年別アーカイブ: 2015年
志摩ツーリング
今日は「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイントをGETしにKHSを担いで伊勢志摩方面へ輪行で向かいます。
今回は予め橿原市の金券ショップで買っておいた近鉄の株主優待乗車券を利用します。 近畿日本鉄道の路線のド真ん中に住んでいると名古屋または志摩方面まで行かないとメリットはないのですが、往路の桜井~鳥羽、復路の賢島~桜井で650円ばかしお得になる勘定です。 鳥羽駅まで輪行してスタートです、最初の目的地は鳥羽展望台、三重県道<128>磯部鳥羽線いわゆるパールロードを走らないと行けない処なのですが、いつも志摩方面へ行く時は平行している昔からの県道<750>阿児磯部鳥羽線を走っているので、麻生の浦大橋を除いて一度も走った事がありません、もちろん一般県道で自転車も走って構わない訳ですが、いわゆる観光ドライブウェイ、ロードならまだしも小径車に相応しい道ではありません、今回もできる限り走りたくないので極力<750>を走って行く事にします。
麻生の浦大橋を渡りパールロードと別れると漁港を縫って走る鄙びた道が続きます、石鏡(いじか)では伊良湖岬が遠望できます、しかし最高のお天気、この季節の晴天ならではの澄み切った空気です。 石鏡を過ぎた辺りでパールロードへ入りますが、鳥羽展望台までは標高差で100m以上登らなくてはいけません、展望台だから仕方がないと云えば仕方がないのですが。 なお地図上ではパールロードと<750>は何ヶ所かで交差していますが立体交差になっているので、接続している箇所は限られています。
パールロードは毎年秋に「サイクルマラソン鳥羽志摩線(とばしません)」と云うイベントが行われている位ですから結構ロードで走っている人を見かけますが、鳥羽展望台ではGIANTのGREAT JOURNEY の4サイドで日本一周中の若者に出会いました、山口県を出発し時計回りで北海道を回って今日が181日目、これから紀伊半島一周ですね。 大学は大阪で高取町に知人がおられるとの事で奈良にも来られるとの事、再会が愉しみです。 ブログもされているので応援よろしく。
パールロードを少し走り再び<750>へ、国崎、2つめのポイント「相差海女文化資料館」のある相差(おおさつ)と走り的矢へ、ここで<750>は的矢湾に分断されていて、県道船と云う無料の渡船が結んでいます、対岸までの距離は数百mですが、対岸の三ヶ所(さんがしょ)と渡鹿野島の3ヶ所を結んでいます。 船がこちら側にいない時は写真の腕木を水平にしてやると、それが目印になって迎えにやってきてくれますが、今回は20分程待ちました。 なお一応自転車はそのまま載せて貰えますが、持ち上げられない様なキャンピング仕様の自転車は無理かと、それに写真の様な小型船ですので載せられる台数に限界があります、それと周辺道路から乗り場への案内の類は皆無ですので注意して下さい。
対岸へ渡り少し<750>を走ってから<129>磯部大王自転車道線へ入ります、暫くは殺風景な山の中を走りますが、写真の国府白浜海岸に出て少し海岸線を走ります。 この後自転車道のルートに従うと再び山側へ入りR260を走らされるので、時間に余裕があれば波切(なきり)方面へ回るのも良いかも知れません。
R260は深谷水道を渡った処からバイパスが出来ているので旧道は車が少なくなって自転車にとってはすいぶん走りやすくなっていました。 今日3つ目のポイント「海女小屋体験施設・海女資料館」のある越賀まで行ってから和具港へ戻ります。 写真は越賀海岸。
ここから英虞湾をはさんだ賢島まで伊勢マリンレジャーの運行する定期船がありますのでそれに乗船する事に、桟橋の向こうに見えているのはR260のバイパスの志摩大橋です。 昔御座~浜島間の航路へはロードをそのまま載せて貰ったのですが、賢島の船着場と近鉄賢島駅は距離が100mとありませんし、自転車をそのまま載せて貰えるかが判りませんでしたので、和具港で輪行支度を済ませてしまいました。 なお手荷物品扱いですので運賃の610円以外に360円が必要です。
今回は「ツール・ド・紀伊」のポイント巡りと云う事で鳥羽駅から和具港まで走りましたが、風光明媚な志摩半島、鳥羽からのパールロードや鄙びた<750>と県道船、近鉄志摩磯部からスタートする自転車道、旧R260で志摩半島の先端御座白浜とコースを工夫してみると面白いかと思います。 本日の走行70.8キロ。
アルバム「カレンダーに使った写真から… 」を更新しました。
もう15年以上も毎年、サイクリングなどでご一緒して頂いた皆さんにお配りしている「CanCan謹製卓上カレンダー」 そこで使用した写真の中から、私の撮ったものと私を撮って戴いたものを集めてみました。 うちのHPから[Gallery]→[カレンダーに使った写真から…]とたどって下さい。
奈良県の自転車道に物申す
奈良県下、特に国中と呼ばれる奈良盆地をスポーツサイクルで走っている人なら多かれ少なかれ自転車道のお世話になっていると思います。 まぁ中には障害物の多い自転車道を避けて一般道を自動車とせめぎあいながら走る人もいるかとは思うのですが、あえて云えばそんなに使い勝手の良いものでもありません。 ところで県下には現在3つの自転車道が設定されている訳ですが…
その奈良県の自転車道ですが、奈良県における広域的な自転車利用ネットワーク「ならクル」をはじめ県の案内によりますと「奈良自転車道」「大和中央自転車道」「飛鳥葛城自転車道」の3つが挙げられています、ところが実際に走ってみると「奈良西の京斑鳩自転車道」「大和郡山田原本橿原自転車道」「明日香大和郡山自転車道」と云った聞きなれない名称の自転車道の標識が現れます。
これには本名と云って良いのか「奈良自転車道」は奈良県道266号奈良西の京斑鳩自転車道線(添付図赤線)、「大和中央自転車道」は奈良県道273号大和郡山田原本橿原自転車道線(添付図青線)、「飛鳥葛城自転車道」には奈良県道274号明日香大和高田広陵自転車道線(添付図緑線)と云う道路法に従って認定された正式名称がある事に起因しているためなのですが、他所から走りに来た人が案内標識を頼りに走っていると戸惑う事でしょうし、不親切以上にかえって混乱させる案内標識なのです。
その上場所によってはこんな事も、なければ全くない自転車道の標識、ある処には異なる表記で並んでいる、無駄と云うか違う名称で予算の二重取りでもしているのかと疑われても仕方ありません。
ところでその自転車道、実際のルート設定はどうなんでしょう、奈良公園から平城宮跡を経て法隆寺を結ぶ奈良自転車道(奈良西の京斑鳩自転車道線)はまぁ良しとして、大和中央自転車道(大和郡山田原本橿原自転車道線)や飛鳥葛城自転車道(明日香大和高田広陵自転車道線)は意図が理解できません。 自転車道ですから目的を決めずのんびりポタリングを愉しむ人もおれば、トレーニングにと行ったり来たりする人もいるでしょう、しかしあくまでも道なのですから、目的地を結んで行くのが本来の形でしょう。 私が見聞きする範囲では奈良県北部や大阪方面から見所の多い橿原市や明日香村、また吉野方面へのアプローチとして自転車道を利用する人の多くは、御幸橋から曽我川沿いの飛鳥葛城自転車道へ一旦入るものの保橋で県道<36>天理王寺線を少し走り保田橋で飛鳥川沿いの大和中央自転車道へ入り、橿原市今井町界隈(厳密には四条町)で再び飛鳥葛城自転車道に戻っています。 大和中央自転車道の起点の県浄化センターから保田橋にかけては盲腸の様なもので私の知る限り利用者も皆無で、また田んぼのあぜ道を舗装しただけの様な処もあります、また飛鳥葛城自転車道の大和高田市域と先の橿原市四条町付近までは高田バイパスの高架下の側道で決して走りやすいコースとは云えません。 と云う状況から利用者は自然と最良のルートを選択している訳です。 自転車道策定の段階で何故無駄のないルート設定ができなかったのでしょうか、無駄があると云う事は税金が有効に使われていないと云う事に他ならないのです、どう見ても格好さえ整えておけば良いと云ったお役所仕事が見え隠れしてきます。
予算あっての事ですから未整備区間がある事や、長期的な周辺の整備計画や開発計画もある事でしょうが、橿原市今井町付近の様にルートが判りにくいにも拘わらず案内標識が途切れてしまう箇所があると思えば(写真左)の様に無駄に標識が並んでいる箇所も少なくありません。
当然道路なんですから維持管理も必要です。 最近高度成長期に造られたトンネルや橋梁の多くが老朽化してきていて問題になっていますが、自転車道も造ってやったぞみたいな感じで後はほったらかし、維持管理する予算もないのか草ぼうぼうでほったらかしと云うケースも時々見られます。 別にこれは奈良県だけに限った事ではなく、和歌山県道<801>白浜日置川自転車道線の様に廃道寸前みたいな処もありますが、大阪府の南河内サイクルライン(いわゆる石川サイクリングロード)や京都府の嵐山八幡木津自転車道の様にちゃんと整備維持管理されている処もあります(羽束師橋以北の案内は不十分だとは思いますが)。
決して何もかもほったらかしとまでは云いません。 写真は飛鳥葛城自転車道の「おやなぎ橋」です、以前はご覧の様にクランクカーブに急坂で大きな段差、まるでこけてくれと云わんばかり、案内標識に気をとられでもしたら見事なトラップです。 もちろん現在では補修されていますが、僕の様な天の邪鬼から見れば誰か転倒して怪我でもしたから改修したのかなと想像してしまいます。 本来は自転車道として設定された時点で整備されていなければならないはずです、利用者すなわち自転車に乗る人の視点に立っていないと云う事はこう云った事でもあきらかです。
【余談】(写真左)奈良県道助命下萩線の正しい路線番号は245号である、山添村助命(ぜみょう)と都祁村(現奈良市)下深川の2ヶ所で間違いを見つけ県に報告、後日再訪した折には直されていた。 (写真右)は2009年12月14日に県道155号多武峰見瀬線が供用される前日の写真、従って多武峰方面への案内がマスキングされているが、Y字路の左方面は15号ではなく155号である。 安全や利害に関係する道路標識に対して案内標識に対して興味や注意を払うのは一部のマニアだけなのかも知れないが、故なのかこの様に自転車道の名称然りやっている事がエエ加減なのである、当然これらの訂正にはそれなりの費用がかかっただろうし、間違えた部署なり業者が費用を捻出したのだろうが、場合によっては税金が無駄に使われていたかも知れない。
奈良盆地ポタ
暖かグッズ「フィンガー・カバー」
このなんとも奇妙な形をしたものが「フィンガー・カバー」なんです。 実はネットのお知り合いのきんちゃんさんが試験的に作られたもので、お願いして分けて頂きました。 「フィンガー・カバー」の名前から想像が付くかと思いますが、「シューズ・カバー」の手指版なのです。
寒い冬の朝夕やダウンヒルでは、ブレーキレバーを握る4本の指にはもろに冷たい風が当たって、感覚がなくなるまで冷たくなるのは非常に辛いものであります。 最近ではヒーター付きのグローブも出ているそうですが、毎朝夕に淀川べりを通勤ライドで走っているNちゃんのフラットバーロードにはご覧のフードが、しかしドロップハンドルには使えません。
ご覧の通り「フィンガー・カバー」はグローブの上から被せて使います、マジックテープをくるっと手首に巻きつけて止めるシンプルな方法ですから、片手をはめた後から残りの手にはめるのも簡単です。 使用前に気掛りだったのは私の様にセフティレバーやエイドレバーの類を使って上ハンを握り、フロントバッグとの隙間が狭い、そしてシフトはダブル・レバーと云う人も使えるのだろうかと云う事でした。
結果的にはマジックテープが多少邪魔になるシーンがありましたが、問題なく使用できます。 そしてなによりも実際に使用して暖かい、指の隙間に冷気が入らないだけでこれだけ違うのかと云う感覚です。 日中の暖かい時間ならグローブの中で汗ばむ位の保温性がありますから、必要がなければ外してコンパクトにしまっておけます。
まだ試作品の段階ですが、寸法的にちょっと大きいかなと云う感じ、手の甲側はもう少し長さがあった方が良いのでは、それとあとデザイン的にもうすこしお洒落になってくれないかな、と云ったところでしょうか。 まだまだ寒さの続く季節、少しは快適に自転車を愉しむ事ができそうです。
LUMIX DMC-G2
デジカメを買い換えました、と云ってもヤフオクで中古をポチッたのですが。 2009年3月に購入し6年近く愛用と云うか酷使してきたPanasonicのLUMIX DMC-G1ですが、アイキャップが剥がれボディはもうボロボロ。
ところでカメラとして良い悪いを云うよりも、正直云ってPanasonicのカメラは好きではありません、と云いながら同じくGシリーズのGF1にコンデジまで持っているのですが。 ボディの表面処理が悪いし、ショルダ-ストラップ取付部が外れたりと、カメラ本来の機能や性能はともかく、一生使い続け様なんてカメラではありません、まあデジカメ自体がその様なものかも知れませんが、伝統のあるカメラメーカーとはモノ作りの姿勢が違うと云うか、家電製品の感覚なんですね。 それでも自分のニーズにはマッチしている事もあって使っている訳なんですが、昨年暮れくらいから調子が思わしくありません、調子が悪いと云うか色がおかしいのです。 暮れにskuram氏と話をしていた時も氏のGH1も紫色が出ないなんて事を云っていました。 LUMIXのGシリーズは今では6代目のG6ですが、別に最新機種がほしいなんて気持ちもありませんし、第一余裕もありませんし、フロントバッグの中で揺すられ、いつ自転車で転倒して壊してしまうかも知れません。 G1は2008年12月の発売ですが、バッテリの互換性のある2010年5月発売の後継のG2位が安く出ていたらと、暮れからヤフオクを物色していたのですが、G1はともかくG2は高いかなと眺めていたら年が変わると10,000円以下で出てきました、結果的に取説が欠品ですが状態の良さそうなものを送料込みで8,950円で落札しました。 アイカップの交換だけでも数千円とられるなんて話ですから、ちゃんと動けば安い買物です。
お天気はも一つなんですが、今日はG1と両方提げて明日香村まで少し走ってきました。 一通りの動作には全く問題はありませんが。 いずれも左側がG2の画像、右側がG1の画像です、もちろん同一条件での撮影です。 原因がCCDの経年によるものだとしたらG2もいずれこうなるのかも知れませんが。 あまり出番のないGF1も一度並べて撮っておこうかな。
ここで5年も前のカメラのレビューをしても仕方ないのですが、自分にとって操作性は何より重要、基本的なスペックは同等、G2の大きな売りは兄弟機のGH1と同様の動画が撮れる様になったのと、タッチパネル操作に対応した事なんですが、両方とも私にはあまり関係なさそうです。 フォーカスモードの選択がメニューから左肩のダイヤルになった事、これは嬉しいです。 シャッタースピードや絞りの選択他に多用するダイヤルが右肩前から後へ変わった事、理屈では便利そうですが、こちらに慣れるまで時間がかかりそうです。 後こまごまと違いがある様で、マニュアルを確認しながら学習中です。
No tags for this post.「自撮り」アルバムを更新しました。
三脚を立ててセルフタイマーで自分の走行中の写真を撮る「自撮り」写真、アルバムを更新しました。 うちのHPから[Gallery]→[自撮り写真集]とたどって下さい。
No tags for this post.今様ヤジロベエ
正月明けにこんなものポチッてました。 ライトホルダーブラケット(左)とライトアダプター(中)と右は以前から使っているLEDライトGENTOS NEXERA 903Dです。 この組み合わせで前輪ハブ軸にライトを付けようという算段です。 先日の「南紀ツーリング」の往路、真夜中に王寺駅まで20キロ回送した折に、もう少し明るいライティングがほしいなと思ったのと、「スマートフォンフォルダー」の件でKHSのハンドル回りにはスペースの余裕がない事もあっての事なんですが。
組み合わせてKHSに取り付けてみましたが、こんな感じです。 同じメーカーの製品の推奨された組み合わせではないので仕方はないのですが、LEDライトが上下方向にガタつきます、ゴムをかませて径を調整してやると多少はマシになるのですが。 このライトホルダーブラケット、本来はハンドル回りに付けるものなのでしょうが、弾力のあるプラスチックでできていて、片側はボルトナットで締め付ける様に(写真ではハブ軸側)なっているのですが、ライト側ははめ込むだけなのです、今日日中ですが20キロ程走ってきましたが、脱落する心配はなさそうです。 なお固定側とライト側の軸は90度の角度になっているのですが、これは自由に回転させる事ができます、従って径が合えばステムに取り付ける事は可能ですが、アヘッドの太いステムにはどうみても無理そうです。
ハブ軸にライトを付けると云えば昔はこれでした「ヤジロベエ」、見たまんまのネーミングです。 これにナショナル製の探検ライトを取り付ける訳です。
こんな感じになります、今も探検ライトの方はお飾りでasuka号に付けていますが。 昔はこんなほの暗い明かりで走ってたんですよね、今の強力なLEDライトの事を思うと信じられません、自転車用LEDライトが出たのはいつ頃だったんでしょうね、金沢まで22時間がかりで走った2000年は当時としては最も明るいCATEYEのハロゲン球のものを何度も電池を入れ替えながら走っていましたからね。
以前から使っているのですが、ライトホルダーには(右)の様なものもあります、こちらはゴム製でハンドル側とライト側をマジックテープで締め付けて固定する様になっています、こちらはハンドル側がどうしても緩くて回ってしまいます。 この両方を足して2で割ったような商品があれば良いと思うのですが。
ここまで書いておいて何なのですが、ハブ軸にライトを付けるのはあまり好きではありません、光軸が低すぎて、路面の凹凸や小石などの影が長く誇張されて見えるのに違和感があるのです、20吋のKHSはなおさらです。 やはり自転車のライトは可能ならばマッドガードやフロントキャリアに取り付けるのが一番ですね。
余談ですが、一緒にこんなものもポチッてます、GARMINのeTrex用のハンドルバーマウントです、(右)の様に割れてしまいました、ああまた「いいよねっと」に頼まなあかんのかと思っていたのですが、AMAZONにもあるのですね、送料分得しました。 届いた商品には「いいよねっと」のホログラムシールが貼ってあるのを見ると、さすがのAMAZONも「いいよねっと」経由なんですね、売る以上のサポートができない代理店なのにね。
地名は文化
20年目を迎える阪神淡路大震災関連で「地震で崩壊する土地は地名でわかる!!」と云う記事がネットで流れていました、なる程ねと半分納得したり。 地震からは話がそれますが、いつもお世話になっている古民家カフェ「月うさぎ」、奈良県吉野郡は東吉野村谷尻にあるのですが、谷尻は(たんじり)と読ませます。 2007年3月の事、吉野側から走って行く途中の県道<221>小村木津線と<251>谷尻木津線には新しくそれまで無かった路線番号標識(いわゆるヘキサ)が設置されていました、谷尻集落内にも設置されていた訳ですが、表記が’Tanijiri'(たにじり)となっているではありませんか、帰宅後メールで東吉野村役場に問い合わせてみたら、正しくは「たにじり」であると一蹴されてしまいました。 地名辞典や索引の類を調べてみても東吉野村谷尻は「たんじり」、地名は文化であり歴史、然るべき検証もなしに役所がそれらを勝手に変えてしまっては困るので、それをするなら同村の小(おむら)や木津(こつ)は何故そのままなのでしょう、まして難読地名だらけの奈良県。 大阪市内では旧東区(現中央区)に対して地元意識の希薄な住民の多かった旧南区(同じく現中央区)から多くの由緒のある地名が消えてしまいました。 過疎化から多くの地名、特に字名が消えようとしています、中には忌まわしい歴史的経緯から住民自らが古い地名を捨ててしまった処もなくはないですが。 また開発によってこじゃれた地名に改変された処も少なくありません(馬見村→真美ヶ丘など)。 名は体を表すで先の記事の様に地名が地盤の弱い土地を表している場合もあるかも知れませんが、含めて地名は守るべき大切な文化遺産や歴史遺産に他ならないと思うのですがどうでしょう。
No tags for this post.