梅雨の中休み 信楽へ(後半)


御斉(おとぎ)峠からの伊賀盆地の展望

 1118 信楽駅を後にします唐突ですが1971年当時の信楽駅です。R307と県道138号を少し走って信楽中学横の坂を越えて大戸川べりへショートカットします。R307のバイパス工事が行われていて、いずれ信楽駅周辺の風景は一変するかも知れません。R422の対岸の自転車道(自転車通学路)を走って神山へ。県道334号多羅尾神山線へ入ります。手前の大戸川べりの道が舗装されていたのでそちらへ入ったのですが…
 山田牧場なる牧場がありましてお馬の親子になぜかダチョウが。そのまま走って行くとなんだか風景が違う、どうも道を取り違えた様です。このまま走っても県道138号に出て多羅尾経由で御斉峠へは行けるのですが小峠の北側に出てしまうので引き返す事に。
 大戸川沿いの県道334号に入ります、1.5車線のひなびた道が続き車はあまり来ません。
 1キロ程で「鶏鳴の滝」への分岐へ、滝までは0.8kmと案内板があり、そちらへ進むと芋ヶ峠の明日香側よりマシな程度の道が続きます、雨上がりでなければロードでも問題ないでしょう。
 駐車スペースや四阿、仮設トイレ、水道(飲めません)があってここからは自転車を置いて歩きとなります、滝までは125mとありますが、担ぐには些か足元が悪いです。

 決して大きくはありませんが、なかなか見応えのある滝で、寄り道して損はないかと。右側の画像をクリックすると動画(7秒)にリンクしています。
 分岐へ戻り再び県道を遡り御斉峠(570m)を目指します、信楽との標高差は300mもないのですが結構アップダウンがあって結構堪えます。御斉峠の切り通しより手前のピークの方が標高が高い様にさえ思えますが。処で御斉峠と云えば「本能寺の変」の折に徳川家康が遁走した「伊賀越の道」としても知られていますが、伊賀と甲賀を分かつ峠として司馬遼太郎の「梟の城」の舞台となったり、多羅尾代官所の仕置場(処刑場)跡があったり、月ヶ瀬村女子高生殺人事件の死体遺棄現場だったりと話題には事欠かない処です。
 1323 滋賀三重県境の切り通しに到着、古来の峠は少し東にある様です。処で御斉峠の文字表記ですが是非「御斎峠なのか御斉峠なのか」をご覧下さい。現実には多くの標識で「御斉峠」となっていますが、峠から上野側に下った処にある三重県知事の書になる石碑やWikipediaでは「御斎峠」としています。展望はその少し下った辺りが良く伊賀盆地は元より西南方向には金剛の山並みまで望めます。
 歴史のある峠道ですが、広域農道「伊賀コリドールロード」の整備やR422の三田坂トンネルの開通で車は随分と少なくなった事もあるのか、路面も傷んだままで補修も行き届いていない様で快適ダウンヒルとは行かない様です、やはり御斉峠は登らないと価値がありませんね。些か腕がくたびれたので、広域農道と合流し「天吹山の霊泉」のあるベンチで暫し休憩。
 いつもなら伊賀市街へ入るのですが、結構時間を食われるので、高倉大橋で服部川を渡り伊賀盆地を南下する事に。写真は高倉大橋から望む上野城、後ろの風車は青山高原になるのかな。
 これからまだ40キロは走らなくてはならないのでR163との交差点にあるミニストップで補給食を調達しておきます。ここ最近伊賀上野からの帰途には伊賀神戸~名張~榛原といわゆる阿保越伊勢街道経由をとる事が多いのですが、今回は伊賀盆地の西のへり、集落を繋ぐ道を辿ってR25に入り帰途に就く事に。

 15時丁度に新しく架け替えられた五月橋に到着、以前の鉄橋は解体撤去されてしまいましたが、橋台と親柱が残っています。前後にボニートラスを従えた旧橋は保存されませんでしたが、撤去の邪魔になりそうな親柱を敢えて残しているのと、このスペースは何かしら公園でも整備するのでしょうか。
 判っていた事ですが五月橋を渡ってから大和高原へへの登りに取り付きます。標高差400m程、ただ中峯山、波多野、春日、山添村役場のある大西、菅生、豊原と山間の集落を縫うようにアップダウンがあるので額面以上に登らされます、既に100キロ超の脚には堪えます。ようやく名阪国道脇に出て神野口ICと小倉ICの相田、奈良市(旧都祁村域)との境界付近でようやくピークとなります。針から初瀬ダム、長谷寺に下り 1811 無事に桜井に帰投、走行136.0キロ、距離的には名張経由より10キロ以上短かった計算、まぁ下界の暑さより少しは涼やかに走れた気持ちです。



梅雨の中休み 信楽へ(前半)

府県道5号木津信楽線 京都滋賀県境にて

 西日本は異例の早い梅雨入りを宣言したものの、その後長い梅雨の中休みに、それはそれで良いのですが連日の猛暑が続いています。それも明日位までとの予報ですので、今日走っておかないと云う訳で、信楽方面を目指す事に。
 5時半過ぎに桜井を出発、上街道(上ッ道)を北上しますが、なんと櫟本で完全に通行止、いわゆる「北の横大路」と呼ばれる県道192号福住横田線と交差する処に架かっている「土橋」の架け替え工事の真っ最中。

 迂回路を探し橋の北側に出ますが、ここは櫟本町道路元標が建っていたとされる場所で「土橋」の親柱の傍に基部と思われるものが埋まっています。上田倖弘著「道路元標」に拠ると櫟本町道路元標は「改訂天理市史」(昭和51年刊)で「土橋北詰に現在倒れている」と記載されがなら保存などの処置がされずに逸失してしまったと嘆いておられます。過去に川ざらいをしたら道路元標がでてきたなんて話も複数あるので、周辺を見渡してはみたのですが…
 奈良市街に入り、いつもなら興福寺辺りから県庁前に出るのですが、漢国(かんこう)神社が「モバイルグランフォンドin奈良・吉野」のチェックポイントになっていますので「やすらぎの道」まで下る事に。ところで漢国神社の中には林神社なる社があって「饅頭の祖神」なんだそうです。
 奈良少年刑務所(旧奈良監獄)跡から奈良阪を越えて京都府へ、大仏線跡に沿って加茂、恭仁大橋で木津川を渡り井平尾から府道5号に入ります、既に道路脇の温度計が既に25℃を示しています。
 0837 には和束南のローソンへ、いつもなら何人ものローディがウロウロしているのですが、今日は珍しく今日は1人だけです。サンドイッチと飲み物を買って小休止、なんでもM氏が近くを走っていたのだとか。

 このルート4月にも「齋藤電鉄氏迎撃琵琶湖キャンプ」で走っていますが、その折は湯船から朝宮へ越えています。少し向かい気味ですが、涼やかな風が心地良いです。

 奈良交通のバスの終点小杉を過ぎると谷が開けてきます。信楽へ向かう多くの車は朝宮の方へ回りますので、車が少なく快適な道です、一昨年5月30日にF1氏と一緒に走って以来。1012 には滋賀県との県境になる無名の峠(357m)に到着、信楽から先のルートはまだ考えていないのですが、自走で帰るとなるとやはり伊賀上野(現在は伊賀市)経由しかないですよね、とにかく信楽駅を目指します。

 杉山口でR307を跨いで旧道へ、少し現道を走らないとならない部分もありますが、窯元の並ぶ道と旧い街並みを抜けて信楽駅まで行く事ができます。1039 駅前でお馴染みデカい狸が出迎えてくれます、2年ぶりですが昨年から白いマスクをしているのが、このマスクいつ外せる世の中になるのでしょうかね、狸も困り顔。
 暫し休憩しながらこの後のコースを考えます。一般的なのは素直にR138を辿って御斉(おとぎ)峠。勅旨から林道牧杉谷線を越えて岩尾池を回るコースも考えてみましたが、さすがに遅くなってしまいそう、車の多いR422の桜峠はないとしても御葉木峠(槙山新田越)で阿山経由はありかなぁ… やはり一昨年同様に神山経由で御斉峠かな、32Cを履いたasuka号ですし「鶏鳴の滝」にでも寄ってみるのも。(後半へ続く)