「三重県」カテゴリーアーカイブ

宿願の矢の川峠へ

 「紀伊半島の峠」はほぼ走破しているのですが、未だに行く機会に恵まれなかった三重県尾鷲市と熊野市の境にある「矢の川(やのこ)峠」に、A氏とU兄の計らいでようやく訪れる事ができました。 もちろん現R42の矢の川トンネルは通ってますが、熊野市側が廃道状態の旧道へは初めて足を踏み入れます。

 U兄の車に便乗、介添役にT御大にも来てもらいました。 桜井かR169~R309~R42と走り2時間半程で矢の川トンネル尾鷲市側の旧道分岐点までやってきました。 雨は止んでますが矢の川峠は雲の中、日本有数の多雨地帯、予報でもこの地域だけは午後も雨雲がとれません。
 NHKの施設があるために車も入りますし、登山者も入りますが、入り口からこの状態、想像通りと云うか想像以上と云うか…



 矢の川峠開鑿記念碑、昭和15年3月とあります。









 尾鷲側には5つのトンネルがありますが、かつては国鉄バスも通っただけに断面は大きいです。



 みなさん快調に乗ってますが、私はてんで駄目です。 
 一行に遅れる事?分、12時過ぎに標高800mあまりの矢の川峠に到着、途中からは下界が少し見えていたのですが、峠は雲の中、少し寒い位です。



 かつての峠の茶屋の女主人稲田さんの慰霊碑の前で記念写真を。






 しかし熊野市側は... 殆ど担いでいた様な
Image50.jpg さてここで問題、後ろで前転しているのは誰でしょう(^_^)v











 かつてここには立派な橋が架かっていたのでしょう。








 現役時代の名残でしょうか。

【287】 阿保町道路元標 (三重県名賀郡)

阿保(あお)は初瀬街道(阿保越伊勢街道)の宿場町として知られ、大正9年に町制、昭和30年に種生、矢持、上津と合併し青山町となった。 平成16年に上野市他と合併し伊賀市となり、名賀郡は消滅した。 道路元標は大正9年4月1日三重県告示第151号によると阿保橋南詰とあり、現在も阿保橋南詰に建っているが、現存していると云う情報は少なくともネット上には今までなかった。


興味深いのは正面に’道路元標’ではなく「阿保町元標」とあり書体も道路元標としてはユニークである、隣町だった阿山郡上野町の書体と同じで、同様に向かって左側面に「三重県名賀郡阿保町」、右側面に「三重県」と彫られている。 だだ塔頂の形状が省令に沿った形でどちらかと云うと度会郡の小俣町や四郷村に近い。


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追撃!! ‘曽爾高原ヒルクライム’御一行様

今日はW氏がコースリーダーの’曽爾高原ヒルクライム’を追撃しようと、T御大、ら氏と大和高原から笠間峠を越え赤目へ下り、椿井峠を越える一行を追撃しようと企ててみたのですが。

笠間峠は東大寺お水取りに奉納する松明を運ぶルートとしても知られる古道の峠ですが。 一応<781>都祁名張線として県道が越えているのですが、赤目側はなかなかの悪路です、車こそやってきませんが深いカーブが続き下りなのにエラく時間が掛かってしまいました。


タイムテーブルでは一応近鉄赤目駅0945、約15分遅れで到着。 人数が増えて名張での集合と移動もすんなりと行かないかも知れないので、はたして前にいるのか後ろにいるのか判りません。 とにかく<784>赤目掛線に入り椿井峠を目指します。
← 実は県道ピークの’椿井峠’より手前の’鬼ヤ坂’の方がキツいのです。


何とか’鬼ヤ坂’を越えますが、赤目四十八滝上流の出合茶屋では追いつけず、聞くところではやはり15分程前を走っている様です。

← 椿井峠にて ‘曽爾高原ヒルクライム’御一行様は13名の大所帯に、T御大は峠までに追いついたそうです。


お昼は曽爾村掛の休憩所にて。 ここで曽爾高原へ向かう一行とは別れR369を走り帰途に就きましたが、今日は標高差もあったしハイペ?スだったので効きましたわ(^_^;) 走行95.5キロ。

久しぶりの爆速UP、写真だけですがうちのHPの「輪」→「ツーリングの記録」にUPしました。



【114】亀山町道路元標(三重県鈴鹿郡)

亀山町は昭和29年に周辺4村(井田川、昼生、川崎、野登)と合併して市制を施行、翌30年には2村(神辺、白川)の一部を編入、平成17年に関町と合併し鈴鹿郡は消滅し現在の姿になった。
 道路元標はかって国道だった交差点に面した江ヶ室交番裏の駐車場奥に’明治里程標'(木製復元?)とともに建っている。


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