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天川~富貴サイク

20150613a.jpg天川村広瀬にて(Microsoft Image Composite Editorを使用)

20150613o.jpgサイクリングの愉しみの一つにプランを練ること、地図を見ながらまだ見ぬ土地へ思いをはせたり、自分の技量に応じて愉しめるコースファインディングを練ったりと、時としてそれは走る事以上に愉しかったりして。
 先週の「吉野~洞川サイク」で行けなかった阪本へ下り、出屋敷峠を越えて高野町富貴から五條へ下るコース、問題は天川村までどうして行くかなのですが、2本合わせて4キロに及ぶ新笠木と新川合の長大トンネル、まして休日とあって馬鹿な車が飛ばしてくるので、決して気持の良いものではありません。 昔良く通った旧道ですが、いつも通行止情報が断続的にあって、自転車なら通れるのか通れないのか良く判らない状況、ofはやまさんに頂いた情報では3年前2012年7月には川合隧道(切抜峠)は天川村側で全く通れず、旧の笠木トンネルは問題なく通れたとの由。 とにかく最悪は新トンネルを通る事を覚悟して「光もの」を充分に準備した上で出発する事にしました。 写真は既に今月3回目の芋峠への道です。 一昨日の雨で路面はかなりウェット、苔や落ち葉で滑りやすくなっています、それに今日は蒸せる事、かなり湿度が高い様です。
 
20150613b.jpg上市橋を渡り<39>五條吉野線を走り千石橋南詰からR309を経て、下市温泉の近くから旧道に入ります。 旧道と云っても北側は集落を縫って行くので今も奈良交通の路線バスは今もこちらを走っています。 登って行くに従い北西側に展望が開けるのですが、今日は霞んで二上山までは見えません(写真左上)、梅の頃は梅林で賑わうのですが、今は静かなものです。 広橋峠には昔小学校がありましたが廃校となり、今では下市町全体ですら小学校は1校に集約されてしまったそうです。
 
20150613c.jpg丹生川上神社下社を過ぎて暫く行くと黒滝村、道の駅「吉野路黒滝」で旧道峠に備えてボトル1本補給、この先には黒滝茶屋と云うのが昔からあって、洞川に行く観光バスは出入りのしやすいそちらへ行くので、道の駅のできた後も賑わっています。 いよいよ新笠木トンネルの入り口に、旧道は右へ登って行きますが、案の定災害復旧工事で平成28年3月25日まで、即ち来年春まで通行止の看板としっかりとゲートが、どうやら旧笠木トンネルの手前で工事が行われている様です。 しかしゲートの様子から工事車両が頻繁に出入りして様子はありません。 車谷建設と洞川の業者が請け負っている処からみて天川村側からアクセスしている様子、ならば3年前に通れなかった川合隧道(切抜峠)より先も通行できる公算が大です、トンネルまでは標高差200m程、行かない理由がありません。
 ところで新笠木トンネルが開通した後も、その先の新川合トンネルができるまでの何年間は路線バスは相変わらずこの道を走っていて、大峯参詣や登山の乗客で満員のバスに抜かされながら、キャンプ装備の自転車でこの道を天川へ越えた事が思い出されます。 昔に比べると木々が成長したのか、ずいぶんと木陰が続く道となって涼しく走れる様なった気がします。 そうこうしている内に上の方から聞こえてきたのは、ショベルの音と削岩機の音、これは駄目かなと思いつつ工事現場へ、トンネルはもうその先に見えています。 ショベルを動かしている工事の人がこっちを見て削岩機のついた方のショベルに乗り換えてこっちを見ています、どうやら通してくれそうな雰囲気です。 自転車を担いで入って行くと「下に通行止て書いたあるやろが」と、「すんません大きいトンネル通るん怖いもんで」と答えるとしゃあないなあと云った顔付きで、削岩機のついたアームをどけて通れる様にしてくれました、感謝。 なお工事の状況次第ではいつでも通れるとは限りませんよ。
 
20150613d.jpg無事に笠木トンネルを抜けると懐かしい三叉路に突き当たります、右に下ると県道<49>勢井宗川野線、新しい2つのトンネルの間に出て元の西吉野村へ下る事ができます。 問題は左側、ピークの川合隧道まではさらに100m程登って行かなくてはなりませんが、通行止の案内もなにもありません、予想通り工事車両は天川村から川合隧道経由でアクセスしているに違いありません。 写真右上は旧旧笠木峠への入り口です黒滝村側も笠木トンネル横にしっかり道がついていましたから通れるのでしょうかね、昔一度アプローチしましたが、工事で道路が全くなくなっていて、数少ない撤退経験の一つです。 天川村の標識が現れて無事に川合隧道に到着、漏水が溜まっていて中から不気味に鳥か何かの声が響いてきますが、問題ないでしょう。 ここまでくれば安心、持参のおにぎりと大福餅で軽く補給します。
 ちなみに新旧ともに2つのトンネルの間は旧西吉野村域、すなわち現在の五條市です。
 
20150613e.jpgトンネルを抜け天川村側へ下ります、道端の展望の開けた処に祠がありますが、確かこの辺が映画「天河伝説殺人事件」のロケで使われたと記憶しているのですが。
 ofはやまさんのブログで紹介されていた3年前の崩落現場だと思いますが、きれいに復旧されていました(写真左はofはやまさんのブログからお借りしました)。
 
20150613f.jpg 旧道を暫く下り現R309に合流しようとすると目の前を女性ローディが走り抜けて行きます、FB友達のS女史が今日こちらを走られる事は判っていたのですが、こちらは旧道巡りなので、まさかここで出逢うとは。 早速追いかけて天川川合の信号の手前の観光案内所横の休憩スペースへ。 朝5時に奈良を出てわざわざ田尻峠まで行って山麓線経由でR309を走ってきたそうです。 これから洞川を経て五番関から吉野大峯林道を走られる予定、暫し歓談してお別れ、彼女は川合の信号を颯爽と左折、虻峠へ向かって行きました。 ちなみに彼女はら~さんと同じ職場。
 その後、スマホをいじりながら休憩しているとバスの切符売りのおばあちゃんにしっかり捕まってしまいました、話だしたら放してくれません、まぁ地元情報も色々仕入れはしましたが。
 
20150613g.jpgちょっと寄り道ですが、天川村と云えばモーソン森田商店、今ではモーソンの表記はなくなっていますが、あれだけ話題になれば今なおモーソンで通じます。
 ここにはバイクスタンドがあってアイス買ってかじっていると、先客のローディから「桜井の方ですか?」と声を掛けられます、フォロワーではないのですがFBの方で自転車と後ろに積んでいる「自撮り」用の三脚で判ったそうです。 榛原からお見えで、伯母峰から行者還を走って来られたそうで、これから富貴から五條を目指されるとか、GF吉野のスーパーロングのコースですね。 実はこの頃いぬいさんも小南峠を越えて洞川から行者還へ向かっていた事が後になって判りました、ニアミスしてた様な。
 
20150613h.jpgモーソンを後にし<53>高野天川線へ、久しぶりに来たらずいぶん拡幅改良工事が進んでいますね、「自撮り」ポイントが探しながら行きます、十津(新宮)川の上流天ノ川の清流を左右に見ながらの下り基調の快適コース、不動滝も先日の雨で水量が豊富で見事な眺めです。 ただ休日とあって路上駐車の釣り客の車と騒がしい単車の多いのがねぇ。
 
20150613i.jpg広瀬まで下ってきてやっと適当な場所を見付けましたが、大失敗を、最初の右に向かって走っている写真、キャラダイスのサドルバッグからコンビニ袋か何か白いものがぶら下がっているでしょ(*_*)
 

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1330五條市阪本まで下ってきました。 ところで今日はsyokoraさんがお仲間と高野山まで輪行で来ていて富貴方面へ来られる様子、その後所在が判らなかったのですが、ここにきてこれから今井峠に向かいますとの事、紀和隧道前後は圏外ですから野川あたりで発信しているはず、だとすればこちらが先に富貴へ着けるのでは、早速出屋敷峠への道を急ぎます。 ところで阪本と云えば五新線、阪本の三叉路からR168を天辻峠方面へ向かうとトンネルの坑口がぽっかり口をあけていて、中は阪大の核物理研究センターの大塔コスモ観測所として利用されているとの事なんですが。
 
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出屋敷峠に到着、私の好きな峠の一つですが、ずいぶんと久しぶりです。 以前シクロツーリスト誌の「日本の峠200選」の原稿依頼の折に「芋峠」、「染谷峠」とともに推したかったのですが、当時は自転車趣味が低迷していてここまで現状取材に来る元気がなくて外してしまいました。 出屋敷峠は北側も筒香からの道との合流点である出屋敷辻(正式な地名ではありませんがかつてその名のバス停がありました)まで100m程の標高差こそあるのですが、下り一辺倒ではなく結構アップダウンがあります、そして出屋敷辻から先は富貴に向かって緩やかに向かって行く、なんとなく変な峠道です。
 
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出屋敷辻に出た処で十中八九こちらが先だろうと踏んで暫く待ってみますがなかなか現れません、その内にここは圏外なのに気がつき念のため富貴へ進む事にします。 写真は途中にある「成金」バス停、ここで写真を撮ると「成金」になるそうです。 そこにsyokoraさんから連絡が、既に富貴集落に着いている様です、筒香からのダラダラ登りでプーたれてると思いきや、早い。
 
20150613m.jpg一行は橋本へ下り輪行で帰途に就くそうですので、火打口までご一緒する事にします。 富貴のレトロな街並みと、眼下に谷奥深の村を見下ろすポイントにて。
 
20150613n.jpg火打口でお別れし、私も桜井への帰途に就くのですが、五條の吉野ストアに立ち寄った後五條新町へ、雲行きが少し悪くなってきた事もあって写真は今一つ、餅商一ツ橋も今日はお休みですから、また出直す事にし大和街道を走り今井の交差点から吉野川沿いの道へ入り、阿太経由のいつものルートで帰途に就きました。 本日の走行145.8キロ、今回は阪本への下りや、富貴からの下りと快走コースがあったのでそれなりのアベレージで帰ってきました。
 

 
相変わらずGARMIN eTrex LEGEND HCxのログはあちこちで暴れまくっていますが、笠木峠、出屋敷峠付近でカシミールを用いて加筆修正しています、まぁ全体的にはこんな感じやと云う事で。
 

賀名生(あのう)梅林へ

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賀名生皇居跡
 
この週末は奈良県下のあちこちの梅林がピークを迎える様で、皆さん月ヶ瀬、広橋、賀名生とそれぞれ走りに行かれる計画を練っておられる様ですが、土曜は予定があり、日曜はお天気が下り坂との予報がでているので、今日走って行く事にしました。
 
20150320n.jpg皇居跡に立ち寄った後、賀名生梅林へ、梅の写真はこちらで見ていただくとして、例によって「自撮り」メイキング写真を。 お天気はもっと良い予報だったのですが曇ったまま、梅林の上の方からは五條方面が望めるのですが、どうもそちらは陽射しがあって晴れている様です。
 
20150320o.jpgなかなか感じの良い梅林の中の小径を見つけたので、早速セットして走って行ったのですが、小径へ入るところにも害獣除けのフェンスが、万事休す。
 
20150320p.jpg気を取り直して別のポイントでリベンジ。
 
20150320q.jpg平日だったのですが3台程自転車を見かけました、どこのどちらさんか知りませんお尻拝借。 幟がなければこのポイントで「自撮り」するのになぁと思って諦めましたが、撮っても良かったかも。 
 
20150320r.jpg梅林の中のあちこちで見物客相手のお店を開いていますので「おでん」をやっているお店で休憩、看板猫もいます。


 
20150320s.jpg五新線跡まで下りてきて賀名生停留所跡でコーヒータイム、お馴染み「萌の朱雀」のロケ地です。
 
 
 
20150320t.jpg今日のベストショットはこれかな、真横からの撮影ですから17日と同様に、タイマーはトリガーにだけ使って、カメラ側の連写機能を使ってます。 

20150320u.jpg とても暖かいのですが、空模様の方は何かすっきりしません、春のこう云ったお天気は昔から好きではありません、いつもなら城戸まで行って樺ノ木峠か黒滝をまわって帰るのですが、なんとなく体が重いので賀名生で引き返す事にして五條から吉野川沿いの道で帰途に就きました。 写真は<39>五條吉野線の対岸路、お気に入りの道です。 本日の走行85.5キロ。

五新線跡に沿って西吉野サイク(2)

20150129a.jpg 映画「萌の朱雀」でロケ地として使われた「賀名生(あのう)」バス停です、映画では「恋尾」バス停となっています。

20150129u.jpg 結局、橋が落ちていては丹生川を渡る事ができませんのでR168にワープする事に、写真は南朝の行宮であったとされる「堀家住宅 賀名生皇居跡」と五新線第6丹生川橋梁。 鉄道が走っていたら格好の撮影ポイントだったんでしょうね。

20150129s.jpg せっかくですから「賀名生」バス停へ寄ってみます、賀名生は梅林で有名な沿線随一の観光地です。 丁度お昼時ですので五條の吉野ストアで買ったパンと持参のポットの温かいコーヒーでお昼にします。ちなみに五條市街を出るとR168にはコンビニの類はありません。

20150129t.jpg 国鉄バスと書かれた観光案内板があります、もうこのバス停に降り立つ人はいないのですが。

 

20150129v.jpg 賀名生の街並みから丹生川をはさんで五新線跡が望めます。

 

20150129w.jpgR168の走る丹生川左岸から向賀名生バス停のある対岸へ渡ってみます。

 

20150129x.jpg向賀名生の集落、丹生川をはさんで山腹にへばりつく様に大日川の家々が点在している。吉野には良く見られる風景です。

 

20150129y.jpg 再び左岸に戻ってR168へ、第7丹生川橋梁で一旦R168と交差します。

 
 

20150129z.jpgR168旧道から何度か五新線を見下ろせるポイントがありますが、この付近の衣笠トンネルに崩落の危険性があるとの事が、専用道のバス廃止の直接の原因となった様です。

20150129za.jpg 専用道の終点である城戸(じょうと)が見えてきました。

 

20150129zb.jpg終点の城戸バス停跡です、かつて専用道を走ってきたバスはこのスロープを下ってきて一般道に入り西吉野温泉まで行っていました。スロープを上がると鉄道駅舎の様な建物があって反対側はタクシー会社の車庫になっている様です、「市有地につき一般通行を禁止します。この先、通り抜けはできません。五條市」とあります。  五新線に沿ったサイクリングはここまでです。 バス専用道の存在を知っているサイクリストはバス運行の廃止を聞いて口を揃えて自転車道にしてほしいなと云います、実際私もそうだったのですが今は否定的です。鉄道廃線跡を自転車道にしている例は日本全国に多くの実例があります、それは平行した道路が既に整備されていて、幅員がなく一般道への拡張が難しい廃線跡の再利用は自治体の苦肉の策で、まして維持コストのかかるトンネルや橋梁の多いこの路線、大分交通廃線跡のメイブル耶馬サイクリングロードが似通った事例かも知れませんが、賀名生梅林と西吉野温泉くらいしか集客ポイントがない西吉野、サイクリング利用者は限られている事でしょう、廃道寸前の自転車道は各地に少なくないのです、現在の所有者の五條市も頭を抱えている事でしょうね。ぶっちゃけた話この道はバス運行廃止以前から部分的に地元の生活道路になっているのです、それは詳細な地図を見れば歴然としています。現実に崩落の危険性のあるトンネルで分断されてしまっているのですから、地元利用の機会がない橋梁やトンネルは閉鎖し、必要な箇所だけは生活道路として活用すると云うのが現実的だと思います、その折は部分的にでも有効に利用したいと思います。「市有地につき一般通行を禁止…」と云う市の責任回避だけしている現状が一番問題なんだと思いますが、どうでしょう。

(その1へ) (その3へ)

 

五新線跡に沿って西吉野サイク(1)

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 かつて鉄道敷設法と云う法律がありました、1892年(明治25年)に制定され、あまねく全国に鉄道路線網を張り巡らそうと云う、今の高速自動車国道法の鉄道版みたいなものです。 鉄道建設が国家の基盤施策みたいに考えられていた時代ですから、費用や技術的問題、必要性、採算性などは度外視で、ある意味政治家の集票の道具の様に使われていたかも、ちなみに道路元標の根拠法の旧道路法は1919年(大正8年)。 1922年(大正11年)の改正鉄道敷設法では全国で150もの路線が設定されていました。 その中に「奈良縣五條ヨリ和歌山縣新宮ニ至ル鐵道」、すなわち五新線が掲げられています。 1939年(昭和14年)に建設に着手されたものの、ルートに関して地元同士の綱引きに、国鉄、近鉄、南海の思惑が絡み、戦時中断を経て1957年(昭和32年)に工事再開、1959年(昭和34年)には五條~城戸までの路盤が完成したものの、地元西吉野村(現五條市西吉野町)が鉄道としての開業に懸念を示したため、路盤を専用道として利用するバス路線として開業する事となります。 その後工事は大塔村(現五條市大塔町)阪本まで進みますが、1982年(昭和57年)の国鉄再建法の施行で工事は凍結、城戸までのバス路線は国鉄~JR西日本と継続されますが、平行する国道168号線の改良や自動車利用の発達、城戸以遠や接続網を持つ奈良交通のバスが国道を走っている事もあって運行本数は逓減し、2002年(平成14年)にはJRバスが撤退、地元自治体が奈良交通に運行を委託していたのですが、トンネル崩落の危険性がある事が判り2014年9月末で廃止となった事は話題に新しいですね。
 奈良県出身の映画監督河瀬直美さんの実質的な処女作でカンヌ新人監督賞の最年少受賞作品となった映画「萌の朱雀」(1997年)の舞台に西吉野村がなり、作品中では具体的な事までは明らかになっていませんでしたが、國村隼演じる主人公が五新線に拘わっていた事が物語の重要なテーマになっていました。 ちなみ「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子さんは西吉野村出身で御所高校卒業。 最近ではロケ地の案内ができたりしていますが、私の聞いている範囲では内容が暗すぎると地元での評判は良くなかったそうです。
 ところで晩年の土日には午前中に1往復だけなってしまったバス専用道、奈良県のサイクリストには知られた存在でした、なにしろ五條~城戸間を車に煩わされる事のない殆んど平坦路と云って良いルートがあるのですから、しかしネットではその利用を明らかにする事はタブーなのです、今もなお。

続きを読む 五新線跡に沿って西吉野サイク(1)

道路元標蒐集サイク(京都編)

今日は京都市右京区梅ヶ畑に残る葛野郡梅ヶ畑村道路元標を目指します。 それと4年ぶりのセンチュリーランを果たす予定です。 念のためにお守りと重しに輪行袋を押し込んで行きます。 140919a.jpg5時15分桜井を出発、いつもの上街道を北上します。 上街道は桜井から天理を経て奈良まで、現在の国道169号線に平行して南北に走る20キロ程の旧街道です。 古い集落の中を縫って走りますのでスピードは出せませんが、なにより信号が殆どないのが有難いです。 140919b.jpg猿沢池から興福寺境内を抜け、奈良から京都への県境となる奈良阪を越えます。 写真は奈良少年刑務所、このレトロな建物はジャズピアニスト山下洋輔の祖父の設計になるものです。 見学はできませんが毎年秋に行われる矯正展の時には中に入れます。 (今年はもう終わりましたが) 140919c.jpg井関川沿いに下って木津川沿いの自転車道、嵐山八幡木津自転車道に入ります。 約45キロの良く整備された関西有数の自転車道です。 140919d.jpg8月に増水で流された木津川流れ橋は相変わらず流されたまま手付かずの状態です、修復には今回も5~6千万円かかるとか。   140919e.jpg松尾神社前のコンビニで補給した後、自転車道の起点嵐山へ、以前の起点から少し遡ったところまで延長された様です。 ここで折り返すと楽勝なんですが、桜井から往復150キロでは、センチュリーランには届きません。 140919f.jpg久しぶりの嵐山です、さすがに京都の観光拠点、平日の午前中ですが観光客が絶えません、暫し休憩の後出発。 140919g.jpg嵯峨野の中を府道50号京都日吉美山線を辿って化野(あだしの)へ。 この三叉路を左へ行くと六丁峠を越えて保津峡へのコース、今日は初めて右の試(こころみ)峠への道を行きます。   140919h.jpg試峠のトンネルまでどうって事はありません、元は戦争中に廃止された愛宕山鉄道の廃線跡ですから。問題は旧道の峠道、相当の激坂です、幸いと云うか自転車も含めて南行き一方通行に規制されていて入れません、従って交互通行のトンネルへ、なにやら心霊スポットと云う事らしいのですが、私は一向にそういうのは気になりません、交互通行でなければ中で写真を撮っておきたかった位、トンネルの長さは500m程、それも清滝に向かって下り基調なので、慌ててダッシュする必要もありません、ただライトは必携です。 140919i.jpg清滝を過ぎて暫く車道が続いていますが、高雄へはいわゆる点線道の東海自然歩道を行かなくてはなりません。 事前に自転車仲間のM氏から情報を得ていたのですが「いつも通っているよ」なんて軽く云われるので、押しだけで突破できるものだとタカをくくっていたのですが… 140919j.jpg最初はこんな調子で河原へ下って行きます、乗って行けなくもないのですが、一人ですし無理はしません。しかしあの小匠ダムを彷彿とさせる道筋は最高、まして紅葉の季節なら素晴らしい眺めでしょうね、でもその頃はハイカーで一杯でしょうから、自転車で来るのは顰蹙ものです。 140919k.jpg河原に下ると道は相当険しくなります、間違ってもSPDシューズでは。写真を撮っている余裕もなくなり、写真のあるのはマシなところだけです、担ぎでの登り下りが何度も繰り返されます。 これが高雄まで3キロも続くのかと嫌になり始めます。 140919l.jpg結局2つ目の橋を渡り再び左岸に出た頃から道も良くなり、28Cなら十分乗って行ける様になります。 平日の午前中とあってすれ違った人は8人だけ、なぜか7人は外人さんのグループ、さすが京都。 140919m.jpg無事、高雄に出てきました、ダート区間の所要時間は約45分でした。 140919n.jpg周山街道に出て御経坂峠を越え今日の本来の目的、梅ヶ畑村道路元標へ、道路元標は高雄小学校の門の内側に保存されていました。 1013基目達成です。   140919o.jpg嵐山へは戻らず国道162号線を五条天神川まで南下し、そのまま天神川に沿って走って行くといつのまにか自転車道へ入ってしまいます。 途中、宇治市の友人の店に寄り道した後、城陽市から木津川右岸を走り山城大橋の手前で少し休憩した後、再び自転車道へ、朝来た道を黙々と走り、17時半無事に桜井に帰投しました。 本日の走行168.8キロ也、押し担ぎ付きのセンチュリーランを終えました。

道路元標蒐集サイク(丹後半島編1日目)

20140910a.jpg今日が有効期限最終日の青春18きっぷの最後の1回、桜井駅を0543発奈良行きに乗車、木津からは学研都市線(片町線)~東西線~福知山線経由の新三田行きに、大阪市内を通勤時間帯の混雑の中での乗換を避けてワープできるのですが、新三田で反対の上りホームに入ってしまうので、階段の昇り降りをさせられるのが難点。 先月の豪雨禍からの復旧工事とかで徐行運転でダイヤの乱れていた区間も解消し、福知山1024定刻着、忘れ物もなく11時には無事、出発準備完了。 20140910b.jpgコンビニ補給の後、R9を避けて一旦由良川対岸へ出て北上しR175からR176へ入ります。 京都府下の道路元標は京都府公報第783号(大正9年3月30日発行)として設置当時の住所地番が記録されていますので、未発見の道路元標を求めて金山村、雲原村と探索してみましたが不発。 まあそんなものよと与謝峠への旧道をのんびりと登って行きます。 20140910c.jpg標高320m程の与謝トンネルの入り口まできました、斜度そのものはずっと下の坂浦トンネルの手前の方がキツかった様な。 旧道峠は標高差で40m程、たとえ通れなくて引き返してもたかが知れていますので、時間もありますし突っ込む事に。 20140910d.jpg例によって国道の旧道峠とは思えない狭さに、大量の水と泥が出ていますが、ツーリング車の強み、なんなく突破、しかし与謝野町側は相当の急坂の連続です。 以前、与謝野町側からKHSで登ろうとした事が、天気が悪くなりそうでやめたのは大正解でした。 20140910e.jpg与謝村道路元標があっただろう場所を通過して加悦SL広場へ、今は無き加悦鉄道の車両をメインに直接関係はありませんが国鉄のSLや京都市電が保存されています、2度目ですが元鉄としてはここは外せません、入場料400円を払って入ります。 あいにく水曜でパン屋とカフェは休業日ですが、食事はできますので遅めのお昼にうどんを頂きます。 20140910f.jpgこのレトロな建物は旧加悦町役場、平成14年まで使用されていました。 現在は観光案内所とかになっています。 信号をはさんで向かい側には加悦町道路元標も現存しています、かなり埋ってしまっているのが残念ですが。 20140910g.jpg観光案内所で貰ったパンフレットをもとに古い街並みを少しポタってみます、「ちりめん街道」として売り出している様ですが、こじんまりしたものです、ただあちこちから今も機織の機械の音が聞こえてきます。 20140910h.jpgおっさんには縁がなさそうですが、ちょっとした小物を扱っているお店もある様です。 加悦鉄道の廃線跡は岩滝加悦自転車道として整備されていて、北近畿タンゴ鉄道の野田川駅近くを通り岩滝まで行ってますが、そちらの方は判りにくかった様な。 また路面が良くないのと、交差する道路が多いのでロードにはわずらわしいかも。 北近畿タンゴ鉄道野田川駅、元の国鉄宮津線丹後山田駅ですが、ここも鉄な人には外せません。 駅舎内には丹後山田駅資料室と云うのがあります。 加悦鉄道が接続していた時代のジオラマは必見です。   20140910k.jpgR312に入り今夜の宿のある京丹後市大宮町を目指します。 水戸谷峠と云う小さな峠がありますが、標高も100mに届きませんし、横を北近畿タンゴ鉄道がトンネルなしで越えている位ですから大した事はありません。 20140910l.jpg17時丁度に一度も降られる様な事もなく、丹後大宮駅前の旅館「なかむらや」に到着。 日頃はビジネスホテルを利用する事が多いですし、次の峰山まで行くと2軒程ビジホがあるのですが、ネットで探すと素泊まり4,100円とリーズナブルなここを見つけたので、加悦SL広場まで来た処で電話を入れました。 部屋こそ広くはないですが、大きな湯船にゆったり浸かれて、洋室だけの生活をしているので久しぶりの畳にゆっくりできました、自転車は鍵のかかるガレージに入れさせて貰えました。 冷房がコイン式なので夏はちょっとネ。 お風呂で気持ち良くなって缶ビール解禁、11ヶ月ぶりのアルコールです。 桜井0543→0616奈良0622→0630木津0640~0849新三田0854~1024福知山 青春18きっぷ3,350円分乗車。 本日の走行 56.8キロ

「石仏巡り&廃線跡ポタ」迎撃

今日はまえださん企画の「石仏巡り&廃線跡ポタ」だったのですが、午前中に所用があったのと泥遊びの様相もあったので遠慮させて頂きました。 ただカレンダーをお渡しするメンバーが一堂に会しておられるので、下山後に休憩予定の植村牧場へ午後から向う事にしました。 Twitterを覗いていると、BLKさんが川に落ちたとか、まぁわんぱくおじさん達は色々と愉しまれている様です。 さて13時前にようやく桜井を出発する事ができ、上街道を一路奈良へ向います。 右奥に見えているのが三輪山です、北西の風が強いものの、冬の日差しが心地良いです。 ならまちまでやってきました、平日ですので観光客はちらほら静かなもんです。 一行は岩船寺辺り、植村牧場は15時位との連絡が、時間調整に東大寺近くまで走ってみます、奈良県民ですがあまり知らないのですよ、しかしさすがに観光地、この季節でも結構な人出ですね。 般若寺前にて、やってきました元気なおっさん達。 植村牧場はオープンカフェの売店が冬季休業でして向いのレストラン「いちづ」へ、コーヒーとアップルパイを頂きます。 カレンダーをお配りして1時間余り歓談、ほっといたらいつまで続くかわかりません。 鉄人児玉さんと上街道を少しご一緒して桜井へ。 本日の走行50.6キロ。

4泊5日18切符輪行ツーリングの旅(総括)

 遊び明けすぐの仕事から戻ってくると、中津から送った宅急便が。 この荷物を自転車に積んで走っていた訳、帰りの輪行を考えると箱代込で1,720円は決して高くはない。 昔チッキ(手荷物輸送)と云うのがあって、乗車券があると小荷物より安く荷物を送る事ができたが、北海道の国鉄バス長沼営業所から阪和線鳳駅まで送り、到着の連絡まで数日かかった記憶がある。
 さて九州「4泊5日18切符輪行ツーリングの旅」総括。 走行324.3キロ、道路元標7基(累計950基)、交通費7,280円(2日目も18切符を使えば6,900円だった)、宿泊費18.091円4泊(内牧温泉五岳ホテル5,900円夕食含)、外食費、食費、飲料費12,048円、雑費(運送料等)2,380円、計39,799円
 今回は複数のプランを天気予報を睨みながら、直前まで行き先を決めあぐねていたので、準備不足だったのは否めない。 ツーリングマップル九州もあるのに持って行かなかったし、GPSやスマホでグーグルマップが見られるとは云え、どこまで登るか詳しく判らないのは結構つらくて、かなり調子を乱してしまった。 しかし針金を持っていたのだけはガードの補修に役立った。

4泊5日18切符輪行ツーリングの旅(4日目)

 今日は阿蘇内牧温泉を出発しR212で阿蘇外輪山を越え、日田から中津へ抜ける計画です。 阿蘇から大分方面へ抜けるなら、湯布院から別府と云う「やまなみ」ルートが定番でしょうが、今回は大分交通廃線跡の「メイプル耶馬サイクリングロード」を走ってみたいので、こちらのルートを選びました、約120キロの行程です。

 R212の外輪山を越える鞍部との標高差は約400m、車が増えて来る前に登りきってしまおうと、6時には出発する旨を伝えておいたのですが、ロビーに下りてみても玄関は施錠されたまま、電話で呼び出して開けて貰ってコンビニへ立ち寄って大観峰への登りへ取り付いたのは7時近くになってしまいました。 平日とあって通勤や仕事の車が時間とともに増えてきます。 結局は観光バスこそ来ないものの結構混む時間帯を走っていた様も気がしないでもないです。

 R212は日田市街に向かって南小国町、小国町と下りが続き9時過ぎには杖突温泉に。 対岸に観音岩温泉とやらが見えて24時間営業とありますが、この時間から温泉に浸かるのもと思っていたら、無料の足湯があるそうなので、少し休憩に寄ってみる事にします。

 足湯の奥には色々と趣向を凝らした個室浴槽が26もあって平日なら800円から2000円程度で入れる様です、でも一人じゃ勿体無いですので、タダの足湯でゆっくりさせて貰います。

 松原ダムの手前で少し登り返しがありますが、下り基調の道が続きます、ただ交通量は徐々に増えてきます。 途中から旧道とおぼしき<9>日田鹿本線に逃げ込み11時には日田駅前に到着。 駅前の観光案内所で案内を貰って、古い街並みが整備された豆田町を少し行き、食事でもしようかと思いつつ、自転車を押してでは、適当な処を見つけられずに、結局は街外れのコンビニで食料を補給して、日田を離れる事に。

 日田から中津にかけてもR212ですが、大型車を含めて交通量は少なくなく、奥耶馬トンネルで峠を越えています、旧道はマニアには有名な大石トンネルが南側に残っていますが、限りなく廃に近いトンネルに向かうより、北側を迂回する<720>日田山国線で伏木(ふしぎ)峠を越える事にします。 石畳の峠道も残っている様ですが、車道は高原状の伏木集落で400m程のピークで九州の分水を越えます。 伏木はキャンプ場があるものの、公民館の横に自販機が1台あるだけの何もない処ですが、このルートをとったおかげでのんびりとツーリング気分を満喫する事ができました。

 日田市と中津市の境は中津側に少し下った処にあり、さらに行くと右手にR212が見えてきて暫く平行に集落の中を走り合流しますが、すぐに反対側に旧道が繋がっており、日田から車に煩わされる事なく旧山国町へ入り、そのまま自転車道で中津まで行く事ができる、なかなかのお勧めルートです。

 山国からは「メイプル耶馬サイクリングロード」へ入ります。 1975年に廃止された大分交通耶馬溪線の廃線跡を利用したもので、私自身は乗った事はありませんが、廃止前の中津駅と思われる写真を撮っていたり、車両が和歌山の紀州鉄道に譲渡され最近まで現役で活躍していて、何度か乗る機会もありました。

 おすすめサイクリングロードの1位にもなったことがあるそうですが、耶馬溪の風景や、幾つものトンネル、近代土木遺産に選ばれている第二山国川橋梁と、見所も少なくないですが、全体の1/3は幹線道路の歩道部分だったりと、期待する程ものでは。 路面状態はロードでは少し辛いかも知れません、山国寄りには暗い上に落ち葉や枝が散乱し、濡れている区間もあります、ツーリング車には心地良い位の感触かも知れませんが。

 耶馬溪で有名な青の洞門、国道や自転車道の対岸にあたりますので、うっかりしていると通り過ぎてしまいます。
 後半、歩道と併用の自転車道と西日に少々参ってきますが、明るい内に大分中津駅前の東横インに到着、明朝18切符で帰途に就きますので、先に輪行準備と不要になる荷物を宅急便にする作業を済ませてしまう事にします。 東横イン大分中津駅前は訳ありシングルプランで3,480円の格安、訳ありと云ってもエレベ-タシャフトの隣で室数限定と云うだけ、私には全く気になりません。 ただ決済が現金のみと云うのに、フロントが一旦カード決済を受け付けてから、後から現金で精算し直してほしいと云う事に。 まぁ格安だったり宅急便の箱が幾つか常備してあったり、熊本駅前の事を思えば応対も良かったので良しと。

本日の走行121.5キロ

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4泊5日18切符輪行ツーリングの旅(3日目)

 今日の予定はゆうかファミリーロード(熊本山鹿自転車道)を走り、山鹿町道路元標を回って菊池渓谷から阿蘇外輪山へ登り、話題の通称「ラピュタの道」を下る約100キロの行程です。

 東横イン熊本駅前から見下ろす、新しくなった熊本駅と駅前ターミナル。

 

 

 熊本駅前から「ゆうかファミリーロード」の入り口へは2キロ程離れているので、あらかじめ市内の道順を頭に入れておかねばなりません、よそ者には決して判りやすいところではありませんが、段山橋東詰と云えば教えて貰えるような処だとは思います。  

 自転車道は井芹川と鹿児島本線を縫うように北上し、崇城大学の前辺りを除けばほぼ専用道ですが、時間的な事もあったのでしょうが、近所の人のジョギングコースや犬の散歩コースと云った雰囲気で、路面状態も決して良くない上に階段区間、鹿児島本線を見下ろすので鉄な方はよろしいかも。

 自転車道はJR植木駅の手前でスイッチバックするように、昭和40年に廃止された山鹿温泉鉄道の廃線跡に入りますので、これまでとは雰囲気が一変します。

 県道330号熊本山鹿自転車道線のヘキサもあったり、かつては踏み切りだっただろう一般道路との交差があったりと、廃線跡の雰囲気満点、そして元は駅のあった場所の幾つかが休憩所として整備されています。

 目的地の山鹿町道路元標へは行き過ぎですが、せっかくですので自転車道の終点まで行って見ます。 山鹿町道路元標の後、菊池市へ向かいますが、平野部とは云え50キロ余りを走って、まだ10時前とかなりハイペースで走ってしまいましたが、菊池市街で標高は100mにも届きませんから、この先阿蘇外輪山のミルクロードまで標高差で900m近く登らなくてはなりません。

 菊池市街を東に進むと一気に勾配がきつくなり、日田往還R387の交通量も結構あります。 前半調子に乗って飛ばしすぎたのが災いしたのか、昨日に続いて調子が崩れ始めてきた上に、リアガートのステーを取り付ける孔が開いて外れてしまいました、とにかう応急処置もかねて大休止です。 菊池市重見の廃校跡の公園、自販機やトイレがあり貴重な休憩ポイントです。

 菊池渓谷、R387から県道48号阿蘇公園菊池線へ入り、菊池渓谷を過ぎると徐々に車は少なくなります、菊池阿蘇スカイラインと名前がついているものの、阿蘇外輪山に登りつくまで展望はありません。 どうにも具合の良くないガードは、結局は手持ちの針金で固定してどうにかまともに走れる様に。

 結局は菊池渓谷からの標高差450m程を2時間以上かけてミルクロードにたどり着きますく、今にも降り出しそうな時もあっただけに展望は期待してなかったのですが、どうにか阿蘇山を確認できる位の視界が。

 ミルクロードを少し南下し、「ラピュタの道」の入り口に、ところが非情にも「全面通行止」の看板が、全面通行止で自転車すら通れなかった経験はそうはありませんが、標高500m近くを下って戻らなければならないなんて事になっては、この時間からでは笑い話にもなりませんが、とりあえず覗くだけは覗いてみようと少し下ってみる事にします。

 はるばるやってきました「ラピュタの道」、視界が今一つなのは残念ですが、目を見張る風景です。 ところで「全面通行止」にもかかわらず、軽自動車からトラックまで地元車とおぼしき車が何台も下りて行きます。 それらの車が一向に戻ってきませんので、「全面通行止」の看板は観光の車への牽制?

 撮影ポイントには事欠きませんし、時間をかけてのんびり下ります、いわゆる「ラップサイロ」と云うやつを乗せたトラックまでユッサユッサと下って行きます。

 下から見上げると… 結局は通行止となっていた箇所も判らず下りきってしまいました。 なお上2/3は日影も水場もないコースですので、炎天下に登られる時はそのつもりで。 

 

 

 今夜の宿は阿蘇内牧温泉の五岳ホテル、ライダー向けの宿泊コースも用意してホームページで案内している処なので、自転車の一人旅でも気軽に泊まれそうなので、ネットで予約しておきました、まぁ地方都市のちょっと古いビジネスホテルと云う感じでしょうか、2食付き入湯税混み5,900円、24時間入れる源泉かけ流しが売りの温泉もあります。

本日の走行101.5キロ

【950】 熊本県 鹿本郡 山鹿町 (現 山鹿市)

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