東吉野村谷尻(たんじり)今日の風景
今日は御馴染みの東吉野村の古民家カフェ「月うさぎ」で開かれるチェロコンサートへ行くために走ってゆきました。 東吉野へ向かう時は時間が許せば、距離こそ倍になりますが吉野回りで向かいます。 車の多い西峠や女寄峠を登る事を思えば、精神衛生上違いは歴然としていますよね。 飛鳥を抜けて栢森へ、もう5月なんですね、鯉のぼりが気持良さそうに。 今日は土曜とあってロードやクロスバイクが5台ばかり芋峠を越えて行きました。
上市の吉野ストアに寄った後吉野川河畔の道を遡上します、R169を少し走り妹背大橋で対岸の県道へ、柴橋で再び右岸に戻りR370から県道吉野東吉野線へ入るいつものコースです。 高見川河畔では今年初めてのカジカガエルの声を聴きました、これから暫く涼やかなその鳴き声が愉しみ、雑音を出さない自転車ならではの愉しみです。
ニホンオオカミ像の前で持参のボトルのコーヒーでブレイクの後、お昼は木津川(こつがわ)の手打ち蕎麦「よしの庵」でお蕎麦をよばれます。 里山の集落の風景を眺めながらJAZZの流れる贅沢な空間です。
今日も一応「自撮り」の準備はしてきたのですが、のんびり走っていると時間の余裕がなくなってしまい、「月うさぎ」の着いたのはコンサートが始まる予定の10分前、自転車仲間のVIVA2000さんがご家族連れで車でお見えでした。 「月うさぎ」にある樹齢100年とかの「月桜」、この下で何度かキャンプをした事があるのですが、満開の時に訪れるのは初めてです。
定刻を少しまわってチェロコンサートは始まりました。 チェロは本倉信平さん、バッハの無伴奏チェロ組曲6番をメインに、春にちなんだ日本の曲や、アウベニス、コダーイ、リムスキー・コルサコフ等の構成です。
何故か闖入者が、ねぎジャージに身を包んだ若干3名が(^_^)
コンサートが終わって聴きに来られた皆さんが帰られると「月うさぎ」には元の静けさが戻ってきます。 陽が暮れると残った私とVIVA2000さんご家族のためだけに「月桜」をライトアップしてくれました。
贅沢な1日を過ごした後、今日は帰途ナイトランのつもりでしたから完全装備で、一谷峠を下り、真っ暗な中に飛び出してきた鹿には参りましたが、菟田野の旧街道を抜け、女寄を下って9時前に無事桜井へ戻ってきました、本日の走行90.1キロ。
自転車のペダルシャフト部分に引っ掛けて、スタンドの付いていない自転車でも自立させておくグッズです。 何に使うのかと云いますと、駐輪用のスタンドとしては非常に頼りないものですが、何処か風景の良い処やメモリアルな場所で、自分の自転車の写真を自立させて撮っておくための、即ち「自車撮り」グッズなのです。 TOPEAKからも同様のものが出ていますが、そちらはスタンドためだけのもの、こちらは携帯工具にもなると云う一石何丁かになる便利グッズなのです。
2,3,4,5,6mmのレンチと+ドライバー、タイヤレバー2本がセットなっていて、タイヤレバーを脚にして、J型のフックをペダルシャフトに引っ掛けて写真の様に自立させます。
スタンドとしては本当に心もとないものですが、その手の趣味はないと云う方以外は、持ってれば役に立つ事もあるかも、携帯工具として使える訳ですから持ってても邪魔にはならないはずです。 普通のスタンドでも一緒ですがフロントバッグなど付けていてハンドルの重い自転車は前輪を真っ直ぐ立てておくのは路面によっては難しいかも。 おまけの機能としてスマホなどのスタンドにする事ができます(写真右)
なお私がKHSで使っている三ヶ島の折り畳み式ペダルにはJ型の金具を引っ掛ける事ができず使えませんでした。
JOBY ゴリラポッド SLR-ZOOM
三脚と云えば長年使っているのがSLIKのスプリントMINIⅡ、縮長が350mmながらエレベーターを上げれば全高が1,000mmを越えるのは魅力ですが、やはり自転車で持って行くには結構なお荷物です、今年になって新潟にも「しまなみ」にも持って行く事ができませんでした。
どうしようもなくて持って行くのはこの何処の馬の骨とも知れない年代物の三脚、無理すればロードバイクのサドルバッグに入ってしまうサイズながら剛性があるのでしっかり支えてくれて、まがりなりにも小さな雲台が付いていますので、集合写真などでは十分間に合うのですが、雲台上面までの高さが130mmしかありません。 マイブームの「自撮り」には視線の高さが違い過ぎて使い物になりません。
おのずとまず見下ろせる様な場所を探す事が先決になってくるのですが、こんなロケーションを見つけるのは至難の業です。
いざとなるとガードレールの支柱にショックコードで括りつける事も、思いついたのがあのゴリラポッド、くねくね足で自立も場合によっては何かに巻きつける事も可能なあの変な三脚です、最近では結構類似品と云うかパッチもんも出回っていて目にした方も少なくないと思いますが、私的にはどうもあのデザインが許せなかったのですが… ちなみに一般的に知られているゴリラポッドは耐荷重325gとスペック上ではデジイチを載せられる様なシロモノではありません、上位モデルとして耐荷重1kgのハイブリッドと耐荷重3kgで雲台別売りのSLR-ZOOMがあり、純正の雲台をセットにすると結構エエお値段になってしまいます。
SLR-ZOOMには雲台とのセットモデルもありますが、それぞれの最安を探して別々に注文する事に。 例によって過剰包装の密林のパッケージを開いて、商品を見た時、正直しまったと思いましたね、SLR-ZOOMってこんなにデカいのかと… 耐荷重だけを気にしていて寸法の事など忘れていました。 これではスプリントMINIⅡとあまり変わらないのでわ、なおかつ単体では地上高を稼げないのですから何の意味もないのです。
オリジナルとハイブリットとSLR-ZOOMを比較するとこないに違うのです。 巻きつけると云う機能を持っている以上は足もしっかり太くなってなければならないでしょうから、耐荷重が違えば当然と云えば当然なのですが、迂闊でした。
(すみません上の画像はネット上から拝借してきました)
しかしサイズ的には微妙ですが重量的には400g以下とスプリントMINIⅡの半分近い事、自在に形を変えられる事は非常に収納がしやすい、冗談としてもこないにして運ぶ手も、重いズームレンズ付きデジイチでも支えられる(縦位置は微妙ですがね)とメリットはなくもないのですが、三脚の使い道は「自撮り」中心の今の自分にとって、このサイズで単独で高さを稼げない三脚はちょっと出番がなさそうです、と云いながらコンデジとオリジナルのゴリラポッドの組み合わせは悪くないかもと。
「物欲の連鎖」はここから、ゴリラポッドSLR-ZOOMと一緒に買った自由雲台(中)、実はSLIKに付いている自由雲台(左)は単体でも売られている商品なのですが、最近少しガタが、それにクイックシューのガタはどうにも。 SLIKの脚にJOBYの雲台が付けて使ってみたのですが、水準器付きが少し気に入ってしまいした、ただ水準器がクイックシューのプレート側に付いている事とどうもプレートの単品売りが見当たらないのです。 色々ググっていると見つけたのがこれ(右)、このクラスの自由雲台となると結構エエお値段がするのですが、3,880円と云うお値段は魅力的なのです、果たして信頼性や耐久性は… 悩んだ末にポチっちゃいましたが。 早速、昨日「自撮り」に使用、さすがに36Φのボールヘッドと実測371gの重量、まぁ一発で決まります。 しかし自転車に積む荷物が重くなるばかり、天の邪鬼な僕にはきっと1gの軽量化に何千円と注ぎ込む人々への反発があるのでしょうね(^_^;) No tags for this post.
3月5日、南紀古座川で始まった今年の桜巡り、「18きっぷ」遠征続きで行けなかった吉野山、最後の桜を求めて奥千本へ行ってきました。
車の少ないうちに吉野山へ上がってしまおうと、5時50分に桜井を出発し明日香村から芋峠へ。 上市町道路元標で足を止めただけで、上市橋を渡り県道37号で一気に吉野山へ。
竹林院から吉野大峯林道側を走り3時間余りで金峯神社の鳥居の処まで登ってきました。 シャトルバスが何度も往復してきていてまだ9時だと云うのに結構観光客が上がってきています。
自転車のままできるだけ奥千本近くまで行けないかと、吉野大峯林道をさらに登り青根ヶ峯の登り口まで来て、奥駈道(左)へ入ってみたのですが、やはり担ぎが必須の様で、せっかく登ってきたのですが引き返す事に、やはり最後の駐車スペースに置いて金峯神社の裏側へ登って行くのが一番良さそうです。
ぐずぐずしていると金峯神社はすっかり観光客でごったがえしています。 ここから奥千本へは一周20分位の遊歩道が設定されているのですが、昨日の雨で結構ぬかるんでいます。 西行庵まで歩き暫しここで写真を撮りながら過ごします、写真はこちらで。
吉野水分神社を経て上千本まで下りてきました。 時間が経って下へ行く程観光客が多くなると云う感じです、でも休日の事を思えば。 上千本も散り始めていて、ここから見下ろす中千本は既に花を散らせてしまっています。 やはり中千本が満開の頃にここへ上ってくるのが一番でしょうね。
観光客の間をすりぬけながら勝手神社前の馴染みの「静亭」まで下りてきました。 葛うどんと柿の葉寿司のセットを頂きまったり過ごします。 お腹が膨れると寝不足と奥駈道での押し歩きの疲れがどっと出てきました。
勝手神社から下は車は通れなくなってますし、吉野山の混雑を避けて県道257号を才谷へ下り、秋野隧道から椿橋へ、いつもの定番コースで壺阪峠を越えて高取町へ、高取町道路元標で「自撮り」をしてから帰途に就きました。 本日の走行82.7キロ、なんと平均速度は13キロでした。
ところで今日は幾つかニューアイテムがあったのですが… LUMIX G VARIO 1:4-5.8/14-140、自由雲台、ミノウラのペダルスタンド付き携帯工具、コーナンの2WAYステンレスボトル、機会があればまたインプレッションを。
続きを読む 奥千本にて →No tags for this post.
古くからのツーリング車に乗るサイクリストの多くはデイバッグ等を背負いこむ事を良しとしない、方は暑いとか背中が蒸れると云う意見で私もそう思うし、重心も高くなってしまい身体の動きも制限される、大きなザックを背負い込んで走っているサイクリストを見るとちょっと可哀相にさえ思える。 背中の蒸れを改善するために考えられた商品も昔からあるし、実際買って使った事もあるが、ちょっとはマシかなと思う程度で、構造的に収納力も2/3位になってしまい、結局はホコリを被っている。 それと私の場合カメラを担ぐとデイバッグは邪魔になって仕方がないと云うのが大きな理由で、10数年前から愛用しているのはマウンテンスミスのランバーバッグのシリーズ、いわゆるヒップバッグを云うやつ、今では同様のバッグも多いが、マウンテンスミスのHPによれば、このアイデアはマウンテンスミス創業者のものだとある、それに独自のフィットさせるシステムでなかなか上手くホールドする事ができる。 写真上(Photo : KMT48さん)は現行のTOURの前身のものですが同じく8リットルの容量、ロード用の輪行袋に脱いだ衣類の1枚や2枚は楽に入る。 しかし基本は荷物は身に着けない事が一番、最近はフロントバッグとキャラダイスの大型サドルに間に合っている事もあって、ランバーバッグの出番はロードに乗る時以外は減ったのですが、最近
「自撮り」で三脚を持って行きたくなってくるとお泊りで輪行袋が加わるとキャラダイスのネルソンでも追いつかなくなってしまいました。 ロングフラップモデルも考えてみたのですが、最近どうも入手しにくい様で値段も安くはありません。 そこでランバーバッグの再登場となるのですが。
写真左は現行のDAY(14リッター)の前身でMOUNTAINSMITH CYCLING GEAR MOUTAIN (TM)、かなり陽に焼けてしまっていますが、破れ等はなくのびてしまったショックコードさえ替えてやれば十分見られますので、カラーゴム紐を取り寄せて早速補修してやります、手芸用品ですので耐候性が心配ですが、また替えてやれば良いでしょう。
ところで現行品と同様に左右にボトル等も収容できるポケットが付いていて、容量も大きいだけに目一杯荷物を入れると相当な重量になってしまい、さすがに自慢のフィッティングシステムでも支えきれません、それに私の様にお腹の出たウェストのない人間は引っ掛かりがないので特にです。
そこにマウンテンスミスではオプションでショルダーベルトがSTRAPETTESと云う商品名で用意されています、実は以前から持っていたのですが、いくら探しても見つかりません、どうも現行品は取り付け方法が変わっている様に見えるのです。 駄目ならバッグも新色に買い換えるかと取り寄せてみると、ちゃんと1999年以前のシリーズでの取り付け方法が解説されていまして一件落着。 ころころ仕様を変えて旧製品との互換性をなくすどこかのメーカーは見習ってほしいものです。
余談ですがマウンテンスミスには以前サイクルスミスと云う兄弟ブランドでバッグを出していました。 完全に自転車用のパニアバッグやサイドバッグもあって、ランバーバッグシリーズも異なるネーミング、機能的にどこが違うのか良く判らなかったのですが。 その後マウンテンスミスサイクルギアと云うブランドになっていました。 左は「MOUNTAINSMITH CYCLING GEAR WORLD CUP(TM)
」と云うリュック、先の理由で出番はありませんが、ヘルメットを収納できるザックとしては初めての製品だったのかも。
金曜土曜と天気が良ければ信州へ行って、今日は飯田から岡崎に向かって三州街道を走っている予定だったのですが…
今日12日はRRCB(Restoring & Riding Classic Bicycles 要認証)の方の企画で「びわいち」だとか「魚ヶ渕」だとか、計画やメンバーが二転三転していて、いずれにしても車というものを持たない僕には他力本願でないと参加できない場所と時間、まぁ奈良まで自走して始発に乗れば「米プラザ」7時半スタートの「びわいち」の方は参加できなくもないのですが、金沢から帰ってきたばかりで、何となくそこまでしてもと気が進まなっかた処にtatsumi御大が参加表明、連絡をしてみるとその足で名古屋へ行くとの事ですが、輪行袋さえ持って行けば帰りはどうにでもなるだろうと行きは便乗させて貰い「びわいち」へ参加させて貰う事にしました。
集合場所は琵琶湖大橋西詰の道の駅「びわこ大橋米プラザ」に7時、tatsumi御大曰く2時間あったら着くだろうとしながら、迎えに来てもらって自転車を積み込んで桜井を出発したのは5時20分、案の定間に合う訳もなく、大橋東詰の「なぎさ公園」で待つとの連絡を入れて一安心と。
一向にやって来ないと思っていると、既に本隊は近江八幡の長命寺まで行っているとの連絡、どうやら面子が揃った時点で7時半のスタート予定時刻を繰り上げしまった様で、待つどころか先に行かれてしまっていて逆に追いかける側に、45キロ先の米原の道の駅「近江母の郷」まで古い付き合いとは云え元国体チャンプ(第34回宮崎国体奈良県代表成年男子スクラッチ優勝)と2人で追走するはめに。
向かい風の中やさしく引いて頂いて9時半過ぎに道の駅でどうにか追いつく事ができました(^_^;)
本隊は4名と思いきや、地元滋賀のniwa-chanさんが、どうやら偶然居合わせて捕縛されたそうです。 都合7名、UG兄さん(エルスディアゴナール)、KMT48さん(コルナゴマスター)、ヤマタンさん(マリリンIII世号)、白栖窟さん(エルスランドヌーズ)、tatsumi御大(センチュリオンカーボンロード)、niwa-chanさん(キャノンデールカーボンロード)、私(コガミヤタカーボンロード)、RRCBにしてはカーボンロードが3台、とは云っても私とtatsumi御大はカーボンパイプにラグ接着と云うホリゾンタルフレームの年代ものです。
赤パンにパーカーのおっちゃんは見物の人、ではありません、ちゃんと下にはZippyのチームジャージが。
さて道の駅を出発です、ここからは楽させて貰えるはと思いきや、ここまでとあまり変わらないペース、今日は1人でも走ると云っていたUG兄氏が先頭を引いてくれるのと2人が7人になった位。 (写真:UG兄さん)
きっと日本で一番走るエルスでしょうね。
写真を撮ろうと先行したものの、今度は追いつくのが大変。
信号以外では停まる事すらなく、やっときました最初の休憩ポイント賤ヶ岳トンネル。 朝3時過ぎにトースト2枚を食ったきり、補給食を買う間もなく、ここでtatsumi御大から大福餅2ヶを失敬。 この後どこか食事に入るでもなく、塩津のローソン駐車場で車座になって買い食い、なんやらブルベと変わらん様なお行儀の悪い事ですみません。 満開の桜の海津大崎を行きます、今日ここには鈴鹿のあびさん一行がキャンプに来ているそうなの乱入およばれを画策していたのですが、見つけられず携帯電話もつながらず、残念。 (写真:UG兄氏)
しかし桜も満開ですが、人も車もそれに単車も多い事と云ったら、日頃平日に人の少ない処ばかり走っている自分はやや辟易ぎみ、それでも桜並木の向こうに残雪の比良山系を見上げたら感激ものですね、時計周りしていた皆さん気づかれました?ここで拉致してきたniwa-chanさん、このまま一周しては明るい内に戻れなくなるのでUターンする事に、ここまで有難うございました。 (写真左側はKMT48さんに撮って頂きました)
どうにか混雑の海津近辺を抜け出し琵琶湖西岸を行きます。 相変わらず先頭をUG兄氏が引いてくれます、tatsumi御大が先頭交代に上がってきますが「いらん事したらアカン、今日は意地でも1日1人で引くつもりでおるんやから」とたしなめます(^_^)
なんと1345には道の駅「しんあさひ風車村」に到着、結構なペースです、30分あまりまったりと休憩します、写真はUG兄氏に頂きました。 しかし今日は写真はともかくSNSに書き込む余裕など全くなく、ここで始めてのチェックインを。
16時過ぎにスタート地点の「米プラザ」に戻ってきました、残念ながら先頭を引き続けたUG兄氏は後10キロを切った処で先頭を交代する事になりましたが、見事なペース配分と手綱さばきで、皆をだらけさせる事なく
引っ張ってくれました、有難うございました。 このまま名古屋へ向かうtatsumi御大はデポ地へ戻るために琵琶湖大橋を渡り、私はお世話になりついでにUG兄氏に近鉄八尾駅まで便乗させて貰う事になりここで終了、走行148.2キロ、僕としては破格のAVS23.1キロ、「母の郷」までは25キロ超えてました、そして天の邪鬼らしく大橋を渡らずに「寸止めびわいち」となり、koga-miyataはエルスとともにトランポへ。
山口から帰ってきた時点で「青春18きっぷ」は後1回分残ってしまったが、有効期限の最終日10日のお天気は思わしくない。 10日に中央線薮原まで輪行して境峠を越えて奈川村道路元標を経て奈川渡ダムを経て松本泊、11日は塩尻市と岡谷市に残る現表を回って飯田泊、12日は三州街道を元標を巡りながら岡崎まで走り抜ける2泊3日280キロのプランを暖めていたのだが、どう考えてもお天気は味方はしてくれそうにない、いよいよ消化試合の「乗り鉄」の旅かと考えた挙句、天気の一番マシそうな金沢方面へとりこぼしている元標目当てに出掛ける事にした。
せっかくの「18きっぷ」だから能登半島まで行ってみたいところだが、さすがに戻ってこれないので金沢駅から歩いて10数分の石川郡は戸板村道路元標に向かう事に、しかし目標の戸板小学校が見つからない、GoogelMapをよくよく見てみると、そこにあるのは全くの更地、この都会のど真ん中で廃校でもあるまいと、丁度昼時なので近くのラーメン屋に入ってネットで情報収集すると、どうやら移転したらしい。 さらに10数分雨の中を歩いて行かなければならない様である。 さらにググっていると戸板公民館のブログに旧の戸板小学校内にあった道路元標の記事が、公民館の方が近いしそちらへ移転している可能性も無きにしも非ずなので、念のために小学校跡地を一回りした後に公民館を訪ねてみる事に。 いままでも現存情報がありながら現地に行くと見当たらない事は何度かあった、昨年も愛知県碧海郡の棚尾村道路元標がそうだったが、その時はその後に知多半島を回る予定だったので深追いできなかったが、案の定あとでネットで調べるとすぐ近くに移設保存されている事がわかり悔しい思いをしてしまった。 とにかく今回は時間の許す範囲で追っかけてみる事に。
戸板公民館は写真のような立派な建物。 戸板と云う地名が先程から気になって仕方がなかったが、よくよく考えるとあのアイ・オー・データ機器のある場所だったとは。 公民館には女性の職員だけがおられてブログの記事を書いただろう館長も主事も不在との事、元標の所在についてもこの公民館も近く移転するとの事で、ここへ持ち込まれている事はないだろうとの事であった。
結局は新しい小学校を訪れる事になるのだが、女性職員なのか先生なのかは所在については知らないとの事、幸い出てこられた校長先生とお話する機会を得たが、二宮金次郎像はこちらへ移設したが、道路元標に関しては知らないとの事、やはり公民館の館長が詳しいのでそちらへ尋ねてみるのが良いだろうとの返事だった。 公民館へは後日メールで問い合わせみる事にし戸板を後にした。
石川郡にはあと1基、額(ぬか)村道路元標が残っている、JRで西金沢まで行き、北陸鉄道石川線で乙丸駅へ、幸いこちらは歩いて10分程額束神社の境内と云うか道路に面した場所に現存していた。
【1034】 2015/04/10 石川県 石川郡 額村(現 金沢市)
古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。