道路元標蒐集の旅(’12冬 2日目)

20120109c.jpg朝日に輝く唐津湾を望む海岸線のR204を行く

佐賀駅0643発唐津線西唐津行きに乗車、始発ではないのですが、西唐津に7時前についてもこの季節まだまだ暗いもので、それに九州ですから関西より当然日の出が遅いです。 

唐津までは最近も来ましたが、西唐津駅は40年ぶりです。 広い駅構内が西唐津機関区のあった往時を偲ばせます。 当時は筑肥線の付け替え前で、もちろん唐津駅も現在の高架の駅ではありませんでした。 西唐津から先は呼子線として建設が始まっていたのですが、国鉄民営化の中で結局工事は中断されてしまいました、今もトンネル等の遺構が残っているそうです。
 今日は佐賀県西部に残る未収の道路元標を巡る予定ですが、最北の名護屋から有明海を望む鹿島市の七浦村道路元標まで都合8基を辿りながら南下するのは難しそうなので、最初は唐津から西へ向い切木村道路元標から南下しようかと考えてみたのですが、ここへきて北風も強くないので名護屋村道路元標へ向う事にしました。

 

 

唐津から名護屋へ向うには海岸沿いに走るR204と、太閤道と呼ばれるショートカットの県道があり4キロ位距離は短い様ですが、山越えの県道の方が交通量が多く、海岸沿いのR204もアップダウンもそれ程でもなさそうなのでこちらを選んでみました。 屋形石まではなかなか風光明媚な海を望むコ-スで自転車で走るならこちらがお勧めです。

 

 

呼子でちょっと寄り道、「日本三大朝市」なんだそうです。 その日本三大朝市は輪島、高山に千葉県の勝浦とここ呼子が争っている様です、確かに輪島、高山と比べるスケールは小さいですが、千葉県の勝浦は行った事がないので。 いかシュウマイのバラ売り100円があったので頂きました。

 

 

この手のものは苦手なんですが、ナマコって結構エエ値段するんですねぇ。




 

 

呼子港にて。

名護屋村道路元標の後、文禄の役で有名な名護屋城跡を少し覗いて玄海町へ、話題の原発立地の町だけに道路も橋も立派ですが、私が興味を持ったのはこの橋? どうやら「仮屋湾遊漁センター」と云う海洋釣堀へ行くためのものなんですが、誰か自転車で走って。

切木村道路元標、北波多村道路元標、道の駅「伊万里」へ経て南波多村道路元標へ、北波多村からここまでR202は思っていたより車が多くて、それも休日にも関わらずダンプの多い事。 南波多道路元標は「南波多村役場跡」碑として再利用されている様です。

次の若木村道路元標まで少しだけですが筑肥線と並行するので、列車時刻を調べてみると伊万里行きがやってくる様ですので少々鉄分補給を。 今では福岡市地下鉄に乗り入れている筑肥線ですが、唐津より西側は非電化の典型的ローカル線、レトロと云うより廃屋同然の肥前長野駅。

やってきたのは案の定黄色のキハ125単行。

佐賀在のそーつくさんに教えて頂いた杵島郡の若木村道路元標、頭部だけが残されて公民館向かいに放置されています。 基部はどこにあるんでしょう。

 

住吉村道路元標に辿り着いたのは16時を回った頃、ユニークな視点で書かれた解説板があります。
 この後七浦村までは無理としても、嬉野市に残る吉田村道路元標まで行けるかとは思っていたのですが、まだ20キロ近くもあり日没には間に合いそうにありません、名護屋まで北上して自転車ツーリングとしても満足できるコースを走る事ができた事ですし、残り2つの道路元標は次の機会にして長崎本線の上有田駅へ向う事にします。 今夜宿泊の東横イン新八代駅前は八代市街から遠く離れた田んぼの真ん中、九州新幹線の駅前と云ってもコンビニも何もないのです、前回は熊本駅構内のコンビニで買出しして行ったのですが、今日は買い物する時間の余裕がありません。 上有田駅はもちろん有田駅周辺にもコンビニの類はありません、どうやら少し行くと地方スーパーがある様なのでそちらへ向います。

 

 

 

鳥栖駅で鹿児島本線に乗り換え、ここのホームの立ち食いには「アスパラ天そば(うどん)」なるものがあって以前頂いたのですが、どうやら季節メニューの様です、残念。

佐賀0643~0758西唐津/有田1745~1915鳥栖1935~2014銀水2033~2126熊本2137~2209新八代 4,650円分乗車
本日の走行96.7キロ