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R166旧道脇道裏道回送ツーリング

 明日30日は鈴鹿のあびさんから「伊勢本街道ツーリング」のお誘いを受けているのですが、集合場所は近鉄大阪線の榊原温泉口駅に午前9時との事、自走では桜井からR165を走れば約60キロ、一本道なのですが、交通量が多い上に青山峠の白山トンネルが控えていると云う、自転車にとっては何も愉しくないコース、それを日も短くなってきたこの季節に走って、本番のツーリング80キロは些か大変過ぎます。 輪行なら急行乗り換えなしで1時間と楽勝なのですが、あまりに芸がないのと輪行仕度も邪魔臭いので、前日の今日かなり遠回りですがR166で高見峠を越えて松阪の手前から北上し榊原温泉口駅を目指す段取りです。

 西峠を上り榛原から芳野川沿いの道へ、ご覧の様に最高のお天気です。 ただ昨日の時点で明日の予報が思わしくなかったので、今朝の天気予報をみて改めて明日のツーリングを決定すると云う事ですので、中止ならば中止で回送はやめて旧道の高見峠まで往復してみようかと。

 菟田野町の大きな旧家の前にて。 この後松井橋のローソンで食料を買い込み一谷峠への道へ、本来R166は佐倉峠~木津峠を経て高見峠へ向うのですが、せっかく東吉野村を通るのですから「月うさぎ」へできたての「猫カレンダー」を少しでも届けようと持ってきているので、今日はこちらのコースをとります。 最高のお天気の下、ご機嫌で走っていると追い越しざま幅寄せする車が、….と運転手を睨み付けると「月うさぎ」のオーナーでした(^_^) 「載って行きますか」とのお言葉は遠慮させて貰ってもちろん走ります。 一谷峠への途中であびさんからメールが、明日は予報も多少良くなっているので決行との事、確かに三重県だけ晴れマークが少し。

 「月うさぎ」にカレンダーを届けて先を急ぐ事にします。 高見峠への旧道ですが3週間前は通れないとの情報でしたが、現在は「通行止」などの案内はありませんでした、まぁ旧道峠を越える余裕はなく紅葉にも少し早いので今日は素直にトンネルを抜けてループ橋を下る事に。 しかしR166の交通量が増えた様な気がします、台風禍以降長島、尾鷲方面への車がR169を避けてこちらへ流れる様になったのでしょうか。 今では高見峠を越えると三重県松阪市になってますが、まだまだ市街へは60キロ以上あります。

 R166は東吉野村鷲家で紀ノ川筋を遡ってきた和歌山街道となります、紀州徳川公が江戸初期に参勤交代に利用した街道で、松阪で参宮街道に繋がります。 ここ数年でずいぶん道が整備されましたが、雰囲気の良い旧道も残っていますので、自転車向きのマニアックな旧道脇道裏道を縫って行きます、このコースは2007年に2度ばかり、皆さんを案内して走っているのでご存知の方も多いのです。 「R166旧道脇道裏道ツーリング」でググると天五さんの動画とか一杯でてきますし、SORAさんのブログもお勧めです。

 まずは車が渡れない様に規制された橋を渡り波瀬の集落へ、現在の国道から離れているために、ここだけ時間が止まってしまった様な佇まいの家並みが、和歌山街道波瀬宿、本陣や旅籠跡に建つ旧家が並び、そして里程標や丸ポストなんかも立っています。

 R166は高見峠を越えてから小片野まで櫛田川に沿っていますが、新しく整備された道はバイパスとなっている処が多く、この様に川沿いに雰囲気の良い旧道が昔のまま残されています、車も地元の人が行き交うだけです。 写真は乙栗子を過ぎた辺り。

 和歌山街道で外せないのはやはり珍布(めずらし)峠、最近はウォーキングコ-スとして案内板が整備されたりしていますが、 やはり判りにくいです。 旧R166(今は一応R422に)の赤桶橋の下をくぐって行きます。

 見事な切通しの珍布峠、前後には色々と曰くありげな案内もあります。 なおこの峠を東に下ると宮前集落に出ますが、R166沿いの道の駅「飯高駅」を通り過ぎた処ですので、あてにしている方は注意が必要です。
一度国道に出ますがすぐに櫛田川に架かる黄色い橋で対岸(右岸)へ渡り、県道<745>片野飯高線に入ります。 高見山から東に延びる山塊の東端にあたる局ヶ岳をバックに櫛田川に架かる新旧の橋、なかなかのビュ-ポイントなのです。 ちなみに櫛田川の北岸には中央構造線が知っているために、それに関係する案内も見られます。

 片野飯高線はR166の対岸を走るのですが、R368を越えて立梅辺りから先は、地形図で点線道になっていますが、最近グーグルマップを見ていると、幅員はないものの舗装はされている立梅用水沿いの区間より、しっかり書かれていますのでどうやら整備されたのかと、いままで踏み込んでいない貴重な道だけに、これは行くしかありません。  しかし行く手には「通行困難」の案内板と未舗装路が。

 意外とダート区間は短く、その先は道路と云うか堰堤というかコンクリートの回廊が、小匠ダムを彷彿とさせ、その上洞門まで。 危険なので殆ど押してましたが、MTBなら99%乗車可能です。
 一キロ足らずでガードレールが見えてまともな道に、振り返るとこんな感じです。
 どうやら文政年間に開削された立梅用水は昭和に入ってトンネルでショートカットされるまでは、このルートに沿っていて、洞門はその時の名残の様です。

 ようやく立梅用水の快適な疎水沿いの道へ、対岸のR166は深野の街並みの中で路肩が狭く走りにくいのですが、こちら走ると格段に快適です。
 小片野で櫛田川と離れR166で瀬戸峠を越えて、辻原から北上し、近鉄大阪線川合高岡駅を目指します、ただ「旧道脇道裏道」を縫って走っていたのですっかり遅くなってしまい、五輪峠を越える頃には16時をまわってしまいました。
 それでも川合高岡駅辺りまで良かったのですが、そろそろ暗くなってくるので、雲出川北岸の道を避け様と考えているうちに名松線の伊勢川口駅方面に入ってしまい、計画より5~6キロ程遠回りして、19時前にようやく榊原温泉口駅に到着しました。 予定では駅の自転車置き場に相棒をしっかり括り付けて、明朝まで置き去りにするつもりでしたが、その適当な自転車置場がこの榊原温泉口駅にはありません、これは一つ東の大三駅まで戻るしかないかと少し引き返すと、単車自転車預かり所の看板が、ここなら100%安心とその上おばあちゃんは一泊200円にまけてくれて、フロントバッグだけ担いで再び駅へ戻ったのです。 本日の走行141.6キロ。

今年も懲りずに葛城山麓「彼岸花ポタ」

 葛城山麓「彼岸花ポタ」は「串柿」「梅林」とともに輪童さんが主催するポタ企画、ほぼ毎年行われてます。 共通する事はカメラ担いで激坂の斜面を登ったり下ったり、アプローチはともかくサイクリングと云うにはちょっと… な企画です。 今年は「彼岸花」に加えて、橿原市のサイクリスト御用達の食事処「よろづ」で食事の後、明日香村で夕刻から行われている「飛鳥光の回廊」へ行こうと云う二部構成です。

 集合場所は近鉄御所駅0930、しかし「よろづ」の夜の部開店の17時まで、一体どこをどう走ろうと云うのでしょうか。 しかし参加予定のnana魔女から遅刻コール、放って行く事もなく御所駅前でワイワイガヤガヤ自転車談義をしながら到着を待ちます。 この段階で走る事しか頭にないローディは参加資格を失います。

 御所と云えば今年2月に喜寿を迎えられた鉄人児玉さんの地元、登場です。 今一つ天気に恵まれていなかった今月も既に1000キロはクリアされてます。 今日は参加11名のうち5台が小径車、5台がガード付、児玉さんはもちろん650cロードですが、オフロードでも気にせず入って行きます。  

 1020、シュパーブの輪行袋を担いだnanaさんが御所駅に降り立ち、早速準備開始。 ガード付ランドナー、昨今のマナー違反の自転車持込みや、ゴミ袋輪行、自転車カバーをかけただけでホームを転がす、なんちゃって輪行をする輩には、爪の垢でも煎じて呑ませたい完全無欠の輪行スタイルです。

 いつもの事ですが、葛城山麓を彼岸花を求めて登ったり下ったり、 何処をどう走ったのやら。 このへんの写真はいつもの様にうちのHPの「ツーリングの記録」に既にUP済みですが、認証が必要です。 ログインは’pal’、パスワードはうちのFAX番号の下4桁です。

 もちろん鉄人児玉さんも、九品寺付近にて。 この後長柄神社で昼食の後、高鴨神社まで南下、岸和田から水越峠を越えて、今日はTOEIで走りにきていたダイバーてっちゃんが長い事待ってくれていました。 高鴨神社の隣にどうやら神社がやっている喫茶店(ウェイトレスが巫女さん風?)ができている様で、皆さんそっちへ行ってしまいました。

 高鴨神社から金剛山と大和葛城山を見上げる風の森まで下って記念撮影を。 風の森峠は大和川水系と紀ノ川水系との分水嶺になります。 金剛山の山頂は少し隠れていますが、写真右奥に見えるのが大和葛城山です。 (大きなサイズの画像もうちのHPにあります)

 風の森峠旧道を下ってピュンと桜峠を越えて、JR和歌山線沿いに、橿原神宮駅近くの「よろづ」まで小一時間、今日唯一走っていたと云える時間です。

 17時少し前に「よろづ」に到着。 ここはオーナーがコルナゴ乗りで、ロードバイクのお客さんが多いので、バイクスタンドがあります、鍵も貸して貰えます。 ガード付きと小径車は使いにくいですが。

 「よろづ」店内にて、今日のサービス定食は「揚げ茄子鶏カラあんかけ丼セット」

 「よろづ」の後、明日香村で行われている「飛鳥光の回廊」へ、万葉文華館ではポタ参加者の友人の和紙アートの展覧会が行われていて、覗いたりしながら、あちこちの会場をウロウロします。 そろそろ神戸へ帰るnanaさんの時間も危なくなってきたので、石舞台方面へ向う一行とお別れしnanaさんを護送して桜井駅へ、本日の走行64.3キロ。

敦賀から「しおかぜライン」へ

 キャンプ翌日、予定は何も決まっていません。 高速増殖炉「もんじゅ」を見に行こうとか(見える処までは行けないと思いますが)、旧北陸本線廃線跡とか、幾つか案がでましたが、Dさんが河野海岸道路を走った事がないそうなので、杉津まで車で移動して片道10キロ程の距離ですが、往復しようと云う事になりました。

 敦賀から海岸沿いに、越前海岸へと北上する河野海岸道路、以前は有料道路でしたが、現在は無料になって一般県道となり「しおかぜライン」と云う愛称がついています。 平行してR8が走っていますので、有料時代は通り抜ける車も少なかったのですが、無料となった今、休日とあって車は増えた様で、それに今日は季節も良いので二輪も多い事。 有料時代はは確か自転車は90円だったと記憶しています。

 対岸に敦賀半島、日本海を前に見ながら風光明媚なコースです。 余裕があればR308に入って越前岬や呼鳥門まで往復したり、三国港や東尋坊まで抜けて輪行で帰ってきても良いかと思います。 私が以前に走った時は、桜井から223キロ自走し越前海岸で宿をとりました。

 時間もありますので、写真を撮りながら行ったり来たり。 どうにか来年のカレンダーのネタにはなりそうなのも撮れた様で。

 いずれも短いですが、河野までの間に3つ程トンネルもあります。

 お昼までには往復してしまったので、敦賀の有名店?「ヨーロッパ軒」へ、市内に何軒も支店がありますが、最初に行った駅前店は駐車場も一杯で明らかに満員だったので金山店へ、こちらでも少し待たされましたが。 頼んだのは話題のソースかつ丼、3人とも1050円のセットを頼んでしまいましたが、かなりのボリュームで、女性のお昼なら「ミニ丼」がお勧め、ミニと云っても十分なサイズでした。

 食事の後、気比神社を見学して天五さんとお別れしたのですが、帰路に道の駅「あやま」に立ち寄ってみると、UG兄さん主催の「甲賀クラシックロード走行会」を終えたばかりのメンバーに遭遇。 ここから泉州岸和田へ帰るダイバーてっちゃんの車に乗り換えて帰途に就く事にしました。
 本日の走行18.6キロ、KHSとは云えなんとも自転車な2日間でした(^_^;)

道路元標蒐集の旅(’11夏 総括)

 今シーズンもしっかり利用させて頂きました「青春18きっぷ」、3回目 7,670円分、4回目 5,470円、5回目 8,410円と3日間で21,550円分、先の九州行きと合わせると41,330円分乗車。 しかし実際のダイヤで乗車して最大何円分乗れるのでしょうね。

今回は20吋小径車KHS F-20Rでの輪行で、2泊ですし荷物も極力絞ったので結構楽でした。 3日間での走行距離は151.1キロ、過去何度も100キロ以上を走ってますし、最高135キロ程走った事もありますが、疲労を考えるとやはり50キロ位が丁度良い様な気がします。 そろそろタイヤも交換しなくては。 道路元標以外は写真を撮る余裕もないはずなのに持って行った LUMIX G1の交換レンズ、やはり使わなかった、学習してないなぁ… 大体がG1持ってゆく必要があるのかと云われそうですが(^_^;)

道路元標蒐集の旅(’11夏 3日目)

 明日には仕事の予定があるので、今日中に帰らなくてはなりません。 長野から可能な範囲で道路元標を拾って帰るつもりですが、篠ノ井~中央西線で名古屋経由、篠ノ井~大糸線で糸魚川にでて北陸回り、距離的には一番遠回りになりますが直江津へ戻って北陸線経由と色々考えられます、北陸回りで富山から長い事乗っていない高山線経由で岐阜に出ると手も、さすがに高山線経由はちょっと難しい様にも思えたのですが、意外にも直江津1041に乗れば「18切符」のまま桜井へ帰る事も可能です、富山駅で1時間20分待ちと云うのはいささか勿体無い話なのですが。
 結局は一番面白そうな高山線経由を選んで、長野0614発直江津行きで妙高市の関山へ、ここから3時間20分の間に道路元標を拾いながら真っ直ぐ行けば30数キロ先の直江津まで、と云っても前半は下り基調で山越えもありませんが。 しかし信越線の長野駅始発ってなんでこんなに遅いのでしょうねえ。

 妙高山麓の関山駅で標高340m程、少し走って堰山村道路元標へ、後はR18を避けて北国街道旧道をどんどん下って行きます、新井あたりではR18に吸収され交通量が増えてしまうまでは気持ちの良い道が続きます。
 北国街道、雪国の旧街道と云うにはやや物足りない雰囲気ですが… 直江津に向かう途中には幾つか道路元標が残っているのですが、新井町道路元標は施設内保管と云う事なので時間的にも無理があるので、中郷村、三郷村、津有村と巡る事にします。
 直江津1041発に乗車すると、後は改札の外へ出る予定はありませんので、あらかじめ食料を調達しておかなくてはなりません、ところが直江津駅前や北側の旧市街にはいわゆるコンビニがありません、どうやら直江津橋東詰のセブイレが最後だった様です、理由の如何はともかく古い街並みには時々あるパターンです。 郵便配達の人に聞くと駅の自由通路を通って南側に出て、駅裏にあるのが一番近いそうで、エレベーターで自由通路へ上がり南側へ、少し探しましたが、それでも歩けば5分はかかる距離でした。 自由通路は押せば自転車も大きな顔して通れる市道です。 ベンチもあって改札前も通るので輪行仕度には最適ですが。 なおいわゆるキヨスクは駅構内にあります。

 富山1234着ですが、1時間20分も冷房の効いた待合室のないホームで待つのもなんなので、「18切符」を良い事に高岡駅まで往復する事にします。
←再び富山に戻って1354発の高山線猪谷行きに、キハ120の2連ですが結構学生で混んでいるので、高岡まで往復したせいで座れなくなってしまいました。 越中八尾で座れましたが、富山はその八尾で翌々日から始まる「おわら風の盆」一色です。
 猪谷で1508発美濃大田行きに接続しますが、待っていたのは旧国鉄色のキハ48 2両編成です。 東海色のキハ40,47は紀勢線でも御馴染みですが、塗り替えたばかりなので、マニア目当てのリバイバル塗装でしょうかね。 ところで先代のキハ23系は確かに当初この色でしたが(信楽線キハ53)、キハ40系ってオリジナルはいわゆる首都圏色と呼ばれる朱1色じゃなかったのかな。

 乗り込むとトイレ前のスペースには大きな輪行袋が3つ、こちらも大学自転車部合宿の流れの様で、平湯から高岡経由で下ってきたそうです。
←冷房が標準になる前だったからなのでしょうか、もちろん後付けのクーラ-もありますがレトロな扇風機が回ってます。

 JR西日本にも良く見られる両開きのキハ47と違って両端に片開きドアが付いて、デッキこそありませんが国鉄時代の急行用気動車の雰囲気があります。 美濃大田まで3時間半、ロングシート車両に長々と乗せられる路線の事を思えば快適です。
 美濃大田で岐阜行きに、その後は岐阜、米原、京都、奈良とJRを乗り継ぎ桜井に2310に帰り着く予定だったのですが、問題は京都と奈良で3分の乗り換えをこなさなくてはなりません、小径車、混雑時を外れている、京都駅は東側地下通路を利用する事でクリアできるつもりが、米原から京都までの新快速は2分延、大急ぎで10番ホームへ向かったものの奈良行きは目の前を定刻に発車してしまい、やむなく京都から近鉄で帰る事に、桜井には僅か3分早く着きましたが920円余計な出費をする事で、今回の「18切符」の旅は終わりました。

本日の走行46.2キロ

【968】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 関山村 (現 妙高市) 
【969】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 中郷村 (現 上越市)  
【970】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 三郷村 (現 上越市)
【971】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 津有村 (現 上越市)

道路元標蒐集の旅(’11夏 2日目)

 富山近郊ではかつて交直両用の急行型電車475系がまだまだ現役です、デッキ寄りがロングシート化され吊革がついたりしてますが、サボ入れが残っていたりして往時を偲ばせます、急行「立山」とか懐かしいなぁ…  ただ輪行袋を置くスペースがないに等しいのが残念です。 一部の車両で洗面室をつぶして荷物置き場になっているものもありますが、手すりがないので固定が難しいのが難点。 ところで北陸本線糸魚川駅、もう大糸線キハ52の姿はありませんし、あのレンガ造りの車庫も取り壊され、新幹線橋脚がそそり立っていました。
 
北陸本線名立駅で途中下車し次の列車までの46分間に1キロ程離れた名立町道路元標まで往復しますが、さすがKHSなら余裕の作業です。 直江津駅への車中で輪行袋のグループが、千葉大学サイクリング部の夏合宿の流れ組の様です、夏合宿では飛騨から天生(あもう)峠を越えて白川郷に入り、福井から金沢と走ってきたそうです。 現在部員70名程とか、大半はクロスバイクでランドナーは数える程もないとか。
 柏崎で越後線に乗り換え小島谷1059着。 ここから信濃川左岸主に三島郡の道路元標を集中的に回ります。




 本日13基目、来迎寺村道路元標、かなりの変り種ですが、里程標の様に他の元標への距離が記されています。 GARMINのGPSとスマートフォンを持ってきていますが、付近の紙の地図を用意してなかったので、結構ルートや時間をロスしてしまいました。 うまく回れば後2つ位GETできたかも知れません。
 
来迎寺駅にて、東横イン宿泊のために4時間かけて長野へ移動です。 今回は着替えを最小限にしてきたので、来迎寺駅の洗面所でシャツを水洗い、絞ってそのまま着たのですが、さすがにすぐには乾かないのは涼し過ぎでした。
 結構「18切符」での貧乏旅行を愉しんでいますが、一度位はこう云うのに乗ってみたいですわ。 普通の寝台なら結構取れるのですがね。



 落日の日本海を走ります、山陰線もいいですが、北陸線もここまでくると見どころがあります。 

 

 長野2012着、例によって東横イン、オープン直後に2泊利用した事があり、その時は折も良く花火も見える良い部屋だったのですが、今回はポイントが貯まっているので無料で利用させて貰います、ところが過去50数泊の中でも最も狭い部屋、輪行袋を入れると扉もちゃんと開けられません、外も見えないし、めちゃくちゃ作為的ですが、過去の無料利用では決してこんな待遇はありませんでした、携帯が使えなかったらキレてる処です。 しかし結構東横インのファンなのですが、この処ケチがついてます。

 

本日の走行56.8キロ

【955】 新潟県 西頚城郡 名立町 (現 上越市) 
【956】 新潟県 三島郡 桐島村 (現 長岡市) 
【957】 新潟県 三島郡 大河津村 (現 長岡市) 
【958】 新潟県 三島郡 与板町 (現 長岡市) 
【959】 新潟県 古志郡 下川西村 (現 長岡市)  
【960】 新潟県 三島郡 大津村 (現 長岡市) 
【961】 新潟県 三島郡 脇野町村 (現 長岡市)
【962】 新潟県 古志郡 福戸村 (現 長岡市)  
【963】 新潟県 三島郡 王寺川村 (現 長岡市)
【964】 新潟県 三島郡 日吉村 (現 長岡市)
【965】 新潟県 三島郡 関原村 (現 長岡市)
【966】 新潟県 三島郡 日越村 (現 長岡市) 
【967】 新潟県 三島郡 来迎寺村 (現 長岡市)

道路元標蒐集の旅(’11夏 1日目)

 さて「18きっぷ」残りの3回はどう使おうかと色々と思案、先月末からの九州4泊5日では結構予算も使ったし、asuka号の方も色々と本調子でない点もあるので、今回は久しぶりにKHSを担いで、年内の1000基達成を目指して距離より数をこなせる様なプランを方角毎に準備して、週間予報と仕事の予定を睨みながら待つ事に。 27日土曜出発で石川~新潟方面に向かう事にしたものの、土曜の予定が狂ってしまい結局は日曜出発の2泊3日になってしまいました。
 「18きっぷ」で関西から朝一に金沢方面に向かうには敦賀0650着の新快速に乗るのが丁度良いのですが、敦賀駅で金沢行きへの接続時間が3分と輪行袋を担いでの移動は至難の技、そこで1本前に乗るために奈良駅まで20キロあまりを自走する事に。
 ところがこのプランは京都、近江今津、敦賀で都合1時間半以上も待たなければならないのが、まぁ敦賀へ先回りしている訳ですから輪行袋を担いでいても確実に金沢まで座っていけるものの、結構忍耐が必要です。 近江今津駅にて、ここまで117系。
 金沢で七尾線への乗り換え時間は3分、乗換案内NEXTでは同じホームの5番から4番だったのですが、車内アナウンスで6番から5番とホーム違いで大慌て、ただ勝手知ったる金沢駅の事ですから、どうにか無事に乗り換える事ができましたが。 後で運転手に尋ねると臨時列車の運転による変更の様でした。
 七尾線は415系、ロングシート部分が撤去され、座席間隔が広くなっています。 輪行袋の置き場所は一杯あります、ただ暖房時はちょっと問題が、でも暖房入れる季節に能登へ行きませんし。

 七尾駅、JR七尾線は次の和倉温泉駅までで電化されていて特急列車は全て和倉温泉まで行きますが、普通列車はここまででここから先はのと鉄道のディーゼル車が運行されています。 18切符は和倉温泉駅まで利用できますので、目的地の能登中島駅までの乗り越し区間の切符360円を購入。
 のと鉄道はなにやら鉄な連中が多いなと思ったら、昨日今日となにかイベントが行われている様です。 途中駅ですれ違い列車を覗くとこんなツワモノが、のと鉄道っていつからサイクルトレインを導入したの?  1437ようやく能登中島駅に到着、時間の許す範囲で付近の道路元標を巡ります。

 ところで能登中島駅構内にはなんの所縁か、国鉄時代の郵便車オユ10が保存されています、確か郵政省所有の車両だったはずですが。

 

 平成の大合併で今は七尾市となってしまった旧中島町域の道路元標3基を回った後、中能登農道橋で能登島へ渡り、島内で現存が確認されている中乃島道路元標まで行きたかったのですが、標高こそ低いものの島内は結構アップダウンがあって、日没までの時間もないので今日は諦めて田鶴浜村道路元標を経て和倉温泉駅まで走る事にしました。 R249を避けて海側の道をたどって行きます。 所々狭い区間もあるので比較的車も少なく、自転車にとってはこちらが快適です。
↑七尾西湾の入り江に架かる平成橋、そう云えば海の匂いを感じながら走るのはこの夏始めてです。

本日の走行48.1キロ(奈良駅までの自走20.1キロ含)

【951】 石川県 鹿島郡 中島村 (現 七尾市)
【952】 石川県 鹿島郡 熊木村 (現 七尾市)
【953】 石川県 羽咋郡 釶打村 (現 七尾市)
【954】 石川県 鹿島郡 田鶴浜村 (現 七尾市)

2日目へ

再び「月うさぎ」まで

 なべちゃんのお誘いもあったので先週に続いて「月うさぎ」まで行く事に、ただ天気予報が今一で午後遅くには降られる事確実ですが、なべちゃんは輪行袋すら携行せず往復150キロ走る気満々です。 いつもは奈良から車も信号も多いR169を南下してくるのですが、大和川沿いの快適な道を覚えて貰おうと、大和川と竜田川の合流する辺りまでお迎えに行く事にします。 待ち合わせ場所にはお互い早めに到着したので、早速大和川沿いに上流へと走り出しますが、御幸橋(こちらは「ごこう」ではなく「みゆき」です)北詰の信号を渡った処で、私のasukaのディレーラーが不調、調べてみるとチェーンの一コマが変形しています。

 幸い九州遠征の時のままサドルバッグにはチェーンカッタ-とアンプルピンが入っていたので、とにかくチェーンを切ってプライヤーで補修して繋ぎなおしてみますが、少し走ってみたもののテンションがかかると案の定チェーンが切れてしまいます、諦めて一コマ飛ばして繋ぐ事にしますが、やはり変速は思う通りには行かないので、桜井まで戻った処でロードに乗り換える事にします。 しかしチェ-ンカッターを持ってなかったらトボトボ自転車を押すハメになるところでした。

 ロードに乗り換えた後、大峠ルートをとるために談山神社参堂から多武峯を目指します。 下居バス停と不動滝で休憩の後、八井内のヤマザキで補給しようと思っていたら「本日休業」、どうやら今日は祟られている様です、仕方なくトンネルへ。

 八井内トンネルから大峠トンネルまでは、1キロ半ほど日陰のない登りが続きますが、天気が良くないのがかえって快適、どころかトンネル内は寒い位。
← 2週間ぶりのkoga-miyataです。 (photo : なべちゃん)

 標高500m越の大峠トンネルに到着、R165西峠(348m)やR166女寄峠(368m)を越えるよりかなり余計に登らなくてはなりませんし、関戸峠を下るならともかく「月うさぎ」へ向かうにもやや遠回りにもなりますが、八井内で県道桜井吉野線と分かれてからは殆ど車はやってきません。
 大宇陀まで下ってきた処で「月うさぎ」へ電話、2人分の食事をお願いしますと、ヘルシー野菜カレーならと云う事でお願いしました。 この後も降られることもなく一谷峠を越えて12時半には無事到着。
 もちろんいつもの「癒し猫」に加えて「看板犬」のチロちゃんも、最近ずいぶん愛想良くなりました、以前はなかなか触らせてくれなかったのですが。 帰りの時間を計算して2時半までののんびりさせて貰います。 ここの魅力は涼しい風の通る板の間や縁側でのんびり過ごせる事です。

 先月から始まっているログハウスのプロジェクト、床板も張られてほぼ完成、木の香りが。 11月のコンサート後に移転させる予定だそうで、1間半角程度のスペースですが10月のキャンプにも利用させて貰えるかも。
 しかし帰途に就こうとする頃には案の定パラパラと降りだしてきました、一谷峠を越えると天気は変わる事も多いので、ここでぐずぐずしていても仕方ありませんので出発する事にします。 菟田野から大宇陀と女寄峠に向かって最短コ-スを走りましたが雨は一向にやむ様子はありません、とは云っても走れない様な土砂降りにもならないので、勢い休む事なく桜井まで1時間15分位で下ってきますと、雨もほぼ収まってきました。 この後大和川ルートを判りやすい処までなべちゃんを送って帰宅、本日の走行約101キロ。

「流しそうめん」の準備

明日はRさん主催で毎年行われている「流しそうめん」、なんと云っても自然の滝の流れを利用しての「流しそうめん」ですので、色々と準備作業が必要ですし、先日の台風で結構荒れている様ですが、お手伝いに行ってきました。

実はasuka号がまだ片足輪行袋に入っている状態ですので、久しぶりにロードでの出動ですが、軽い事。 しかし金剛山にかかる雲が心配。


鉄人児玉さんも手伝いに。





試運転開始





明日は参加できないみやのさんが試食中





さあ、人数分の材料の買出し

本日の走行35.2キロ