道路元標蒐集の旅(南紀編)

いつも和歌山県下の道路元標の情報を頂いている方から、湯浅町道路元標が現存しているとの知らせを頂いたので早速行ってきました。 実はこの場所には2004年に訪れて写真も撮っているのですが、当時は’道路元標’など眼中にもなかったので全く気にも留めていませんでした。
 道路元標は湯浅の古い町並みの中、熊野古道沿いに建つ江戸時代の道標の傍におまけの様に建っていて、’湯浅町道’以下が埋まっている様に見えますが、破損状況と道標の方の高さからすると埋まっている部分は完全でないのかも知れません。


次の列車までの間に湯浅の町を散策してから田辺へ向かいますが、今日の南紀は最高気温が20度を越えていたとか、暑いくらいの陽気でした。



← 紀勢本線岩代駅前後の車中から


中辺路の辻に建つ道標、熊野古道ブームのお陰か、田辺市街でも色々と案内が整備されていますが、いたって地味な大正の道路元標が取り上げられる事は少ないです。


田辺市栄町32番地、告示の地名地番は今も変わっていませんが、田辺町道路元標は見当たりません。


湊村道路元標が建てられたのは田辺市湊1064番地先、ここはローゾンの駐車場になってます。 参考に田辺市の民族資料館を見学してから、バスで白浜駅まで移動し西富田村道路元標を探索しますが不発。 東牟婁郡の下里村道路元標をGETしてから帰途に就きました。 予定の2基は回りましたが新たな道路元標の発見には至りませんでした。


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