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年忘れ「石川ポタ」

「あすか鍋サイク」とともに年末の恒例行事になっている「石川ポタ」、大和川の支流石川沿いのサイクリングロードの10km程を往復する、掛け値なしの「真性ポタ」です。 昨年は少し寝過ごしてしまいKHSで往復輪行の体たらくでした。 今年は幹事役のUG兄氏から炊き出し隊の要請を受けましたが、食材と装備を積んだ4サイドで大阪柏原までの30キロを往復するには、タイヤとガードを交換して足回りを強化しなければ不安で、今週は時間と加えてモチベーチョンもないので。 柏原まで車で来られる大黒屋さんに食材の準備をお願いして、集合場所から私が2サイド装備で運ぶ事にしました。

桜井から柏原までは近鉄大阪線沿いにR165を走って行けば良いのですが、例によって旧道や裏道を縫って田尻峠を越えます。 写真は近鉄の旧玉手山トンネル、トンネルの上を現在のR165が走っています。 この旧道には奈良県と大阪府の県界標が建っていて「従是東奈良県管轄」「従是東大和国北葛城郡二上村田尻」とあり、奈良市元標、高田町元標、北葛城郡役所までの距離が里町間で記されています。 奈良県下の道路元標探索のバイブルとも云える「道路元標」を尋ねて~奈良県ふるさとめぐり~の著者上田倖弘氏はこの県界標の調査がきっかけで道路元標探索を始めたそうです。
 なお現在この旧道は橋が陥没していて通行止になっていますが、自転車を押して抜ける事は可能でした。

のんびりと走って行っても集合場所の柏原市役所前には9時過ぎに着いてしまい一番乗り、暫くするD女史が到着、食材をサイドバッグに押し込みますが、ほぼ30人前の「ぜんざい」は相当な重量です。 しかし今回は事前の参加表明が少なく、全てを積んで行かなくても良かったのですが、お見送りを含めて結局15名程が集まってきました。 作業服のまま駆けつけて少しだけご一緒したご仁はダイバーてっちゃん(^o^)

さあ、いよいよ出発。 ロードレーサーが行き交う石川サイクリングロードをサイドバック装備のランドナーを中心にした異様な集団が走って行きます。






たいした距離でもないのですが、途中一度の休憩と云うかお喋りタイムを挟んで通称「OHCHOの森」へ到着。 UG兄さんの鍋、まっちゃんさんの「おでん」、大黒屋さんの「ぜんざい」の準備が始まります。




20091227h.jpg「石川ポタ」では毎年お世話になっているUG兄さん、今年は「豚骨醤油味」です。








 

恒例のビンゴゲームで持ち寄りの賞品交換。 今年は携帯ツールを賜りました。








20091227b.jpg 本来の参加者で
走ったのは14名だったのですが… 「振る舞いぜんざい」でKHSの1名をGET!
 私が小さい頃、正月に大阪船場では厄落としに店の前で「ぜんざい」を振る舞う処があって、良く食べに行って来いと云われたものです。


柏原市役所まで戻り解散。 輪行の用意もしていたのですが頑張って自走で帰途に就きます。 久しぶりの竹之内峠です、私が自転車で最初に越えた名のある峠と云える峠ははここなんです、もちろん当時はダートでしたが。 ちなみにここにも県界標が建っています(写真右上)。 すっかり暗くなった18時前に桜井へ無事帰着、本日の走行78.9キロ。

 

PS:くたびれたのと眠たいので早々にダウンしてしまいましたが、未明に起きだしていつもの様にうちのHomePageの「ツーリングの記録」に写真をUPしました、集合写真も大きな画像(1280×960)で掲載しています。 なおログインには認証が必要です、ログイン名は’pal’ パスワードはFAX番号の下4桁です、カレンダー等をご覧ください。

道路元標蒐集の旅(信越編前夜)

仕事が一段落したら11月は新潟から長野か、島根県を回るプランを色々と練っていたのですが、思わしくない天気が続くなぁと思っていたら、しょうもない怪我をしてしまって。 乗って乗れなくもないのですが、輪行支度やパンクでもしようものなら難儀するだろうなぁと思い、今回は乗り鉄モードで信越方面を回る事にしました。

おなじみ大阪駅2327発、急行「きたぐに」で直江津に向かいます。 連休ですがこんな季節ですので自由席も列をなして並ぶ程の事はありません、糸魚川を目指す鉄ちゃんがチラホラと云う処でしょうか、それでも大阪でマスはほぼ埋まってしまいました。
 実は身軽なのを良い事に、ミナミでちょっと飲みすぎたのでしんどいですわ。

金沢まで

 この週末は四国か山陰方面へKHSを担いで「道路元標」漁りに行こうかと画策していたのですが、土曜日の天気が思わしくないのと、仕事の段取りも微妙なので頓挫。 「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」の消費期限が18日なので、金沢まで往復してきました。
 「鼓門」金沢駅東口の大屋根と云うかモニュメント、出来てもう3~4年になるらしいのですが、天気の良い日に東口の地上に出るのは久しぶりなので…
 木造の巨大構造物として意義はあるとは思いますが、金沢の此処に相応しいものかどうかは。
こんなのも「やかん」

もちろん「道路元標」も一応、撤去された「森本村道路元標」は移転保存されていました。 後ろは建設中の北陸新幹線の高架、完成すると第三セクター化とか在来線も色々と様変わりするでしょうが、北陸本線そのものは日本海縦貫としての役割もありますが、あれだけの難工事で金も時間もかかった北越急行ほくほく線なんか一転して赤字第三セクターに転落じゃないですか。 東京からの夜行「能登」や「北陸」はきっとなくなるでしょうが、私にとっては「きたぐに」だけは残してほしいものですが、583系も年季が入っていますから、後3年すら危ういかも、車に乗らない輪行派サイクリストにとって「ちくま」無き後、唯一とも云える信州へのアクセス手段なのですが。
 帰りは1638発の敦賀行きに乗車、のんびりと帰ります、もう475系も北陸本線だけになってしまいました、と云うより80系~153系の流れを汲む2ドアデッキ付き電車ってもう最後になる様な、ところで国鉄時代の塗色に復元されたものも走っている様で、かつての急行「立山」を思い起こします。 途中何度も「サンダーバード」や「雷鳥」に抜かされながら敦賀で京都行きに乗り継ぎ、山科で姫路行き新快速に乗り継ぎ、鶴橋経由で2241桜井に帰着しました。

南紀ツーリング前日

 お盆の「ヤマセミキャンプ」、先月のシルバーウィークは「小口キャンプ」と、久しぶりに紀伊半島づいているのですが、さて明日12日はU兄氏の「南紀ツーリング」、120キロの全行程は厳しいので、後半をご一緒させて貰おうと、前日に現地入りする事にしました。 今夜の宿は川湯温泉、R168を自走して行く事も考えたのですが、十津川までは8月にも走っているので、久しぶりに田辺側からR311で入る事にしました。

R42を殆ど走る事なくR311に入れるJR紀勢本線朝来駅まで輪行する事に、今回も「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」を利用したのですが、紀伊田辺以南は0753発から1051発まで3時間近くも普通列車がありません、車が多いですが一山越えるつもりなら紀伊田辺からスタートした方が早いかも知れません、まぁ桜井からのんびりと和歌山線経由で向かう事にします。
 朝来駅は島式ホームですが跨線橋はなし、輪行袋を担いで乗り降りが楽、少し走れば近所にコンビニやクロネコヤマトの営業所もあります。 無人駅ですがトイレもリニューアルされていました。

R311と云っても鮎川までは交通量の少ない富田川左岸の県道を走って行きます。 ところが市ノ瀬橋まで遡ってしまいR311沿いのコンビニへ寄るつもりが行き過ぎてしまいました。 紀伊半島の内陸部はメジャーのコンビニは皆無なので、さて。


日頃、特にソロツーリングの時は食事に入ったりする事はあまり無く、殆どコンビニ弁当やおにぎりで済ませてしまう事が多いのですが、今回は道の駅「ふるさとセンター大塔」 に立ち寄る事に、あんかけうどん定食、汗だくになって食べました。


R311も道がずいぶん良くなり熊野古道ブームで交通量も増えて、結構飛ばしているので。 極力旧道を選んで走って行きます。 写真は逢坂峠の旧逢坂随道、直線なので出口は見えているのですが、結構長いのでランプ必携です。



逢坂随道の西側は殆ど人も車もやってこないのですが、東側は熊野古道の牛馬童子像から箸折峠へのルートと重なるために熊野古道のはっぴを着た案内人が引き連れた団体やハイカー、それに送迎のタクシーまでやってきます。 正直云って世界遺産となってからの熊野は、至って天の邪鬼の私は敬遠していたのですが。

 

 

↑ 箸折峠からの山道と再び合流する辺り、果無の山々をバックに近露の里を見下ろせます。

 

 
近露から再び登り返し、小原峠を経て有名な「とがのき茶屋」へ、おかみさんに挨拶したものの、写真と撮っている内の後から来たグループに残り僅かのお団子をさらわれてしまい、日も短くなった事もあって時間も押してきていますし、先を急ぐ事にします。



かつてツーリングマップルに「西日本随一の不気味随道」と書かれた「高尾随道」、凄まじい漏水でカッパを着こみ、中央に排水溝があるため押してくぐり抜けたものです。 もう塞がれて十年にはなろうかと思いますが、新トンネルができても前のバス停は「高尾随道」のまま健在です。



ここもR311旧道の小広峠です。










17時過ぎに川湯温泉に到着しましたが、明日も早いのでR168まで出てデイリーヤマザキで買出しを済ませてから宿へ。 一昨年の「仙人風呂ツーリング」の時に泊まった「まつや」、温泉観光地にしては珍しく洋室シングルもあって、どちらかと云うとビジネスホテルの雰囲気ですが、ちゃんと温泉もあって加えて本館にあたる「みどりや」の露天風呂や、ちょっと豪勢ですが食事も利用できます。 仙人風呂の始まる来月までは格安プランもあったのですが、先週の台風のお陰で早めに予約を取る事ができなかったのが残念。

本日の走行66.1キロ。

小口キャンプツアー (三日目)

 

 

 

いよいよ3日目の朝、朝食の準備や撤収の段取りと結構忙しいです。 今日はT御大が自走でR168を走って帰途に、T5さんと鉄人Kさんと私は<229>古座川熊野川線で古座川町へ越えR371経由でJR紀勢線の古座駅を目指し、輪行で帰途に就く計画です。




<229>古座川熊野川線、こちらは和田川沿いに遡って行くルートですが<、44>那智勝浦熊野川線とかなり様相が違っていて畝畑までは深い渓谷にへばりつく様にデンジャラスな道が続いています。 写真の様にちゃんとガードレールがある箇所は少ないです。




素堀りのトンネルも三つ程あります。










畝畑で近年ようやく開通したホイホイ坂林道が分岐していますが、現在舗装工事中との事、完成すれば川湯方面へのコースとして使えますね。 ここから先は10数年ぶりで、その頃は県道にはなっていたものの未舗装区間が結構残っていました。




標高550m程の足郷トンネルへ到着










古座川町西川、通り雨でしたが雨宿り中です。









2007年6月の「CanCan謹製カレンダー」で使った古座川に架かるあぜちの吊り橋はご覧の様に「耐風索ワイヤー破断の為通行止」と渡れなくなっていました。





 

一部で話題になっている月の瀬の「ゆうや」、連休とあって賑わっている様で、次回一人の時にチャレンジしてみます。







古座駅で和歌山回りの特急「スーパーくろしお」で帰途に就くT5さん達と別れ、私はのんびりと新宮~多気~松阪~伊勢中川~名張と普通列車を6時間余り乗り継いで帰途に就きます。
 紀伊半島有数の険道<44>那智勝浦熊野川線、<740>小船紀宝線、<229>古座川熊野川線を久しぶりに堪能して充実したツアーを無事終える事ができました、 本日の走行68.9キロ。

 

 

 

 


↑ 新宮駅にて、新宮~多気間はキハ48の2両編成です。 まだまだ全国で活躍していますが、国鉄時代末期のディーゼル車です。

小口キャンプツアー (一日目)

5連休となった今年の9月の祝日、なにやら’シルバーウィーク’と云うらしい。 キャンピング装備による自転車ツーリングは8月に充分に堪能させて貰ったし、そちら方面のメンツもTOM(トーエーオーナーズミィ-ティング)とかで出払ってしまうだろうし、BBS「風のたより」のメンツで2泊3日の日程で往復は車で、中一日だけは走ろうと云うキャンプメインの軟弱な企画をあげたものの、元より車を持たない私が音頭取りするのも億劫だったのですが、R氏の車を段取りして貰える事で話が進み出しました。
 ホームグラウンドの紀伊半島で2日目のツーリングも考慮して’百間山'(旧和歌山県大塔村)、’小口'(旧熊野川町)、’おくとろ'(北山村)と候補にしてみましたが、連休とあっていずれも混んでいるものかと思っていたら、’小口自然の家’が空いていそうで簡単に取れてしまいました。 自転車やら荷物やら車載のキャパが限られているのですが、自走組やら復路輪行組やらと、なんやかやと7名の乗り合いがまとまりました。

往路は2台の車に4人4台が分乗し、T御大、T5さん、鉄人Kさんの3人が素直にR168を南下するのではなくR309~行者還~R169を経由して走ってくる事に。 朝から買出しを済ませ、猿谷ダム、風屋ダム、十津川村の道の駅で休憩や食事をしながら、最近情報を得た本宮村道路元標へ立ち寄って貰ったりしながらも。 今は新宮市熊野川町となった「小口自然の家」へ1時過ぎには着いてしまいました。

 ↑ お盆のキャンプツーリングで昼寝をしていた’風屋ダム’にて、あの時はたっぷりの貯水量があって放水を行っていたのですが、今はかなり水が少ない様です。

小口は熊野川に支流赤木川がさらに小口川、和田川、東川に別れる処で、熊野古道の大雲取越と小雲取越の間にあり、県道<44>那智勝浦熊野川線から<229>古座川熊野川線が分岐しています。 「小口自然の家」は旧熊野川町立小口小学校の廃校跡を利用した施設で、宿泊施設とテントサイトがあり10年以上前に2度程ソロで利用した事があります。 今は小口川を挟んで「小口キャンプ場」と云うオートキャンプ場ができていて、生け垣で区画整理されたまるで建て売り住宅の様なサイトで、そちらは満員の様ですが、こちらは殆ど貸し切り状態です。 なお料金は1張3200円となっていますが、ソロテントによる7名2泊で12800円と云う事にして貰いました。

↑ 16時到着を目標に走って貰ってりる自走組を待ちながらターフとテント等の設営を終えるまで結構忙しいです。  

郵便局と「南方商店」と云う一軒の商店があるだけの小口の集落の道、新しい道と橋ができているので、こちらは他所の車も入ってくる事も無く、郵便局がJPになった以外は昔のままです。 なお「南方商店」でも大概の食料やアルコールを含む飲料類や日用品は調達できます。



折々連絡を入れて貰っているのですが、自走組の到着は17時を回りそうなので、自走組には「自然の家」の風呂を使わせて貰う事にして、我々4名は熊野川温泉「さつき荘」まで車で往復する事に。





温泉の帰途、標高1000m越えの行者還を含む150キロ近いの距離を走ってきた自走組を補足。







 

食べるのが忙しくて、宴会の写真がありません(^_^;)

道路元標蒐集の旅(西日本編)

倉敷から笠岡まで輪行、ここから井笠鉄道廃線跡を辿りながら木之子村道路元標へ向かいます。     資料を持ってきていなかったので、ちゃんとトレ-スできてはいないのですが、井笠鉄道廃線跡は通勤通学に生活道路として有効に利用されている様です。 山陽道をくぐるあたりから少しダートになり県道に吸収されてしまいます。 井笠鉄道記念館、朝早いので開いてませんでした。 井原鉄道矢掛駅、井原鉄道には初めて乗車します。 清音で伯備線に乗り換えて次の目的地邑久郡美和村道路元標の最寄り駅、赤穂線の長船へ向かいます。 所在のはっきりしていなかった美和村道路元標もi意外と簡単に見つかってしまったので、お昼過ぎには長船駅に戻ってきてしまいました。 一応履修済みですが赤穂市民俗資料館中庭に保存されている赤穂町道路元標の撮り直しとか加里屋元標跡へも寄ってみたかったのですが、さすがに船中泊とかで疲れもたまってきているので、素直へ帰途に就く事にしました。 本日の走行41.8キロ、1日抜けていますが5日で284キロ。 【756】 香川県 香川郡 仏生山町  (現 高松市) 【757】 香川県 木田郡 川島町  (現 高松市) 【758】 愛媛県 宇摩郡 妻鳥村  (現 四国中央市) 【759】 愛媛県 北宇和郡 泉村  (現 鬼北町) 【760】 愛媛県 北宇和郡 三島村 (現 鬼北町) 【761】 高知県 幡多郡 大川筋村  (現 四万十市) 【762】 高知県 高岡郡 興津村  (現 四万十町) 【763】 佐賀県 佐賀郡 新北村  (現 佐賀市) 【764】 佐賀県 杵島郡 山口村  (現 江北町) 【765】 佐賀県 杵島郡 錦江村  (現 白石町) 【766】 佐賀県 杵島郡 須古村 (現 白石町) 【767】 佐賀県 杵島郡 福富村 (現 白石町) 【768】 広島県 豊田郡 幸崎町 (現 三原市) 【769】 岡山県 後月郡 木之子村 (現 井原市) 【770】 岡山県 邑久郡 美和村 (現 瀬戸内市)

道路元標蒐集の旅(西日本編)

 

今日は佐賀05:38の始発に乗車、鹿児島本線から山陽本線経由で、途中広島県三原市で豊田郡幸崎村道路元標に立ち寄って帰途に就く予定ですが、→08:23小倉08:24→08:41下関08:42→ と云うタイトな乗り継ぎで、案の定小倉駅での乗り換えは無理で出てゆく電車を見送ってしまいました。 階段を渡る必要もありますが、この1分接続は手ぶらでも無理な様でした。

↑ 下関駅にて列車待ち、小倉で1分乗り遅れて安芸幸崎へは50分遅れに。

今回は「18きっぷ」を後1回分残して、10日に岡山県下の道路元標を回る予定でいたのですが、今日中に無理して帰る必要もなくなり、改めて10日に出直す方が大変なので、今夜は倉敷泊で明日岡山県を回って帰る事に。 倉敷には東横インもあるし、月曜は会員20%引き中、ビジホ業界も大変ですね。 しかし余計な荷物は佐賀で宅急便にしてしまったので、着替えなので無駄にはなりませんが倉敷で買い物に行かなくては。
 安芸幸崎駅から幸崎村道路元標までは往復500m程、駅のベンチに輪行袋を繋いで徒歩で、従って本日の走行0.0キロ。

道路元標蒐集の旅(西日本編)

Image0906a.jpg八幡浜0:20分発の宇和島運輸フェリーで別府へ、この便は到着後もそのまま朝5時まで船内で仮眠ができます、但し到着後すぐに下船しないと5時まで下船できなくなります。 しかし昨日の爆走の疲れで船内放送があるまで良く寝ていました。
←別府駅前のレトロな建物の別府高等温泉、24時間営業なのでここでゆっくりする手もあるのですが。

Image0906b.jpg大分06:19の久大線で久留米へ向かいます。 昨年から大分駅は工事中で久大線と豊肥線が高架ホームになって地上ホームの日豊線との乗り換えが大変です、勝手が判らないとか輪行袋を担いでいると10分は見ておかなくては危ないです。

Image0906c.jpg久留米から筑後川沿いに下り、前回渡れなかった昇開橋を福岡県側から渡ろうとしたのですが、自転車は押してもダメだと云う事でした。 wikiや一部のBlogでは押して渡れるとか、渡っている旨の記載があるのですが。 係りのおっちゃんは頑として通してくれません、保存財団の正式の対応と云うので、引き下がるしかありません、輪行袋に入れて意地でも渡る手もありますが、大川橋まで迂回する事にしました。

Image0906d.jpg皮肉な事に昇開橋の佐賀県側は良く整備された桜並木のサイクリングロードが続いています。 これらは昇開橋を含めて元国鉄佐賀線の廃線跡です。
 今夜は佐賀駅前の東横イン伯、日曜なので会員は30%割引中、しかしチェックインには早いので、サイクリングロード沿いにあったコインランドリーで洗濯と休憩を。

Image0906e.jpgサイクリングロードは東佐賀駅跡で終わります。 この後佐賀市街を少し走り、荷物を預けて佐賀駅から肥前山口駅で下車、輪行袋を駅前の自転車置き場に括り付けて、歩いて200m程の道路元標が建つとされる処へ向かいます。 

090909x.jpg実はこれは佐賀市在住の方が見つけておられたのですが、場所や様式的に「道路元標」に間違いなさそうなものの、表面が隔離していて全く読めなくなっています。 丁度建っている処の民家から年配の方が出てこられてので、尋ねてみると間違いなさそうで、ウラがとれたと云う事で山口村道路元標と。 再び肥前竜王駅まで 輪行して杵島郡の道路元標4基を夕方まで巡りました。 本日の走行67.1キロ

道路元標蒐集の旅(西日本編)

Image0905a.jpg予土線の始発で近永駅まで輪行します。 ところで過去輪行での四国入りはいずれもKHSですが、徳島県、高知県、香川県とパンクしていますので、次は愛媛県か… 慎重に走る事に。





Image0905b.jpg近永駅近くで、キハ32とキハ54の2連、軽量化で全長16mのキハ32と2エンジン搭載で21mのキハ54の差がよく分かりますが、どこかJRらしくないです。 ここでのんびりと鉄ちゃんしていたのが、後に響く事に。
 この後、愛媛県北宇和郡の泉村道路元標三島村道路元標を回り、四万十川沿いに中村まで下り、土佐くろしお鉄道12:03の列車で窪川へ向かう計画なのですが、迂闊にも中村まで結構距離があって平均20キロ前後で走って行かなければ間に合いません、四万十川沿いの下り基調とは云え、標高差も大してありませんし、結構アップダウンがあったりするのです。 その上、中村から窪川はJRではないので切符を買わなくてはならない上に小銭も千円札も無いと、条件が整うものです、こんな時には。

Image0905c.jpgR381出目(いずめ)峠、バス停さえなければ気づかずに通過しているのですが、峠おやじナワさんの足跡のない峠ゲット!!




Image0905d.jpg江川崎もノンストップで通過し四万十川畔に、ようやく岩間の沈下橋に見える処で一旦停まります。 前回はマラソン大会とかち合ったので、次はのんびり写真を撮りながら走ろうと思っていたのですがネ。 実は今回は LUMIX G1と交換レンズ は持たずにDIMAGE A2を持って来ているのです、やはり14-140mmを買って普通は一本でまかなえるまで、無理に持って来るのはやめました。 と云っても道路元標撮影用にDIMAGE A2でワイヤレスシンクロのできる外部ストロボを持ってきているので、荷物は減っていないのですが。

Image0905e.jpg 
大川筋道路元標、道端のこんな場所なのに前回通った時には全く気が付きませんでした、まだまだ修業が足りませんネェ…
 無事パンクもせず、平均速度を20キロ以下にする事なく、旧中村市街は前回迷ったのが幸いしたのか、今回はどうにか15分前に到着、KHSなら余裕のある時間です。

Image0905f.jpg中村から窪川へ、次の目的地は興津村道路元標、そこは標高350mの峠の向こうの海沿いの村で、一日5往復のバスが通っています。 その高南観光自動車の営業所が窪川駅前にあるので尋ねてみると、輪行させて貰える様なので、標高差350mの劇坂の帰途の心配もなく向かう事に。
 途中の道の駅「あぐり窪川」で補給に立ち寄ると3台の揃いのALPSのバッグで4サイドが、3台とも「YAMANE」ブランドですが、これは地元高知のヤマネなんでしょうが、キャンピング車健在です。
 

Image0905g.jpg現在はトンネルが開通していますが、旧道の興津峠も健在です。 話に違わず素晴らしい展望の峠ですが、興津へはこの道しかなく、自転車ツーリングのコースにはしにくいですよね。 ナワさんはどうしたんでしょうかね、きっと中腹からトンネルで戻ったのかなぁ…

 興津村道路元標の写真を撮っていると一台の小径車が、緑色のBD-1ではありませんか、高知から来られていて、やはり夕方のバスで戻る様です。 私は今夜八幡浜まで輪行しフェリーで別府へ渡るので、窪川へ戻っても時間が余りあるので、最終のバスまで海水浴場のある浜辺でのんびりする事にし、午前中の爆走の疲れを、のんびりと癒します。 本日の走行124.5キロ、平均速度もまだ19.8キロになっています。