「鉄」カテゴリーアーカイブ

40年前のネガから (1969/8/7)

最近、SORAさんもブログに書いていますが、フィルムのスキャンは手間のかかる作業で、エエ加減そろそろ嫌気がさしてきました。 第一デジカメでは全く必要のない工程ですもんね。 ネガの劣化とか埃とか触りだすと全く持って捗りませんので、どんどんやって、必要があれば後からやり直す位のつもりで。
この時は久大本線の夜明駅付近で撮影してから、日田彦山線で筑豊へ出ている様です。
きっと夜明駅前後、D60

キハ17系と混成のキハ55系の一次型、国鉄型DCファンならきっと判る光景ですね。

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40年前のネガから (1969/8/6)

この時の九州行、さすがに夜行ばかりと云う訳にも行かず、ユースホステルも利用していました、しかし何処に泊まったとか、全くと云って記憶がなかったのですが、こんなものが出てきました(^_^;) 日田とか霧島高原とかに泊まった様です。

ちなみにY.H.会員だったのは1979年度が最後で、写真はその年のものです、念のため。
C57 36 ネガ袋にある記録ではこの日は都城駅、志布志区、宮崎区となっていますが。 当時の所属区と運用線区から類推してみるのですが、いずれも撮影場所ははっきりとしません。

C56 92 5年後の1974年の鹿児島国体とその翌年の宮崎植樹祭でお召列車を牽引したC56です。
C58 427 C58のラストナンバー、4次型と云うのでしょうか、船底型テンダー、門鉄デフが正式採用されるはずだった幻のC63を彷彿とさせます。

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40年前のネガから (1969/8/5)

門司港発の肥薩線経由鹿児島行の夜行で熊本に向かいます。 熊本着は真夜中で、待合室で豊肥本線の始発を待ったのですが。 熊本に着いてから目が覚め慌てて下車していたので、方向感覚を失っていて、乗るべき列車を目の前で見送ってしまいました。 熊本駅ってのは駅の西側に山があるのですが、大阪からやってきた少年達は熊本は東側に山があるって感覚でいたのでしょうね、ホームの端から出て行く豊肥本線の列車を見送り、本州からの夜行が思わぬ方向からホームに入ってくるのを見て、始めて方角を間違っていた事に気がついたのでした。

丁度、電化が熊本まで進んでいた頃ですね。 写真のキハ55は大分行き、真夏に窓を置けているのは、冷房なんか付いていない時代だからです。

立野駅、雄大なスイッチバックは今も健在ですが、風景は…

高森線、現在の南阿蘇鉄道、C12の牽く混合列車です。

終点の高森駅。

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40年前のネガから (1969/8/4)

元ネガによると1969/8/4 行橋区となっているのですが、それにしてもコマ数が少なすぎます、もしかすると8/3分の直方駅周辺の光線状態から見て8/4かも、今となっては…
9600の門デフってなんか可笑しい、個人的な感想ですが。 同時代の8620なんて結構似合っているのに。
行橋区にはC11 9600 と九州には少ないC50 が配置されていました。

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40年前のネガから (1969/8/3)

筑豊本線のどこかの駅だと思いますが、SL撮影旅行でSLの牽く列車で移動するなんて、なんて贅沢な、あたりまえの時代だったのですが。
直方駅近辺ではないかと思うのですが、D60 33、D50ではなくD60なら関西でも紀勢線にいたのですが、集煙装置がついていました。
同じく直方駅では、当時の筑豊は網の目の様に国鉄線があったのですが、今ではその多くが廃線となってしましました。 昨年日田彦山線に乗りましたが、福岡県は道路元標の現存情報が皆無と云って良い位なので通過してばっかりです。

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40年前のネガから (1969/8/2)

ネガフィルムのホルダー以外には何の記録も残っていないのだが、この日は夜行で佐世保へ行き、松浦線、現在の松浦鉄道の佐々へ行っている、当時の松浦線には臼ノ浦線、柚木線、せ知原線と云った短い支線があって、元祖レールバスと云えるキハ02が活躍していで佐々区に配置されていた、それが目的だったのだが、この年には既になくなっていた。
佐々駅構内(だと思う)、当時の松浦線ではC11と8620が活躍していた。
早岐機関区、左にDD11、右に「あかつき」のヘッドマークを付けたDD51が見える。
右端に国鉄バスへののりかえ案内が写っていて、どうやら有田駅ではないかと、そう云えば昨年、早岐駅と有田駅は乗り換えで降り立ったが、雰囲気的にも有田駅に違いない様です。 この様に昔写した写真を頼りに訪れる旅も面白いかも。 
鳥栖機関区にて 39641
同じく 68649、九州には原型に近い美しい機関車が多かった。

左から D51 924 68649 39641
暢気な時代と云えば暢気だが、北九州には多くの機関区があって、中学生のグループでも簡単に写真撮影の為の見学が許して貰えた。 ただこの頃構内で突放入換中の貨車に轢かれて死亡する事故が発生し、見学が厳しくなったとか聞いた。

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「逃亡列車」

  森谷司郎監督の「首」以来の’日本映画’カテゴリです、「首」も房総周辺のC58が出てきましたが、どちらかと’鉄ちゃん’ネタですね(^_^;)
 昭和41年(1966年)12月公開の日活映画で、「鉄道ファン」誌で紹介されたので、中学生だった私ですがなんとロードショーで見ています。 今年は石原裕次郎23回忌とか、といっても全くの話題にもされない作品です。 で思い出した様に検索すると、ありましたありましたVHSで出ていたのですね、レンタルビデオ落ちをYahooで発見、競ることなく落とせました、少なくともオールド鉄道ファンには感涙ものの隠れた名作です。
 小海線沿線でC56を使ってロケされたのは一目瞭然なのですが、シールドビームに架線注意のSLをバックに石原祐次郎が機関銃を構えるパッケージにケチを付けたりとマニアックな野暮は云わずに、舞台となる駅のセットや、実際の走行シーンと見どころたっぷり、フィクション作品とは云え、高林なんとかの作品より、余程にリアリティのある映像が随所にみられます。 共演者には伊藤雄之助、若かりし十朱幸代、と云うより少年にはロボタンのパパの娘さんと云う方が(^_^)
物語の舞台は終戦を迎えた南満州ですが、ロケ地の小海線野辺山高原も、今ではかなり様変わりしてしまっていますよね。
C56 112 や159が登場しますが、ボロボロにウェザリングされたC56 112は廃車体ではなく、当時はまだ現役だったはずなんですよ。 このC56を祐次郎率いる大映の「兵隊やくざ」みたいな連中が、修理して「逃亡」する訳なんです。
これって大門沢の鉄橋? まさか鉄橋まではセットやないのと思うので、爆破シーンは実際の鉄橋に煙幕だとは思うのですが。
 貴重な35mmフィルム映像ですから、是非DVD化してほしいものです。

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40年前のネガから (1969/8/1)

 折につけて古いネガフィルムの整理をしたいのですが、デジカメに慣れたきった身にはフィルムスキャナを操作するなんて非常に邪魔くさい作業なんで、すぐに挫折してしまいます。

1969年の夏休みは九州周遊券を利用して友人たちと九州へ、宿泊はYHと九州内の夜行を利用、8月1日は一日かけて門司まで移動、当時は門司港発で大村線経由佐世保長崎行き、肥薩線経由鹿児島行、日豊本線経由鹿児島行きと3本の鈍行夜行があったので、門司港駅は拠点になっていました。
写真は門司駅でしょうか、門司港駅でしょうか、客車を牽くC11 299、日田彦山線の列車でしょうかね。
これは門司駅です、ナハネフ22が写っていますので、上りのブルートレインが関門トンネルをくぐるため、塩害対策のステンレス車体の交直両用機EF30に付け替えているところです、左はED76の様です。

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週刊 鉄道絶景の旅

Image58.jpg

Mさん絶対に買ってるで(^_^)

しかしこの手の本って、最終号の部数って創刊号の何分の一になるんだろう。

付録の「鉄道線路図」、最近ではJTB時刻表1000号にも同様のものが付いていたけど、これは一応業務用だけに裏面が面白い。 「旅客及び荷物運送規則抜萃」(昭和35年)の中の有料手回り品、「自転車振興会連合会の発行した選手登録証票を所持するものが携行する解体して帆布製の袋に収納した競輪用自転車」、その他扱える荷物の種類など当時の世相がかいま見られて面白い、手荷物も懐かしいなぁ通称「チッキ」、乗車券を提示すると小荷物よりずっと安く送ってくれる、北海道の国鉄バス中央長沼営業所から阪和線鳳駅まで一度だけ利用した事があります、確か一週間程はかかったと記憶しています。

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道路元標蒐集の旅 (信州篇 4日目)

少し青空も見えているのですが、午後からは確実に降られそうな予報です。 今日の予定は南佐久郡の畑八村道路元標を回ってから帰途に就く予定なので、そこまでは持って貰えればいいのですが。

1241601541.jpgR141を南下していると何やら奇妙なものが、最初はアドバルーンかなと思っていたら、ますます数が増えて熱気球だと、「佐久バルーンフェスティバル2009」と云うのが行われている様です。

1241601547.jpg離陸するのを近くで見るのも、なかなか見応えがあります。

 

 

1241601554.jpg

「陶都有田」と書かれた気球もあるので、九州から遠征してきているのですね。


 

1241601560.jpg

 畑八村道路元標をまわり終え、ヤマト運輸の営業所で必要のなくなった荷物を宅急便にして小海線八千穂駅から帰途に就く事に。

 

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小渕沢、塩尻、名古屋経由で帰途に就くのですが、中央本線が混みそうなの帰りはフロントキャリアとガードも外す事にしました。
八千穂駅は民間委託駅の様ですが、塩尻からの指定券が買えたので特急で買える事に、小海線ではハイブリット車のキハE200の2両編成がやってきたのですが行楽客で混雑していたものの、中央東線の松本行きはガラガラはともかく、塩尻から名古屋への特急「しなの」も空席がチラホラ、これもETC効果だったりして、いったいどれ位のCO2を余計に出したのでしょうかね。本日の走行27.5キロ、4日間で372.5キロでした。