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ちょっと山之辺ポタ

山之辺の道(桜井市穴師)にて

 せっかくの休みだったのですが夜更かししたせいで出そびれてしまいました。なんとなく罪悪感が残るのでご近所ポタ、デモン太を駆って久しぶりに山之辺の道へ。処でMBGFのスタンプラリーもあまり熱心にやってはいないのですが、通りすがりで「纒向遺跡」を。
 山之辺の道、狭井神社の辺りを除けば自転車で乗って行けなくもないですが、ダートも石畳もあります、まぁロードバイクで踏み込む様な場所では、それより休日や行楽シーズンは観光客やハイカーが多く、ハイカーの団体などに出くわそうものなら最悪です。


 彼岸花と云えば奈良では葛城山麓や飛鳥とか見どころがありますが、山之辺の道界隈も、写真左は穴師でバックは巻向山ですが、茅原あたりでは三輪山をバックに狙えるかも。今年は盛りを過ぎていますが、来年は狙ってみようかな。それと以前は無かったと思うのですが穴師の万葉歌碑近くにはコキアが、色付く季節ですね。

 もし自転車で走られるなら天理から南向きに桧原神社からは無理せず西へ下り箸墓古墳辺りにでるのが良いかと。ベンチやトイレ、休憩ポイントも幾つかあります。そう云えば2017年の「第15回あすか鍋サイク」は山之辺の道と中ッ道でしたね、さすがに12月ともなればハイカーの姿は少ないです。

 スタンプラリーのチェックポイント「天理市トレイルセンター」、相変わらず判りにくい場所です、長岳寺の駐車場と云った方が判り易いかと。ここで17ヶ所、得点数は35点、今年はちょっと賞には遠いです。天理まで行こうかと思っていたのですが、柳本駅に下り上ッ道で帰途に就く事に、本日の走行距離17.8キロ。

 ところでErba号用にポチった安サドル、試しにデモン太に付けて走ってみたのですが、僅かな距離ではどうとも。私自身穴あきサドルは初めてなのですが、そう云う事よりデモン太には似合わない様でして。

山之辺の道へ「自撮り」ポタ

山之辺の道(桜井市穴師)にて

 最近トンとご無沙汰の「自撮り」、お天気も良いので買い物のついでに久しぶりに三脚を積んで出掛ける事にしました。
 向かったのは山之辺の道、行楽シーズンはハイカーで賑わうので自転車で踏み込むのも憚られるのですが、この季節の平日となると静かなものです、梅の他に気の早い桜もちらほら。
 桜井市域の北の端、景行天皇陵の手前、振り返ると三輪山の見えるポイントまでやってきました。三脚は横着してゴリラポッド、やはり高さを稼げないのは不自由ですね。


 小一時間ばかし時折やってくるハイカーの合間を狙って数テイク、もう少し北の方へ行けば見事な菜の花のポイントもあるのですが、あまり時間もないので上街道経由で帰ってきました。本日の走行15.5キロ。

 過去に山之辺の道周辺で撮った写真。

 

山之辺の道と中ッ道「あすか鍋」下見サイク

 週末の「あすか鍋サイク」の下見には先週21日にも行ったのですが、部分部分では良く知った道ですが、明日香村基点で山之辺の道を天理まで北上して中ッ道に沿って戻ってくるなんて周回コースは通して走った事がないので、実際のところ所要時間の積み上げがなかなか読めません、今日は穏かな天気の一日だとの事ですので、再び下見に通して走る事にしました。
 ところで集合場所の明日香村「めんどや」駐車場ですが、奥山の三叉路から石舞台に抜けるバイパス路(県道15号桜井明日香吉野線)側から入る事ができます、車の場合は道が広いこちら側からの方が早いかと。岡寺の駐車場前から少し石舞台側に下ると「めんどや」の看板がでています。しかし「この下20m」って、200mの間違いなのか標高差の事なのか。
 駐車場はお店の3階部分の裏になります(写真左)、サイクのみの方も遠慮なく使って頂いて良いかと。なお下から来た場合は右の坂道を登る事になります。
 時間を合わせて「めんどや」前を10時に出発。板蓋宮跡、入鹿の首塚、水落遺跡を経て北へ向い、明日香村を後にします。正面に見えているのは大和三山の一つ天香久山、三山の中で一番目立ちませんが、今回の中ッ道は天香久山がキーワードになります、しかし最高のお天気ですね。
 まずはウォーミングアップがてらに少し登って貰い、天香久山の東側の万葉の森を抜けて行きます。
 R165を跨いで横大路(初瀬街道)へ入り東へ、桜井へ向います。

 

 今回のコース、前半にはコンビニの類はありませんので、桜井でスーパーに立ち寄る事もできます。

 11時過ぎには桜井町道路元標の建つ辻を左折、上街道(上ッ道) へ入ります。かつて賑わった桜井の中心市街はすっかり寂れてシャッター商店街になってしまっています。
 山之辺の道の一般的なルートは金屋の石仏から三輪神社を経て北上するのですが、三輪神社界隈が混雑するのと、桧原神社にかけては山越えのシングルトラックとなるので、上ッ道を卑弥呼所縁とされる箸墓古墳近くまで北上し、桧原神社まで迂回する事にします。
 今回のコースで一番の激坂になる桧原神社の参道をこなして境内へ、鳥居越しに二上山を望む事ができます。この辺りで11時45分前後になるかと。
 車が余裕で走れるだけの復員のあるダートを走り、折り返すように県道50号大和高田桜井線を下ります。山之辺の道を辿っていつも思うのですが。山裾を縫うように曲がりくねった道、古くからの集落を継いでいるには違いないのですが、三輪神社から石上神社までアップダウンを繰り返しながら約10キロ、約1キロ西を南北に真っ直ぐ貫く上ッ道なら平坦で楽だと思うのですがね、日本最古の道と云われる山之辺の道って、本当に今紹介されているコースで南北を結ぶ道として機能していたのでしょうかね。
 天理市域に入り景行天皇陵から崇神天皇陵と長閑な道が続きます。
 萱生町と竹之内町の間にある休憩所、この季節陽射しが暖かくて時間的にお昼にするには丁度良いのですが、誰しも考える事は同じで、休日だと結構ハイカーで混んでいます。


 13時前には夜都岐神社に到着、紅葉が見頃でした。山之辺の道これより北はハイカーも多少は少なくなるかと、石上神社に向って山越えになります。
 峠を下ると内山永久寺跡、恐らく今回はここでお昼に、テーブルとベンチが二組あってここなら遠慮なく全員が店を拡げられるかと、水道やトイレの設備はありません。逆算するとここでのタイムリミットは14時位。なお例年の様に火器は持って行きますが、サイドバックは邪魔になる様なルートですので、振る舞いぜんざいなんてのはありませんよ。
 14時過ぎには石上神社に到着。春日大社の鹿、三輪神社の蛇とか謂れのあるものではなさそうなのですが、何匹もの鶏が放し飼いにされています。今夜の「あすか鍋」の具に一羽連れて帰ります、嘘。

 天理市街へ、天理教本部と天理大の間の銀杏並木は見事です。時間の余裕があればここでヤラセ写真を撮るのも良いかも。
 

 上ッ道は天理教本部界隈で分断されている様な形になりますが、近世の上街道は西寄りのルートを辿っていたのではないかと想像しています、そのルートと合流して北へ、櫟本で北の横大路と呼ばれる東西の古道と交差します、業平道とも呼ばれるのですが、ここを右折し西へ。
 北の横大路は大和川の支流高瀬川に沿ったこの区間では県道192号福住横田線となっていますが、福住より東はR25旧道、横田より西もR25となり法隆寺から王寺へと繋がっています。

 

 県道51号天理環状線との交差点を左折し南へ、これがかつての中ッ道(橘街道)をなぞったルートになります。
 天理市喜殿町では中ッ道の遺構が発掘されていますが、現在では断片的にここに南北を結ぶ道があった事を示すものが残るだけです。
 井戸堂の山辺御縣神社は中ッ道を考える上で重要なポイントです、万葉集や行幸の史実から裏付けられます。
 田園風景の中を真っ直ぐ進む中ッ道は上ッ道や下ッ道とは少し趣が異なるのですが、この様な風景も、ただ全盛期の中ッ道は両側に側溝を持つ幅員18~28mの道だったとか。
 この付近では南東から北西に向って流れる大和川ですが、田原本町蔵堂(くらんど)で中ッ道は川縁に突き当たります、ただ大和川と斜めに交差してそのまま対岸へと道が続いているのが見て取れます。時間は15時半そろそろ陽が傾き始めます、
 蔵堂の集落を抜けて村屋神社から先は自転車ですら道を辿る事は難しくなります。ただ中ッ道の南北のラインは桜井市と田原本町や橿原市との境界として生きています。ところでこの区間でなぜ中ッ道ルートが失われたか、私の勝手な憶測ですが、大和川と寺川に挟まれたこの区域が度々水害に見舞われ、上ッ道や下ツ道と比べて里道としての必要性が少なく維持できなかったのではと思うのです。この先は耳成駅近くまでは残り時間を踏まえながら迂回ルートを選ぶ事に。ところで中ッ道を南にとると天香久山が真正面に見えるはずなのですが、現在では遮られていたものが中和幹線近くまで来てようやくその事に納得が行きます。
 三輪神社の摂社のある中ッ道と横大路との交点、この位置が藤原京の北東端とされています。
 16時半、ようやく中ッ道の南端へ、もちろん正面は天香久山、右側は藤原宮跡です。中ッ道が別名橘街道を呼ばれる様に中ッ道は天香久山の西麓を迂回し橘寺へと繋がっています。そして芋ヶ峠を経て吉野へ。

 天香久山から望む畝傍山の夕景。