今日は伊賀上野を経て大和街道を走り、亀山市内に残る未収の神辺村道路元標を尋ねるサイクリングに出かけてきました。 続きを読む 道路元標蒐集サイク
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道路元標蒐集サイク(知多半島編)
愛知県は知多半島に残る道路元標を巡るサイクリングに行ってきました。 関西人にはあまり縁のない知多半島、まわりにも行った人は皆無で情報もありません。 2008年12月に名鉄を利用して、東海岸は河和駅(美浜町)、西海岸は榎戸駅(常滑市)まで南下した事があるだけで、全く土地勘はありませんし、人家の密集した処の印象しかありませんので、半島を海岸に沿って走ると考えても、自転車で走ると云うイメージがあまり湧いてきません。 まあ目的は道路元標なんですから、構わないのですがネ。
18きっぷのシーズンでもありませんので、近鉄の株主優待乗車券を金券ショップで1,400円で往復の2枚買って名古屋に向かいます、まともに乗車券を買うより桜井からでも往復で2,000円以上安くなります、もちろん相変わらずの貧乏旅行ですから近鉄特急などには乗りません。
桜井を0603発の始発に乗車、名張で名古屋行き急行に、名古屋で名鉄に乗換、知立で三河線へ、終点の碧南駅を目指します。
碧南駅1007着、碧南市へ来たのは知多半島に入る前に碧海郡に残る2つの道路元標、棚尾村と大濱町を回る予定なのですが、棚尾小学校校門脇にあるはずの棚尾村道路元標が見当たりません、案内板らしきものも横に建っていた様子なんですが、近くの公園を覗いたり、高札場跡のある公民館を訪ねたりしたのですが、情報はありません。 今月はWi-Fiルーターのキャリアの切り替えを予定しているので、パケット使用量を抑えていてタブレットも持ってきていませんし、ネットで調べるのも。 それに台風接近とあって風が強いのです、これから80キロを海岸線を走る事を考えるとここで深追いもできませんので、諦めて次の大濱町道路元標へ、こちらは大浜小学校にちゃんと残っていました。
碧南市から知多半島側に渡るには車だと衣浦トンネルと云う有料の海底トンネルが最短ですが、自転車歩行者道があってそちらが無料で利用できます、実は以前にも通っています、海底までスロープを延々と押して行かなければなりませんが。
知多半島に入っても素直にR247には入らずに暫くは海岸寄りの工業地帯の中を走る道を南下します、途中で自転車が通れなくなったりもしましたが、反対車線には立派過ぎる歩道があったりして、とにかく武豊を過ぎるあたりまで信号の少ないルートを走る事ができました。
河和口を過ぎた辺りからR247も快適なシーサイドラインとなります、週末とあってすれ違うロードもちらほらと、ただ風がこの風向きだと師崎(もろざき)を回って西海岸に入るとモロに向かい風になると思うとシャレにもなりません。
三河湾に浮かぶ島々が。
13時過ぎに知多半島南端の師崎へやってきました、以前はここから鳥羽へ、先月末まで伊良湖へのフェリーが出ていたのですが、今では離島への航路だけになってしまいました。
師崎町道路元標の後、先端の羽豆岬へ、何人ものローディが休憩中です、関西でアワイチやビワイチと云うのと同じよう知多半島もチタイチと云う様です、名古屋から適当な距離で信号も交通量も少ないコースとなると、知多半島は人気な様です。
案の定、岬を回ると思いっきり向かい風です。 反時計回りしているローディは快調そうにすれ違って行きます、まあそっちも岬までの事ですから… R247に入って30台位はローディとすれ違ったでしょうか、でもこちらは足の遅い小径車、そんなに追い越された記憶がありません、チタイチは反時計回りが人気なのでしょうか。
ところで道路拡張で行方知れずになった内海町道路元標に関する情報がないかと南知多町郷土資料館へ立ち寄ってみましたが、見学者へ鍵の開閉をするのを図書館が行っていて専任の方は常勤しておられず、道路元標に関する情報は得られず仕舞い。
14時半、野間埼灯台までやってきました、ここは夕景が有名な処らしい休憩スポットです。 30キロ程のシーサイドランもこの辺りまでです。 この後、野間村、小鈴谷村、西浦町と道路元標を回って、最後は知多市の歴史民族博物館にある旭村道路元標です、施設内にあるとすれば閉館時間に間に合うか微妙な時間です。 着いて行けそうなロードがあればしっかりしがみついて行きます、しかし常滑から知多にかけては道路が錯綜していて良く判りません、ひょんなところからロードが出てきたりしますので、自転車向きのコース取りがあるのかも知れません。 直感でGPSに逆らったら線路と川を跨げず引き返したり、素直に従ったらとんでもない激坂を登らされたりと、かなり時間をロスしてしまいました。
知多市歴史民族博物館に到着したのは17時過ぎ、前庭にはそれらしきものはありません、丁度そこへ鍵をかけに出てきた方に尋ねると中庭にあるとの事、もう閉館だが外からも出入りできるよと心易く案内して頂きました、感謝。 知多郡は旭村道路元標で1,019基目となり本日の予定を無事終了。
最寄り駅の名鉄寺本駅まで走りそそくさと輪行支度を済ませ1742発の電車に。 途中美味しそうな店の看板やバイクスタンドのあるお店とかもあったのですが、時間が押してくるのは目に見えていたので、コンビニで買い食いした春巻とイカフライだけで走り抜いてしまいました。
名古屋駅で立そばでも食おうかなとも思ったのですが、輪行袋を担いでいると邪魔臭くなってしまい1816発の五十鈴川行き急行に飛び乗り、伊勢中川と青山町で乗り継ぎ、21時過ぎには桜井に帰ってきました。
本日の走行89.2キロ
本日の収穫
【1014】 愛知県 壁海郡 大濱町 (現 碧南市)
【1015】 愛知県 知多郡 師崎町 (現 南知多町)
【1016】 愛知県 知多郡 野間村 (現 美浜町)
【1017】 愛知県 知多郡 小鈴谷村 (現 常滑市)
【1018】 愛知県 知多郡 西浦町 (現 常滑市)
【1019】 愛知県 知多郡 旭村 (現 知多市)
追記:帰宅後ネットでググってみると碧海郡の棚尾村道路元標は昨年、棚尾の街並みの中に再建されたそうです。 「たなおまちづくり かわら版」(PDF) また宿題ができてしまった。
山の釜飯 北摂サイクリング
今日はRRCBのメンバーと北摂方面へサイクリングに行ってきました。 兵庫県川西市の一庫(ひとくら)ダムに集合し、はらがたわ峠を越え北摂最高峰の深山に登って、峠の釜飯ならぬ山の釜飯を作って食べようと云う企画。 最初はasuka号が相変わらず輪行が大変な状態のまま、まして大阪市内を跨いでの輪行に参加を見送っていたのですが、dendenさんが家庭の事情とやらで小径車でトレーラーを引っ張って参加すると云うので、ならばとKHSの2サイド仕様で参加する事にしたのですが…
朝9時、一庫ダムに皆さん集合、今日は地元のPROGRESSの三島さんがコースリーダーを引き受けてくださるとの事。 ところで肝心のdendenさんはランドナーで来ているではありませんか、裏切り者め。 まぁ奥様はMTBなので安心していたのですが、これが健脚。
まあ前半は知名湖湖畔のほぼ平坦な道ですから、カメラ担いで快調に走ります。
釜飯の材料と水、そしてお釜を運ばなくてはなりませんので、皆さん大型サドルバッグやサイドバッグと思い思いの装備で走ります、荷物を運ぶのも旅自転車の醍醐味です。
北摂の里山の風景の中、車の多いR173を避けて旧道を縫って走ります。
いよいよはらがたわ峠への登りへとさしかかります、ついにしんがりのsyokoraさんに捕まってしまいます。 道路元標1000基達成サイク以来リアガードに不安のある大黒屋さんも快調そうです。
はらがたわ峠旧道への分岐に到着、十分に通行は可能なのですが、不法投棄対策とかで南側は通行止めになっています。
路面状態は良くなかったですが、無事にはらがたわ峠に到着、どちらかと云うと旧道分岐までの方がしんどかったです。 ところで乢(たわ)とは峠の事ですので’はらがたわ峠’と云うのもおかしな気もするのですが、国土地理院の地形図にも’はらがたわ峠’となっています。
深山(791m)へはレーダーサイトの維持管理用に車道が通じています、頂上までにはゲートが3つあって一般車は通行できませんが、そこはその… 車は入って来ないので道はそれなりに荒れています。
山頂はお天気とあってハイカーで賑わっていて、丹波丹後の山々が一望に望めます、案内板によると大江山も見えるそうです。
いよいよお昼の釜飯の始まりです、山頂広場は風が強いので、鳥居の前の建物の影に陣取ります。 横を行くハイカーの皆さんの目には自転車に荷物を積んで登ってきた奇妙な集団です。 (Photo : UG兄さん)
松茸釜飯に松茸、鱧、鶏肉、海老、銀杏などなどの入った’松茸土瓶蒸し風お吸い物’も付いています、syokoraシェフ、入念な下ごしらえ有難うございます。 (Photo : UG兄さん)
深山を後にし、女性の参加者もいるのでトイレ休憩もかねて一旦るり渓まで下った後、府道54号線を延々と下り、道の駅「能勢くりの郷」を経て知名湖に掛かる「龍化吊橋」まで戻ってきました。
知名湖湖畔を行く皆さん。 無事に予定の時間には一庫ダムに戻り解散お疲れ様でした、話題は次回のサイクリングに。 往路同様大阪上本町までsyokoraさんの車に便乗させて頂き、輪行で桜井まで帰ってきました。 本日の走行58.8キロ。
例によってアルバムに写真をUPしています、大きなサイズの画像もダウンロードできます。 うちのHPから[BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2014]と辿って下さい。 なお認証が必要です、ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダー等でご確認下さい、なお昨年とは変わっています、昨年までの番号から-3です。
普通手回り品切符
片付け事をしていたら、こんなものが出てきた。 輪行が無料になってもう何年になるんだろう、調べてみると1999年らしい、もう15年になるのかぁ… 12月19日何処に行ったのだろう、調べてみると1998年12月19日に関西本線の加太駅からMTBで走り出している記録が残っていた。 輪行をする様な自転車人口が少なかった時代、昨今の様に色々とマナーやモラルが問われる時代になろうとは思わなかった、取り立ててルールがあった訳でもないが、顰蹙をかわない程度の常識で動いていた。
輪行で一番印象深いのは1991年8月、国道311号線が尾鷲市と熊野市の境界区間を残して全通していなかった頃、紀勢本線賀田~二木島間、ちゃんと手回り料金を含めて車掌に払った記憶が鮮明に残っている、DF50の牽く旧型客車のデッキに輪行袋とキャンプ道具を押し込んで、トンネルだけの1駅だった。 ところでケージに入れたペットとかは今も有料だから、この切符はまだあるのかな。
道路元標蒐集サイク(京都編)
今日は京都市右京区梅ヶ畑に残る葛野郡梅ヶ畑村道路元標を目指します。 それと4年ぶりのセンチュリーランを果たす予定です。 念のためにお守りと重しに輪行袋を押し込んで行きます。 5時15分桜井を出発、いつもの上街道を北上します。 上街道は桜井から天理を経て奈良まで、現在の国道169号線に平行して南北に走る20キロ程の旧街道です。 古い集落の中を縫って走りますのでスピードは出せませんが、なにより信号が殆どないのが有難いです。
猿沢池から興福寺境内を抜け、奈良から京都への県境となる奈良阪を越えます。 写真は奈良少年刑務所、このレトロな建物はジャズピアニスト山下洋輔の祖父の設計になるものです。 見学はできませんが毎年秋に行われる矯正展の時には中に入れます。 (今年はもう終わりましたが)
井関川沿いに下って木津川沿いの自転車道、嵐山八幡木津自転車道に入ります。 約45キロの良く整備された関西有数の自転車道です。
8月に増水で流された木津川流れ橋は相変わらず流されたまま手付かずの状態です、修復には今回も5~6千万円かかるとか。
松尾神社前のコンビニで補給した後、自転車道の起点嵐山へ、以前の起点から少し遡ったところまで延長された様です。 ここで折り返すと楽勝なんですが、桜井から往復150キロでは、センチュリーランには届きません。
久しぶりの嵐山です、さすがに京都の観光拠点、平日の午前中ですが観光客が絶えません、暫し休憩の後出発。
嵯峨野の中を府道50号京都日吉美山線を辿って化野(あだしの)へ。 この三叉路を左へ行くと六丁峠を越えて保津峡へのコース、今日は初めて右の試(こころみ)峠への道を行きます。
試峠のトンネルまでどうって事はありません、元は戦争中に廃止された愛宕山鉄道の廃線跡ですから。問題は旧道の峠道、相当の激坂です、幸いと云うか自転車も含めて南行き一方通行に規制されていて入れません、従って交互通行のトンネルへ、なにやら心霊スポットと云う事らしいのですが、私は一向にそういうのは気になりません、交互通行でなければ中で写真を撮っておきたかった位、トンネルの長さは500m程、それも清滝に向かって下り基調なので、慌ててダッシュする必要もありません、ただライトは必携です。
清滝を過ぎて暫く車道が続いていますが、高雄へはいわゆる点線道の東海自然歩道を行かなくてはなりません。 事前に自転車仲間のM氏から情報を得ていたのですが「いつも通っているよ」なんて軽く云われるので、押しだけで突破できるものだとタカをくくっていたのですが…
最初はこんな調子で河原へ下って行きます、乗って行けなくもないのですが、一人ですし無理はしません。しかしあの小匠ダムを彷彿とさせる道筋は最高、まして紅葉の季節なら素晴らしい眺めでしょうね、でもその頃はハイカーで一杯でしょうから、自転車で来るのは顰蹙ものです。
河原に下ると道は相当険しくなります、間違ってもSPDシューズでは。写真を撮っている余裕もなくなり、写真のあるのはマシなところだけです、担ぎでの登り下りが何度も繰り返されます。 これが高雄まで3キロも続くのかと嫌になり始めます。
結局2つ目の橋を渡り再び左岸に出た頃から道も良くなり、28Cなら十分乗って行ける様になります。 平日の午前中とあってすれ違った人は8人だけ、なぜか7人は外人さんのグループ、さすが京都。
無事、高雄に出てきました、ダート区間の所要時間は約45分でした。
周山街道に出て御経坂峠を越え今日の本来の目的、梅ヶ畑村道路元標へ、道路元標は高雄小学校の門の内側に保存されていました。 1013基目達成です。
嵐山へは戻らず国道162号線を五条天神川まで南下し、そのまま天神川に沿って走って行くといつのまにか自転車道へ入ってしまいます。 途中、宇治市の友人の店に寄り道した後、城陽市から木津川右岸を走り山城大橋の手前で少し休憩した後、再び自転車道へ、朝来た道を黙々と走り、17時半無事に桜井に帰投しました。 本日の走行168.8キロ也、押し担ぎ付きのセンチュリーランを終えました。
道路元標蒐集サイク(丹後半島編2日目)
与謝郡は伊根村道路元標(現 伊根町)にて
道路元標蒐集サイク(丹後半島編1日目)
今日が有効期限最終日の青春18きっぷの最後の1回、桜井駅を0543発奈良行きに乗車、木津からは学研都市線(片町線)~東西線~福知山線経由の新三田行きに、大阪市内を通勤時間帯の混雑の中での乗換を避けてワープできるのですが、新三田で反対の上りホームに入ってしまうので、階段の昇り降りをさせられるのが難点。 先月の豪雨禍からの復旧工事とかで徐行運転でダイヤの乱れていた区間も解消し、福知山1024定刻着、忘れ物もなく11時には無事、出発準備完了。
コンビニ補給の後、R9を避けて一旦由良川対岸へ出て北上しR175からR176へ入ります。 京都府下の道路元標は京都府公報第783号(大正9年3月30日発行)として設置当時の住所地番が記録されていますので、未発見の道路元標を求めて金山村、雲原村と探索してみましたが不発。 まあそんなものよと与謝峠への旧道をのんびりと登って行きます。
標高320m程の与謝トンネルの入り口まできました、斜度そのものはずっと下の坂浦トンネルの手前の方がキツかった様な。 旧道峠は標高差で40m程、たとえ通れなくて引き返してもたかが知れていますので、時間もありますし突っ込む事に。
例によって国道の旧道峠とは思えない狭さに、大量の水と泥が出ていますが、ツーリング車の強み、なんなく突破、しかし与謝野町側は相当の急坂の連続です。 以前、与謝野町側からKHSで登ろうとした事が、天気が悪くなりそうでやめたのは大正解でした。
与謝村道路元標があっただろう場所を通過して加悦SL広場へ、今は無き加悦鉄道の車両をメインに直接関係はありませんが国鉄のSLや京都市電が保存されています、2度目ですが元鉄としてはここは外せません、入場料400円を払って入ります。 あいにく水曜でパン屋とカフェは休業日ですが、食事はできますので遅めのお昼にうどんを頂きます。
このレトロな建物は旧加悦町役場、平成14年まで使用されていました。 現在は観光案内所とかになっています。 信号をはさんで向かい側には加悦町道路元標も現存しています、かなり埋ってしまっているのが残念ですが。
観光案内所で貰ったパンフレットをもとに古い街並みを少しポタってみます、「ちりめん街道」として売り出している様ですが、こじんまりしたものです、ただあちこちから今も機織の機械の音が聞こえてきます。
おっさんには縁がなさそうですが、ちょっとした小物を扱っているお店もある様です。
加悦鉄道の廃線跡は岩滝加悦自転車道として整備されていて、北近畿タンゴ鉄道の野田川駅近くを通り岩滝まで行ってますが、そちらの方は判りにくかった様な。 また路面が良くないのと、交差する道路が多いのでロードにはわずらわしいかも。
北近畿タンゴ鉄道野田川駅、元の国鉄宮津線丹後山田駅ですが、ここも鉄な人には外せません。 駅舎内には丹後山田駅資料室と云うのがあります。 加悦鉄道が接続していた時代のジオラマは必見です。
R312に入り今夜の宿のある京丹後市大宮町を目指します。 水戸谷峠と云う小さな峠がありますが、標高も100mに届きませんし、横を北近畿タンゴ鉄道がトンネルなしで越えている位ですから大した事はありません。
17時丁度に一度も降られる様な事もなく、丹後大宮駅前の旅館「なかむらや」に到着。 日頃はビジネスホテルを利用する事が多いですし、次の峰山まで行くと2軒程ビジホがあるのですが、ネットで探すと素泊まり4,100円とリーズナブルなここを見つけたので、加悦SL広場まで来た処で電話を入れました。 部屋こそ広くはないですが、大きな湯船にゆったり浸かれて、洋室だけの生活をしているので久しぶりの畳にゆっくりできました、自転車は鍵のかかるガレージに入れさせて貰えました。 冷房がコイン式なので夏はちょっとネ。 お風呂で気持ち良くなって缶ビール解禁、11ヶ月ぶりのアルコールです。 桜井0543→0616奈良0622→0630木津0640~0849新三田0854~1024福知山 青春18きっぷ3,350円分乗車。 本日の走行 56.8キロ
丹後半島ツーリング前夜
明日から久しぶりの泊りがけツーリングに行ってきます。 目的地は丹後半島、福知山まで輪行して北上、丹後大宮(京丹後市)で1泊し丹後半島を回り宮津まで、1日目約50キロ、2日目約80キロ、たいした距離でもありませんが、2日目は海岸沿いのアップダウンがいくつも控えています、予定の宮津駅には何時に戻ってこれるでしょうか。 もちろん道路元標も外しません竹野郡と与謝郡の3基を予定しています。 手元には丹後半島を含む5万図が揃っています、と云う事は道路元標以前から計画はしていたんですね、GPSもありますが、やはり紙の地図は安心感が違います、せっかくですので持って行きます。 ところでasuka号の輪行はずいぶん久しぶりの気が、KHSなら先月も明石まで往復していますが、調べてみると2011年10月にシクロツーリスト誌の取材ツーリングで伊勢本街道を走って伊勢市駅から帰ってきて以来の様です。 ガード付きの輪行は大変です、特に往路では部品一つ忘れたり無くしたりで走れなくなってしまうと悲惨です、それに後輪の分割式ガードを壊してしまったままで、普通のガードが付いていますから、余計に大変です。 慎重に自宅で支度をすませて駅まで担いで行きます、とは云っても近鉄なんば駅から南海なんば駅までの距離より短いですがネ。
さてasuka号の入る一番大きなTIOGAの輪行袋を拡げてみると、なんと大きく裂けているではありませんか、それにファスナーも壊れていて、一方通行にしか開閉できません。 どうにか押し込んでショックコード2本を巻き、身が飛び出さないように補強します。 しかし帰りの輪行支度も往生しそうです。
明日の京都府北部の天気予報では午後の降水確率は40%、明後日も曇りのち晴れ、嵩高いですが念のためにポンチョも押し込んでおきます。
道路元標蒐集サイク(但馬編)
9月に入っても落ち着かない天気予報が続きますね、9月10日までが有効期間の青春18きっぷ、後2回分を残していて、知多半島と但馬方面を予定しているのですが、知多半島は列車ダイヤと混雑の関係から土日でと考えているので、今日はいわゆる但馬地方、兵庫県城崎郡と出石郡に残っている未踏の道路元標を巡る事にします。

まずは城崎郡の三方村と西気村へ向かいます。 ただ西気村は標高350m程の神鍋高原の上にあり、KHSでは結構辛いものがあります、ただ登るにつれて霧雨っぽい天候で涼しかったのが幸いして足を止める事なく登りきってしまいました。

道の駅で暫し休憩の後、快調に江原駅近くまで下って来たのですが、後輪に違和感がと思ったらパンク、幸いと云うかコンビニが目の前、建物の影に入って早速チューブ交換です、しかしタイヤそのもののサイドにかなりダメージが、ここまで気付かなかったのは不注意、まだ50km以上走らなくてはならないのにこの状態、不安を抱えて走る事になります。

出石郡の高橋村道路元標は日本モンゴル民族博物館の入り口に保存されていると云う情報なのですが見当たりません。 一体どういう経緯の博物館なのか知りませんが一応豊岡市立です、受付で恐る恐る尋ねてみると、それらしきものが裏にあると云う事で、案内して頂きました、感謝。
そこには倒置された高橋村道路元標と共に次の予定の資母村道路元標も再建されています、以前の場所が立ち退きになったとの事です。 これで今日の予定は片付いたと思う反面、道路元標は元の位置に建っていてほしいなと云う気持ちも。 なお日本モンゴル博物館のある但東町中山は旧資母村村域で高橋村は帰途に通る登尾峠への途中にあたります。


17時半、山陰本線の上川口駅まで下ってきました。 福知山駅まで後1駅なんですが、パンクの不安を抱えて国道9号を10km走る気にはなれませんし、例え福知山まで行っても帰る時間には差がありません。 輪行支度を済ませ朝買っておいたおにぎりをほおばり1842発まで山峡の駅でのんびりと過ごします、つくつくぼうしの鳴き声が夏の終わりを感じさせてくれました。
奈良0522→0625京都0637→0837福知山0839→0938江原/上川口1842→1849福知山1858→2119大阪2125→2222奈良2252→2320桜井 6.700円分乗車
走行116.7キロ
【1005】 兵庫県 城崎郡 三方村 (現 豊岡市)
【1006】 兵庫県 城崎郡 西気村 (現 豊岡市)
【1007】 兵庫県 出石郡 室埴村 (現 豊岡市)
【1008】 兵庫県 出石郡 高橋村 (現 豊岡市)
【1009】 兵庫県 出石郡 資母村 (現 豊岡市)
道路元標1000基達成サイク
2006年8月27日に奈良県吉野郡の吉野村道路元標を皮切りに8年、道路元標フリークはいよいよ1000基を迎えるに至りました。 1000基目は淡路島北部の淡路市に残る多賀村道路元標でと、500基目の奈良県下北山村の折にもご一緒頂いたDさん、Nちゃん、T御大を介添え役に淡路島へ向かう事となりました。 台風やら集中豪雨やらと不穏な天候の続く今月、8月17日と決めたものの前日になってもはっきりしない空模様、どうにか日中の淡路島は酷い降りにはならないだろうと、雨具を準備した上で決行と云う事になりました。
集合は明石駅8時、ところが朝から財布を洗濯してしまったり、お腹の具合が悪かったりと、T御大と約束の電車には間に合わず、どうにか1本遅れの急行に乗車する事ができ、約束の時間に16分遅れで明石駅に到着、無事に皆さんと合流できて、予定していた淡路島への船便に乗る事ができました。
淡路島への航路は今では明石~岩屋間を結ぶジェノバラインの高速艇のみで、自転車は別途220円で乗せて貰えます。 天気も良くなってきて0900発の便のデッキは10数台の自転車で一杯です。
こんなもの誰も作ってくれませんので、記念の横断幕を作ってきました。淡路一宮の伊弉諾神宮前に残る多賀村道路元標へは西海岸の県道31号経由が最短なのですが折角ですので東海岸の国道28号を津名付近まで南下してから内陸部へ入り、帰途に西海岸沿いに残る尾崎村道路元標と室津村道路元標も回る、60キロ弱の淡路島半周コースを走る事にしました。
天気は良くなってきたものの海岸沿いは結構な向かい風です。 走る距離は知れていますが、10キロ位おきに休憩するのんびりペースです。
多賀村道路元標に到着、道路元標1000基達成です。 北は会津から南は宮崎までお供をしてくれたKHSと記念撮影です。そして過去に道路元標巡りにもご一緒いただいた事がある、Nちゃん、Dさん、T御大と一緒に記念撮影です、ありがとうございました。
せっかくですから伊弉諾神宮にお参りして、未知の元標との出会いを祈念して、西海岸に向かいます。 郡家でシーサイドビューの素晴らしいお店を見つけたので、お昼をする事に。 皆さんはしらす丼、私はシーフードカレーを頂きました。
道路元標巡りはまだ続きます、写真は尾崎村、続いて室津村と辿りながら西海岸沿いの県道31号を北上します。 合わせて1002基となりました。
明石大橋が見えてきました、距離は1/3ですが、天気に恵まれて一度も降られたりする事なく、海の無い奈良県の私とT御大はなかなか機会のない潮風を受けながらのランを満喫、ちょっとアワイチ、プチアワイチしてきた気分です。 どうやら財布が身代わりに水難にあってくれたのかも知れません。
岩屋16時の便に乗船し明石に戻ってきて、明石名物のたまご焼きで打ち上げです。 みなさんありがとうございました。
道路元標はネット上の情報では全国に1,800基程現存が確認されています、離島もありますし、車や単車と云った移動手段を持たない私に制覇は難しいですが、自転車ツーリングにしても18きっぷの旅にしても、道路元標がなかったら訪れる事のなかっただろう町や村にも訪れる機会があり、かつて10,000以上も存在した町村の過疎化に思いをはせる事もあります。 道路元標巡りはこれからもぼちぼち続けて行きたいと思います。
近鉄、阪神、神戸高速、山陽、するっとKANSAI3dayチケット 3,380円分乗車
本日の収穫
【1000】 兵庫県 津名郡 多賀村 (現 淡路市)
【1001】 兵庫県 津名郡 尾崎村 (現 淡路市)
【1002】 兵庫県 津名郡 室津村 (現 淡路市)