古いネガから(1971年1月30日)

この頃、信楽線(現在の信楽高原鉄道)の1日1往復のSLを撮りに足繁く通っていたものです。 その行きすがら京都駅で撮ったスナップ。 現在の31番ホームでしょうか、朝の通勤時間帯に次々と山陰線の列車が到着し機関車を付け替えて引き上げて行きます。


DD54は当時、山陰線や福知山線等に投入されていた、ドイツのメーカーのエンジンと液体変速機をライセンス生産し積んだ新鋭機、40両が生産されたが、脱線転覆事故や保守コストの高さから悲運にも僅か10年余りで姿を消した。


山陰線ホームから東海道線上りホームを見ていたのでしょうか、良し悪しはともかくとしてのどかですね、当時莫大な赤字を抱えていた国鉄、でも100人を超す死者を出す事故は起こしていませんでした。


出雲市行きのサボをさげた寝台車スハネ30をはさんだ夜行列車、ブルトレ格上げ前の急行「出雲」でしょうか。


草津駅構内を通過するEH10の牽く貨物列車、草津駅って今も印象は変わっていませんね。


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「古いネガから(1971年1月30日)」への2件のフィードバック

  1. いつもどうも。
     懐かしい写真ありがとうございます。(今この角度にはビックカメラがあります。
    )中学から北山へ行ってますが高校の頃までの山陰線は往復の最低どっちかはSLでした。
    夏は人のいない席の窓から煙が入って来て、急いで閉めたのを思い出します。
    この話を家ですると「なんで窓開いてんの?」と返事が来ました。
    扇風機が唯一の冷房機器の時代を家の者は知りません。
     理由の説明はできませんが赤字があっても、便所は不潔でも「国鉄」の時代が好きです。
    どこへ行くにも安い汽車(電車)があったし。
    特に思い出すのは、夜行では奥美濃へ行くときの夜行の新潟行、北アルプスへ行くときの木曾です。

  2. GTさん毎度!! 37年目の1/30に公開しようと準備していたものを、うっかり覗かれてコメントされてしまいました、このままにしておきます(^_^;) 当時は1番と2番ホームが山陰線でしたが、今ではホームが増設され30から34番ホームになって駅ビルができてしまったので、昔の面影はもう... 3月のダイヤ改正で「銀河」が無くなってしまうとか、夜行の「アルプス」のスジは今の「きたぐに」ですが、残るのかなぁ... 「ちくま」も既に無くなったし、信州へ輪行するのが不便になります。

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