「自転車」カテゴリーアーカイブ

御斎峠なのか御斉峠なのか

 先日の「NLC4’season 春のサイク」の帰りに一年ぶりに越えた「おとぎ峠」、滋賀三重県境として上野盆地の展望が素晴らしい標高570mの峠、古来伊賀と甲賀と分かつ峠として司馬遼太郎の小説「梟の城」の舞台となったり、本能寺の変の折に徳川家康の遁走ルート「伊賀越」として伝わる、歴史的にも由緒のある峠です。私が始めて越えた頃は滋賀県甲賀郡信楽町と三重県上野市の境界でしたが、現在はそれぞれ甲賀市と伊賀市となっています。写真は現在の車道峠より少し上野側に下った処にある「御齋峠跡」の石碑。
 その「おとぎ峠」を行くと峠名を記したものが2つ、切り通しになっている車道峠の案内板「御斉峠」と記され由緒が書かれている、もう一つは少し上野側に下った処にある三重県知事の書になる「御齋峠跡」の石碑、さてこの違いは。まず大前提として「斉(セイ)」と「齋(サイ)」はルーツの異なる別の字でして、なかんずく「齊」は「斉」の旧字体、「齋」は「斎」の旧字体となります。「斉」は整えるとか、揃える、並べると云った意味を持ち、中国周時代の国「斉」との意味があります。対して「斎」は「ものいみ」「神仏を祭るときなどに飲食や行為を謹んで、身の汚れを去る事」と云った他、同様の意味に多く用いられます、「斎王」「斎宮」「斎場」と云った風に。いわゆるさい藤さんの「さい」は概ね「斎」または旧字体の「齋」であり、「斉」を用いるのは意味の違いを無視して誤用して略したものと考えるべきでしょう、なかには私は「斉藤」だと主張する人もいる様ですが、斎藤氏のルーツを考えると「斉藤」はなく、登記時の誤字であってもひとたび登記されてしまえば、それを正しいとする原則が準用されているものだと思われます。
 さて話しを戻して「おとぎ峠」に当てはめる字はどちらかと云う事になりますが、案内板にあります鎌倉時代の夢窓国師の逸話からすると「斎」を当てはめるべきかと思いますが、辞書によっては「斉」にも「斎」の字と同様に「ものいみ」の意味を含む熟語「斉衰」「斉宿」等などを例としてあげているものがあります、どうやら「斎」と「斉」の誤用は「さいとう」さんだけではなく、結構根の深いものがあるのかも知れません。ただ家康の「伊賀越」関連でこの峠を「音聞(おとき)峠」としているものがあり、夢窓国師どころか後年になって音を当てはめた可能性もあります、しかし「斉」を「とき」或いは「とぎ」とするには問題が残ります。言葉や文字の意味成り立ちに無知ゆえ無頓着ゆえの誤用濫用、なにか自転車の事を「チャリ」と云う人に通ずる処がありますね。
 私としては「御斎峠」または旧字体を用いた「御齋峠」に軍配を上げる事にしますが、この事を調べて行くとんでもない事に気付かされます。
 そうなんです、それぞれの旧字体には「Y」のものと「了」のものがあって、どうもadobe-japanでは両方が採用されている様なのです。この辺りJISの考え方とadobeのスタンスの違いが成せる事なのでしょうが。さて似ていて非なる「Y」と「了」、象形文字まで遡るとこの部分は「齋」と「齊」では異なっているのです、その辺りを調べて行くと「誤用」なのか「混在」なのか判らなくなってしまい、それ以上突き詰める事は諦めました。

 余談ですが御斎峠の北にはかつて多羅尾代官所の仕置場(処刑場)があり、また月ヶ瀬村女子中学生殺人事件の死体遺棄現場だったりと、何かと曰くの多い峠でもあります。

NLC4’season 春のサイクリング+

京都府道5号木津信楽線を行く

 今日はNLC4’seasonの春のサイクリングに写真係として同行する事になりました、テーマはお揃いのニュージャージ、派手さを抑えたセンスの良いライトグレーが素敵です。ただサイクの目的地は三重県阿山(現伊賀市)の「もくもくファーム」なのですが、残念ながら夕刻には帰って来なければならないので、信楽の手前までご一緒して帰途に就く予定で、念のために輪行袋も持って行く事にします。
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Erbaロード

 asuka号の復帰には暫く時間が掛かりそうなので、「延陽伯」号とブレーキレバーの入れ替えをしてほったらかしになっていたEraba号を使える様に。

 koga-miyataのコンポを載せ変えたerbaですが、かってオールデュラだったマシンも何と今ではDURA-ACE、ULTRGRA、TIAGRAが混載になってしまっています、いまさらロードにお金を注ぎ込む余裕も気持ちありませんので。しかし相変わらず変速系の調子が思わしくありません。
 ダブルレバーは先々代からのDURA-ACE、と云うか9速用のダブルレバーは上位グレードでは昔からDURA-ACEしか存在しませんが、何かこれが怪しいのです、フリクション側で不具合のある個体があると云う話もあるのですが、SIS側で不調なんです。なお現在でも入手可能なんですが、こんなものでもDURA-ACEだけに良いお値段がするのですよね。

 バーテープは手持ちのBBBの白いものを巻きましたが、何か汚れがつきやすそうな感じで、思った以上に肉厚です。元来お尻は強いのですが、掌は弱いんで布テープにシュラックニス仕上げなんてとても耐えられませんのでコルクテープを愛用していたのですが、クロモリロードにこれはちょっとごついかな。
 心配なasuka号の方ですが、「ナニワ銀輪堂」からエクタープロトンの橋口さんのもとへ、フレームには問題はなさそうと云う事でとりあえず一安心です。

事故の顛末「ナニ銀」さんへ

 まだまだ右肘の具合は決して良くはないのですが、asuka号を輪行状態で大阪の「ナニワ銀輪堂」さんへ持って行く事に。単にフレーム修理するだけなら、T御大のつてのあるエクタープロトンの橋口さんところへ直接お願いすれば良いのですが、今回は保険会社にいわゆる自転車屋さんとしての修理見積もりを出さなければならない訳です。奈良県下でこの手の自転車を扱える処は知らない、保険会社の方でつてがあるならそれでも良いよ、但しこちらの眼鏡に適う処ねと申し入れた上で、結果的に「ナニ銀」さんのお世話になる事に。
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猪より怖い

 え~山よりデカい猪は出んとか申しますが、猪より怖いおばさんのお話を…
 2月28日の「西吉野サイク」のお話しの続きなんですが、とっぷりと日の暮れた壷阪峠を猪との再会に怯え「いかのおすし一人前」を口づさみながら越え、無事に桜井まで帰ってきたのですが、桜井イオンに買い物があったので少し寄り道をする事に、実は5%割引の日なもんで。
 大福から北上し東新堂で県道14号桜井田原本王寺線を東に跨ぎます。この県道、奈良盆地の南部を斜めに真っ直ぐに貫いているのですが、実は戦時中に休線となり戦後復活する事なく廃止となった大和鉄道の廃線跡なんです。現在の近鉄田原本線はこの大和鉄道の西半分と云う事になります、閑話休題。
 さて夕刻のこの時間帯のこの県道、それなりの交通量がありますので、信号のない横断歩道、暫し車が途切れるまで待たされる事になります。その上西側から来ると県道へ些かスロープになっていて一度停まると自転車はそのまま発進できないので、否が応でも降りて待たなければならないのです。そこへ反対側(東側)から1台の車が右折(車側から見て)のウィンカーを出していますので、県道へ出ようとしている様です。県道の通行する車が途切れた時点で。その車が先に出てくるかも知れないので一息置きますが、その気配はありません、どうやらこちらを先に渡らせてくれる様な案配です。明るい日中なら運転手の顔を見るとかアイコンタクトがある訳ですが、夜ではそうは行きません。ただこちらは180ルーメンのジェントス NEX-903Dを2灯を点灯と点滅の状態、こちらの存在は否応でも判っているはず、asuka号を推したまま横断歩道を歩き出しました。
 県道を半分渡りきった位の処、件の車が突然動き出して右折しながらまともに突っ込んできたのです、右手で推していたasuka号は押し倒されたものの、幸いは私自身は倒される事はなかったのですが。
 車から降りてきたのは40、50代と思しき女性、助手席には旦那さんが乗っておられた様です、すみやかに警察に通報、こちらが。桜井署まで1キロとない場所なのですが、寒い中結構待たされます、ようやく2台の警察車両が「いかのおすし一人前」は鳴らさずに到着、当然か。
 まぁ、この後は警察の手順通りなのですが、落ち着いてくると右肘に違和感が、警察官の差し出すペンで書き物がまともに出来ません、救急の必要性もなさそうなので翌日病院で診察を受ける事に、asuka号はもちろんですが、写真の様にフロントバッグを下に向けて押し倒されているので中に入っているG2も心配、その旨とGPSが取り付けられている事も警察官に申告しておきます。
 翌朝、あんまり馴染みになりたくもないのですが、馴染みのO診療所へ、顔馴染みの看護士に「あら、久しぶり、どないしたん」頚椎症で苦しんだ頃に随分お世話になりましたからねぇ、「どないしたもこないしたもあらへん、かくがくしかじか」。しかしここの先生話は良く聴いて説明してくれるのですが、その分人気もあるかして待ち時間が長い、案の定3時間超え。当初、亜脱臼かなんかしたかなと思ったのですが、幸い「右肘関節打撲 一週間の安静加療」と云う結果で一安心と云うか。
 午後からは警察署へ、こちらはそんなに時間は掛からないものの、多少形式的な面もあるとは思うのですが、供述調書にこちらに落ち度や反省点がないかとの事、こちらに落ち度があるなら、おちおち横断歩道も渡れない、夜は道を歩けない。ここはきっぱりと落ち度や反省点はないと主張しました。後は調書にロードバイクと書かれていたので、気に入らないと進言。
 しかし保険会社とのやりとりとか一日潰されてしまいました、加害者側なら当然の事ですが、突然襲っていた災難、天災ならともかく。しかし突然突っ込んできた車には驚きました、画面一杯にジョーズが飛び出してきた様な。幸い猪ならぬおばさんの突進にasuka号が身代わりになってくれた訳ですが、手ぶらで歩行中ならまともに轢かれていたのかも。事故現場から自宅まで後輪がまともに回らないasuka号、寒い夜道を20分余り引きずって帰ったのですが、だんだん腹が立ってきましたね。
 桜井にやってきて20年になりますが、警察のご厄介になった事故はこれで3回目、いずれもasuka号で相手は女性、2006年12月は渋滞中の横断歩道上で右横から、この時は無謀運転の対向車が事故の引き金になった気もしないのですが、asuka号の修理代で保険会社と揉める事、ちょっと嫌がらせまがいの対応を受けました。昨年8月は三叉路を左折してきた原付に真正面から、免許取立ての若い娘で泣くはわめくは、100%被害者でも事故にあってロクな事はありません。
 asuka号の修理も大変です、カーボンロードならハイ廃車、どこどこのなになに何年モデル、ホイールはこいつだから、ウン10万円払ってねなんでしょうが、ヴィンテージとも云えない車歴の古い自転車、保険会社がぐずぐず云うのですよね。通常の補修なら自分で部品を揃えて自分で治すのですが。保険請求の手順からして、自転車屋さんに見積もりを頂いて、相談しながら直して行くと云う事になります。最終的にはエクタープロトンの橋口さんでフレームの点検をして貰い、デカールを持っているウエムラさんで再塗装と云う事になるので、T御大に根回しをお願いした処です。

2017年2月の実績



 「踏んだり蹴ったり」な話しで3年ぶりの月間走行500キロ割れになる処だったのですが、最終日に困った話しで117.3キロ走行、都合2月の走行距離は524.0キロ、でも500キロ割れが3年ぶりの500キロ台になっただけなのですが。体重の方は天井を打ったになれば良いのですが。