思いつくまま写真の事など

 光栄な事に先日からFacebookのグループ「自転車カメラ部」の巻頭を私が飾らして貰っています。先月、積雪の東吉野村谷尻(たんじり)で撮ったもので、オリジナルは当ブログにも1月17日付けでアップ済みの作品です。
 「自転車カメラ部」のヘッダー画像に選ばれたのはこれが初めてでもなく、前回(写真右)の時は応募と「いいね!」の数で選ばれたのでした。今回は記事としてアップしてあった画像からグループ管理人が選んだものです。
 実はM氏から「自撮りがしたくなった」とお褒めとも取れなくもないコメントも頂いたのですが、うさぎの足跡を追い掛ける様なシチュエーションが面白いかとは思うものの、自身あまりピンと来た写真でもなかったのですが、せっかくですので鉄調色を習ったエフェクトをかけて改めて投稿していたものなのです。折角選んでくれるならばとは思うのですが、しょせん人様が選ぶのですから仕方がない事でして…
 しかし「ならクル」のフォトコンテストの時は参りました、まぁ確かに応募したのは私自身なのですが、なるクルの各コースに対応した写真だけにありあわせの写真だけに、他にもっとエエのんあったやろうが、と云うのが正直な処です。自分がこの作品が良いと考えていても、人様から見て、そんなんよりもこっちの方が良いよと云われているみたいで、多く「自撮り」作品なんかもそうなんかなぁと、ちょっとジレンマに陥ってます。「ならクル」の方にすると奈良の代表的な観光スポット「大仏殿」故に選に入れたのかも知れませんが、それなら「大仏さん」と「鹿」が写ってたら何でもエエんかいなと勘繰ってしまう訳でして、まぁコラージュ的な面白さはなくもないかと思うのが…
 コラージュと書いて思い出したのがこの作品、紙焼しか見つからずスマホで撮ったのでオリジナルの階調もなにもないのてすが、40年程前に当時の東京写真大学(現 東京工芸大)で行なわれたアレン・ダットン・ワークショップでの習作、パソコンなどもちろんない時代、紙焼を切り貼りして大判カメラで複写(手元に残っているのが8×10のベタ焼だから間違いないかと)して仕上げると云うプロセスでした。
 日本側の講師に細江英公先生、ワークショップの仲間には昨年亡くなられた画家の合田佐和子さん他著名な方や、後年著名になられた方も多かったのですが、なにしろ生意気盛りの若造でしたから相当に顰蹙を買っていたかと思います。ダリを敬愛し作品にも影響を受けていたダットン先生の向こうをはって、デ・キリコ信奉者だった私、でも結果は何も出せなかった。
 これも40年以上前の作品。何しろ森山大道さん辺りに熱を上げていた時代ですからね。
 でもどことなく自分の写真の原点だった様な気がしないでもないです。30代から40代にかけてスランプと云うか写真を撮るのが嫌になっていた時期があって、一眼レフとかも処分してしまい、自転車の写真もないのです、ナショのラ・スコルサのランドナーとか日米富士のチタン・ロードとか乗っていたのですがね。その後skuram氏から譲って貰ったCanon L-10と云う高倍率ズームのついたビデオカメラの様なデザインのカメラを使っていた事がありましたが、2001年5月にソニーのサイバ-ショットを手に入れたのが私のデジカメ元年でした。

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