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今日は「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイントをGETしにKHSを担いで伊勢志摩方面へ輪行で向かいます。
今回は予め橿原市の金券ショップで買っておいた近鉄の株主優待乗車券を利用します。 近畿日本鉄道の路線のド真ん中に住んでいると名古屋または志摩方面まで行かないとメリットはないのですが、往路の桜井~鳥羽、復路の賢島~桜井で650円ばかしお得になる勘定です。 鳥羽駅まで輪行してスタートです、最初の目的地は鳥羽展望台、三重県道<128>磯部鳥羽線いわゆるパールロードを走らないと行けない処なのですが、いつも志摩方面へ行く時は平行している昔からの県道<750>阿児磯部鳥羽線を走っているので、麻生の浦大橋を除いて一度も走った事がありません、もちろん一般県道で自転車も走って構わない訳ですが、いわゆる観光ドライブウェイ、ロードならまだしも小径車に相応しい道ではありません、今回もできる限り走りたくないので極力<750>を走って行く事にします。
麻生の浦大橋を渡りパールロードと別れると漁港を縫って走る鄙びた道が続きます、石鏡(いじか)では伊良湖岬が遠望できます、しかし最高のお天気、この季節の晴天ならではの澄み切った空気です。 石鏡を過ぎた辺りでパールロードへ入りますが、鳥羽展望台までは標高差で100m以上登らなくてはいけません、展望台だから仕方がないと云えば仕方がないのですが。 なお地図上ではパールロードと<750>は何ヶ所かで交差していますが立体交差になっているので、接続している箇所は限られています。
パールロードは毎年秋に「サイクルマラソン鳥羽志摩線(とばしません)」と云うイベントが行われている位ですから結構ロードで走っている人を見かけますが、鳥羽展望台ではGIANTのGREAT JOURNEY の4サイドで日本一周中の若者に出会いました、山口県を出発し時計回りで北海道を回って今日が181日目、これから紀伊半島一周ですね。 大学は大阪で高取町に知人がおられるとの事で奈良にも来られるとの事、再会が愉しみです。 ブログもされているので応援よろしく。
パールロードを少し走り再び<750>へ、国崎、2つめのポイント「相差海女文化資料館」のある相差(おおさつ)と走り的矢へ、ここで<750>は的矢湾に分断されていて、県道船と云う無料の渡船が結んでいます、対岸までの距離は数百mですが、対岸の三ヶ所(さんがしょ)と渡鹿野島の3ヶ所を結んでいます。 船がこちら側にいない時は写真の腕木を水平にしてやると、それが目印になって迎えにやってきてくれますが、今回は20分程待ちました。 なお一応自転車はそのまま載せて貰えますが、持ち上げられない様なキャンピング仕様の自転車は無理かと、それに写真の様な小型船ですので載せられる台数に限界があります、それと周辺道路から乗り場への案内の類は皆無ですので注意して下さい。
対岸へ渡り少し<750>を走ってから<129>磯部大王自転車道線へ入ります、暫くは殺風景な山の中を走りますが、写真の国府白浜海岸に出て少し海岸線を走ります。 この後自転車道のルートに従うと再び山側へ入りR260を走らされるので、時間に余裕があれば波切(なきり)方面へ回るのも良いかも知れません。
R260は深谷水道を渡った処からバイパスが出来ているので旧道は車が少なくなって自転車にとってはすいぶん走りやすくなっていました。 今日3つ目のポイント「海女小屋体験施設・海女資料館」のある越賀まで行ってから和具港へ戻ります。 写真は越賀海岸。
ここから英虞湾をはさんだ賢島まで伊勢マリンレジャーの運行する定期船がありますのでそれに乗船する事に、桟橋の向こうに見えているのはR260のバイパスの志摩大橋です。 昔御座~浜島間の航路へはロードをそのまま載せて貰ったのですが、賢島の船着場と近鉄賢島駅は距離が100mとありませんし、自転車をそのまま載せて貰えるかが判りませんでしたので、和具港で輪行支度を済ませてしまいました。 なお手荷物品扱いですので運賃の610円以外に360円が必要です。
今回は「ツール・ド・紀伊」のポイント巡りと云う事で鳥羽駅から和具港まで走りましたが、風光明媚な志摩半島、鳥羽からのパールロードや鄙びた<750>と県道船、近鉄志摩磯部からスタートする自転車道、旧R260で志摩半島の先端御座白浜とコースを工夫してみると面白いかと思います。 本日の走行70.8キロ。
昨日は一旦は晴れマークが少し出ていた三重県の天気予報、今朝になると再び悪くなってます。 相棒は既に現地で待機していますので、たとえ雪が降ろうともとにかく集合場所の榊原温泉口駅までは行かなくてはなりません。 雨仕度を少し強化して0754発の宇治山田行き快速急行に乗車します。
榊原温泉口0853着、既に鈴鹿のあびさん他3名の方が駅前に待っておられ、東京から始発の新幹線と近鉄特急を乗り継いで来られる田村氏の到着を待ちます。 輪行袋から出てきたのはシクロツーリスト誌でお馴染みのスポルティーフですね。
今日のコースのテーマは伊勢本街道なのですが、途中の多気宿から走りだすために、近鉄の榊原温泉口駅からのスタートとなっていて30キロ近く南下しなくてはなりません、一昨年の台風禍で不通になったままの、JR名松線が運休中でなければ終点の伊勢奥津駅からのスタートも考えられるのですが。 <28>亀山白山線を南下し、名松線沿いの<15>久居美杉線を走り、伊勢竹原駅付近から<29>松阪青山線に入り君ヶ野ダムへの登りへ、しかし日頃ご一緒していないメンバーですし、結構ええペースなんで大変です。
君ヶ野ダムの天端道路から暫く対岸路を走った以外は、いずれも走った事のある道で、ずいぶん久しぶりですが、八手俣川沿いの道はあまり変っていません。 お天気は小雨程度がが降ったり止んだりと云う感じで雨具を出す程でもない程度です、下之川の清水峠への分岐にある大清館の前で一服。
途中で少し雨が酷くなってきたので北畠神社前で少し雨宿りしたあといよいよ伊勢本街道へ、古い宿場の趣きを残す多気宿で写真を。 この後丁度良い時間ですので道の駅「美杉」でお昼にします。 食事の後も雨は止むこともなさそうなので、いよいよポンチョをかぶって雨仕度です。
伊勢本街道のこの辺りを走るのも随分久しぶりですが、仁柿峠まで道路改良がすすんでいて峠も大きく切り下げられる工事が始まっています。 ただ松阪市側は昔と変わらず延々と林間の下りが続きます。 おかげでブレーキシューがかなりちびってしまいました。
峠を下りたら少しは雨も収まっているかと淡い期待を持っていたのですが、そうは思い通りには。 R166に入り昨日走った立梅用水沿いの道のこちら側を黙々と走り、小片野から櫛田川寄りの道をとります。 今回はあびさんがコースリーダーで私はゲストなので、すべてはお任せして安心して後をついて行って楽させて貰っていたのですが、津留の渡しのところでコースミスをしかけたので、ついつい口をはさむ事に。 津田村道路元標の横を通り、四疋田の常夜灯から相可の道標広場へと伊勢本街道をなぞって行きます。
今日のあびさんはTOEIのパスハンターでの出撃だったのですが、道の駅でトップチューブに傷をつけた上に、フロントディレーラーとチェーンのトラブルに見舞われる事に。
途中からダートに入ります、伏拝坂と云う処で、私はまったく始めての道です。 濡れたダートにちびって効きの悪くなったブレーキとかなり厳しかったですが、お天気の良い日に再び走ってみたいルートです。
この後、田丸を過ぎてから信号でちぎれてしまった私が、予定のコースを忠実になぞってしまったために、どこかで待ってくれていた皆さんを抜かして先に度会橋に着いてしまうと云うアクシデントがありましたが、16時40分目的地の伊勢神宮外宮に無事到着しました。
伊勢市駅に到着、ここからそれぞれ輪行で帰途に就きますが、皆さん名古屋線方面なのでここでお別れに、今日は有難うございました。 本日の走行86.1キロ、昨日と合わせて227キロと久しぶりに連荘で良く走りました。
輪行で桜井駅に降り立つと土砂降り、いまさらドロドロの自転車を組み立てる気力もないので、10分とは掛かりませんが雨の中を輪行袋を担いで帰宅、今日一番の「濡れ場」でした。
明日30日は鈴鹿のあびさんから「伊勢本街道ツーリング」のお誘いを受けているのですが、集合場所は近鉄大阪線の榊原温泉口駅に午前9時との事、自走では桜井からR165を走れば約60キロ、一本道なのですが、交通量が多い上に青山峠の白山トンネルが控えていると云う、自転車にとっては何も愉しくないコース、それを日も短くなってきたこの季節に走って、本番のツーリング80キロは些か大変過ぎます。 輪行なら急行乗り換えなしで1時間と楽勝なのですが、あまりに芸がないのと輪行仕度も邪魔臭いので、前日の今日かなり遠回りですがR166で高見峠を越えて松阪の手前から北上し榊原温泉口駅を目指す段取りです。
西峠を上り榛原から芳野川沿いの道へ、ご覧の様に最高のお天気です。 ただ昨日の時点で明日の予報が思わしくなかったので、今朝の天気予報をみて改めて明日のツーリングを決定すると云う事ですので、中止ならば中止で回送はやめて旧道の高見峠まで往復してみようかと。
菟田野町の大きな旧家の前にて。 この後松井橋のローソンで食料を買い込み一谷峠への道へ、本来R166は佐倉峠~木津峠を経て高見峠へ向うのですが、せっかく東吉野村を通るのですから「月うさぎ」へできたての「猫カレンダー」を少しでも届けようと持ってきているので、今日はこちらのコースをとります。 最高のお天気の下、ご機嫌で走っていると追い越しざま幅寄せする車が、….と運転手を睨み付けると「月うさぎ」のオーナーでした(^_^) 「載って行きますか」とのお言葉は遠慮させて貰ってもちろん走ります。 一谷峠への途中であびさんからメールが、明日は予報も多少良くなっているので決行との事、確かに三重県だけ晴れマークが少し。
「月うさぎ」にカレンダーを届けて先を急ぐ事にします。 高見峠への旧道ですが3週間前は通れないとの情報でしたが、現在は「通行止」などの案内はありませんでした、まぁ旧道峠を越える余裕はなく紅葉にも少し早いので今日は素直にトンネルを抜けてループ橋を下る事に。 しかしR166の交通量が増えた様な気がします、台風禍以降長島、尾鷲方面への車がR169を避けてこちらへ流れる様になったのでしょうか。 今では高見峠を越えると三重県松阪市になってますが、まだまだ市街へは60キロ以上あります。
R166は東吉野村鷲家で紀ノ川筋を遡ってきた和歌山街道となります、紀州徳川公が江戸初期に参勤交代に利用した街道で、松阪で参宮街道に繋がります。 ここ数年でずいぶん道が整備されましたが、雰囲気の良い旧道も残っていますので、自転車向きのマニアックな旧道脇道裏道を縫って行きます、このコースは2007年に2度ばかり、皆さんを案内して走っているのでご存知の方も多いのです。 「R166旧道脇道裏道ツーリング」でググると天五さんの動画とか一杯でてきますし、SORAさんのブログもお勧めです。
まずは車が渡れない様に規制された橋を渡り波瀬の集落へ、現在の国道から離れているために、ここだけ時間が止まってしまった様な佇まいの家並みが、和歌山街道波瀬宿、本陣や旅籠跡に建つ旧家が並び、そして里程標や丸ポストなんかも立っています。
R166は高見峠を越えてから小片野まで櫛田川に沿っていますが、新しく整備された道はバイパスとなっている処が多く、この様に川沿いに雰囲気の良い旧道が昔のまま残されています、車も地元の人が行き交うだけです。 写真は乙栗子を過ぎた辺り。
和歌山街道で外せないのはやはり珍布(めずらし)峠、最近はウォーキングコ-スとして案内板が整備されたりしていますが、 やはり判りにくいです。 旧R166(今は一応R422に)の赤桶橋の下をくぐって行きます。
見事な切通しの珍布峠、前後には色々と曰くありげな案内もあります。 なおこの峠を東に下ると宮前集落に出ますが、R166沿いの道の駅「飯高駅」を通り過ぎた処ですので、あてにしている方は注意が必要です。
一度国道に出ますがすぐに櫛田川に架かる黄色い橋で対岸(右岸)へ渡り、県道<745>片野飯高線に入ります。 高見山から東に延びる山塊の東端にあたる局ヶ岳をバックに櫛田川に架かる新旧の橋、なかなかのビュ-ポイントなのです。 ちなみに櫛田川の北岸には中央構造線が知っているために、それに関係する案内も見られます。
片野飯高線はR166の対岸を走るのですが、R368を越えて立梅辺りから先は、地形図で点線道になっていますが、最近グーグルマップを見ていると、幅員はないものの舗装はされている立梅用水沿いの区間より、しっかり書かれていますのでどうやら整備されたのかと、いままで踏み込んでいない貴重な道だけに、これは行くしかありません。 しかし行く手には「通行困難」の案内板と未舗装路が。
意外とダート区間は短く、その先は道路と云うか堰堤というかコンクリートの回廊が、小匠ダムを彷彿とさせ、その上洞門まで。 危険なので殆ど押してましたが、MTBなら99%乗車可能です。
一キロ足らずでガードレールが見えてまともな道に、振り返るとこんな感じです。
どうやら文政年間に開削された立梅用水は昭和に入ってトンネルでショートカットされるまでは、このルートに沿っていて、洞門はその時の名残の様です。
ようやく立梅用水の快適な疎水沿いの道へ、対岸のR166は深野の街並みの中で路肩が狭く走りにくいのですが、こちら走ると格段に快適です。
小片野で櫛田川と離れR166で瀬戸峠を越えて、辻原から北上し、近鉄大阪線川合高岡駅を目指します、ただ「旧道脇道裏道」を縫って走っていたのですっかり遅くなってしまい、五輪峠を越える頃には16時をまわってしまいました。
それでも川合高岡駅辺りまで良かったのですが、そろそろ暗くなってくるので、雲出川北岸の道を避け様と考えているうちに名松線の伊勢川口駅方面に入ってしまい、計画より5~6キロ程遠回りして、19時前にようやく榊原温泉口駅に到着しました。 予定では駅の自転車置き場に相棒をしっかり括り付けて、明朝まで置き去りにするつもりでしたが、その適当な自転車置場がこの榊原温泉口駅にはありません、これは一つ東の大三駅まで戻るしかないかと少し引き返すと、単車自転車預かり所の看板が、ここなら100%安心とその上おばあちゃんは一泊200円にまけてくれて、フロントバッグだけ担いで再び駅へ戻ったのです。 本日の走行141.6キロ。
日帰り範囲で未踏の道路元標が殆んどなくなってしまったとボヤいていたら三重県伊勢市周辺で新たに5基の現存情報が、近鉄電車にKHSを担いで乗って行けば楽勝なんですが、暫く伊勢方面に走っていない事ですし、久しぶりに高見越えで向かう事にしました。
朝4時過ぎ暗いうちに出発し、R165西峠経由で榛原に下り、朝もやの芳野川沿いに菟田野へ、今まで高見越えの場合、菟田野からは佐倉峠~木津峠と素直にR166を走っていたのですが、最近「月うさぎ」行きで走り慣れている一谷峠経由で東吉野入りする事に、距離的には3キロ程遠くなりますが、なにより車が来ないし、谷尻からは快適な林間コースです。
高見登山口のバス停で少し休憩、今日は旧高見峠へ登るつもりはありませんので気楽なもんです、2470mの高見トンネルを抜けると三重県、以前は飯高町だったのですが、平成の大合併で松阪市になってしまったのは、ちょっとね。
高見ループを下り、後は宮本まで下り基調のR166を走って行けば良いのですが、時間の余裕もあるので久しぶりに加杖坂峠から蓮ダム経由を走ってみる事にしました。 以前2003年に加杖坂峠を越えた時はSORAさんとダートの旧道を越えたのですが、今回はトンネルを。 ところでこのお地蔵さんの祠、旧道峠から移設されたとあり、帰って古い写真を見てみると、確かに祠は旧道峠にあり、トンネル脇には祠はありません、そう思うと先週のサンギリ林道と云い、自転車遊びにも年季が入ってきたもんです。
奥香肌湖に架かる現在の辻堂橋、このダム湖に沈んだ飯南郡森村の道路元標は辻堂橋東詰に設置した旨の記録がありますが、今も沈んでいるのでしょうかね。
辻堂橋から先は県道<569>蓮峡線に入りますが、辻堂橋より上には廃村しかありません。
R422に入り湯谷峠へ、そろそろ暑くなってきたし湯谷トンネルで涼みながら休憩しようかと思っていたのですが、トンネルは何か工事をしていて交互通行になっていて、少し下ったいつもの不動明王の水場で一服。
大台宮川線を西へ、R42に出る少し手前、以前の宮川村に入り口にあたる処にあるふるさとプラザ「もみじ館」で軽く昼食、伊勢うどんを戴きます、別に専門店でもないのですが、ここの太めでしっかりしたうどんの伊勢うどんが好きです。
三瀬谷ダム、手前が紀勢本線です。 妙な感じの風景ですが、三瀬谷ダムの堰堤の下流側200m程の処で紀勢本線が宮川を渡っています。
宮川右岸の県道<747>打見大台線を行きます、前後から徐々に拡幅工事が進んできていますが、木々の間から宮川を垣間見ながら、自転車にとってとても快適なコースです。
大宮町に入ったあたりで急に雲行きが怪しくなってきて、JAショップでアイスキャンデーを買ってかじりながら軒先で様子見をしていると、雷が鳴り出して本降りに、そのうちに店や自販機はもちろん、信号まで停電してしまいます、しかし良いタイミングで、濡れずにはすみました。
ところで今日はM氏も吉野から尾鷲まで走る予定にしていたはず、雨雲レーダーによると三重県南部でもこちらと同様に相当降っている様子、実は昔、輪行で紀勢線の多気行き最終に乗り、沿線の大雨でダイヤが乱れ、そうなるとJRは乗客の多い下りと、払い戻しの発生する特急、はて貨物列車まで優先させ、私の乗る上り最終は2時間以上遅れて松阪へ、接続の近鉄に乗れなくなってしまって松阪泊まりになった事があります。 さて氏は帰ってこれたのでしょうか。
雷雨もどうやらおさまり、雷も遠くへ行ってしまった様です、、そろそろ時間も押してくるので、ポンチョをかぶって出発、再び宮川右岸を進みます。 ところが麻加江で再び雷雨に、今度は無人精米所にもぐりこんで雨宿り、しかし二度目の雨宿りをしている内に時間は16時半に。
どうにか度会大橋まで下ってきたものの、2度の雨宿りが響いて、伊勢市域の4基を巡る事は諦めて玉城町に残る田丸町道路元標へ、それでも18時を回ってしまいました。
その後、旧街道を走ったりしながら松阪へ、途中の参宮線の踏み切りでは遮断機が降りたままで大渋滞、やはりJRもおかしくなっている様です。 陽が長いとは云え19時を回り真っ暗にになってしまったので、近鉄松阪駅の2sつ手前の櫛田駅から輪行で帰途に就く事にしました。 本日の走行156.2キロ、センチュリーランに後一歩だったのですが。
【943】 三重県 度会郡 田丸町 (現 玉城町)
アテにならないと云いながら、アテにしてしまうのが天気予報、どうやらこの週末も天気が悪いとの予報、昨日は予報にフェイントをかまされ、夕方に芋峠まで往復しただけと不完全燃焼。 今日走っておかなければ今月は走る機会がないのではと、それに最近夜型になってしまっていて、無理してでも生活のリズムを修正しておかなくてはと走る事に。 さて何処へ行こうかと悩んだ末に、久しぶりに伊賀上野までお昼をしに向かう事に。
朝、暗いうちから飛び出して、まずは初瀬街道を東にとり長谷寺門前から初瀬ダムへ。
合併で今は奈良市になっていますが旧都祁村に入り南之庄の三陵墓古墳群へ、少し判りにくい処ですが、静かで休憩するのは丁度良いところです。 朝食がわりのパンをかじりながらTwitterをしていると、鈴鹿のあびさんが上野方面へ走られているとの事でお昼をご一緒する事になりました。
針IC付近からR25下道を経て助命(ぜみょう)から上津ダムへ、2000年に竣工した比較的新しいダムです。
上津ダムで休憩していると後輪がスローパンクしています、どうやらダム周回路のグレーチングで段差の大きいものがあって、そこでリム打ちでもしたのでしょう、どうせここで昼寝でもしようかと思っていたところですので、のんびりとチューブ交換をします。
遅瀬川に沿って県道<181>遅瀬西波多線を走りR25五月橋に下ります。 名張川に架かるレトロな鉄橋、前後にボニートラスを従えたトラス橋です。 昭和二年横河橋梁製作所大阪工場製。
五月橋を渡ると三重県ですが、ここままR25を走ってゆくとあびさんとの待ち合わせには早すぎますので、少し遠回りして名張川沿いに少し遡ってカントリーパーク大川(おおこ)の先の吊り橋を渡って三重県側に入ります。
伊賀上野着、R25から旧道ぽい処を走って市街へ入ってくると、自然と上野町道路元標の建つこの三叉路に出てきますから、当然と云えば当然かも知れませんが不思議なものです。
まだ待ち合わせには時間があるので、最近SORAさんが訪れた旧小田小学校本館へ立ち寄ってみます、上野城の北西にある明治時代の小学校建築で、内部の見学できます。 私の世代には板張りの床が懐かしいです。
レトロな色ガラスの意匠、オリジナルも少し残っていますが、これはレプリカだそうです。
待ち合わせの鍵屋の辻「数馬茶屋」へ、わらびもちを頂いてから、外のベンチでのんびり過ごします、風がとても心地良いです。 あびさんも予定より早く到着、案の定向かい風と暑さに相当苦しめられた様です。
久しぶりに「伊賀路」へ、もちろん「牛タン麦飯とろろ定食」です、写真を撮るの忘れていて箸をつけてしまっていますが。
数年前、同じく伊賀上野の「わかや」へ集合し、お昼に「豆腐田楽」を食ってから御斉峠を越え、信楽から阿山と走って、夜ここで食事をすると云うグルメと云うかカロリーオーバーなツーリングを何度か行ったのですが、その後狂牛病騒ぎとか道路の通行止めとかで途切れてしまい、今では「伝説」のツーリング企画になってしまいました。 しかし仲居さんが覚えておられて、余程に目立った団体客だったんでしょうね。
さて帰路はどうしようかと悩んだのですが、今度は私が向かい風に苦しめられる番です、今日は目標100キロだったのですが、御斉峠から信楽~加茂と走るコースは今日はちょっと辛いので、とにかく伊賀神戸方面へ、いので、酒蔵を覗くと云う、あびさんと市街でお別れして、とにかく伊賀神戸方面へ向かいます、そこからは近鉄大阪線に沿って走れば、いつでも輪行で乗り換えなしで帰れるのですが、結局は西日と向かい風に苦しめられて、伊賀神戸駅から輪行する事に。 本日の走行83.8キロ。
今年になってモチベーションが下がり」っぱなし、時間ができても朝になったらくじけてしまう、で輪童さんの「風のたより」他に告知してみました。 急だったので釣れたのは輪童さんと天五さん、案の定朝にはすっかり走る気がうせているのですが、同行者もいるので少し早めですが6時15分に桜井を出発します。 初瀬ダムの坂を登ろうした頃に輪童さんから電話、約30分位後ろにいる様です、ところが坂を登っていると左膝に痛みが、昔寒い時期に無理をしたのが災いして、今なお冬場は痛む事があるのですが、走り込み不足と今年初めて膝を出したウェアに、朝の冷気が堪えた様です。 暖まると収まると思っていたのですが。
初瀬ダム、小夫(おぶ)、天神社奥宮の水場と少しずつ休憩しながら、輪童さんを待ちます。 結構評判の名水とかで水くみの人が並んでいたりする事もあるのですが、さすがに時間が早いようで。
案の定、今日もドッベルギャンガーでやってきました。 課題のステムの改造も済ませて、調子は良さそうです。
旧都祁村に入って三陵墓古墳にて、県道から見えないので少しわかりにくいですが、清潔なトイレや四阿があって絶好の休憩ポイントです、テーブルのないのが残念。 ここを20分遅れで出発する事になり、上深川から入るコースを、ジェットコースターの様な農免道路でショートカットしたものの分岐を間違えてしまいどんでもない劇坂を登った末に農免道路に戻ってしまいました。
どうにか予定のコースに入ります、名張川の支流遅瀬川の上流から新しくできた上津ダムを経て<181>遅瀬西波多線に入る、かなりレアなコースです。 予定では上津ダムで15分位は休憩してから五月橋を予定の時間に到着する予定でいたのですが。 上津ダムを通過して五月橋0925着、どうやら他にドタ参はいない様です。
旧R25(いわゆる非名阪)の五月橋、前後にポニートラスを持ったレトロなトラス橋です。
近鉄の伊賀神戸まで輪行で来る予定の天五さんとは1030に伊賀上野の田楽の店「わかや」で落ち合う予定ですが、今度は20分も早く伊賀上野へ着いてしまいました。 そこで甘いものは別腹と云う事で鍵屋の辻の「数馬茶屋」でわらび餅を頂く事に。
「わかや」前にて、一時ここで田楽を食ってから御斎(おとぎ)峠~信楽~御葉木峠を回って伊賀上野に戻り、「伊賀路」で「牛タンとろろ定食」を食って宴会になると云う、とんでもなくグルメと云うか高カロリーなツーリングがブームになりましたが、狂牛病騒ぎで一時メニューから「牛タン」が消えたのと<334>神山多羅尾線が暫く通行止めになったりした事もあって、いつまにか熱が冷めてしまいました。 しかしBlogなどなかった頃にツーリング系サイクリストにはルーツとも云える「ランドナー補完計画」の面子に峠おやじナワールドさんや今のSORAさんが参加していたり、また名古屋の「はづき」とのジョイント企画もあったりして、関西と中京のサイクリストに「わかや」は知られる様になってしまいました。 もちろん一般的にも休日には行列のできる伊賀上野の有名店ではありますが。
伊賀上野から御斎峠へは<138>信楽上野線一本なのですが、高倉から直登の激坂区間があるので少し手前から裏道に入ります。 写真は途中にある水場。
御斎峠へは春夏秋冬、四季を通じて何度も登っていますが、情けない事に今回が一番キツかったです、暖かい処か暑いと云う陽気なのですが、膝の痛みも時々出てきます。
多羅尾にて、ここで小峠を越えて信楽側に出て、<5>木津信楽線で滋賀京都境を越えて加茂へ下るか、押原越から三国越林道で童仙房経由から下るかと思案した末に、車の少ない童仙房経由を選んだのですが...
三国越林道は東向きには何度も走っていますが、西向きは初めて、それも疲れもたまった帰りに選択してしまったのは大誤算、こんなにアップダウンあったかと思う事しきり、思いっ切り押しも泣きも入ってしまいました。 ようやく和束近くまで下ってきました。おなじみ和束のローソンで休憩の後、輪行で帰途に就く鈴童さんと加茂で、天五さんとは木津で別れます。 今年初めての100キロ越えでもう目一杯でしたが、ガード付きで輪行するのも邪魔くさいので、奈良阪さえ越えれば騙し騙しどうにか明るいうちに帰れるだろうと自走で桜井に向かいます。
加茂にて木津川河畔、実は天五さんと初めて出会ったのはこの土手上のコ-スで2006年6月3日でした。以前なら「伊賀路」で「牛タンとろろ」の時間ですから、少々お腹が、途中で天五さんに貰った菓子パンをかじって7時前には桜井に無事たどり着きました。本日の走行135.0キロ
「紀伊半島の峠」はほぼ走破しているのですが、未だに行く機会に恵まれなかった三重県尾鷲市と熊野市の境にある「矢の川(やのこ)峠」に、A氏とU兄の計らいでようやく訪れる事ができました。 もちろん現R42の矢の川トンネルは通ってますが、熊野市側が廃道状態の旧道へは初めて足を踏み入れます。
U兄の車に便乗、介添役にT御大にも来てもらいました。 桜井かR169~R309~R42と走り2時間半程で矢の川トンネル尾鷲市側の旧道分岐点までやってきました。 雨は止んでますが矢の川峠は雲の中、日本有数の多雨地帯、予報でもこの地域だけは午後も雨雲がとれません。
NHKの施設があるために車も入りますし、登山者も入りますが、入り口からこの状態、想像通りと云うか想像以上と云うか…
矢の川峠開鑿記念碑、昭和15年3月とあります。
尾鷲側には5つのトンネルがありますが、かつては国鉄バスも通っただけに断面は大きいです。
みなさん快調に乗ってますが、私はてんで駄目です。
一行に遅れる事?分、12時過ぎに標高800mあまりの矢の川峠に到着、途中からは下界が少し見えていたのですが、峠は雲の中、少し寒い位です。
かつての峠の茶屋の女主人稲田さんの慰霊碑の前で記念写真を。
しかし熊野市側は... 殆ど担いでいた様な
さてここで問題、後ろで前転しているのは誰でしょう(^_^)v
かつてここには立派な橋が架かっていたのでしょう。
現役時代の名残でしょうか。
阿保(あお)は初瀬街道(阿保越伊勢街道)の宿場町として知られ、大正9年に町制、昭和30年に種生、矢持、上津と合併し青山町となった。 平成16年に上野市他と合併し伊賀市となり、名賀郡は消滅した。 道路元標は大正9年4月1日三重県告示第151号によると阿保橋南詰とあり、現在も阿保橋南詰に建っているが、現存していると云う情報は少なくともネット上には今までなかった。
興味深いのは正面に’道路元標’ではなく「阿保町元標」とあり書体も道路元標としてはユニークである、隣町だった阿山郡上野町の書体と同じで、同様に向かって左側面に「三重県名賀郡阿保町」、右側面に「三重県」と彫られている。 だだ塔頂の形状が省令に沿った形でどちらかと云うと度会郡の小俣町や四郷村に近い。