「石川ポタ」と「第九」のダブルヘッダー (前半)

 今日は年末恒例、21回目を迎える「石川ポタ」が1週繰上げとなったため勤務明けに加えて「やまとたかだの第九」と重なってしまいました。一旦「石川ポタ」は諦めたのですが、何事もなく仮眠ができれば、集合場所の柏原市役所前には向かわずに通称「OHCHOの森」へ直行し、皆さんの作るお昼をつまみ食いして、速攻で帰れば15時開場16時開演の「やまとたかだの第九」に間に合うと踏んで準備をする事に、お配りするカレンダーだけで結構な嵩になりますので久しぶりのフロント2サイドです。

 結局の処あまり仮眠もできなかったのですが… 橿原市内の勤務先を9時前にスタート、大和高田から当麻寺門前へ。本当は尺土駅前を経由するつもりだったのですが、高田市街で道を勘違いしてまして… せっかくですので当麻寺門前に残る當麻村道路元標の現存確認を。以前は前が駐車スペースの様になっていて車にぶつけられたのか「道」から上が折れて傾いていたのですが、傾きは直されているのですが、頭部が見当たらず「路元標」しか読む事ができません「當麻村」と読めた頭部はどこへ行ったのでしょうか。

 当麻寺門前まで登って来たので竹内へハイキングコースにもなっている道を南下し竹内街道へ出ます。数100m車の多いR166を登らなくてはなりませんが、左側に見える池を過ぎた処から旧道が残っています。なお池の手前の分岐は平石峠への道ですから注意。1020には竹内峠へ、切り下げ前の道(奈良側は階段に)と県界標他が残っています。以前にも書きましたが自転車で峠らしい峠を初めて越えたのがここ、当時は堺市に暮らしていて明日香村の母方の実家へ向かう途中だったかと。

 太子町役場の前を抜けて石川に架かる河南橋で石川右岸に渡ったのが1047、河川敷の石川サイクリングロードを見下ろす事ができますが、ここ通過するのは早くても11時前、今日のメンバーと台数からするとそれより早くなる事はないのでここで待ち構える事にします。
 ところで今回は富田林市のマラソン大会とバッティングしたので日程を繰り上げたのですが、予行演習なのでしょうか何やらスタッフと思しき人や救護車と書かれた車まで出ています、自転車道はいつも通りにロードバイクとかが行きかっています。後で聞いた話では羽曳野市のマラソン大会が実際に行われていたのだとか。写真左 : タックさん。
 1102 UG兄さんと先頭に一行がやってきました。橋の上から撮影した後、追いかけて「OHCHOの森」まで1.5キロ程ですが皆さんと一緒に走る事ができました。初参加のきんなん君(右)と大怪我から復帰して、平坦路を軽くなら走れるまで回復したもりやすさん(左)。

 「OHCHOの森」に着くまでには先頭にでる事ができました。
(後半に続く)

 集合写真を含む大きなサイズの画像を順次うちのHP「サイクリングの記録」にUPしています、一部バクローさん他の写真を拝借しています。なお私の写真に関して参加された方は再利用して頂いて結構です、なお認証が必要です、ログインは’2023’、パスワードは2023年版「CanCan謹製卓上カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の4桁の数字です、来年3月頃までは2022年のログインとパスワードの組み合わせも使用可能です。なおスマホのSNSアプリ等からリンクをたどると401エラーが出る事があります、Crome等ブラウザで開いて下さい。

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