花いっぱいR166旧道脇道裏道ツーリング

櫛田川に残る沈下橋を渡る、ってヤラセです、ここへ降りて貰う為に薮漕ぎして頂く事に。
天気がもっと良くて、櫛田川の水量が豊富なら。


R166を対岸に見下ろす疎水脇でのんびり休憩


今日の最終目的地はここ、天五さんに教えて貰った松阪ホルモン「一升びん本店」


\(^o^)/ \(^o^)/ \(^o^)/ \(^o^)/

松阪牛そのものは高くて手が出ませんが、結構リーズナブルで美味しい松阪では有名な焼肉店です。


締めは(^_^;) 以前は三交百貨店の中にあったお店、本業は製餡工場がやっているお店だそうです。 ここでお昼の地震が震度5だった事を知ります。 お陰で近鉄は10?30分の遅れが...
 桜井?西峠?榛原駅?佐倉峠?新木津T?高見峠?波瀬?珍布峠?粥見?小片野?松阪駅 112.4キロ、久しぶりに’道路元標’抜きのサイクリングでした(^_^)


青春18きっぷ収支報告

3/9 桜井→周参見(紀勢線) \3890/紀伊有田→桜井 \4310
3/13 鶴橋→観音寺(予讃線) \4510/讃岐府中→鶴橋 \4050
3/20 下津(紀勢線)→桜井 \1890
3/21 桜井→西舞鶴 \2940/福知山→鶴橋 \2210
4/1 鶴橋→江原(山陰線) \2940/香住→鶴橋 \3890
4/5 鶴橋→余部(姫新線) \1890/播磨新宮→作用 \480/播州赤穂→鶴橋 \2210
4/6 桜井→東舞鶴 \2940/西舞鶴→桜井 \2940
4/8 桜井→明石 \1890/明石→桜井 \1890
4/10 鶴橋→和田山(山陰線) \2940/八鹿→鎧 \950/餘部→和田山 \1110


2枚目はさすがに5日丸々使いきる事は難しかったので、Yahooオークションで4日残のものを落札して計9日分をきっちり消化しました。 まぁ極端な例でしょうが\49870分乗車してきました。


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道路元標蒐集サイク 播但線に沿って

何もない和田山に泊まるより、せっかくここまできたのだから城崎温泉にでも泊まれば良いのですが、現在の但馬地方の中心都市だし近くに企業団地があったりして安いビジホや宿が幾つかありますからネ(^_^;) まあ一泊したお陰で随分ゆっくりできて、他にする事もないので、いつもより良く寝ていた様な...
 朝7時には出発、今日はJR播但線に沿って姫路を目指します。 まずは朝来郡与布土(ようど)村道路元標、場所は特定できていなかったのですが与布土小学校正門脇に保存されていてすぐに見付ける事ができました。
↑ 円山川沿いはどこも桜が満開です、但馬竹田にて。


和田山から姫路へはR312が通じていますが播但道があるものの大型車が多いので、旧道を継いで走って行く事にします。
← 田和坂、1200年もの歴史のある生野鉱山のあった生野町も現在は朝来市となっていますが、ここが分水界となる峠で生野の町の中と云って良い場所にあります。 現在のR312の生野峠(真弓峠)の標識のある峠は朝来郡と神崎郡の境界で市川と市川の支流猪篠川との間の峠になります。 市川沿いは急峻な渓谷となってるために、この峠を越える事が生野へのルートとなっている訳で、古戦場とかもあった位ですから分水でもない生野峠が戦略上も重要な峠だった様です。 なお氷上郡との境にも生野峠と呼ばれる青垣峠があります。


生野町を後にし生野峠を越えるとR312に沿って下り基調のコースです、現在旧道に沿う様に’銀の馬車道’と云う名の案内が整備されています。 神崎郡大山村、粟賀村、鶴居村、田原村と回り柳田国男生家も保存されている神崎郡歴史民族資料館へ、ここは元の田原村域ですが、隣の八千種村道路元標が保存されています。


↑ 神崎郡歴史民族資料館となっている元神崎郡郡役所の建物、なお丸ポストは蓋がしてあって投函はできません。


姫路市域に入り、神崎郡船津村、豊富村、飾磨郡水上村と回り姫路城を東から南にまわりこんで高岡村へ、しかしここまで来るととても5万図では歯が立ちません、携帯に登録しておいた地図情報が頼りです。


結局姫路市域で日没までに10基をGETし、山陽電鉄的形駅からするっとKANSAI3Dayチケットと利用して帰途に就く事に、山陽?阪神?地下鉄?近鉄と\2060を\5000/3で帰ってきましたが、山陽?阪神は直通なものの、自動改札を何度か通らなければならないので大変です、やはり「18きっぷ」が良いですわ。
走行 105.2キロ

↑まるで墓石の様(^_^;) 10日4基、11日17基、内10基をGETした姫路市域は道路元標の宝庫なのですが車も多いし、正直云ってあまり愉しくもありません、それに詳細な市街地図を持っていないと効率よく回るのはなかなか大変です。
【164】兵庫県 朝来郡 与布土村 (現 朝来市)
【165】兵庫県 朝来郡 生野町 (現 朝来市)
【166】兵庫県 神崎郡 大山村 (現 神崎郡神河町)
【167】兵庫県 神崎郡 粟賀村 (現 神崎郡神河町)
【168】兵庫県 神崎郡 鶴居村 (現 神崎郡市川町)
【169】兵庫県 神崎郡 田原村 (現 神崎郡福崎町)
【170】兵庫県 神崎郡 八千種村 (現 神崎郡福崎町)
【171】兵庫県 神崎郡 船津村 (現 姫路市)
【172】兵庫県 神崎郡 豊富村 (現 姫路市)
【173】兵庫県 飾磨郡 水上村 (現 姫路市)
【174】兵庫県 飾磨郡 高岡村 (現 姫路市)
【175】兵庫県 飾磨郡 荒川村 (現 姫路市)
【176】兵庫県 飾磨郡 津田村 (現 姫路市)
【177】兵庫県 飾磨郡 高浜村 (現 姫路市)
【178】兵庫県 飾磨郡 妻鹿村 (現 姫路市)
【179】兵庫県 飾磨郡 糸引村 (現 姫路市)
【180】兵庫県 印南郡 的形村 (現 姫路市)


青春18きっぷサイク「道路元標を求めて」

‘青春18きっぷ’もいよいよ今日が使用期限、悩んだあげく雨で途中で切り上げて取りこぼしてしまって気になって仕方がない’餘部村’へ行く事に、もちろん餘部鉄橋もネ(^_^) でもそれだけでも勿体ないので和田山駅で途中下車し養父郡の3基をGETしてから八鹿(ようか)駅から再び輪行で餘部へ移動と云う計画です。
 前回は春休みとあってそれと覚しきマニアの姿も多かったし、さすがに’青春18きっぷ’も最終日となれば利用者も少なく列車の混雑具合も平常に戻った様です。

和田山1041着、’糸井村’、’大蔵村’、’八鹿町’の3基をGETして約12キロ2駅先の八鹿1400発に乗車しなければなりませんが、いずれも場所を特定できていないのが...
 ’糸井村’は資料に拠ると山陰線より3?4キロ山間部に入った辺りと類推できるので県道10号を旧道沿いに遡り訪ねてみたのですが一向に見当たらず、交番で郷土歴史館を教えて貰い訪ねますが手掛かりは得られず、農協、小学校と見て回りますが見当たりません、そろそろタイムリミットなので諦めて’大蔵村’を目指し走り出し、なんとなく気配のある辻で振り返ると\(^o^)/ 
↑写真の右側の植え込みの中です、影の方から走ってきましたから良く見付けられたものです、しかし今回も古い大字名に惑わされてしまいました、実際の所在は山陰線から1キロ程の処でした。 既に時間は12時半です。


幸い’大蔵村’は先の郷土歴史館で場所を教えて貰っていたのですぐに判り、’八鹿町’もほぼ見当を付けていた位置に建っていて八鹿駅には余裕で到着。
 真っ直ぐ餘部駅まで輪行するのも何なので、一つ手前の鎧(よろい)駅で下車、前回リタイヤした香住から走る事を思えば楽ですが、それでも100m程登らないと餘部へは越えられません。

↑片面にホームがあるだけの停留所の様な餘部駅と違って鎧駅は日本海を見下ろす雰囲気の良い駅です。


頑張って山越えしてR178を突っ走り餘部鉄橋を渡る上り普通列車を写す事ができました。
 しかしKHSって本当に日本の風景に似合わない自転車ですわ(^_^;)


海側から下り普通列車を(^_^)
 ところで餘部駅はこの鉄橋の横にあるので、駅へは急斜面の歩道を押し上げなければなりません。
 桜井へ帰り着く事が出来る時間の列車に乗る事ができますが、慌てて戻らなければならない用件もできていないし、明日の天気もまずまず、適当な宿も取れたので、今日は和田山で一泊する事にしました。

走行 34.6キロ
【160】兵庫県 養父郡 糸井村 (現 朝来市)
【161】兵庫県 養父郡 大蔵村 (現 朝来市)
【162】兵庫県 養父郡 八鹿町 (現 養父市)
【163】兵庫県 城崎郡 餘部村 (現 香美町)
?つづく?


明石?淡路ポタ

垂水に集合し、まずは明石で丸善食堂に立ち寄って腹ごしらえしてから淡路島岩屋へ、今回は’たこフェリー’ではなく往復ジェノバラインで、自転車の乗り降りもてっとり早いしさすがに高速艇は早いです。


淡路へ渡ってなんぼも走っていないのですが、次は東浦の「えびす屋」へ。

←’海鮮丼’で?す、これは9さんとレオさんが食べてました。 私はなぜか’さぬき丼セットなんてのを’戴きましたが。


今日はKHSが3台
 左から私のF20-R(2006)、ら氏のF20-R(2005)ドロップ化、D女史のF20-AS S翁の手でフロントダブル化。


まさか今日は’花桟敷’に登る事になろうとは...


明石に戻ってとどめは’明石焼’

走行38.3キロ、ちゃんと’道路元標’もGETしました。
【158】兵庫県明石市
【159】兵庫県津名郡浦村(現 淡路市)


【157】舞鶴市道路元標

舞鶴町が昭和13年に市制をしき舞鶴市となり、その後昭和18年に東舞鶴市と合併、昭和30年に加佐郡加佐町を編入し現在の形となっている。


珍しく正面に’道路元標’、側面に’舞鶴市’と彫られた様式である。 ‘舞鶴市’とあるからには昭和13年以降に設置されたものに違いないが、同じ昭和13年に成立した隣の‘東舞鶴市道路元標’が省令に従った従来様式なのが疑問である。


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【156】東大浦村道路元標 (京都府加佐郡)

東大浦村は舞鶴半島の東半分に位置し、昭和17年」に当時の東舞鶴市に編入された後、昭和18年に舞鶴市となった。


道路元標は舞鶴湾側から日本海側へ府道<561>田井中田線の大山峠を越えた大山地区公民館前にあり、標高差240m余りを登らなければならない。


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古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。