今日はするっとKANSAI3Dayチケットを利用し近鉄で京都まで行き山陰線で\400払って亀岡へ、実は桜井から始発では京都へは近鉄利用が少し早く着き山陰線も1本早い下りに乗車できるのです。
亀岡から府道<6>枚方亀岡線と<46>茨木亀岡線で南下し’東別院村’と’西別院村’を回りR423で亀岡に戻ります、しかしこの辺りの道はダンプが多いのには閉口します。 ‘曽我部村道路元標’と’亀岡町道路元標’をGETし、亀岡駅前のミスドで休憩してから、’保津村’、’千歳村’、’千代川村道路元標’と順調にGETして行きます。
↑ ‘千代川村’から’八木町’へは苦手なR9に沿って行く事になりますが、旧道(山陰道)が残っていて殆どR9を走らずに済みました。
船井郡域に入り’八木町’、’富本村’、’新庄村’、’川邊村’をGETし日吉ダム下へ、時間は14時過ぎ、残りのコースを検討するにも微妙な時間ですが陽も長くなった事だし思いきって北桑田郡域の’五ヶ荘村’から’山国村’を回る事にします。
‘五ヶ荘村道路元標’から狭間峠を経て’山国村’へ、R477を走り周山へ。
← ‘ウッディ京北’にて、時間があれば戴いて帰りたい処ですが… よもぎと栃のあんころ餅(1ヶずつ\300)を買って我慢、少し高い様ですが風味があって美味しかったです。
周山へ自転車で来るのは3度目ですが元々土地勘の無い地域、予定では笠峠を越え’小野郷村道路元標’をGETして、するっとKANSAIが使えて近鉄と相互乗り入れしている京都市営地下鉄の国際会館か北大路へ走り抜けるつもりだったのですが、見事に反対向きに走り出していました、気が付いたのは2キロ程走ってから(^_^;) 引き返すのも何だし、以前「古典ロード」の時に走ったルートで世木ダム上流にでて、これも昔走ったR477を登り保津峡方面に抜ける事にします。 その時はR氏と当時高校生のR坊と花脊へ行ったのですがR氏は早々リタイヤして引き返し、私たちは寒い中を保津峡へ走り抜けたのですが、この時に無理をしたせいか右膝を痛めて、以来寒くなると疼くのです、歳を食ってから寒い時に関節に無理させるといけませんよ。
今日は道路元標回りの地図だけでツーリングマップルを忘れてきていて、土地勘の無い処では大縮尺でもあるのとないのと大違いです、それにヘッドランプもLEDタイプだけで、樒原(しきみがはら)へ登り昔峠おやじN氏が「木枯らし紋次郎」のエキストラをやったと云う伝説の神明峠を何もない保津峡へ下るのも不安なのでR477を山陰線八木駅へ下る事にしました。
結局はR477を八木へ走った結果、北桑田郡域の’宇津村’と’神吉村道路元標’をGETできましたが、京都市北部に一つだけ葛野郡小野郷村を残してしまいました。
走行119.75キロ
本日の収穫
【181】 京都府 南桑田郡 東別院村 (現 亀岡市)
【182】 京都府 南桑田郡 西別院村 (現 亀岡市)
【183】 京都府 南桑田郡 曽我部村 (現 亀岡市)
【184】 京都府 南桑田郡 亀岡町 (現 亀岡市)
【185】 京都府 南桑田郡 保津村 (現 亀岡市)
【186】 京都府 南桑田郡 千歳村 (現 亀岡市)
【187】 京都府 南桑田郡 千代川村 (現 亀岡市)
【188】 京都府 船井郡 八木町 (現 南丹市)
【189】 京都府 船井郡 富本村 (現 南丹市)
【190】 京都府 船井郡 新庄村 (現 南丹市)
【191】 京都府 船井郡 川邊村 (現 南丹市)
【192】 京都府 船井郡 五ヶ荘村 (現 南丹市)
【193】 京都府 北桑田郡 山国村 (現 京都市)
【194】 京都府 北桑田郡 宇津村 (現 京都市)
【195】 京都府 北桑田郡 神吉村 (現 南丹市)
日別アーカイブ: 2007-04-20
今日見かけた風景から
← 旧 日吉町にて
← やはりKHSには似合いません (旧 日吉町にて)
← 不遇な目に遭っている’道路元標’も多い中で、この季節ならでは。 (旧 八木町にて)
← やはりKHSには似合いません (旧 日吉町にて)
← 不遇な目に遭っている’道路元標’も多い中で、この季節ならでは。 (旧 八木町にて)
【192】 五ヶ荘村道路元標 (京都府船井郡)
船井郡五ヶ荘村は昭和30年に同郡世木村、胡麻郷村と合併し日吉町となり、平成18年に同郡園部町、八木町、北桑田郡美山町と合併し南丹市となった。
五ヶ荘村は市町村制により四ツ谷村、田原村、佐々江村が合併し成立したが、五ヶ荘の名は小学校に残る。 桂川の支流田原川に沿っているが、そのまま県道を遡っていくと北桑田郡京北町だった京都市域に入るので妙な感じである。
元標は四ツ谷地区の岡安神社前に建っているが、この辻は鯖街道海老坂峠への分岐点で、極楽坂トンネル以前谷峠の車道やができるまでは交通の要衝だった訳である。
形状は省令形とは異なる塔頂四辺にRがついたタイプで裏面には京都府と彫られている。
五ヶ荘村は市町村制により四ツ谷村、田原村、佐々江村が合併し成立したが、五ヶ荘の名は小学校に残る。 桂川の支流田原川に沿っているが、そのまま県道を遡っていくと北桑田郡京北町だった京都市域に入るので妙な感じである。
元標は四ツ谷地区の岡安神社前に建っているが、この辻は鯖街道海老坂峠への分岐点で、極楽坂トンネル以前谷峠の車道やができるまでは交通の要衝だった訳である。
形状は省令形とは異なる塔頂四辺にRがついたタイプで裏面には京都府と彫られている。
【187】 千代川村道路元標 (京都府南桑田郡)
京都府南桑田郡千代川村は昭和30年に亀岡町周辺16町村が合併し亀岡市となった。
その後南桑田郡は樫田村が大阪府高槻市に、篠村が亀岡市に編入され消滅した。
’千代川村道路元標’は山陰道(旧R9?)に面した亀岡市立千代川小学校正門前に建っているが、この正門は明智光秀の居城として知られる丹波亀山城の数少ない遺構(御殿門)を移築したものらしい。
どうやら此処の道路元標は家庭ゴミを出す場所の目印にされているらしく、カラス避けのネットがかぶせてあった。 小学校の門前に変な格好をした人間が自転車で乗り付けてネットをのけたり写真を撮ったりとウロウロしているものだから、誰かに通報されたのか自治会とか自主パトロールと覚しき人がやってきてジロジロこちらを窺っている。 御殿門の由緒を書かれた案内を見ていたから誤解は解けたのか声を掛けられる事もなかったが、せちがない世の中になったものである、まあ’道路元標’を探して自転車で走り回っているのだから’変質者’と云えば’変質者’かも...
資料に拠ると’千代川村大字小川小字樋ヶ辻40番地先’となっていて、位置的には移動している雰囲気だが、’千代川村道路’以下は埋まってしまっている。
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’千代川村道路元標’は山陰道(旧R9?)に面した亀岡市立千代川小学校正門前に建っているが、この正門は明智光秀の居城として知られる丹波亀山城の数少ない遺構(御殿門)を移築したものらしい。
どうやら此処の道路元標は家庭ゴミを出す場所の目印にされているらしく、カラス避けのネットがかぶせてあった。 小学校の門前に変な格好をした人間が自転車で乗り付けてネットをのけたり写真を撮ったりとウロウロしているものだから、誰かに通報されたのか自治会とか自主パトロールと覚しき人がやってきてジロジロこちらを窺っている。 御殿門の由緒を書かれた案内を見ていたから誤解は解けたのか声を掛けられる事もなかったが、せちがない世の中になったものである、まあ’道路元標’を探して自転車で走り回っているのだから’変質者’と云えば’変質者’かも...
資料に拠ると’千代川村大字小川小字樋ヶ辻40番地先’となっていて、位置的には移動している雰囲気だが、’千代川村道路’以下は埋まってしまっている。
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【195】 神吉村道路元標 (京都府北桑田郡)
北桑田郡神吉村は昭和30年に船井郡八木町に編入され、その後平成18年に南丹市となった。
標高350m程の盆地状の土地に位置し、国道477号線で亀岡市や旧京北町、府道50号で京都市や旧日吉町と繋がっているが、八木町との間には直接国道府道は通じていない。
船井郡五ヶ荘村、北桑田郡山国村、宇津村と同様の塔頂四辺にRがついた形状である。
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標高350m程の盆地状の土地に位置し、国道477号線で亀岡市や旧京北町、府道50号で京都市や旧日吉町と繋がっているが、八木町との間には直接国道府道は通じていない。
船井郡五ヶ荘村、北桑田郡山国村、宇津村と同様の塔頂四辺にRがついた形状である。
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