「映画」カテゴリーアーカイブ

「首」

音楽にしろ映像作品にしろ、趣味的にも興味を持って長年関わると、個人的に思い入れのある作品やノスタルジックな感傷を持ってしまう作品がいくつかある。 「首」は1968年の東宝作品、ロードショーで見たのか、当時母親の入っていたタカシマヤ友の会の上映会で見たのか、さすがに記憶が曖昧なのだが、1968年当時では円谷特撮映画から「若大将」ものと多くがカラー化されていた時世に、鮮烈な白黒映像が今もなお印象に残っているものの、再び見る機会は40年近くもない。 決して大作ではないマイナーな作品だけに過去ビデオやDVD化された様子もなく、名画座や自主上映会などがないものか折々に気をつけていたのだが、ネットの時代でも「首」と云う短いタイトルは検索もしずらい、東宝作品ゆえフィルムが逸失してしまったなんて事はないだろうが、もしや二度とお目にかかる機会はないかも知れないとさえ思っていた。


監督は「八甲田山」や「日本沈没」を撮り1984年に53才で亡くなった森谷司郎、黒沢明監督のもとを離れ監督として独立して「赤頭巾ちゃん気をつけて」を撮るまでの初期の作品、原作は正木ひろし弁護士の実話小説でいわゆる「首なし事件」を題材にしている。 マイナーな作品と書いたが同年のキネマ旬報ベストテンでは「神々の深き欲望」「肉弾」「絞死刑」「黒部の太陽」と云った話題作大作に続いて第5位に入っている。 最近では「ツーカーS」のCMなんぞをやっているが、若かりし小林桂樹が主人公の弁護士役を演じていた。


実はその「首」がCSで放映される事を知ったが、CSを視聴する機器は持っていないので、あちこちあたるとS翁がケーブルテレビで見られると云う事で録画して貰う事になり(実はS翁はP女史に下請けに出したそうだが)、先日そのDVDを頂いた。
 30数年ぶりの再開、確かに大作でもないし名作として名を連ねるものではないが、鮮烈な白黒映像、テンポの良いストーリー展開と充分に見応えのあるものだった、スタッフにはいわゆる黒沢組のメンバーが多く名を連ねているが、黒沢作品は初期作品からビデオ化DVD化され受け容れられるのに比べて、この作品が日の目を目見ないのが残念である。 スケールの大きな映像が求められ、悪く云えばコケ脅しばかりの最近の傾向ではこういった題材は映画どころかテレビドラマにもならないのかも知れないが、しっかりした作りの佳作秀作と云えるものである。

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「日本の悪霊」

高橋和己の小説「日本の悪霊」が1970年ATGで黒木和雄監督により映画化されていた事は知っていたが今まで見る機会はなかった。 原作を読んだのも30年以上前の事だから記憶も曖昧、主人公が無罪の判決を受けた直後に車に飛び込んで死んでしまう云うくだりだけが印象に残っている。
 映画では「横川事件」そのものはストーリーの中に組み込まれているものの法廷シーンすらない、主人公村瀬と刑事落合が活動家崩れのヤクザと刑事として佐藤慶が一人二役を演じ、村瀬と落合の同一性を瓜二つの二人が入れ替わると云う筋立てにしている。
 あまりに原作とのギャップが大き過ぎて些か混乱してしまって良く判らない、挿話の様に折々に現れる岡林信康が唄うシーン、70年代の匂いだけを感じながら、原作を引っ張り出してパラパラとめくってみたが、あえて好きな作家でもなかったし、いまさら高橋和己を読もうかと云う忍耐力はもう持ち合わせていなかった。


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「砂の女」

仕事でパソコンの前に長く座っているいるとさすがに肩などの痛みが酷くなってくる、だったらBlogも控えたらと云われそうだが、仕事だと集中力が続かなくってネ(^_^;)
 横になるとずっと楽になるので寝てしまえば良いのに目が冴えていけない、で久しぶりにビデオなんぞを引っ張りだして見ていたら、結局最後まで見てしまった。
 「砂の女」 岸田今日子と岡田英次が主演した勅使河原宏監督の1964年の白黒作品で、同年のキネマ旬報ベストテンで小林正樹監督の「怪談」を押さえて第1位に輝き、「飢餓海峡」が第5位となっている。 そしてカンヌでは審査員特別賞を受賞している。 さすがにロードショーは見ていないが、名画座か何かで映画館のスクリーンでも見た事がある。 余談だが「怪談」は岸恵子ファンの母親に連れられて見ている「黒髪」が怖かった事を鮮烈に覚えている、正直今見ても「リング」より怖い?。
 原作はもちろん安部公房、私の最も好きな作家である、「砂の女」は安部公房の作品の中で最も一般受けする作品なのかも知れないが、映画も同じ勅使河原宏監督の「他人の顔」程の難解さはなく、何よりも背景も背景だが白黒映画の美しさをこれ程感じさせる映画は数少ない、武満徹の音楽(ミュージック・コンクレート)も素晴らしい。 原作に忠実な作品で安部公房作品の一貫したテーマである「存在証明」、岸田今日子演ずる「女」と「村」の関係、そしてその構造に取り込まれてしまった主人公、そして最後の「溜水装置」の研究に希望を見いだす主人公と彼の「失踪宣告」が感動的に表現されている。 何度見ても新鮮で感動的だ、ただ原作に忠実と書いたが安部公房作品に一貫して流れるテーマの様なものはいささか希薄になっている様に思える。 しかしもうこんな日本映画って作られる事はないのかななぁと、つくづく思ってしまう、安部公房作品を4本映画化した勅使河原宏監督はその晩年「利久」「豪姫」を監督するが、安部公房作品で再びメガホンをとる事なく4年前に亡くなってしまった、後年の安部公房作品「箱男」なんぞを映画化してほしかった。


PS:なおロードショー時は147分の作品だっがカンヌ出品時に124分に編集された。 現在ではDVDで147分版も見る事ができ、断続的にカットされた部分は決して冗長になっていた訳ではなく「能登の御陣所太鼓」のシーンを始め各所で非常に作品の内容を色濃く表現している。

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見てから読むか、読んでから見るか、

って角川だっけ、そんなコピーがありましたネ。
 先週、TVで磯村一路監督の最新作「解夏」が放映されていたが、その週の深夜には同監督の前作の「群青の夜の羽毛布」が放映されていた。 本上まなみが主演した事以外には話題性も少ないし、評価も決して良くなさそうな2001年の作品だが、若松孝二、神代辰巳門下で新東宝で苦労してきた監督だけあって、私にはトレンディな恋愛ドラマに終わってしまった「解夏」よりもずっと好ましい作品だった、決して演技力があるとは思えない本上まなみの魅力を自然に引き出して、主人公’さとる’を良く演じさせていた。 小日向文世の演じる父親の存在が希薄過ぎて背景が判りづらいとの評価もある様だが、私にはこれで充分な様に思えた、と云うより心を病んだ父親と’さとる’との関係が原作では’さとる’をカウンセラーと誤解している辺りがどうも不可解なのである。 あと興醒めだったのはエンディングの鬼束ちひろの歌、別に嫌いな訳でもないのだが...


山本文緒、OL層に人気とやらの今様な女流作家の作品、それだけでzとても読む気にもなれなかったが、映画のお陰かたまたま長時間列車に乗る予定もあったので、久しぶりに文庫本などを買ってみた。 映画の面白さもあって最後まで読み切ってしまったが、この作者の他の作品を読んでみようと云う気持ちまでは起こらなかった、原作と映画をいずれが先にせよ両方を読んだり見たりするのも面白いものであるが、過去に原作を読んでから映画を見た作品はいくつも思い浮かぶのだが、逆はなかなか思い浮かばない、やはり原作を先に読むべきなのかなぁ...


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「スウィング・ガールズ」

机に座ってパソコンに長くかじりついているとつらく、ゴロゴロしているととても楽なので(誰でもだろうが)、向かいのレンタルビデオ屋に行ってレンタル解禁になったばかりのDVDを借りてきた。
 矢口史靖監督は「ウォーダー・ボーイズ」の監督なのだが、「ウォーダー・ボーイズ」は気色悪くて見ていないので、作品は始めて。 しかしJAZZファンやいわゆる音楽映画ファンがそのつもりで見ると、漫画ギャグの連発にうろたえてしまうが、しかし面白い。 配役の中でで一番目に付いたのは主演?の上野樹里や木野花を始め適役揃いの脇役陣より、トロンボーンを担当する不器用そうな役どころの本仮屋ユイカ、どこかで見たなぁと思ったら今週から始まったNHKの朝の連ドラの主役だった。
 少しダラつく部分もあるが最後の演奏会シーンで「ムーンライト・セレナーデ」、いささか字余りのドラムの後、始まるユニゾンは感涙ものである。


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「笑う蛙」

今では映画館へ映画を見に行く事などは殆どない、仕事場とか住まいが都会でもあれば、根は好きなので結構通うと思うのだが、大阪へ用事で出かけて行っても、電車の混まないうちにとそそくさと帰ってくる。 たまに映画館の前を通ることがあったとしても、くだらない洋画ばかりで、自身好きそうなのは滅多に出合う事もなければ、日常のメディアから情報も入ってこないし、億劫で積極的に求めもしない。 テレビでやっているのを配役とタイトルで目星をつけて見る位の事である。

 「笑う蛙」、長塚京三、國村隼、これだけで見る価値は充分であった、大塚寧々はともかくとして雪村いづみにミッキー・カーチスと配役の妙も... 舞台作品風の展開と味付け、コメディタッチに話が進むのだが、やや大げさな演技にも日常的なマジさに笑えない面白さ。 機会があれば一見の価値はある、映画館で見たかったなと思いつつ、しかし「夫は妻を、永遠に抱きたいと思った。 妻は夫に、一度だけ抱かれたいと思った。 」なんて宣伝コピーには誘われなかっただろうな、興味を示す大多数の観客を騙しつつ日本映画は頑張っている。 原作とはかなり違う、いや全く違う仕上がりだそうで、しかしいつになく原作を読みたいと云う気持ちは全く起こらなかった、良い意味で映画は映画であると。


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