「道路元標」カテゴリーアーカイブ

松山町道路元標(奈良県宇陀郡)

江戸時代に織田松山藩三万石余の城下町として栄えた宇陀郡の中心地であった、松山町は昭和17年に神戸村、政始村、吉野郡上龍門村と合併し大宇陀町となり、平成18年1月に榛原町、菟田野町、室生村と合併して宇陀市となったが、榛原町役場が宇陀市役所となった。 奈良県で最初に乗合自動車が走った大宇陀、菟田野も近鉄電車の通じる榛原に宇陀の中心地を奪われてしまったが、お陰で古い街並みが良く残っている。
↑国道166号線が西側に並行して走っているものの旧街道は今も国道370号線である。


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神戸村道路元標(奈良県宇陀郡)

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神戸村道路元標は上田倖弘著「道路元標を尋ねて」では行方不明となっているが、著者の上田氏と電話でお話する機会があって、出版後に宇陀川の川底から発見され本来の橋の西詰めに再建された伺った。


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城南村道路元標(兵庫県多紀郡)

城南村は篠山市街のすぐ南、篠山川をはさんだ南側に位置していたが、’古市村’と同様に昭和30年に’丹南町’となり、平成11年に’篠山市’となっている。


元標の位置を特定できる資料がなく少し手間取ってしまったが、駐在さんに尋ねると親切にも探して頂いたりした、元標は派出所の目の前の県道<49>三田篠山線沿いのJA丹波ささやま城南支店の玄関脇に建っていて、元の位置からは移設され保存された様である。 ‘城南’の名はこのJA支店や郵便局、派出所に残っている。


元標の仕様として指示されてはいないが篠山付近の元標には裏面に設置されただろう年月が掘られたもの幾つか見られる、ここ’城南村’は大正11年11月とある。


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八上村道路元標(兵庫県多紀郡)

‘八上(やかみ)村’は篠山川の南側’城南村’の東隣に位置していて、昭和30年に’篠山町’となった。


元標は現在の国道372号線の南側、京街道の道筋にあり、篠山五十三次として紹介されている「重兵衛茶屋」の近くにある。


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岡野村道路元標(兵庫県多紀郡)

‘岡野村’は篠山市街の北西側に位置していて昭和30年に’篠山町’となっている。 ‘岡野’の名は’岡屋’と’野尻’の合成地名だが小学校等に名前が残っている。


元標は<140>長安寺西岡屋線と<301>本郷篠山線がぶつかる付近の産業高校西南角に建っている。


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南河内村道路元標(兵庫県多紀郡)

‘南河内村’は篠山盆地の西端にあって隣接する’北河内村’と’草山村’と昭和30年に合併して’西北村’となった即日改称し’西紀村’となり、昭和35年に町制をしき’西紀町’となった後、平成11年に’篠山市となった。


元標は県道<77>篠山山南線と<97>篠山三和線のそれぞれの旧道が交差すると思われる地点のJA丹波ささやま南河内支店の向かいに建っている。


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船城村道路元標(兵庫県氷上郡)

‘船城(ふなき)村’は’黒井町’と同様に’春日町’となった後、’丹波市’となっている。


元標は’老人福祉センターふなき荘’向かいのグラウンド奥に放置されている。


グラウンド奥に放置された道路元標


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