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リベンジ能登半島(2日目)


石川県輪島市 白米千枚田にて

 昨夜は七尾駅近くのホテル「ルートイン七尾駅東」泊、輪行袋を担いだままの移動なので駅からたとえ一歩でも近い処が良いのですが、朝食前に矢田郷村道路元標まで散歩がてら往復したいのと、少々割高ですが。
 ホテルから歩いて10分も掛からない県の中能登土木事務所の玄関前に道路元標は保存されています。ただこの場所は元の矢田郷村の村域ではない様です。

 さて奥能登へは今回が3度目ですが、2001年(緑線)と2018年(茶線)はほぼ海沿いに走っていますが、今回は穴水駅をスタート、時計周りに1日目に輪島市~珠洲市、2日目は穴水へ戻り和倉温泉まで南下し、3日目は能登島を半時計周りする約200キロ(赤線)のコースの予定です。

 0630からの朝食バイキングを頂いてから輪行袋を担いで七尾駅へ、0712発の穴水行き始発に乗車します。
 1988年に三セクとして再スタートした「のと鉄道」ですが、2001年に穴水~輪島間が廃止、2005年に穴水~蛸島間が廃止され、現在は七尾~穴水間の33.1キロとなっています。
 輪行支度を解いて、穴水駅を0830にスタート、穴水町道路元標に立ち寄ります。街並みが小奇麗なのは2007年の能登半島地震の復興によるものでしょうか。
 穴水から輪島へは県道1号七尾輪島線がメインルートなのですが、峠を越えるまでは七尾線(のと鉄道輪島線)の廃線跡を縫うように行きます、意外に道路へ転用されている部分は少なく、廃線後20年になろうとする今では橋台や駅跡に面影を残す位です。
 穴水町と輪島市の境界、峠と云っても標高200mに満たない無名の峠なのです。

 輪島駅跡は道の駅とバスターミナルに、2001年に来た折に泊まった輪島ステーションホテルは今もステーションホテルとして健在。
 昨年一昨年と賞品を頂いた「いしかわ里山里海サイクリングルート」ですが、今年も賑やかし程度にポイントをゲットしておきます。
 (写真左) 輪島町道路元標、(写真右) 有名な「輪島の朝市」もコロナ禍の影響か些か寂しいです。
 輪島からは曽々木海岸の手前まで日本海沿いのR249を行きます、朝から曇り空だったのですが、時折陽射しが入る天気に。輪島市街を出ると珠洲市中心部の飯田までコンビニの類はありませんので、食料を調達しておきます。
 なかなか良さげなロケーションですが、今回は「自撮り」の準備をしてきませんでしたので、ロケハンで我慢。
 日本の棚田百選の代表格とも云える「白米千枚田」、三回目ですが、今までで一番空いてます。時間の余裕もあったし「自撮り」の準備はして来るんだったと後悔。
  暫くR249を行きますが、今回は未収の道路元標巡りがメインですので、海岸沿いに禄剛崎方面へは向かわず、県道40号珠洲里線他で内陸部を越えて珠洲市へ向かいます。
 途中の南志見村道路元標、これが1,100基となります、2007年に始めた道路元標フリーク、2014年に1,000基達成したものの、近場に残っていない事もありますが、それからの100基までに6年掛かるとは。
 海岸沿いのR249を走るとなにもない奥能登ですが、内陸に入り輪島市の東の端にあたる町野地区、中学校や銀行の出張所や生鮮類も扱うスーパーもあります、観光客が来る様な処ではありませんが、少し再発見。
 のとの里山風景の中を行き、八太郎峠(220m)で珠洲市へ。
 若山村、飯田町の道路元標を巡り今夜の宿の「珠洲温泉のとじ荘」へ、日暮れまでまだ少し時間もありますので見附島へ、何度か立ち寄ってますが、夕刻の静かな時間も良いものです。隣接する「見附島シーサイドキャンプ場」も利用者はソロが2人だけ、ちょっと羨ましい。
 「珠洲温泉のとじ荘」は国民宿舎なのですが、内部は今風な和モダンにリニューアルされていて、海の見えない部屋ですが「Gotoトラベル」のお陰で3,475円(入湯税別)と格安、自転車も玄関に入れて貰えました。部屋からは海こそ見えませんが大浴場からは海も朝日も見えますし、ただ不便なのは食事のできる店やコンビニから少々離れている事、とにかく宿には大満足ですが、次にここへはキャンピングで来たいのものです。本日の走行85.5キロ。

【1097】 2020/9/1 石川県鹿島郡矢田郷村(現 七尾市)
【1098】 2020/9/1 石川県鳳至郡穴水町
【1099】 2020/9/1 石川県鳳至郡輪島町(現 輪島市)
【1100】 2020/9/1 石川県鳳至郡南志見村(現 輪島市)
【1101】 2020/9/1 石川県珠洲郡若山村(現 珠洲市)
【1102】 2020/9/1 石川県珠洲郡飯田町(現 珠洲市)

 1日目 2日目 3日目 4日目

能登半島へ向かってます「リベンジ能登半島(1日目)」

 北陸石川県へは先々週にも行ったばかりですが、今回は一昨年夏の「能登半島キャンプツーリング」のリベンジです。その時は猛暑の下、日中はロクに走れず、迂闊にも幾つかの道路元標を取りこぼしてしまいました、能登半島の奥深く、今回はキャンプツーリングではなく「Gotoトラベル」キャンペーンを活用させて貰った宿利用です。

 予定では3泊4日、台風9号の動向が些か気になりますが、3日は午後には帰途に就く予定。今のところはこの季節に走るにはまずまずのお天気、日本海側はフェーン現象とか起こるととんでもない気温になりますからね。

 さて3泊ともなりますとどうしても着替えとかの荷物が増えてしまい、今回はゴリラポッドを諦め、さらに輪行袋をサドルバッグにぶら下げますが、落として無くしたりすると笑い話にもなりませんので厳重に、そうなるとサドルバッグの中身へのアクセスが悪くなりますので、とりあえずデモン太にチョイスしたフレームバッグを取り付け、工具や鍵、手袋と云ったものをこちらに入れておきます。だんだん好きくもないバイクパッキング風になってきましたのが…「轍」のK氏もブログに書いてますが、フレームバッグは使い勝手は良いものの取り付けたシルエットはどうにも格好が良いとは、横長タイプはまだマシなのが救いかと、私の場合ノーマルパイプには長すぎるベルクロテープもどうにかせなあきません。

 前回同様、勤務明けでJR畝傍駅へ直行し北陸へ向かいます。鉄路のある穴水まで行きたいところなんですが、適当な宿がないので今夜は七尾泊、明日の始発で穴水へ向かいます、従って今日は自転車は畝傍駅までの3.1キロのみ。

 「18きっぷ」は残り1回分でしたので、ヤフオクで3回分を送料込み7,850円で調達、タイミングが良ければ額面割れで落とせたりするのですがね。

 京都駅にて、これに乗れば七尾まで3時間10分程で行けるのですが、倍以上の時間をかけて贅沢な遊びです。湖西線から見る琵琶湖は最高のお天気。

 敦賀駅にて、車窓から北陸新幹線の延伸工事を見ると「18きっぷ」で北陸へ行けるのも令和5年の春までとなるのでしょうね。

 1641 ようやく金沢に到着、七尾線415系800番台に乗り換えます、少なくなった国鉄時代の残党ですが、撮り鉄の姿がチラホラ、ググッてみると今年秋から521系への置き換えが始まるそうで、となると今回が乗り納めになりそうです。

 畝傍0932→1008奈良1023→1112京都1145→1315敦賀1340 →1432福井1512→1641金沢1705→七尾1834 乗車時間9時間02分(内5回の乗り継ぎ待ち時間2時間17分) 6320円分乗車の予定。

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夏はやっぱり信州だよね(1日目)

 先週と同じく畝傍駅0932発でスタート、奈良、加茂、亀山、名古屋経由で信州へ向かいますが、18きっぷ故に中津川での接続が非常に悪く、なんと1時間53分待ちなのです。最寄りに岐阜県郡の苗木町道路元標が未修で残っていて、中津川駅からの距離は5.5キロ程、普通なら走っている時間より輪行支度の方が時間がかかる位なのですが、その苗木町と云うのは木曽川を挟んだ対岸なのです。土地勘のある方ならお判りでしょうが、この辺りは木曽川を挟んで河岸段丘が発達した地形、中津川駅から玉蔵橋を渡り城山大橋で戻ってくる周回コースをRide with GPSで描いたらなんと距離10.8キロに獲得標高282m(この値はRide with GPSの特性で過大になっているかとは思いますが)、このクソ暑い最中に熱中症になりかねないので、今日は移動日と一旦諦めたのですが、長野着が遅くなるものの、1本遅らせて3時間なら十分回れる計算に。
 畝傍0932→1008奈良1016→1033加茂1041→1205亀山1224→1336名古屋1346→と順調に乗り継いで行きます、この時間帯になると関西本線加茂~亀山間は1両での運行なんですね(写真左)、名古屋までは接続が順調過ぎてきしめんを頂く時間が。
 1507 中津川到着、先週でしたか日本の最高気温のタイ記録41.1℃が出ていましたが、お隣の多治見市は2007年8月に当時の最高気温記録40.9℃がでて、マスコットキャラクター「うながっぱ」が登場した土地、中津川も似たり寄ったりの気候。まだまだ暑い時間帯ですが、3時間の余裕で輪行支度を解き、ヒップバッグとか余計な荷物をコインロッカーに、久しぶりにコインロッカーのお世話になりましたが、今は一番小さいものでも300円とるんですね、さて出発。
 駅から木曽川に向かって坂を下ると玉蔵橋、案の定対岸には登り坂が待ち構えています。その玉蔵橋から下流側に望む事ができるのが…
 
 1975年に廃止された北恵那鉄道の木曽川橋梁、前後にガーター橋を従えたダブルワーレントラス橋、なんたら遺産になっている訳でもなく、50何年放置されています。

 玉蔵橋から標高で100mばかり登らされた後にアップダウンがあって苗木の街へ。岐阜県で現存が確認されている道路元標は4基、土岐郡駄知町、可児郡池田町、恵那郡坂下町とここ苗木町のみ。道路元標の根拠法である旧道路法の施行時には360程あった岐阜県の市町村、実際に設置されたのか、根拠のなくなった1952年以後に引っこ抜かれたのか判りませんが、もう少し見つからないかなぁ。
 北恵那鉄道苗木駅跡、特に何かがある訳でもなく、住宅街の中のただの空き地です。
 帰りはR257の城山大橋で木曽川を渡りますが、木曽川を見下ろす様に建っていただろう苗木城跡を望む事ができます、まるでライン川を見下ろすドイツの古城みたい、行った事ないけど。
 結局は2時間少々で中津川駅に戻ってきた訳ですが、走行距離は12キロ、GPSログでの獲得標高は190m前後でした。本日の走行、畝傍駅まで移動を含めて15.3キロ。余裕で今日2度目の輪行支度を済ませ、駅構内の立ち食い蕎麦を食って長野へ移動です。中津川1802→2030松本2105→長野2215、6,930円分乗車。

 

 

 

まずは北陸へ(1日目)

 2週間ぶりの丸1日のお休み、既に18きっぷのシーズンがスタートしていますし、くよくよしていても仕方がないので、まずはロードを担いで北陸へ道路元標蒐集の旅に向かう事に。勤務明けそのまま最寄りの桜井線畝傍(うねび)駅へ直行します。ところで畝傍駅は現在は無人駅ですが、かつては天皇陛下橿原神宮や神武陵行幸の際にお召し列車が発着した駅で、現在も専用通路や貴賓室などの面影が残っています。
 今日は畝傍0932→1008奈良1023→1112京都1145→1315敦賀1340→1432福井1512→1605能美根上と移動日みたいものですが、所要時間6時間33分、4回の乗継待ち時間は1時間53分。写真はJR京都駅、コロナ騒ぎが始まってから大阪や京都のターミナルと云われる処へ行くのは初めてなのですが、さすがにお盆位は多少混んでいるだろうと思っていたのですが、ご覧の通り。
 能美根上駅って鉄な人でも馴染みがない人がいるかも知れませんが2015年までは寺井駅の名称でした、カシミールで使っている地理院地形図もまで寺井駅のまま。駅前の通りが「ホームラン通り」松井秀喜所縁の地なんですね。

 数キロ走って能美郡の吉田村道路元標へ、2010年頃には民家の裏庭にあったのですが、2013年頃から現在の場所に再建されました。説明版の「旧街道の一町村に一箇所」と云う説明が些かなんですが、まぁエエでしょう。これで1,091基目なります。
 3月以来の久しぶりの輪行旅、なにやら忘れ物が多くて、ホームセンターやスーパーを探しながら、今夜の宿の松任へ向かいます。
 いつもは込々4,000円以内で極力安い宿を探すのですが、今は「Gotoトラベル」絡みで幾らでもあります、まだ今月は事後申請で戻ってくるパターンが多いのですが、予約サイトでは色々とキャンペーンをやっている様で、松任で一番の「グランドホテル白山」、別館とは云え楽天トラベルで税込2,925円也、暫くはasuka号でのキャンプツーリングがままなりませんので、ここは政府の政策に協力させて貰わなくては。
 本日の走行、畝傍駅までの回送を含めても22.2キロ也、明日はちゃんと走りますんで。

東の海へはたどり着けなかったけど

国道166号線高見ループ橋 三重県松阪市飯高町

 貴重な丸一日の休みとお天気回りが上手く重なったので走りに出かける事に。とにかく高見越で伊勢方面へ、今年の「東西南北の海へ」は「西へ」走っただけです。
 おおかた準備は済ませてあるので、4時15分に起き出してErbaロードで5時05分スタート、まだ路面が濡れていて今一つテンションが上がらない、まずはR165を走り西峠を越えて宇陀市、榛原から芳野川に沿って菟田野へ、松井橋のローソンで補給、この先予定のコースだと伊勢市までコンビニの類は皆無。そうそう店内が改装されています、売り場が広くなった様な気もしますけど、建屋は変わらない様な。
 緩やかに佐倉峠を登り詰め東吉野側は豪快ダウンヒル、鷲家(わしか)から木津(こつ)トンネルへ登り返します。この空模様では高見山は見えないだろうし、久しぶりの旧い木津トンネルへ。
 8時過ぎに高見登山口バス停へ、東の空に少し青空が見えてきました。
 旧道への分岐を過ぎ左へ大きくカーブしながら登る中村橋を渡っていると後輪に違和感が、どうやらスローパンクた様です、橋を2つ渡って広くなっている処でエアーを足します、少しなら騙し騙し走れそうなので、できれば高見トンネル口まで頑張りたい処。
  8時半にはトンネル口に到着、ここまで来れば駐車スペースにベンチ、トイレ、公衆電話があり、飲めないでしょうが水道もあります。
 圧を上げたらここまで走って来れる様なパンクですが、幸い水道には幸いバケツがあったので、確認するとバルブ近くのトレッド側にピンホールが、その付近のタイヤ裏をまさぐってきると、案の定引っかかりが、細い針金状の金属片が突き刺さっています、そのまま交換をしていれば、せっかく交換したチューブをダメにする処でした。

 高見トンネル(2,470m)を抜け、ループ橋を見下ろす処で一息入れ、ほぼ下りきった処で和歌山街道の三重県側最初の宿場波瀬(はぜ)宿に立ち寄ります、R166からは少し離れますが、写真左の分岐から車は通れない橋を渡って行きます。

 他所から訪れる人も稀なので、静かな宿場の佇まいが。それでも最近案内板が設置された様です。
 波瀬宿の後も3ヶ所程旧道を縫って走ります。

 宮本橋南詰のスーパー「つるや」で自販機休憩。伊勢方面へは最近はR369桜峠~丹生大師経由が多かったのですが、今日はR422湯谷峠経由で向かう事に、湯谷トンネルを抜けて少し下ると湯谷不動が、ここには水場があって真夏はオアシスです。

 宮川河畔に出て県道に入ります暫く旧宮川村を東へ、JAでお弁当が買えたので「もみじの里公園」でお昼にする事にしたのですが、公園へ下る坂道でグレーチングの切れ目に突っ込んで見事に後輪がパンク、水が溜まっていて気が付かなかったのが。
 「もみじの里公園」は一昨年9月に来たのですが、無料のキャンプ指定地となっています。三瀬谷ダム湖畔なので主にカヌーの利用が多いのですが、トイレと四阿(←但し)があります、食事とパンク修理で小1時間滞在。ところでスペアチューブを2本使い切ってしまったので、念のためにパッチ当てをしておこうとしたら、紙やすりがない事に、まぁ何とかなるでしょう。SNSでぼやいたら川崎のS氏がコンクリにこすりつけても良いよとのアドバイスが、なる程。


 13時過ぎに「もみじの里公園」を後にしR42船木大橋で宮川右岸に渡ります。船木大橋の下流側には旧R42の舟木橋が見えます、「自撮り」をしたくて準備もしてきたのですが、船木大橋は歩道が上流側にしかなく、交通量の多い国道だけに三脚が立てられません。なお上流側からは三瀬谷ダムと紀勢本線の鉄橋を望む事ができます。

 ワーレントラス橋は昭和9年に改修されたものですが、橋台は明治時代のものが使用され、登録有形文化財に指定されています。橋としては一応現役なのですが、老朽化で2t以上の車両は通行止になっています。
 船木大橋より下流、両岸に道が通じているのですが、左岸は宮川に流れ込む支流の浸食により、伊那谷の田切地形とまでは行かなくとも、アップダウンが多く、自転車なら交通量も少ない右岸の県道を継いで走る方が快適です。
 左岸の県道は大紀町打見で747号から38号伊勢大宮線となりますが、太平洋岸自転車道の鳥羽~紀伊長島間の山ルートとして整備が進んでいます。
 大紀町野原。

 県道38号は度会町麻加江で宮川左岸に渡ってしまいますが、今回は右岸を辿るつもりですので、右岸に沿った未踏の町道を行きますが、ダートを走らされたり(写真右)、県道に戻ってからも道を誤って一之瀬川沿いに遡ったりと。なお太平洋岸自転車道は中川大橋から内城田大橋までの間は左岸の県道を辿る様になっています。
 度会町川口で県道22号伊勢南東線に入りますが伊勢が近づくにつれて交通量も増えて走り難くなって 1545 ようやく伊勢市域に(写真左)。伊勢市津村町の交差点に太平洋岸自転車の標識があるのですが(写真右)「10m」って何でしょ、標高でもない様です。
 1615 ようやく度会橋東詰に到着、昨年5月24日には桜峠~丹生大師経由で6時間余りで来ていますが、ここまで約127キロ、10数キロ遠回りとは云え10時間54分も掛かっています。この時間から伊勢市街を抜けて内宮まで云っても仕方がないので「東の海へ」は諦め宮川橋を渡り旧街道の428号伊勢小俣松阪線に入り松阪方面へ。
 伊勢中川駅まで走ろうかとも思ったのですが、道も判りにくく、夕方の車の多い時間帯になったので、今日は松阪駅でお開きと云う事に。二度のパンクやコースミスはありましたが、櫛田川と宮川の清流を眺めながらのツーリングは上々だったかな、走行146.2キロ。

 

 

再び熊野シーサイドツーリング

熊野市甫母(ほぼ)町にて

 先々週17日に行ったばかりなのですが、尾鷲市と熊野市を海岸沿いに結ぶR311を再び走る事に。素晴らしいロケーションと紀伊半島を巡る交通網が最後に繋がった難所に魅力を感じた何人かが集う事になり、ガイド役を仰せつかり、先日16年ぶりに走った私は期せずして1週間余りで再訪する事になってしまいました。ただ天気予報は二転三転、コロナ騒ぎでモチベーションの上がらない中も、前々日夜になって当日は午後から晴れとの予報にGOサインが。
 先日は往路6時間以上もかけて「青春18きっぷ」輪行でしたが、今回は助手席に乗って楽チン、桜井からR169~R309~R42経由で尾鷲市の九鬼駅まで2時間20分足らず、道中の下北山村では満開間近の見事な桜並木に、思いがけなく車中からお花見を満喫。
 当初は尾鷲から一駅熊野市寄りの大曽根浦駅前に集合だったのですが、雨雲のきれるの待っていると遅くなるのと駐車スペースが微妙なので、最初の山越えを端折って更に一駅熊野市寄りの九鬼駅前に集合する事にし、6名が集まりました、全員がマッドガード付き。九鬼から紀勢本線なら三木里、賀田、二木島、新鹿、波田須、大泊、熊野市と7駅、営業キロで23.2キロをほぼ海岸沿いをなぞるR311では50キロ程の行程になります、なお帰途は短時間ですが輪行でデポ地の九鬼駅に戻るプランです。
 幸い8時半には雨もほぼ落ち着き熊野市に向かってスタートします。この先熊野市まで集落毎にアップダウンが繰り返される行程、ただ当初の予定の大曽根浦~九鬼間を除けば最大標高150mにも届かないのですが。
 雨雲がとれないので少し雨宿りしたりしながら、三木浦~三木里~古江~賀田~曽根と賀田湾を巡ります。先日の晴れた眺めを見て貰えなくてちょっと残念。
 曽根では立派な破風を持った建物が、今は郷土資料館となっていますが、元は小学校の建物の様です。開放されていませんが外側を見学していると少し晴れ間が出てきました。
 曽根を出るとR311が最後に開通(2001年11月)した区間になる訳で、熊野古道の曽根次郎坂太郎坂の区間に相当しますが、3キロ程東側に迂回して位置になっています。現在では曽根(1,106m)、梶賀(1,370m)、須野(197.5m)の3つのトンネルで結ばれていますが、私が始めて訪れた1995年8月は現在の曽根トンネルの岬寄りの梶賀第1トンネルを抜けて梶賀漁港でR311は終わっていました。当初は梶賀漁港を橋で跨ぎ2つのトンネル(梶賀第2、第3?)で須野トンネル側に繋がる計画の様でしたが、結果的には梶賀漁港の背後を通る形で曽根梶賀バイパスが作られ現在のR311となっています、図は手元にある最も古い昭和62年の1/25000地形図ですが、須野トンネル(1981年)の建設がもっと遅ければ、R311のルートは更に西寄りになっていたのかも知れません。
 旧道トンネルとなってしまった梶賀第1トンネルですが、地図では更に岬よりに道が見えます、今回皆で走れば怖くないとばかりにゲートをくぐって突っ込んでみます。(写真 : UG兄さん)

 現在は林道と云う事で、海側に路肩が崩れていたりと車では危険な状態ですが、幅員もそれなりにありガードレールや白線も残っていて、暫く進むと熊野灘の展望が開けます。
 驚いたのはR311の国道標識が、このルートはR311旧々道だったのです。R311が国道認定されたのが1970年、梶賀第1トンネルが完成したのが1985年ですから、15年間、梶賀漁港への唯一の陸路は国道だったのです。
 かつて国道だった事が信じられないような漁港の中の通路を抜けて登って行くと曽根トンネルと梶賀トンネルの間の橋をくぐり現在のR311に戻ります。なおここまでの経緯はヨッキれんさんの「道路レポート 国道311号旧道 梶賀の計画変更ルート」に詳しくあります。
 曽根トンネルを行きます、1台の車もやってきませんでした。(写真 : UG兄さん)
 須野トンネルを抜けると熊野市域、12時前には楯ヶ崎の展望台に到着。ただ楯ヶ崎そのものは反対側にあって死角になるので見る事はできません、往復1時間半の遊歩道か遊覧船を利用する必要があります。
 甫母漁港を望む処まで下りてきました、お天気も良くなり近くの防波堤で持参のお弁当とかでお昼にする事にします。沿線は海水浴シーズンでもなければ外食できる処はあてにできません。
 甫母漁港からまえださんが撮ってくれた写真(左)、対岸の山腹には山桜が。
 二木島湾を巡り荒阪、二木島と2つのトンネルを抜けます。
 新鹿の美しい砂浜が見えてきました。
  新鹿にて、先日は時間切れでここから帰途に就いたのですが、今日は余裕、新鹿の海水浴場を望む四阿にて、ofはやまさんが持ってきたジェットボイルでお湯を沸かしてコーヒータイム。

 新鹿を過ぎるとR311はやや内陸側に入りますが、波田須では素晴らしい展望が、眼下を紀勢本線が走っています、ここは徐福伝説の地でもあります。
 大吹峠を下ると大泊、対岸は名勝鬼ヶ城です。なおR311はここからR42との併用区間となります。

 鬼ヶ城見物の後、R42の旧トンネルになる鬼ヶ城歩道トンネル(旧木本隧道、歩道トンネルと云いながら実は東行一方通行で車も通ります。)を抜けて熊野市街へ、1525に熊野市駅前に到着、九鬼へ戻る普通列車は1605、1652、1827、1605に乗ろうとそそくさと輪行支度を始めますが、今日はヘッド抜き輪行のasuka号、リアは分割式に交換して出てきましたが、2台のデモンタには適いません、ちょっと段取りを間違えてまえださんに負けてしまいました。熊野市駅は上り普通列車は跨線橋を渡って2番ホーム、特急も停まる駅にしてはエレベーターもありません。僅か37分間の鉄旅で九鬼駅1642着、エンジン音を響かせて出て行くディーゼルカーを一同で見送り、今日のツーリングを終えました(写真右 : UG兄さん)。本日の走行52.3キロ。


熊野ツーリング 尾鷲市~熊野市

熊野市甫母(ほぼ)町にて

 予定通り桜井0543発の奈良行きに乗車、奈良、加茂、亀山と乗換、6時間半の行程、松阪まで近鉄で行けば2時間10分短縮できますが、紀勢本線の列車が限られていて尾鷲に着ける時間は変わりません。
 多気駅で4回目の乗換、新宮行に乗車します(写真)。ところで今回もデモンタでの往復輪行なのですが、尾鷲までの車中でとんでもない事に気が付きます、なんとデモンタを組み立てるのに必須のアーレンキーを忘れてきたのです、前回の和歌山の帰りに横着してフレームバッグではなく輪行袋を入れる袋に入れてしまい、今回そのバッグを忘れてきたのです、スペアチューブはフレームバッグに2本入っているものの他の工具とともタイヤレバーもそちらの中です。尾鷲は結構大きな街なのでホームセンターや大型スーパーもあります、ググってみると尾鷲駅から450m程で百均のダイソーがあり、最悪1キロ歩けばホームセンターのコメリもあります。予定の九鬼や三木里まで行ってしまうと食料すら覚束無い処、車中で気が付いただけでも不幸中の幸いかと。
 1158 尾鷲駅で下車、ハンドルもひねっていますので6mmと5mmのアーレンキーが無ければ自転車の形になりませんので、駅前で組み立てどころか担いで行くしかありません、一応転がす事もできるのですがね。幸いダイソーで必要なものは揃いましたので、店の横の駐車場で組み立てて出発の準備完了です。
 尾鷲市街R42を西へ、現在は三重県ですがツヅラト峠より南は廃藩置県までは紀伊国でしたのでこの地域を東紀州と呼ぶのですが、紀北と云う呼び方もあって、紀北信用金庫とかあります。ところが和歌山県の紀の川流域も紀北と呼ぶので紛らわしい事に。
 最初スタートを予定していた九鬼までは現在のR311の八鬼山トンネルまで登るか、旧R311の県道778号中井浦九鬼線を経由しなくてはなりません。前者は延長2364mのトンネル、後者はかなり遠回りな上標高350mまで登らなくてはなりません。八鬼山トンネルの入り口までは別ルートもあるのですが、通れる保証がなく今回はこれ以上時間をロスしたくないので素直にR311を辿る事にしました。
 標高180m程、R42と別れてからは交通量も少なくなり、思ったより楽に辿り着く事ができました。なおトンネルの情報は私と同じく道路元標フリークの穴蔵(あなぞう)さんがデータベース化していて、路線名と名前が判るならほぼ全国のトンネルの坑口の写真を見る事ができます。GoogleStreetViewと云う手もありますがね。
 2400mの半分位でしょうか、ただトンネル内も九鬼側に向かってずっと登りです。ご覧の通り歩道は自転車で通れる様な幅ではありません、と云って通過するまでに追い越して云った車は数台、時間帯にもよるでしょうが。
 少し下った処で熊野灘を遠望する事が、写真右は県道778号からの合流点。
 九鬼に下ったのが1330、予定では九鬼駅到着が1212ですから少なくとも1時間のロスです、熊野市駅から桜井への最終が1827ですから、後5時間で約45キロ、輪行支度と買い物を含めてもまんざら無理な時間でもないのですが。
 三木浦漁港とリアス式海岸の深い入り江の風景に思わず足が止まります。
 賀田を過ぎて曽根トンネル(1,106m)と梶賀トンネル(1,370m)を抜けます、R311で最後に繋がった区間で、熊野古道の曽根次郎坂太郎坂にあたります。30数年前には車道はなくR42の矢の川(やのこ)越まで迂回しなければならないので、賀田駅から二木島駅へ1駅だけキャンプ装備を引きずって輪行した苦い想い出が。1511に尾鷲市と熊野市の境界を越えます。
 須野あたりでは植生に阻まれますが、神須ノ鼻の険しい海岸風景を時折望む事ができます(写真左)、1528には周辺では最も知られた観光スポットになる楯ヶ崎に到着(写真右)。
  今日一番の目的だった熊野市甫母に到着、R311に残る狭隘区間は相変わらずです、恐らくこの区間での拡幅はせずに、背後をトンネルで抜けるか湾に橋を架けて甫母を集落を迂回するかと。「自撮り」の準備をしてきているのですが、誤算はこの時間になると港を挟んだ漁村の家並みが陰になってしまっています。2004年は尾鷲泊で早朝に走り出していましたから。
 三脚とタイマー、せっかく準備してきていますので周辺の何ヵ所で「自撮り」にトライします。
 今回はヒップバッグにどうにか入るSLIKの三脚を持ってきましたが、風が強いと些か心許ないです。
 二木島湾を巡り、楯ヶ崎を反対側から望む処まできました。夕刻が迫ってきますが、とにかく二木島駅までは走らなくてはいけません。
 二木島駅への分岐を見落として二木島トンネルへの登りに入ってしまったのですが、まだ時間に余裕があるので、次の新鹿駅まで進む事に、2014年に供用された遊木(ゆき)トンネル(717m)を抜け、海水浴場のある新鹿の砂浜の見える処までやってきました。なおこの区間の紀勢本線の駅はいずれもR311から離れていたり、駅への道が判り難いので輪行する場合は注意が必要です。
 1725 新鹿駅に到着、まだ1時間の余裕がありますが、陽が落ちると途端に肌寒くなってきてこれから一山越えて次の駅まで行く気も、それに次の波田須駅は確か自販機もなかった停留場の様な駅なんです。新鹿駅で温かい缶コーヒーでも飲みながらのんびりと輪行支度を整える事にします。
 1838発多気行きに乗車、「18きっぷ」だけでは伊賀上野までしか帰れませんので、1,160円払って松阪から近鉄で桜井に帰ります、所要時間は4時間29分。しかし12日の「WAKAYAMA800 有田から日高へ」に続いてのとんだ忘れ物に些か慌てました、16年ぶりと云っても南紀の帰りに車窓から見ていたのですが次走るのは何時でしょうかね。本日の走行48.3キロ、往復の輪行に11時間、滞在時間6時間半、実際走っていた時間は約3時間とは。

 不便な処ですが車も少なく風光明媚な土地、サイクリングには最高のフィールドですが、尾鷲市街を出ると熊野市街まで55キロ程の行程、古道歩きの人を見かける様になったとは云え、コンビニの類は皆無、商店も見かけますがあまり当てにはできません、食堂も海水浴シーズンを除けば期待できないかと、行かれる際は準備を怠りなく、って人の事は云えませんね。


デモンタ輪行 熊野へ行ってきます。

尾鷲市梶賀町~熊野市甫母町にて(2004年5月12日)

 紀伊半島の道はほぼ走り尽くしていると云っても、長い間走っていない道が幾つもあります。例えば海岸沿いに紀伊半島を巡るR42では三重県の尾鷲市~熊野市間や和歌山県の旧日置川町(現白浜町)~上富田町間はもう10年以上走っていません。尾鷲市と熊野市の間は熊野古道の時代からの難所で、R42は内陸側のいわゆる矢の川(やのこ)越えを、R311が海岸沿いを繋いでいるのですが、全通したのは平成になっての2000年(平成12年)、紀勢本線ですら繋がったのは1959年(昭和34年)7月でした、小学校2年から阪和線沿線で育った私は天王寺駅のコンコースに紀勢本線全通10周年の横断幕が掲げてあったのを子供心に記憶しています。
 最近では紀勢本線の大曽根浦駅(尾鷲市)以東は2015年1月に、大泊駅(熊野市)以西は2015年2月に走っていますが、この間の部分は2004年4月まで遡る事になります。なお2009年5月に旧道の矢の川峠を越えた事があります。(写真 : R311の狭隘区間 熊野市甫母町にて)
 前置きが長くなりましたが、今回はそのR311の尾鷲市と熊野市を跨ぐ区間を走る事にします、ただ奈良からでもアクセスの悪い地域で「18きっぷ」では始発に乗っても尾鷲に着くのはお昼前になります。仮に松阪まで近鉄を利用しても変わらず、紀勢本線の特急「ワイドビュー南紀」を利用しても尾鷲1045着が精一杯です。残念ながら日帰りでは走れる距離は限られてしまいます、特急料金まで出すなら1泊2日で行きたいですよね。
 帰りは「18きっぷ」だけで帰ろうとすると熊野市1605発になってしまいますので、松阪から近鉄を利用する事にします。
【往路】桜井0543→0616奈良0638→0653加茂0655→0816亀山0823→0935多気0943→1212九鬼 4,070円分乗車
【復路】熊野市1827→2054多気2104→2114松阪2142→2151伊勢中川2156→2238名張2240→2307桜井 2,310円分乗車+近鉄1,160円

 あと尾鷲から走り出すと標高差300m以上の旧R311県道778号中井浦九鬼線または八鬼山トンネル(2,364m/歩道なし)を経由しなくてはならないので今回は九鬼駅か三木里駅から走り出す事にします。九鬼スタートで45キロと云う処でしょうか。


WAKAYAMA800 有田から日高へ

和歌山県日高郡日高町比井にて 阿尾冨士を望む

 今シーズンは早々に50ポイントパーフェクトは諦めた「WAKAYAMA800 モバイルスタンプラリー」ですが、30ポイント賞とリピーターポイントだけは押さえておこうと、「青春18きっぷ」で和歌山県は有田へ向かう事にしました。機材は先日から手を入れていたデモンタで、箕島駅から海岸沿いに通称「キララときめきロード」を御坊まで南下するプランです。
 桜井0552発、高田、五条、和歌山乗換えの和歌山線~紀勢本線経由で箕島着0838ですが、和歌山駅での乗換時間が2分、階段または地下道がある上にホームに乗換の自動改札機があって、勝手が判らないとかなり厳しいです、天王寺から阪和線経由でも到着時間は変わらなくて乗り換えに余裕があるのですが、時節柄混雑するターミナルや路線は避けたいものでして。無事に紀伊田辺行きに、輪行袋を置くスペースのある車両へ乗り込みますが、なんと平日にも拘わらず4台もの先客が、学生さんの様ですね。まあ箕島まではすぐですので立って行く事にします。
 箕島駅をスタート、まずはお昼の弁当を調達しに近くのスーパーオークワに立ち寄ります。有田川を渡り「有田みかん海道」に入ります。昨年も2月に走ったのですが、有田川河口に突き出た半島をぐるっと回ります、北西側から南側へと紀伊水道の眺望が素晴らしいのですが、標高で150m程登らなければなりません。
 北西側の展望、紀淡海峡から淡路島が望めます(写真左)。標高を稼ぎながら南側に回りこむと湯浅湾を挟んでこれから向かう白崎海岸の先端やうっすらと四国を望む事ができます(写真右)。
 みかん畑の中の急坂を下り県道20号有田湯浅線に入ります。ただ向かい風が些か強くなってきました、このコースを湯浅から南向きに走るのはほぼ初めて、やはり御坊スタートが楽だったかなと少々後悔、線路沿いに県道をショートカットする手もなくはないのですが、せっかくですので海を見ながら頑張る事にします。湯浅の街中を過ぎると「キララときめきロード」は県道23号御坊湯浅線となり、湯浅湾を巡る様に「テスティモーネ アリダ」「湯浅うまいもん蔵」「広川町立ふれあい館」とボイントをこなして由良町へ向かいます。
 広川町「稲むらの火の館」から変わって今シーズンからポイントになった「広川町立ふれあい館」、広川ビーチ駅に隣接しています。
 由良町域に入ると白崎海岸までリアス式海岸の地形が続き、県道はアップダウンを繰り返します。以前は衣奈(えな)漁港で県道23号から県道24号御坊由良線が分かれていたのですが、現在は衣奈(えな)トンネル近くまで登るルートに変わっています。通行止とかが続いていたのですが、以前のルートが通れましたので、山越えで衣奈へ越えます(写真)。この区間も現在トンネル工事が行われていました。
 衣奈から県道23号に入り海沿いの4つのトンネルと橋を経て道の駅「白崎海洋公園」へ下る手前、白崎海岸の案内板を傍に休憩場所が、地元の方の手作りのものの様です、湯浅湾に浮かぶ島々の眺めが素晴らしいのでお借りしてお昼にする事に。眺めが良いとオークワで買った198円也の弁当も価値があると云うものです。
 道の駅「白崎海洋公園」は2018年9月の台風被害で1年程閉鎖されていたのですが、現在はほぼ復旧しています、ただキャンプ施設はまだの様ですね。

 かつて軍港であった由良港を巡ります、現在は海上自衛隊由良基地があります、運が良ければ潜水艦が見られるかも。柏漁港の手前から日高町となり、小浦峠の手前まで未改良の鄙びた道が続きます。写真は方杭(かたくい)にて。
 由良町の「平佐館」日高町の「温泉館’海の里’みちしおの湯」で30ポイント達成です。
 小浦峠を越えると通称阿尾冨士を望む事ができます。かつて原発誘致に揺れた土地です。
 小浦、比井、産湯、阿尾と緩やかな海岸沿いを行きます。今回は南行きで走ってみましたが、このコースやはり北行きが正解かと、写真も何枚か自転車を海側に置いて反対向きに撮ってます。但し「有田みかん海道」は逆向きは厳しいかと。
 緩やかな峠を越えると美浜町、1523には三尾へ、移民が多かったのでアメリカ村と呼ばれているのですが、アメリカではなくカナダへの移民なのですがね。ポイントにもなっている「日の岬」まで往復する時間もあるのですが予定の30ポイントは達成したのと、距離の割には少々疲れ気味なのでここで帰途に就く事に、ここからは御坊駅が最寄りなのですが、一駅和歌山駅よりの紀伊内原駅まで走る事にします、御坊駅では普通列車は階段を渡ったホームになり、紀伊内原駅は下り列車は確実に手前のホームになります、駅前にコンビニもありますしね。ちなみ紀伊半島を巡る紀勢本線は三重県の亀山駅が起点で和歌山市駅が終点となります。
 次の下り列車まで約30分、現場でのデモンタの輪行仕度はまだ二度目なんで、落ち着いてぼちぼちやります。正直云ってロードの方が楽です、軽いしね。ただ拘りのマッドガード付きであると云う点ではヘッド抜きに分割式マッドガード仕様と比べるとはるかに楽で早いです。
 1635 和歌山行きに乗車、いつになく帰途に就いたのが早かったので普通列車の乗り継ぎでも21時過ぎには帰宅できます。走行72.3キロ、先月も伊賀上野まで71.8キロ走っていますが、このデモンタで100キロ超はちょっと厳しいかな。asuka号なんかに比べると650A×38の低圧のタイヤって事もあるし、あと気になるのはQファクターの違い、以前フロントダブルの9さんのasukaロードを借りて、午後から走れなくなった事があったっけ、次回は延陽伯号にしているSPDシューズを履いて見ようかと。そんな事を考えながら和歌山で乗り換え、実はこの時、とんでもない忘れ物をしてしまったのです。


自転車人生10個目の輪行袋

左から2代目、5代目、6代目、8代目、9代目、10代目

 暮れにやってきたデモンタ用に筒型タイプの輪行袋を新調しました。なんと自転車人生10個目の輪行袋になってしまいました。マルトのRINKO BAG ZDですが探してみるとモノタロウが一番安かったのですが、箱が傷んでいると云う訳あり品で送料込み3,300円で手に入れる事ができました、しかし箱入りの輪行袋って初めてですわ。
 9代目なんと1970~80年代でしょうかSS印ヤングマン輪行袋、非常に状態の良い新品を今年の正月にTさんから頂きました。このサイズの輪行袋、asuka号をヘッド抜き輪行ができる様に改造してから、私も今の処は使い道がないのですが、輪行袋より収納袋が簡易サドルバッグに使えそう。
 8代目は2018年10月の「紀伊半島ツーリング」の折に輪行袋を忘れていって、紀伊田辺で買い求めたオーストリッチの巾着タイプのL-100、それまで使っていた同じくオーストリッチのemu(左から3番目)の縫製があまりに酷くてファスナーの縫い付け部分が次々とほつれてきてファスナーに噛みこむので、輪行の度に買い替え様と思っていた矢先でした。しかしこのemu、同じカラーを使っている人がFacebookにいて、やはりほつれてきているそうでロット不良でしょうね、昨今の中国製品の方がずっとマシと思える品質ですね、収納袋の底も抜けてしまいました。おかげで今はL-100が主力になっています。
 実は2015年に「自転車人生6個目の輪行袋」なる記事を書いたのですが、実はオーストリッチの紫色の前に青色のものを使っていたので、その時点で7個目だった計算に。
 写真は1991年8月に紀勢本線賀田駅にて、R311の全通前で賀田~二木島駅間の一駅だけ輪行した思い出が、輪行には手回り品切符が要った時代ですが、車掌さんに料金だけ払った記憶が。
 さてデモンタ用の筒型輪行袋、本来は小径車用の様ですが、650Aのデモンタもすっぽり被さります。3本のコードで縛る様にできていますが、ファスナーもマチもないのでミシンさえあれば誰でも作れそうな気もしますけど。自転車の一部が出ている輪行は駄目だなんて野暮は云わないでね。