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久しぶりの面子で津風呂湖畔を

津風呂湖畔木ノ子広場にて

 勤務明けですが久しぶりに芋を越えて東吉野へ行こうと思ったのですが、祝日なのになんと「麦笑」「よしの庵」も休みじゃありませんか、では津風呂湖か吉野山でも回ろうと「明日走りに行きます!明日香村セブイレ9時」と幾つかのSNSに書き込んだら、5人も釣れちゃいました。
 9時丁度に集合場所に着いたら既にお揃い、タックさんを除いてランドナー、そのタックさんもガードを外したTOEIフレームにラダーハンドル、パスハン仕様?と今時ロードバイクとは一線を画した集団。 集まった面子はまえださん、oooka さん、kitanoさん、そのまんま成田さんに乾さんの「ゆるゆるSC」からタックさん。私自身はそないに久しぶりでもないのですが、タックさんを除けばそれぞれが結構久しぶりの再会なんですね。なんでもまえださん、kitanoさんとは15年ぶり、oookaさんとは10年ぶりだとか。ちなみに私がまえださんとoooka さんと初めて一緒に走ったのはこの時、2001年8月24日の全通間もない吉野大峯林道だったかと、まだSNSもブログも無かった時代、乾さんの「ランドナー補完計画」のBBSで集った縁でした。さて芋越えで津風呂湖畔に異存はない様ですのでここでお昼を調達しておきます。
 「セブイレ」をスタートすると明日香の怪人のお家の前を通るのですが、タイミング良くと云うか待ち構えていた様に赤いアルファロメオが爆音をあげて飛び出してきます「あんた痛風で死んでるんとちゃうの」。さて稲渕の棚田を見上げる休憩所で停まっただけで、栢森も通過し快調に芋への道へ踏み込んで行きます。
 県道と古道が交差し役小角の祠がある行者辻でストップします。なにやらまえださんがエアーを入れ直してます、なにやらタイヤがちゃんと嵌まっていなかったみたいだとか、危ない危ない。

 1025 芋ヶ峠に無事到着。
 吉野へのダウンヒルをこなし水辺公園のある千股まで下りて来たら後から金属音が、oookaさんが前輪バーストです。サイドが切れていますが、成田さんがタイヤブートを持っていて走行は可能に。
 山麓の県道を登ったり下りたりしながら津風呂湖畔へ、津風呂湖には山口、平尾、入野の3つの吊り橋がありますが、いずれも車は渡れませんので、先年整備された対岸の道へは車はぐるっと回って来なくてはなりません。この平尾の「みかえり橋」(149m)はサイクリング車の通行が公認されている有り難い吊り橋です。
 その「みかえり橋」を渡った処の「木ノ子広場」でお昼にします、湖を見下ろす四阿があります。
 津風呂湖は吉野川の支流津風呂川をせき止め1962年に完成した人造湖で観光地としては廃れてしまいましたが、へらぶな釣りのメッカとして人気があります、南側を県道が通じていますが、北側は谷が切れ込んだ地形の湖岸をなぞる様に道が付けられています、現在は舗装されガードレールも整備されていますが、以前はこんな道だったのです(2006年12月)。入ってくる車は少ないとは云えブラインドカーブの連続ですので、対向車と落石に注意を。また幅員がないので所々に退避所が設けられています。写真右は半島部分をショートカットする峠? 結構激坂です。
 その峠を越えて暫く行くと広場になっていて、湖に沈んだ村を偲ぶ石碑や案内があります。
 先日の「琵琶湖キャンプツーリング」のブログレポートにも書きましたが、8月の事故でコンデジを潰したので、スマホでのバックショット!は難しいです、早く代わりを手当てしなくては、操作が変わるとまた覚えなおさなくてはならないので同じTZ85の中古を探しているのですがね。
 木ノ子広場から数キロ走って入野(しおの)集落へ、ここの桜並木がなかなか見事だったのですが、木が老いてきたのか以前の迫力は無くなってしまった様な、R370から見下ろした桜並木、2011年4月の模様
 桜並木を抜けて激坂を登りR370に取り付き、南へ折れて入野トンネルを抜けると、紙漉きの里「国栖」と蛇行する吉野川を見下ろすビューポイントです。

 窪垣内の三叉路からR370を西へ、宮滝で吉野川左岸の県道に入ります。途中近鉄吉野線の上路トラス橋を見上げる事のできる川縁の道を走ったりしなから椿橋へ。
 椿橋は現在では車が通れませんが、かつて吉野には「桧の渡し」「椿の渡し」「柳の渡し」「桜の渡し」の4つの渡しがあり「椿の渡し」に代わりこの椿橋が架けられました。
 椿橋まで来た処で成田さんのフィキシングボルトが緩んできている事が、誰も14mmのボックスを持っていないので近くのコメリへ走ります。まえださんがハンドルを持っていたのでボックスだけ買って締め直して一件落着。
 R169を椿橋の北まで戻り大淀古道に入り壷阪峠を目指します。
 壷阪峠を越えて葛城の山並みと壷阪寺を見下ろすポイントへ、二上山の向こうにはかすかに大阪の高層ビルと六甲山を望む事ができます。この後土佐街道で御所へ帰るkitanoさんと判れ4人と檜股の集落の中を引っ張りまわして無事に明日香村のセブイレ前に帰ってきました。
 コスモスを見たいと云うまえださんを藤原京の西側へ、タックさんを大和八木駅まで案内し、桜井へと帰途に就きました。本日の走行76キロ。

 今回はスマホで撮った写真しかないのでまえださんとkitanoさんのブログから何枚も拝借しました、谢谢!!
まえださんのブログ「自転車趣味+α2」
kitanoさんのブログ「アルプスと86-part2」



琵琶湖キャンプツーリング(2日目)

琵琶湖岸緑地(志那1)にて

 微妙な予報だったのですが未明から降り出した様です、雨雲レーダーによると10時頃まで断続的に降る予想です、Mt.なおじさんとショコラさんの声がするのでごそごそとテントから這い出します。
 「湖岸緑地志那1」には北端に写真の様に一部屋根のあるベンチがあって駐車場からも比較的離れた位置なのでサイクルツーリストにもうってつけです。10時頃に軽く朝食を済ませて撤収準備もほぼ完了。
 今回カメラはスマホとG3、実はコンデジのTZ85を事故の時にウェストポーチに取り付けていて壊してしまったのです。せっかく持ってきたのでG3を取り出して「湖岸緑地志那1」内でやらせ写真を何枚か…
 右はショコラさんに撮ってもらいました、実は今回三脚を持って来なかったのです、あれば公園内の通路ですから3人で「自撮り」にトライしても良かったかも。

 11時過ぎに「湖岸緑地志那1」を後にし、Mt.なおじさんはデポ地の琵琶湖大橋、ショコラさんは大津へとそれぞれ帰途に就くのですが、軽く腹ごしらえに「JA草津市 あおばな館」に併設されたカフェ「NICOLAO Coffee And Sandwich Works」へ、湖岸道路から500m程入りますがサイクルラックもあって「びわいち」の立ち寄りポイントにもなっているようです、「あおばな館」では地場の野菜とかが安く買えるので賑わっています。
 Mt.なおじさんはメロン街道経由で戻るのでここでお別れです。
 私とショコラさんは湖岸道路へ戻り近江大橋へと、帰帆島前後の橋とかでアップダウンのある区間なのですが、結構良いペースで曳いてくれます、こっちは先が長いんですけど(^_^;) 近江大橋東詰で走りながら再会を約束してお別れです。
 近江大橋を過ぎた処のトイレのあるベンチで小休止、荷物を整えます、ここからまだ70キロは走らなければなりません。今回帰途に大津から逢坂越とかも考えたてみたのですが、やはり走りなれた瀬田川沿いの府道を宇治に下る事にします。久しぶりに石山寺の「茶丈藤村」に寄ってみたかったのですが「NICOLAO Coffee And Sandwich Works」でサンドイッチを食べたばかりですからね。

 14時には天ヶ瀬ダムへ、平等院から奈良街道へ入ろうとするのですが、どうも宇治界隈は苦手です。どうにか奈良街道にはいったものの、JR奈良線と平行する辺りでは踏切待ちの車が交差点を塞いでしまうので、なかなかスムースに走れません。結局R307に出た処で山城大橋を渡って木津川べりの京都八幡木津自転車道に入る事にします。ところで山城大橋東詰のセブイレが11月15日で閉店するとか、結構賑わっていたのにね。
 自転車道終点の泉大橋南詰の三角公園で小休止、ここから京奈和自転車道のルートに入りますが、平城宮跡へは向かわず奈良自転車道(県道266号奈良西の京斑鳩自転車道線)で奈良市街へ、京終駅前まで車の多い市街を走りに抜けて旧街道の上ッ道へ、後20キロ途中で陽も暮れますが、ここまで来れば帰ってきた様なものです。18時半には桜井の自宅に帰投、久しぶりの4サイドでの1泊2日約170キロをどうにか無事に走り終えました。本日の走行88.4キロ。

前日 1日目 2日目



琵琶湖キャンプツーリング(1日目)

木津川河畔にて 京都府木津川市加茂町

 0850に職場を出発、4月に琵琶湖に向かった時は下ッ道(中街道)を北上したのですが、買い物に寄り道したために上ッ道(上街道)を北上する事に、写真は天理市丹波市にて、念のためにキャリアのネジの点検をしておきます。
 奈良市街を抜けて奈良阪を超えます、丁度11時に元の奈良少年刑務所前へ。
 
 隣に新しい道ができているのにわざわざ通る事もないのですが大仏線跡を(写真左)。木津川べりに出て恭仁大橋の見える処へ(写真右)。1143 恭仁大橋を渡ります、スタートから10分遅れですが、4月に比べて35分遅れです。
 和束清水橋で府道5号木津信楽線と別れ県境越の町道へ、町道と云っても和束から信楽方面へのメインルートになっています。1311 京滋県境の無名の峠を越えます、和束ローソンでの休憩時間が短くした分で6分短縮。県境を越えると直ぐにR307の旧道の裏白峠の東側に出て暫くでR422に入ります。ここから大津市大石まで標高差200m程のダウンヒル、と云っても車が多いのであまり快適でもありませんが。土曜とあって登って来るサイクリストが結構います。1354 鹿跳(ししとび)橋、4月より28分遅れ。
 1419 瀬田の唐橋東詰、1429には近江大橋の手前へ、休憩もあったのですが向い風に苦しめられた4月の時間に追いついてしまいました。現地では飲料水がないのでイオンモール草津で飲料水2リッターを調達しますが、「お客様感謝デー」とあって店内は大混雑、他の買い物もあったのですが所要40分。1520 帰帆島の北側の橋を越え 1535 無事に集合場所の「湖岸緑地志那1」に到着、走行84.8キロ。

 4月はここからまだ50キ先の「六ツ矢崎浜キャンプ場」まで走ったのですが、9月10月と通勤以外ではロクに走っていなかったので、今日はこれで目一杯と云う感じです。Mt.なおじさんとショコラさんは既に到着して設営も済ませています。
 昨日地元のniwa-chenさんに声を掛けたのですが、「今回は遠慮しときます」とつれない返事をしていた割にちゃんと居るではありませんか、泊りはなしで芋煮と柿を差し入れに持ってやってきてくれました。

 メインはショコラさんが準備してくれたもつ鍋です、焚き火を囲んで夜遅くまで酒宴は続きます。(写真右 : Mt.なおじさん)

前日 1日目 2日目



明日は琵琶湖へ

 Mt.なおじさんとショコラさんと月末までにasuka号が治ったら琵琶湖畔へキャンプに行こうと計画したものの、先週辺りが体調が今一つ、咳もしなければ熱もないし鼻水もでる訳でもなし、もちろん臭覚も味覚も異常なし、ただ風邪をひいた様な倦怠感が。ここ最近ストレスがたまる事が続いているし、もうこれはあれだなぁとS先生から処方して貰っている薬を半日量だけ使う事に。asuka号も火曜には「ナニ銀」さんから引き取る事ができて、お天気次第でいよいよ行くしかない状況に、木曜のうちにキャリアの取り付けなど自転車本体の準備が完了、金曜の朝には薬のお陰かずいぶんと気分も良くなって食料以外の荷物の準備を済ませる事が…

 ところで新しいフロントバッグをasuka号仕様の取付け方で実際に使うのは今回が初めて、VeloOrange製のサポートを輪行ヘッドで使うのは首を振る事は必須ですので底面をEB金具で固定しています。なおバッグ側のプレートは自作です。
 お天気の方は日曜朝の予報がコロコロ変わっていたのですが琵琶湖周辺はほぼ大丈夫そう、16時には試運転も兼ねて藤原宮跡をうろうろしながら出勤、なかなか快調です。食事に関してはショコラさんが来るから心配なかろうと、明朝に酒と携行食だけ買って向かう事にします。

前日 1日目 2日目

 

 

asuka号復帰

住吉大社前にて

 8月の末に曽爾高原の帰りに事故に遭って大阪の「ナニワ銀輪堂」さんにドッグ入りしていたasuka号を引き取りに行ってきました。丸2ヶ月、旧車の修理は保険屋とのあれやこれやで着手するまでに時間が掛かるのですよね。
 昨日が休みだったので予定していたのを、悪天候で今日にした為に夕方の出勤までに帰らなくてはなりません、ゆっくりとお話ももできずに 1440 には「ナニ銀」さんを後にします。
 大正区と東隣の西成区の間の木津川には3本の市営渡船が通っているのですが、落合上渡船で渡って住吉大社の方へと市街を抜けて行きます。いつも通り過ぎるだけが悪いのかもと、今日は「安全祈願」で一枚。
 我孫子道で紀州街道と別れ東へ、所縁のある浪高の前を通り過ぎ、行基大橋の西側で大和川べりにでますと、断続的に自転車歩行者道が続いています。柏原市役所前に着く頃には既に16時半、去年の記録だと2時間半程で桜井に帰ってますが、よくよく考えると停車時間を含まない実走行時間、信号待ちの多い市街地走行を考えていませんでした。
 亀ノ瀬から王寺へとR25を爆走、時間的に橿原市の勤務先に直行するために飛鳥川沿いの自転車道へ入りますが、その頃には陽が暮れてしまいました、真っ暗な自転車道ってポールとか見えなくて危なくてスピードが出せません、これで事故ったら笑い話にもなりませんので、田原本に入った辺りで遅れる旨の連絡を、そんな時に限ってスマホのバッテリーがあがるんですよね、そう云えば渡船も出た直後だったし、JR和歌山線の踏切も待たされたしこれは「弱り目にたたり目、泣きっ面に蜂、貧すりゃ鈍する、藁打ちゃ手ぇ打つ、便所に行ったら入ってる。」の口ですな。リタイア後今の職場にお世話になって4年で初の遅刻、まあ連絡もついたので無理はせず急ぎます。

 20分遅れですが無事に出勤、走行52.2キロ、実走行時間2時間54分ですが所要時間は3時間40分掛かってますよね。お陰で夜食を買い込んでおくゆとりはなし、こんな時に限って買い置きのカップ麺とかも切らしてるんですよね、一応院内にはパンとかお菓子の自販機はあるのですが、カップ麺が180円とかで高い。まあ今夜は1つだけ残っていたフリーズドライの野菜スープとお菓子と、フロントバッグに入れてあって塩羊羮4つだな、あとは朝まで何事もない事を願うばかり。



藤原宮跡のコスモス他諸々

藤原宮跡(奈良県橿原市)にて

 今朝の藤原宮跡です、最高のお天気で「遠回り通勤ライド」と行きたい処なのですが、昨夜は皆目眠れなかったので少しだけ寄り道して帰る事にします。平日にも拘わらず、三脚を立てたアマチュア写真愛好家がぞろぞろ。
 北西側が橿原市街、南東側が明日香村や音羽龍門の山並みになるので、写真を撮るなら午後の方が良いかもね。

 さて来年(2022年)のCanCan謹製カレンダーですが、去年や今年の様に祝日移動の心配がないので先月には着手したのですが、それも「玉」だけで肝心の写真が。「コロナ禍」で皆さんと走る機会まして綺麗どころに至ってはね、従ってネタ切れ状態。まぁ専属カメラマンのS翁は凸凹コンビを連れて兵庫県内を走り回っている様ですが。それで来年は「自撮り」写真集にするしか、それも新作かないので撮り下ろしとか格好の良い事もできず、旧作を並べる事になりそうで、A4/3判になって1999年以降に使ったものは省いて再掲を含めて選考中です。
 ところでカレンダーの表紙を見ていて思ったのですが、うちのホームページのアドレス、いつまでhttp://やねん、別にSEO対策が必要なサイトでもないのですが、セキュリティ上もSSL化はいずれやらないとね、するなら2022年カレンダーの表紙はhttps//canpal .info と行きたい処なんですが、うちのブログには色々と問題が山積しているのです。2017年1月にMovableTypeから現在のWordpressに移行したのですが、横着して子テーマを作らずにテーマに手を入れたりしていた事とか更新もままならず、気が付いたら色々な箇所で不具合がでていて、記事こそ書けるものウィジェットやプラグインをさわれない状況が続いているのです。Movable Typeの前にはNTTデータが投げ出した悪名高きDoblogを使ってたたので、移行時のリンク切れを引きずっている始末、SSL化するにはその前にやらないといけない事が… はてさて。



新しいフロントバッグをレビュー ②

 8月27日、待望のフロントバッグがようやく形になりました、フルオーダーだけに始めて自転車工房「Delft」さんに伺ってから4ヶ月半も掛かってしまいましたが、ああだこうだとやり取りしながら作って貰っただけに感慨一入です。なお既製のデザインでしたら混み具合にも依るでしょうが、2週間程度で製作して貰えますので、念のため。
 バッグそのものは従来の帆布製バッグとは異なり、天-前-底部と右-後-左部各々をコの字形にしたものを90度ひねって入れ子に組み合わせた形になっています。
 正面から見ると、ネームと差し込み錠前が大振りなので、バッグそのものが小さく見えますが、決して小さくはありません。ネームは私がデザインして古くからの自転車仲間の輪童さんにお願いし、皮にレーザーで焼きこんで貰いました。皮を焦がしてるだけですので濡らしたりとか対候性は未知数ですが。
 前面ポケットはレインカバーや肩掛けベルト、ワイヤー錠程度は入る大きさを考慮、今回左右のポケットはあえて付けませんでしたが、嵩張らない厚みのポケットならあっても良かったかも、輪行の時なんかに便利ですよね。

 蓋部分には取り外し可能なマップケースを、マップケースのビニール部分は最も劣化や破損しやすい部分ですから本体に縫い込んでしまうと補修が大変ですから、封筒状のマップケースを4つのスナップボタンで蓋部分に止める様にしています。最近は紙の地図を使う事も少なくなりましたが、自分の折り方に合わせたサイズで片側から出し入れできる様に作って貰いました、ほぼA4三ッ折サイズです。地形図に関してはミウラ折りとかされる方もいるのかな、

 あとマップケースの下、蓋部分に8吋タブレットをセットできる様にしています。写真は8吋サイズのLenovo TAB3ですが、既製のブック型ケースの扉部分を後ろ側から差し込める様にしていますが、タブレットのサイズも様々ですから、この辺り現物合わせするしかありませんね。

 内側ですが、帆布製フロントバッグに良く見られる左右からのフラップに加えて、さらに内側にキャラダイスのサドルバッグの様な巾着を併用しています。私の場合フロントバッグは貴重品にカメラやらスマホやらバッテリーとか付属品やらと細々としてものが多くて、飛び出し防止と防水に。巾着は不要なら内側に折り込んでおけます。
 一番頭を悩ませたのが天蓋部分の固定方法です。後ろ開き、2種類のマウント方法、高さを低くしたデザインが固定方法を難しくしてしまいました、リクセン互換のフレームが抜けない工夫も必要ですし。量産品ならファスナーと云う手もなくはないのですが「Delft」さんも色々工夫して下さった結果、本体後側の両端端部分からベルトを出して天蓋側でスナップ止めすると云う形に落ちつきました。この辺りに関しては実際に使いながら今後も工夫する必要があるかも知れません。

 自転車のフロントバッグ、クロスバイクやミニベロのハンドルにぶら下げる程度の小型のものならともかく、ランドナーを始めとしたフロントキャリアが付いたツーリング車の場合、ハンドルとキャリアの高さ、ステム長による差、キャリアの形状、様々なバッグサポーターの取り付け方法により、バッグに求められる寸法に同じものはないと云っても過言ではありません。本来自分の身体やポジションに合わせた自転車ですから、バッグも多様な寸法になる訳で、その条件で無駄のない収納力と使い勝手を実現させたいものです。今回フルオーダーと云う事で自分でプロトタイプを作ってみたものの、作る側の立場からは縫製上の可否、強度、そして布でできた箱故にひねりや突っ張りと云った変形を考えるとなかなか一筋縄で行くものではないとつくづく感じました。既製のフロントバッグがややもすると画一的に思えるのですが、それはそれで一つの完成形なのでしょうね。
 既に取り付けて走ってみて、満足できる点や既に不満な点も見えてきましたが、ほぼ85点位の出来かなと思っています。長い時間色々と我儘に付き合って下さり製作して頂いた「Delft」さんに感謝です。

 



新しいフロントバッグをレビュー ①

 新しくオーダーしたフロントバッグ、8月下旬には一応完成してはいたのですが、asuka号への取り付けは私自身で細工するつもりでいたのと、少々修正をお願いしていた部分があったのですが、肝心のasuka号が事故で「ナニワ銀輪堂」さんにドッグ入りしてしまった事もあって、レビューがすっかり遅くなってしまいました。
 今回お世話になった自転車工房「Delft」さんへ初めてお伺いしたのは4月11日の事。以前から西大寺にマスプロランドナーを積極的に扱うお店があるとは耳にはしていたのですが、何でもオリジナルのフロントバッグを作られているとの事。asuka号で使っているTOPEAK Tour Guide HandleBar Bag DXは2代目がもうボロボロに、デモン太と延陽伯号で使っているモンベルのツーリングフロントバッグも2代目でマップケースが破れてしまい剥がしてしまった状態、そろそろ買い替えを検討していた処だったのです。
 店内にはフロントバッグの他、サドルバッグやサイドバッグも並んでいて、既成のデザインですと結構リーズナブルなお値段で手に入れる事ができます。製作は店主の息子さんが此処で作られているとの事で、オリジナルのデザインにもある程度応じて貰えるとの事です。
 従来からのクラシックな帆布製バッグもそれなりの魅力はあるのですが、使い勝手を考えると今一つ納得できない点もあって躊躇していたのです。オリジナルのデザインに応じて貰えるとの事ですので、自分なりのノウハウを盛り込んだフロントバッグを早速考えてみる事にしました。
 要求仕様は後開きで、ポケットは前面と蓋部分の裏側に。asuka号とデモン太で兼用できる様に異なる2種類のマウント方法に対応させる事、容量は大きいに越した事はないのですが、モンベルで入手できるリクセンカール互換のフレームを使いますから、幅に関してはモンベルのツーリングフロントバッグ(リンク先は現行モデル)と同程度となります。先のフレームに沿う様にバッグの後側をカーブした形状にし、セフティレバーやギドネット(asuka 号の場合は今どきのサブブレーキですが)を使って上ハンを持つ場合にもゆとりを持たせ、バッグそのものを無駄に前に出す必要をなくします。素材はパラフィン加工した6号帆布、カラーはキャラダイスのサドルバッグや一昨年に作ったサイドバッグに合わせたグリーンと云うかオリーブ色に黒の縁取りとします。
 早速プラダンとガムテープでプロトタイプを作って「Delft」さんに持ち込みました。
 (写真左) 「Delft」さんも後ろ側がカーブしたデザインは今回が始めてと云う事で早速作られた試作品。(写真右) 私が作ったプロトタイプの最終形。可能な範囲で背を低くし前へ伸ばしたデザインに、既成品で容量の大きいものはどうしても背が高くなっているのですが、うちのasuka号の様に700Cでフレームサイズが小さいと、ハンドルより上に飛び出して私的には不細工に思えるのですよね。なおヘッドランプをマッドガードに取り付けるつもりはありませんので、奥行きが大きくなっても前に出す事は可能です。

 2種類のマウント方法ですが、従来asuka 号には自転車仲間のMさんが作ってくれたサポーターを長年愛用していたのですが、補強部分の溶接が外れたりとかなり痛んできたのでこの機会に入れ替える事に、この手のサポーターは日東の蔵王を始め結構良いお値段がします。それにフロントバッグの高さを抑えた上に後開きと云う事で、ヘッドパーツ部分に固定するベロオレンジ製のサポーターを使用する事にしました。ただこのサポーターもなかなか曲者でして、ヘッド部に固定するだけにステム長が90mm以上だと使いものになりません。加えてasuka 号はフォーク抜き輪行仕様のため、スパナでヘッドをしっかり締める事ができず、舌も付いていませんので緩んで首を振ってしまう可能性があります。ただ最終的にEB金具でバッグ底面を固定するつもりですので回避はできると思っているのですが。あとフロントキャリアのワイヤーガード部分と干渉するので高さを詰めています、結果的にはサブブレーキのアウターの取り回しに無理がなくなったのですが、写真右を良く見て頂くと判ると思います。
 この手のサポーターの多くがそうである様に、ベロオレンジ製のサポーターのバッグ側のマウントは横長で、背面がカーブしたこのバッグにはそのままでは使えませんので別途自作する事にし、革製の背の部分にナッターを埋め込んであり固定します。支点部分が狭くなりバッグを支える強度的には不利ですが、キャリア上に載るものですし、最終的にバッグ底部をEB金具で固定する予定です。ただ皮部分にもう少し幅を持たせた方が格好は良かったかも。また加工が可能ならマウントをカーブに合わせて曲げる手もあるかと。

 デモン太の方はおよそ似つかわしくない今風のリクセンカールのマウントを使用しているのですが、これはデモンタ輪行時に邪魔になるサドルバッグをフロント側に付け替えると云うアイデアを実現させるための工夫ですので致し方ありません。こちらもまたマウント位置を下げるためにオプションのアダプターKF803を使用しています、但しKF803は従来のものとは幅が違うので加工が必要です。
 なおリクセン互換のフレームを使う場合は先のマウントを外して、フレーム両端をバッグ左右のループ部分に差し込みます。こちらの場合は首を振る事もありませんし、上へ飛び出す心配もありません。
 さてこう云った仕様が煮詰まるまで桜井から西大寺の「Delft」さんまで片道30キロ近くを何往復した事やら、まあ旧街道やら川べりの自転車道を継いで行きますので、なかなか快適なサイクリングルートでもあった訳ですが。(つづく)



事故の顛末

 さる8月31日、曽爾高原へのサイクリングの帰り道、R369で帰途に就いていた時の事なのですが…
 気が付いたら救急車の中、曽爾村山粕の集落を出て栂坂トンネルへ向かって走っていた処から後の記憶がありません、自転車の後ろの方に衝撃があった記憶がかすかにあるのですが、右からなのか左からのなのか、自分で転倒したのか車と接触したのかも判らないのです。救急車の中で救急隊員と会話をしている辺りから記憶が戻ってきます、痛みはあまり感じず、桜井の済生会中和病院へ行きますからと云われた事や、今日は何月何日なのかと云う質問に答えられなかったりと、徐々に今どの辺りを走っているのかなぁと記憶は鮮明になってきます。最初に住所氏名や勤務先を聞かれて答えていた様で、ただ携帯の番号は2ヶ月程前に変更した前の番号を云っているのが。
 とにかく済生会中和病院に救急搬送され、コロナの検査で暫く待たされましたが、CTとレントゲンの撮影と、擦過傷部の手当てを受け、取り敢えず格段の心配はないから、今日は一旦帰って良いから、明日、整形外科と脳外科を受診する様にとの事で病院から10分位歩いて帰宅しました。
 翌1日朝、整形外科と脳外科を受診、脳に異常や骨折はないとの所見で「右肋軟骨損傷」「頭部外傷、右前額部挫創」との診断を受けて帰宅。宇陀署に連絡を入れて後続車と接触した事とasuka号は宇陀署で保管されている事を知ります。とにかくたんこぶができているのと咳をすると胸が少し痛い程度なので、1日夜は通常通り出勤。一人住まいですからね病院にいる方が余程安心なんです。
 くたびれてぐっすり仮眠していたら深夜 0314 STで叩き起こされる事になるのですが、なにやら右目のまわりが腫れぼったいので鏡を見ると青く晴れ上がっています。朝出勤してきた院長(整形外科医)に診て貰ったら、血が下りてきているみたいやね、あまり心配はいらんやろとの事。とりあえず帰宅の足で済生会中和病院眼科を受診、精密検査の結果網膜はく離等の所見はないけど、1週間程は視野の欠損や酷い飛蚊症状がでないか経過観察との事。目の周りの腫れはひくのを待つしかないねとの事。
 宇陀署の交通課の婦警さんから電話があって自転車を自宅まで持って行きますよとの事、エラい神対応やなぁ誰か事故と知った知り合いが気を使ってくれたのかなと思っていたら、宇陀署では証拠品保管ができないのと、相手車両のドライブレコーダーのメモリーカードが読めないので桜井へ下りるついでがあるとの事。
 asuka号は手元に戻ってきましたが、見た限りでは後ろのリムとマッドガードの変形程度、あとベルクロ止めのヘッドランプが無くなってますがGPSとメーターはちゃんと付いていました。おニューのフロントバッグが無傷だったのは幸いです。まぁハンドルとサドルはあさっての方を向いてますががね。
 asuka号を持ってきた貰った時に現場写真と見せて貰いましたが、道路センターライン付近に転倒していたらしく、相手車両の右前部に接触痕があるそうです。相手車両(マークXだとか)の運転手の談に拠ると、自転車が路側帯付近を走行しているを視認、先行車が過ぎた後に右折しようとしたのか道路中央に入ってきて接触してきたとの事です。ただ栂坂トンネルに向かって登っていたので、この時間から旧道に入るつもりもなく右折する必然性がないのですがネェ。ただこちらの記憶がないのと、相手のドライブレコーダーのメモリーカードが桜井署でも読めなかった様で、車や道路のキズ、転倒していた位置から現時点では右折時に接触との判断の様です。こちらの事情聴取がまだなので、まだなんとも云えませんが… (画像はGoogleMapから)
 asuka号の修理見積等は「ナニワ銀輪堂」さんのお世話になるしかないのですが、作業が立て込んでいたり、Nさんが手を怪我されていたりと、asuka号の復帰には時間がかかりそうです。「モバイルグランフォンド in 奈良・吉野」のスタンプラリーは残り9ヶ所、全24ヶ所をマッドガード付きで走ろうと思っていたのですがねぇ、残るは吉野郡の山間部ばかり、非力なデモンタと延陽伯号では大台ヶ原はネェ… スタンプラリーそのものは来年2月末まで行われているのですが、奈良県道40号大台ケ原公園川上線は例年11月下旬から4月下旬まで閉鎖されるのですよね。それにせっかく80kgをきった体重がまた戻りそう…



今日は曽爾高原へ向かいます

 
「都祁山之道」を行く 奈良市都祁甲岡町にて

 4月29日から開催されている「モバイルグランフォンド in 奈良・吉野」のスタンプラリーですが、24ヶ所のチェックポイント中14ヶ所は先月までに巡り残りは10ヶ所、ただ吉野山を除けば「遠回り通勤らいど」で回れる様な場所ではなく吉野郡の9ヶ所と宇陀郡の1ヶ所、加えて今月は天候不順と休みの巡り合わせが悪くて回れず仕舞いだったのですが、今日は天気にも恵まれおニューのフロントバッグをセットして宇陀郡曽爾村の曽爾高原へ向かう事にしました。
 曽爾村への最短ルートはR165西峠で榛原へ、R369で大内峠、栂坂峠と云ういわゆる伊勢本街道なのですが、だらだらとした登りが延々と続き、交通量も多いのであまり好きなルートではありません。最近では2014年10月と2015年9月に向かっているのですが、いずれも一旦大和高原に取り付いて名張市赤目へ下り椿井峠を越えると云うなんとも遠回りなコースなんです。 
 結局今回もそのコースで向かう事に。初瀬ダムから旧都祁村へ、県道781号都祁名張線へ入ります。都祁名張線は「都祁山之道」と呼ばれ、東大寺二月堂の「お水取り」の松明を、赤目から奉納する道としても知られる歴史のある道です。途中南之庄の「三陵墓古墳群史跡公園」(写真)で小休止。2017年1月25日の写真
 旧室生村域に入り、多田で今月5日にも立ち寄った「満寿寺薬師堂」へ寄り道して行きます、5日にはまだ蕾もなかった百日紅が咲いてくれていました。2016年8月19日の写真
 染田、小原と山間の集落を縫って東へ、上笠間の集落を見下ろす辺り。2015年6月24日 上笠間にて

 県道781号は三重との県境になる笠間峠を越えて赤目へ下りますが、今では深野経由の道が整備されている為にこの県道はかなり荒れてきています。なお古道の笠間峠は500m程南の集落内になります。

 下るにつれ多少マシになるとは云え、ご覧の様にかなり荒れています。
 殆ど林の中を下ってゆきますので視界はありませんが、半分以上下った頃に1ヶ所だけ東側に展望の開ける場所が、眼下には伊賀盆地の南端になる赤目の集落が、背後は青山高原から布引山地になります。
 県道とは云え集落の中の狭い道を縫って国道165号線坂ノ下交差点へ、正に坂の下の交差点です。近鉄赤目口駅へ立ち寄り小休止、あの赤目四十八滝の最寄り駅ですが、観光客の姿もなく閑散としています。

 三重県名張市になる赤目から曽爾村へは県道784号赤目掛線が通じていて、椿井峠(747m)を越えるのですが、手前に鬼や坂(570m)と云う峠があって(写真左)、赤目側からだと鬼や坂までに方が厳しいです、ただずっと林間ですので多少は快適です。鬼や坂を越えて少し下れば「出合茶屋」があって赤目四十八滝の上流側の入り口になります。営業はしていませんし自動販売機などもありません、テーブルとかはきれいですので「コロナ禍」の今はともかく行楽期の休日は営業していたのでしょうかね、昔は三重交通の路線バスもあったのですが。なお携帯はdocomoすら圏外です。
 県道は再び奈良県へ、10キロ程の三重県への越境でした。県境付近から椿井峠への登りが始まります。「椿井峠への道」2015年9月29日撮影

 1324 椿井峠に到着、桜井をスタートしたの7時前、あちこち寄り道したとは云え結構時間を食ってしまいました。
 椿井峠の向こう側は結構な激坂で、約4キロで280m程下ります。下るにつれ左側に兜岳が見えてきます。




 青蓮川沿いの県道81号名張曽爾線まで下ると、稲刈りを始めている処が、南紀古座川あたりではお盆明けには始まるのですが、幾らなんでも早いですよね。


 県道81号を名張方面に少し下りますと今度は鎧岳が正面に見えてきて、太良路まで下ります。ここから曽爾高原へ取り付く道は2つ程ありますが、北側の橋を渡り北側へ回り込む道の方が木陰もあって斜度も多少楽です。  スタンプラリーのチェックポイントは「曽爾高原ファームガーデン直売所」にあり、曽爾高原へは更に標高で200mばかり登らなくてはなりません、2014年は御杖村側に越えて帰途に就いたのですが、既に15時前と時間も押してきたので、曽爾高原は見上げただけで、ここから引き返す事にします。2014年10月24日 曽爾高原での写真
 再び県道81号へ下ります、宇陀郡の曽爾村道路元標は曽爾村役場敷地内にありますので、健在である事の確認に。掛の交差点まで南下し」国道369号に入ります。桜井まで30キロ程の道のり、途中栂坂バイパスの3本のトンネルを抜ければ2時間程で暗くなるまでには帰る事ができます。栂坂(1,827m)、石楠花(430m)、弁財天(旧開路)(922.9m)、3本合わせると3キロを超えますが、旧道の栂坂峠と大内峠を越えているとさすがに陽が暮れそうです。前灯2基、尾灯2基の装備はありますが。
 伊勢本街道はほぼ国道369号に沿っていますが、栂坂バイパス部分では約1~2キロ程北寄の室生黒岩を経由するルートをとっています。現在の曽爾村山粕は昭和29年まで室生村だったのです、その経緯から室生村道路元標は山粕郵便局前に保存されています。山粕への入り口で自販機休憩の後、バイパスの北側に旧道と旧々道が錯綜していて、その郵便局の先に出てしまいました、後から考えれば引き返せば良かったのですが、トンネルに向かって先を急ぐ事に。ただアクシデントで記憶はそこまでなんです… (つづく)