杉坂峠にて
「18きっぷ」消化サイクの最後は「片鉄ロマン街道」に行く事にしました、云わずと知れた片上鉄道廃線跡を利用した自転車道なのですが、いままで訪れる機会に恵まれなかったのです。山陽本線の和気からスタートすると片道30キロ程の行程で、それだけでは面白くないので、姫新線の播磨徳久まで行って、未収の佐用郡
中安村道路元標と因幡(智頭)街道の平福宿に寄ってから「ロマン街道」は片道だけ走って帰って来ようと考えてみました。
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愛知県新城市 四谷の千枚田にて
天理市丹波市(たんばいち)にて
今日は結構なお天気なのですが、月曜までにやっておかなければならない用かあるので、早起きして昨日分のブログの更新とお仕事を。 お昼前には片付いたものの、今更何処へも行けないので、連日の「延陽伯」号を駆ってご近所ポタへ。
例によって上街道を北にとりますが、巻向でR169がJR桜井線と上街道を跨ぐ陸橋に登ってみました、箸墓古墳をバックに上街道を往くのを
「自撮り」できないかと思ったのですが、邪魔ものを避け様とすると長玉が要るのと、逆光なので今日は諦めて出直す事に。 真ん中のガレージは1年前までなかったのですがネェ。
続いて昨日の「下見ポタ」で天理市役所の方に教えて頂いた防空壕跡へ、上街道を北上し柳本で少し西へ。 私の小さい頃にはあちこちに防空壕跡なんちゅうもんが残っていて、爆撃の標的にはならなかった明日香村にもあって、芋の貯蔵庫代わりに使われていたりしました。 ここの防空壕は非常にしっかりしたもので、どうやら海軍柳本飛行場の遺物のようです。 ググってみると建設には’朝鮮人強制労働’なんて根拠の怪しい記述が見られますが、いずれにせよ忌まわしい文化遺産の一つです。
しかしここには案内の一つたりとありません、道路元標しかり、歴史と云えば古代の夢物語ばかりを追って、どうも明治~大正~昭和の遺産には目もくれない様で、勉強不足の日本人はだから何処やらの国に突っ込まれると弱腰なんですよね、閑話休題。
竜王山をバックに狙ってみたかったので柳本界隈をウロウロ、大和神社の南西で良さげなポイントを発見、ガードレールを隠す為、これが唯一無二のフレーミングです。
大和神社の境内を抜けていつものルートへ戻ります。 昨日、大和神社で頂いた「天理市観光ガイド」を下敷きに、毎週通っているのに、ここに’芭蕉句碑’があるとは知らなんだ「草臥れて 宿かる此や 藤の花」、ツーリストの歌ですね。
丹波市(たんばいち)で「自撮り」をしていたら、なんと3月のサイクの下見で下ッ道~上ッ道を走って来た、大阪のスミだんなと和歌山のにもさんに捕まってしまいます。 この後は天理軽便鉄道の遺構巡りをすると云う事なんで連れてって貰う事に。
まずは近くの市座神社に丹波市町道路元標と上街道に架かっていたと云う石板がありますので立ち寄ります。 巨大な石板の解説はありますが、道路元標については何も記されていません。
天理軽便鉄道と云っても天理市域にはその遺構は全く残っていないそうで、昨日走ったばかりの道をひたすら西へ、下ッ道の二階堂へ出て、少し北上して再び西へ。
(左上)川西町の県道沿いにある道標。
(右上)西名阪をくぐった処でスミだんなが女性ローディを愛でています、
(左下)安堵町の古い街並みを行きます。
(右下)一同「すてんしょ」と記された道標に萌え~
ようやく天理軽便鉄道の遺構へ、溜池を分断している築堤が素晴らしいです。 この先で富雄川を渡ってJR法隆寺駅南側まで断続的に遺構が残されています。
法隆寺駅でお二人と別れ帰途に就きます。 太子道(筋違道)で帰ろうかとも思ったのですが、結局は大和川沿いで帰る事に、飛鳥葛城自転車道に一旦入り大和中央自転車道を北へ、ここから起点のファミリー公園前までは盲腸みたいな区間で草ぼうぼうだったのですが最近整備された様です。 相変わらず「大和郡山田原本橿原自転車道」と「大和中央自転車道」おまけに「ならくるC-8物部ルート」の案内標識まで並んでいます、まぁ予算の出てる処が違うからなんでしょうね、縦割り行政は自転車道まで、無駄な上に紛らわしい極みですね。
本日の走行48.0キロ、後4.9キロで今月ようやく700キロ。

「山の辺の道」にて
今日は11時近くなってから、昨日目を付けておいた「自撮り」ポイントへ向う事にしました。 「山の辺の道」はルートによっては担がなければならない処があるので、重いasuka号ではなく延陽伯号で出掛ける事にしたのですが、サドルバッグを交換するのが邪魔臭かったので、今日はNorthTAKEのキャメルバッグ用と思われるバッグに三脚を入れて担いで行く事にしました。
昨日は落日の写真を撮っていて遅くなって上街道で帰ってきたので、今日は大神神社から狭井神社への山道を走ってから茅原へ下る事に、昔マウンテンバイクで良く行ったり来たりした道です。 「山の辺の道」のメインルートから離れますが、大神神社の鳥居や畝傍山、
耳成山が見える良く知られたポイントです。
茅原の吉野川分水沿いの梅が綺麗だったので寄り道。
天理市域へ入り、ようやく目的のポイントへやってきました。 少しずつ場所を変えながら数テイクを撮っていて、気が付いたら2時を回っていました。
お昼の用意もなにもせずに出てきたので、国道沿いのサークルKまで下って買出しをして再び戻ってきました。 景行天皇陵を見下ろす高台、見晴らしは良いのですが、陽射しこそ暖かいのものの、風が強くて冷たいのでじっとしていると結構冷えてきます。
距離にすると幾らも走っていないのですが、これ以上は北上せず帰途に就く事に。
帰りは桧原神社を回って帰ってきましたが、本日の走行距離19.2キロ、24×1の「延陽伯」では無理もできないので、山道や石畳は押していたので平均時速はなんと10.3キロ、真性ポタの一日でした。
天理市二階堂、地蔵堂のある三つ辻
今日は所用がお昼までに片付いたので、午後から少しポタる事に、って3日連続で走ってますが。 しかし今日が一番お天気が良い様で、あまり週間予報がアテにならない今週です。 まずは下ッ道を北上します。
下ッ道(中街道)は上ッ道とともに奈良盆地を縦断する古道で、今も古い道筋が名残を残しています、R24の旧道と思って貰って良いかと。 最近京奈和道の開通で分断されていたりもしますが。
京奈和道を迂回した処に案内板がありましたので掲げておきます(画像をクリックすると拡大します)。 かなり荒っぽい地図ですが、イメージとすればこんな感じです、実際はこんな直線ではなくかなり曲がりくねっています。 上ッ道が上街道、下ッ道は中街道で、中ッ道は殆ど失われていて、図にありませんが、下街道は現在のR168の一部に沿った旧街道です。
西名阪をくぐったあたりから道は極端に狭くなりますが、「ならくる」のルート(C-3 北下ッ道ルート)にも指定されていますので、辿って行けば新大宮近くまで行けます。 今日は特に下ッ道を走る事だけが目的でもないので、R25にぶつかった処で少し西寄りの佐保川の道を大和郡山方面へ向います。 実は日曜にも「だいすけさんのツイード乱へ」で郡山に行っていたのですが、同じ日に「alioli dos」の竹元さん一行が市内の某有名店に行っていて、今日はそこでお昼にしようと思いたった訳です。
ところで佐保川沿いを走っていると「大和青垣吉野川自転車道線」と聞きなれない名前の自転車道の舗装工事の看板が、ググってみたのですが県道認定の議案が出ていた様ですが、詳しくはわかりません。
ちょっとスマホのトラブルでwi-fiの使えるコンビニの前でゴソゴソやっていて遅くなってしまったのですが、無事に目的のお店に到着。 昔近くにクライアントの工務店があって時々お昼を食べに来ていたのですが、郡山に来る事はあまりなく入るのは随分久しぶりです。 平日はランチもあるのですが久しぶりと云う事で1,450円のロースとんかつ定食を頼んだのですが… 相変わらずボリュームはあるものの正直云ってこの値段に相応しい肉を選んでいるとは思えず、ちょっとショックでしたね。
郡山界隈はあまり詳しくないので日曜に来た折も、先導を引き受けたものの奈良公園までは県道9~124号をとったのですが、今日は佐保川沿いの道を走ってみる事に、ダートの行き止まりの堤防路へ突っ込んで引き返したりしたものの、どうやら県道124号京終停車場薬師寺線に出る事ができました。 写真は大安寺村道路元標前、大安寺の遺構が保存されています。
「下ッ道」「とんかつ」「佐保川沿いルート」と今日のテーマをこなして最後の目的地は「まんま亭」です、さすがにとんかつ定食から10キロも走らずにカレーはないので、おぜんざいを頂きますが、昨日も「おごぽご」で食べたばかりなんです。 フリ-ペーパーの季刊「CYCLE」が先月末には届いているはずなので寄ってみたのですが、このフリーペーパー、中和地域には置いてある店がないのですよね、「4’season」か「よろづ」が置いてくれれば良いのですが。さて平日とあってまんまママと長話をしてすっかり
長居をしてしまいました。18時までに桜井に帰らなければならなかったので、夕暮れの上街道をブッ飛ばして帰ってきました。本日の走行56.1キロ。
今日からお天気が悪くなると云うので、どこにも出かけずに大人しくしていようと考えていたのですが、陽射しがあってなにやらお天気の崩れるのは夜からと云う事で、少し走ってみようかと、さりとて何処へ行くあてもないので、奈良は「高畑まんま亭」までお昼にカレーを食べに往復して行く事にしました。
桜井から奈良まではいつも上街道(上ッ道)と呼ばれる旧街道を走って行きます、まぁ昨年は往きと帰りで100回は走っている道なのですが、古くから集落を継いでいる街道なので、途中には幾つもの道路元標が現存しています。 三輪町(左上)、織田村(右上)、巻向村(左下)、柳本村(右下)。
この辻に朝和村道路元標があったとされていますが、長い事行方知れずとなっていました。 それが数年前あろう事が京都市南区上鳥羽の 丸三冷蔵本社工場内に放置されている事が判ったのです、ところが私が訪れた2012年暮れには既に撤去されていて再び行方不明となってしまっているのです。
日本有数の宗教都市天理市の前身である丹波市町道路元標、元の位置に程近い市座神社の境内に移設されています。 隣にある巨大な石は案内板によると、かつて布留川南流に架かっていた橋だそうですが、道路元標に関しては何の説明もありません。
櫟本町道路元標は、この橋の北側にあったらしく「天理市史」にもその旨の記載があるそうのなのですが、その後処分されてしまった様です、「土橋」と銘版のついた古い橋の親柱の隣に残っているのは、どうやら道路元標の基部らしいのですが。
帯解村道路元標は基部が残っていると云う情報があるのですが、実際に私は確認はできていません。 皇室御用達の腹帯で知られる帯解寺、今日はなにやら祭事があるかして参拝者で賑わっていました。 と云う訳で「まんま亭」への往路は上街道に残る道路元標の生存確認ポタリングになってしまいました。
高畑町の「まんま亭」に着いたのは1時半頃、バーグカレーにぜんさいまで頂いておなか一杯になり満足して帰る事に、往きは道路元標だったので、帰りは山の辺道でも辿って帰ろうかとも思ったのですが、風が出てきたので帯解まで県道を走り、再び上街道で帰途に就きました(写真はまんまさんに撮って貰いました)。 本日の走行42.7キロ、消費カロリーの方が小さい様な気がしますね。
うちのHPの重要なコンテンツである「道路元標」、1000基を超えてからは手近な処に残っていないと云う事もありますが、熱が冷めていると云うか、暫く更新が滞っていましたが、久しぶりに更新しました。 新たに次の7基を収録し1,041基となりました。
【1035】 2015/12/25 香川県 綾歌郡 金山村(現 坂出市)
【1036】 2015/12/25 香川県 香川郡 一宮村(現 高松市)
【1037】 2015/12/28 静岡県 榛原郡 下川根村(現 島田市)
【1038】 2015/12/29 愛知県 額田郡 岩津村(現 豊田市)
【1039】 2015/12/29 愛知県 東加茂郡 足助町(現 豊田市)
【1040】 2015/12/29 愛知県 東加茂郡 下山村(現 豊田市)
【1041】 2015/12/29 愛知県 南設楽郡 作手村(現 新城市)
現在の処1,800基以上の現存が確認されているのですが、なかなか関東以北は行けませんねぇ。 No tags for this post.
Total 14,421.5キロ
asuka700Cツーリング 8,184.2キロ
asuka ロード 2,182.9キロ
KHS F20-S 1,254.9キロ
片倉シルク グロワール24 1,151.6キロ
erba ロード 1,142.4キロ
Koga-Miyata ロード 505.5キロ
2月から11ヶ月連続1,000キロ/月超え100キロ/日超え66回、うちセンチュリーランが2回、3日連続100キロ超えが3回。 2010年7月以来200キロ超えがないんだよね。

2015年の年間ブログ来訪82,004カウント、有難うございました。
古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。