
 すいぶんご無沙汰ですので橋本町道路元標へ、調べてみると12年ぶり、隣に真新しい案内板が、昨年3月に設置された様ですが、説明もなかなか良くできています。
 橋本橋で左岸に渡り、九度山町の道の駅「柿の郷くどやま」に立ち寄り、三谷橋で右岸に渡ります、5連の曲弦トラスが美しいです、幅員のない道路橋は気が付くと架け替えられて姿を消して行くので気を付けておかないと。ところで紀の川沿いのサイクリングロードは左岸と右岸を交互に2度づつ経由する様になっていて、三谷橋から右岸を走り麻生津橋で再び左岸に戻ります。ただこの間の右岸路は支流が流れ込む部分で3度ばかり上流側へ迂回していて決して走り易いとは云えません、和歌山市方面へ急ぐなら左岸の県道等を走る事をお奨めします。しかし紀の川河畔に出てから些か向かい風が…
 ただ右岸には道の駅「紀の川万葉の里」があって、スタンプラリーのチェックポイントになっています、13個目をゲット。R24をサイクリングロードに挟まれた道の駅、ロケーションは悪くないのですが、西端には四阿もあります(写真は下流側から見ています)。
 あと麻生津橋までの部分でサイクリングロードが非常に判り難くて、毎回道を間違えてしまいます、今日は試しに麻生津橋からサイクリングロードを引き返してみますと、なる程JR西笠田駅からR24に戻った処で信号を渡り新旧の妹背橋で新しい橋に入ってしまうのが間違いの元なんです。正しくは道の駅からのサイクリングロードがR24に合流した処で信号を渡りJR西笠田駅の紀の川側を走り駅西の踏切を渡って道なりに再びR24に下り、そこで信号を渡らずに古い方の妹背橋を渡り堤防沿いの道に入るのが正解なのです。
 麻生津橋で左岸に渡りますが、上流側から来ると判り難いポイントが幾つか、藤崎頭首工の見える旧道区間、竹房橋南詰を過ぎて百合で堤防上へ分岐する部分、下流側からだとそうでもないのですが、上流側からだと判り難いし入り難いのですよね。
 なんだあれは。非常時でもないし訓練なのかな、幅員もなくてどうしようもないので仕方なく県道に出るまでお供をする事に。

 井阪橋南詰、サイクリングロードを紀の川河口へ向うにはここで橋を渡って再度右岸に渡らなければならないのですが、そのまま左岸を真っ直ぐ行くブルーラインが、こちらは紀の川左岸かっら支流の貴志川右岸の堤防路に繋がっている貴志に向う別ルートなのです。今日は貴志駅へ向うのでこのまま直進すれば良いのですが。
貴志川右岸のサイクリングロードを遡ります、路面状況は紀の川沿いに比べて良くはありません。
 ようやくタマ駅長の待つ貴志駅へ到着、今は2代目のニタマ駅長なんですが、初めてお目に掛かります、身体もデカいが態度もデカい。ちょっとグッズも買ってみたり。しかし立派な駅舎ですね、先代のタマ駅長が人気になった時に、何が流行るか判らんなんて揶揄した人も多かったのですが、遊び心がローカル私鉄を救ったと云うか、そう云うニーズがあったのですよね、以前の貴志駅(2007年3月)
 貴志駅を後にし、旧野上町(現紀美野町)へ、沖野ゝから1994年に廃止された野上電鉄跡のサイリングロードもとい遊歩道(健康ロードと呼ばれています)へ、自転車の走行は可能ですが、荒いカラー舗装が快適ではありません。昔駅のあった処にベンチとかがありますが、休憩するなら重根(しこね)駅跡(写真右)が良いでしょう。
 途中途絶えている区間がありますが野上電鉄跡を辿って行くとJR紀勢線の海南駅へ、チェックポイントになっている黒江の「うるわし館」と和歌浦の「和歌浦漁港おっとっと広場」へ、途中「スハネフ14-1」と云うお店に寄って食事でもしたかったのですが、念の為に定休日を確認すると、なんと定休日ではないものの今日は昼から臨時休業との事、坂を登ってからお休みだったなんて事にならずに良かったですが、途端にお腹が空いてきたのでローソンでパン一個を買い食いして虫養い、時間的に少々厳しいですが加太経由で「ゆる風」に向う事にします。
 旧R26の紀の川大橋で紀の川を渡ります。
 15時過ぎに加太港へ到着、「加太海水浴場管理事務所」で17個目ゲット。

 大川トンネルの前まで来て、時間もないのに気が向いたので旧道の大川峠へ、車は入れない様にゲートがしてあり、自動車、自動二輪、原付の進入は不可とありますが、自転車はダメとはありません、走行も殆ど支障はありませんが、今は植生に阻まれて展望も殆どないので、わざわざ踏み込む程の処でもありません。
 16時半に「ゆる風」に到着、海側からの道に自身がないので旧R26側から下ってきました。
 当初は「道の駅 ねごろ歴史の丘」までまわってJR和歌山線で帰途に就きたかったのですが、正直「ゆる風」ではなく結構向かい風がキツくて草臥れました、..閉店時間を過ぎるまでまったりした後、リコさんに南海淡輪駅まで送って頂き、輪行で帰途に就きました、本日の走行141.7キロ。


 と淡輪駅から真っ直ぐ帰れば良いのですが、近鉄は丁度混雑する時間帯、どうせなら上本町から乗りたいので日本橋で乗り換えるならばと、南森町まで乗って「アリオリドス」で食って帰る事に。

能登半島ツーリング(2日目)

千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ

 5時半には宿を出発、今日は皆月の青少年旅行村キャンプ場を目指します、寄り道せずに走ったとして約70キロの距離、少し金沢側に戻る格好になりますが、車やバスでも走れる砂浜として有名な「千里浜なぎさドライブウェイ」へ寄って行く事にしました。2001年に並行する能登海浜自転車道を走っているのですが、自転車はちょっと無理だろうと思っていたのですが、ロードバイクでも走っている写真があるので、4サイドで挑戦を。なお「せんりはま」ではなくて「ちりはま」です。
  ペダルが重いものの結構走れるものです、タイヤが多少太い分ロードより有利かも。幾ら締まっているからと云ってスタンドの類は役に立ちません、一般道との接続部分で吹き溜まりになっている箇所が多いので要注意。
 自動車専用道の「のと里山海道」昔の能登有料道路に沿って能登海浜自転車道を北上、相変わらず路面状態はよくありません、暫く行くと昨日少し走った羽咋健民自転車道に合流します。

 羽咋健民自転車道となります、集落を縫ってローカル私鉄廃線跡ならではの面影が、ここに踏切があったのでしょうね。
 これだけ海岸に近い廃線跡も珍しいですよね、準備はしてきていますので「自撮り」にも挑戦。ただ重いカメラと三脚を積んできていながら「自撮り」に挑戦したのはこの日の朝だけ、連日の猛暑にせっかくのポイントがあっても戦意喪失。
 能登半島の西海岸、羽咋から門前を経て輪島へはR249(写真は赤神付近)が通じているのですが、ルートは険しい海岸寄りを避けて3ヶ所ばかり山側に入ります。その海よりの区間を県道36号志賀富来線と県道47号深谷中浜線が継いでいます。遠回りですが交通量が少なく志賀原発付近を除けば鄙びた道が続きます、且つ旧道や廃線跡の自転車道を加えて今回もそのルートを選びます。

 道路元標やスタンプラリーのチェックポイントを織り込みながら走っているのですが、猛暑の中10時を過ぎると走れたものではありません、道の駅で大休憩は勿論、自販機や木蔭のある度に休憩しているものですから前に進みません。旧門前町域の道の駅「赤神」に着いた頃には15時を回っていました。
 門前町のコンビニで最後の補給をして皆月に向います。ところでサイドバッグに小型のクーラーボックスを仕込んであります、最近はコンビニとかで凍らせたペット飲料が売られていますので、保冷材がわりにすれば夏の夕刻の数時間なら結構使えます、お陰で何もないキャンプ場とかでも設営後グビっと1本行けます。
 両側を断崖に挟まれた皆月湾へは山越えして行くしかありません、2本の県道が通じているのですが、一昨年「おさよトンネル」(706m)と云うルートが開通してずいぶん楽になっています、2001年は娑婆捨峠経由のルートを越えましたから標高300m近くまで登りましたが、このトンネルなら半分の150mで超える事ができました。
 18時過ぎに皆月に到着、キャンプ場は漁港の外れの30m程の高台にあります、1張テントが見えるのですが人影が見えません、7月の週末だと云うのにほぼ貸切状態、最果て感のあるロケーションは最高、なだらかな草地のサイトです、ちなみに料金は1人1張りで920円でした。
 走行98.7キロ、12時間もかかっていますが実際走っていた時間は6時間20分程、しかし疲れました。

プロローグ 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目(総括)

能登半島ツーリング(プロローグ)

 前回に続いて7/21~22に参加を予定していた「第2回しまなみキャンプライド」、むらまさ君を始め今治「シクロの家」の皆さんと久しぶりにお逢いできる事も愉しみにしていたのですが。先日の西日本豪雨により「しまなみ海道」の道路状況やキャンプ地となる弓削島の断水と、相当の影響がでていて、20日にはどうにか目処がつくと云う事で、予定通り開催はされる事にはなったのですが、帰りに予定していた「とびしま海道」と呉線の不通に加えて、四国側も予讃線の一部が不通になって特急が運休、同じく参加を予定していたskuram氏一行も22日中に帰る目処がたたないと云う事に。私も不通区間のバス代行では輪行には不自由な状況に、まずは別送する荷物が確実に届くかも不安があり、今回は残念ながらキャンセルする事にしました。ただ折角確保した休みと「青春18きっぷ」、さてどうしようかと考えた末、矛先を変えて北陸石川県は能登半島へ宿利用も含めて5泊6日のキャンプツーリングに向かう事にしたのです。
 ところで七尾辺りまでは2008年と2011年に行っているのですが、いわゆる奥能登へは2001年6月以来の17年ぶり、その時はデビューしたばかりのasuka号を駆って金沢スタート、宿利用の2泊3日、時計回りに406キロ(155.5キロ~輪島(泊)~103.0キロ~宇出津(泊)~147.5キロ~金沢駅)を走ったのでした。写真は2001年当時、能登島大橋をバックに黄色塗装時代のasuka号、リア2サイド支度ですが全く野営は想定していない荷物でした。
 今回は4サイドキャンプ装備で宿利用も含め5泊6日の予定、前回同様海岸沿いに時計回り、立ち寄りたいポイントは皆月と木浦、テーマは18基の未踏の道路元標、なにしろ2001年当時はまだ道路元標フリークではなかったので珠洲郡と鳳至郡(現在の鳳珠郡)は全く手付かずなのです。加えて昨年から始まったらしい「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリー、県下に68ヶ所のポイントが設定されています、ただ今年の開催期間中にクリアするのはとても無理なので、予定コース最寄りのポイントを幾つか回る程度のつもりで、日程は…
7/19(木)移動日 ~七尾線羽咋駅まで「18きっぷ」輪行して、別送の荷物を受け取って羽咋市内のビジホ泊。
7/20(金) 西海岸を北上し外浦海岸の皆月のキャンプ場。(約70キロ)
7/21(土) 輪島、白米千枚田を経て木浦野営場。(約66キロ)
7/22(日) 道路元標の加減で禄剛崎はパスするかも知れませんが、内浦海岸側へ、夜はゲリキャンかも。
7/23/(月)能登島を経て和倉温泉へ、サイドバッグ等の荷物はゆうパックか宅急便にして、宿泊。(2日約で113キロ)
7/24(火) 和倉温泉または七尾から「18きっぷ」輪行で帰途に就く予定です。
 キャンプ機材他を押し込んだサイドバッグ4つを宅急便で別送するのですが、ヤマト運輸の営業所などで販売している段ボール箱(クロネコボックス14)にうちのサイドバッグ4つがすっぽりと収まるのです、実際のところは詰めたサイドバッグ3つに1つを畳んで「自撮り」用の三脚やリア用のサイド枠を詰め込んでいます。なおリアのサイド枠は付けたままにしておけば、エンド保護にもなるのですが、やはり輪行はコンパクトにする事が肝要です。羽咋の営業所止めで17日には発送を済ませ、asuka号を輪行袋に入れ準備は完了、19日朝の出発を待つばかりだったのですが… 

 前夜になって、明日は19日、よくよく考えると「18きっぷ」夏のシーズンの利用期間は7/20から9/10、当初の「しまなみ」案では往路は東予港へのフェリーだったの大阪南港19日夜出航、そのつもりで休みを段取りしていたのが災いに、気が付かなかったら今朝駅で大恥をさらす事だったのです。
 6,000円近く払って普通のきっぷで行く手もありますが、だったらもう少し走り易い季節に行きますよね。ただ20日出発なら始発からのスタートで現地には明るい内に到着が可能、ならば鹿島郡の未収の道路元標2基を回る時間もあります、ただ24日の夜には予定がありますのでる4泊5日への短縮は致し方ないかと。

7/20(金)移動日 ~七尾線能登二宮駅まで「18きっぷ」輪行、鹿島郡久江村道路元標他を回り、別送の荷物を受け取って羽咋市内のビジホ泊。
7/21(土) 西海岸を北上し外浦海岸の皆月のキャンプ場。(約70キロ)
7/22(日) 輪島、白米千枚田を経て木浦野営場。(約66キロ)
7/23(月) 禄剛崎はパスして内浦海岸側へ、珠洲市のヤマト運輸営業所でサイドバッグ分の荷物を宅急便にし身軽になって七尾へ、七尾泊。
7/24(火) 七尾駅始発で「18きっぷ」輪行で帰途に。

 しかし心配なのは連日の猛暑、標高の低い海岸線ルート、アップダウンも結構ある、以前は苦労した記憶はないが、6月上旬の梅雨入り前、ざっと300キロ、果たして走れるのだろうか…

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今年の福寿草サイク

 この季節恒例の「福寿草サイク」、五條市西吉野町津越の自生地へ行きます。最初は2/25の予定だったのですが、天気が思わしくない事もあって延期、福寿草と云うのは陽射しがないと花が開いてくれないのです。
 集合場所は五條病院前の吉野ストア前に9時、開店を待ってお弁当を買って現地で広げる段取りです。自宅から約27キロの道のり、丁度7時に出発、明日香村を経て高取町から県道120号とR24を行きます。
 集合場所に集まったのでは4名、輪童さんと昨日もご一緒したsetoさんとkitanoさん。五條からは五新線跡に沿って南下、生子(おぶす)の手前から丹生川沿いの旧街道を行きます。
 旧街道は軽自動車が通れる位の幅員があったのですが、崩れてもほったらかしの状態が続いて現在は旧西吉野村との境界前後が通行止になっています、自転車なら担ぐまでもなく推して通行する事が可能で、昨年10月にも4サイドでも通りました。
 賀名生(あのう)バス停跡で小休止、映画「萌の朱雀」では恋野バス停と云う設定でした。近くには有名な賀名生梅林があるのですが、今年は少し開花が遅いかと。
 向加名生(むかいあのう)から少しR168を走らなくてはなりません、後ろの橋は五新線の遺構です。
 城戸(じょうど)から県道20号に入り、今回は陰地(おんじ)経由の道へ取り付きます、県道から津越までは標高差250m、激坂の連続に推しも入ります。
 まぁ写真でも撮りながらのんびり行きます、今回は4人どもミラーレス持参。標高の高い処ではまだまだ蝋梅が見られます。
 自生地は称名寺と云うお寺の傍にありますが、ここまで来れば後一息、写真右の後ろのお宅は「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子さんのご実家だったりして。
 称名寺、なぜか山門が無くなってますね。自生地、自転車を入れて撮れる様なロケーションではないのが残念。
 門前をお借りしてお昼にします。福寿草目当ての車が時々登ってきますが、なかなか車でここまで登ってくるのも道が道だけに大変でしょうね。


 津越の後、もう一つの自生地のある大峯へ向ったのですが、猪垣のフェンスが設置されて近寄る事ができませんでした。


 県道まで下り十日市までご一緒した後、このまま県道を樺の木峠に向う一行とお別れして、丹生川沿いに県道138号赤滝五條線を行く事にします。


 道の駅「吉野路黒滝」に立ち寄るとO嬢とばったり、反対にこれから賀名生へ行くそうです、おニューのピンクのデローザを入れて一枚。
 黒滝村からの帰路は地蔵トンネルを抜け、先週も来た才谷から県道257号才谷吉野山線へ入り、吉野山へは登らす脳天さんへ下ります。さて何処を越えて帰ろうかと思案した挙句、長い事通っていない旧い鹿路トンネルへ、吉野側は超激坂で知られる県道37号の旧道区間、案の定推しが入ります、吉野からの帰りに使うルートではない事を再認識しただけの様な。鹿路トンネルは激坂の他にも出るとか焼身自殺とか話題に事欠かないトンネルですが、路面がアスファルトで改修されていました。吉野町の三津集落へアクセスが桜井市側からの方が良く、吉野町三津の郵便は桜井局が受け持っている位で、旧トンネルが健在な訳なんでしょうね。トンネルを抜ければ桜井までは下るだけですが、後半の遠回りが効いて本日の走行106.0キロ、結構くたびれました。


 例によって写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2018]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です、一部に輪童さん、kitanoさんの写真を拝借しました。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’2018’、パスワードは2018年の卓上版「CanCan謹製カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の数字です。 なお3月末まで2017年のパスワードも使用可能です。