ちょっと「まんま亭」まで

20160117b.jpg 今日からお天気が悪くなると云うので、どこにも出かけずに大人しくしていようと考えていたのですが、陽射しがあってなにやらお天気の崩れるのは夜からと云う事で、少し走ってみようかと、さりとて何処へ行くあてもないので、奈良は「高畑まんま亭」までお昼にカレーを食べに往復して行く事にしました。
 
20160117e.jpg 桜井から奈良まではいつも上街道(上ッ道)と呼ばれる旧街道を走って行きます、まぁ昨年は往きと帰りで100回は走っている道なのですが、古くから集落を継いでいる街道なので、途中には幾つもの道路元標が現存しています。 三輪町(左上)、織田村(右上)、巻向村(左下)、柳本村(右下)。
 
20160117f.jpg この辻に朝和村道路元標があったとされていますが、長い事行方知れずとなっていました。 それが数年前あろう事が京都市南区上鳥羽の 丸三冷蔵本社工場内に放置されている事が判ったのです、ところが私が訪れた2012年暮れには既に撤去されていて再び行方不明となってしまっているのです。
 
20160117g.jpg 日本有数の宗教都市天理市の前身である丹波市町道路元標、元の位置に程近い市座神社の境内に移設されています。 隣にある巨大な石は案内板によると、かつて布留川南流に架かっていた橋だそうですが、道路元標に関しては何の説明もありません。
 
20160117h.jpg 櫟本町道路元標は、この橋の北側にあったらしく「天理市史」にもその旨の記載があるそうのなのですが、その後処分されてしまった様です、「土橋」と銘版のついた古い橋の親柱の隣に残っているのは、どうやら道路元標の基部らしいのですが。
 
20160117i.jpg 帯解村道路元標は基部が残っていると云う情報があるのですが、実際に私は確認はできていません。 皇室御用達の腹帯で知られる帯解寺、今日はなにやら祭事があるかして参拝者で賑わっていました。
 と云う訳で「まんま亭」への往路は上街道に残る道路元標の生存確認ポタリングになってしまいました。
 
20160117a.jpg 高畑町の「まんま亭」に着いたのは1時半頃、バーグカレーにぜんさいまで頂いておなか一杯になり満足して帰る事に、往きは道路元標だったので、帰りは山の辺道でも辿って帰ろうかとも思ったのですが、風が出てきたので帯解まで県道を走り、再び上街道で帰途に就きました(写真はまんまさんに撮って貰いました)。 本日の走行42.7キロ、消費カロリーの方が小さい様な気がしますね。