県報告示によると有田村道路元標は有田川橋東詰となっています。
写真が旧道の有田川に架かる有田橋、右が現在のR42です。
旧道と云ってもこの橋は昭和33年竣工となっていますので、この橋の東詰に元標が立っていたとは云えません。
道路元標は旧道沿い、元の有田村役場があった場所の有田公民館に保存されています。
なお有田村は昭和30年に和深村、田並村、潮岬村とともに串本町に編入されています。
残念な事に「有田村道路元」までしか読めません、保存される時に下部は既に失われていたのか、タイル張りの時に埋まってしまったのか。
※ 同じ和歌山県でも’有田みかん’や小説の題名にもなった有田川の流れる有田郡や有田市とは違います。
現在の有田市中心部の前身は箕島町で昭和29年に有田町となっているので約1年、県内に有田町と有田村が存在していました。
なおJR紀勢線の紀伊有田駅は今もここ串本町有田地区にあります。
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早速’青春18きっぷ’を使って道路元標蒐集に行ってきました(^o^)
和歌山県西牟婁郡にあった有田村(有田郡の有田ではありません)の道路元標が現存していると云う情報があるので少なくとも1つはGETできるだろうと、すさみ町から串本町にかけての海岸沿いにあって幾つかの村を巡ります。
桜井055発に乗り和歌山線経由で和歌山へ、近鉄で大阪へ出た方が一本早い紀勢線の列車で紀伊田辺まで行けるのですが’青春18きっぷ’の意味がないのと紀伊田辺以南は本数が少なく普通列車を使う限り結果的には同じ時間になってしまいます。
高田、五条、和歌山、御坊、紀伊田辺と5回の乗り換えと5時間半余りをかけて周参見駅に1130に到着、昨年9月に田辺泊して来ていますが、とても日帰りサイクで来れる場所ではありません。
すさみ町役場で県報記載の地番を聞き現地へ、役場で教えて貰った薬局のご隠居を訪ねます。
確かに’周参見村道路元標’は此処にあったそうですが、道路整備の折にか土台部分を残して撤去されてしまった様です。
すさみ町へ来ても<38>すさみ古座線で山間部へ入る事が多かったので海岸沿いのR42を走るのは随分久しぶりです。
周参見村’の後、’江住村’、’和深村’、’田並村’と訪れますが場所を特定する事もできませんでした、道路元標が設置された大正時代はこの辺りは陸の孤島と云ってもおかしくない地域でその後数次にわたり道路、河川、港湾等の改修が行われていて’周参見村’の様に海岸線から奥まった場所でもない限り、元標が元の場所に残っている事は難しいと思われます。
↑里野海岸、もう少し走ると本州最南端潮岬が見えてきます。
串本町域に入り元の役場があった有田公民館に保存されている’有田村道路元標’を発見し、どうにか1基だけはGETする事はできました。
‘富二橋村’があった二色や串本町中心部まで足を延ばすのも時間的に厳しくなってきたので、9月と同じく紀伊有田駅から帰途に就く事に、1648発で紀伊田辺、御坊、和歌山、新今宮、奈良と5度の乗り換えで7時間近くかけて2320桜井に帰投しました。
’18きっぷ’でないとこんなプランは考えもしないですが乗車区間から算出すると\8,510になりますから1日で元を取った勘定です。
自転車の走行距離は38.8キロですが久しぶりに風光明媚な海沿いを快適に走れたので満足しています、でもコース的にはBD-1で走る処とはちゃいます(^_^;)
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古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。